第二十四話 覗き見の記憶

 信弘たちが去った後、桃花は一人横になってスターゲイザーを見上げていた。

「ねえ」

『はい』

「ちょっと予定早めてもいいかな?」

『問題ありません。いつでも実行可能です』

「ん」

 地道に用意してきた計画。大した野望があるわけではない。自分を閉じ込めて制御した気になっているアカデミーの人間に対する小さな小さな反抗の計画。

 桃花は寝返りを打つと、記憶を巻き戻した。まだここに来たばかりのことを思い出しはじめる。不定期にアカデミーへやってきては、いつも怪我をして医務室へ向かう変わった女の子の記憶を。


          *


 アカデミーの常識を凌駕する魔力を持つ、正体不明の少女。突如現れたそれは、アカデミーにとって極めて有益かつ貴重な存在であることは明らかであったが、既知の治癒魔法が及ばない重病により死期が近いこともまた明らかであった。

 桃花の処遇についてアカデミー内で様々な提案があった。スターゲイザー計画はそのうちのひとつである。その内容は、魔力源の欠落によって凍結していた本計画を桃花によって再始動させ、スターゲイザーに桃花自身の治療もしくは延命方法を立案させるものであった。

 一部反対する者はいたが、リンデン氏とスターゲイザーは、その実力をもって反対意見を黙らせることに成功した。スターゲイザーが開発した魔法は、確かに桃花の命を繋いだのだ。

 かくして、リンデン氏の提案は満場一致で受け入れられた。桃花を欲しがる者はほかにもいたが、とにかく生き残らせなければ話にならなかったからである。


 以上のような経緯を、桃花はリンデン氏より矢継ぎ早に説明された。

 桃花にとってはワケの分からないことばかりであったが、ずっと続いていた発作も痛みもなくなっていたことだけは分かった。

 その日から桃花の退屈な日常が始まった。

 病魔との戦いはなかった。しかし、これまで応援してくれた家族や担当医たちもいなかった。ここに居るのはリンデン氏だけだ。リンデン氏は桃花に良くしてくれたが、それは人としてではなく貴重な研究素材としてであるのがあまりにも露骨で、桃花は嫌気がさした。

「電池だ」

 桃花は思った。ここでは自分は人間ではない。頭上で輝く得体の知れない星々を動かすための超高性能な電池。それが桃花の存在だった。

 

「ねえ」

 ある日、一人研究室に押し込められていた桃花はスターゲイザーに話しかけた。リンデン氏は研究の用事でしか話すことが無いし、他の人物は研究室に来ること自体が稀だ。話すことなど無い。そうなると桃花と最も話す機会が多いのは必然的にスターゲイザーとなった。

「私を外に出してくれない?」

『許可できません』

「どうして?」

『部屋の外では桃花の生命を維持することができないからです』

「あなた、いろんなことができるって聞いてるよ。それもできるようになるんじゃないの?」

『技術的には可能ですが、リンデンの承認が必要です』

「じゃあ、せめて外の様子を見せて」

『許可できません』

「どうして?」

『リンデンの承認が必要です』

「それなら、誰か話し相手を連れてきて」

『許可できません』

「どうして?」

『リンデンの承認が必要です』

 桃花はため息をついた。暖簾に腕押しとはこのことだ。

「ねえ、あなた何がしたいの?」

『私の使命は桃花の生命を維持することです』

「こんな状態で生きたいって思うわけないじゃん。そんなの有難迷惑だよっ!」

 桃花は枕を頭上へ向けて放り投げたが、その小さな抗議は星座の群れには届くことなく落ちてきた。

 愚痴だった。リンデン氏の説明によれば、スターゲイザーは人工知能のような存在で、感情の類を持ち合わせないとのことだ。人間の尊厳やら情に訴えるやら、そういったことが通用しないのは明白である。しかし、スターゲイザーからもたらされた回答は意外なものであった。

『それは重大な問題です』

「え?」

『私に与えられている起動命令として、術者である桃花の生存欲求が設定されています。桃花が生存する意志を失えば、私は稼働状態を維持できなくなります』

「……なんか、よくわかんないんだけど、私が生きたくないって思ったら困るの?」

『はい。早急に状況を改善する必要があると認めます』

「じゃあさ――」

 後に桃花が時間をかけて理解したところによると、どうやらスターゲイザーにとっての最上位命令は桃花の生命維持であり、それを遂行するためにはスターゲイザーの稼働状態を維持することが不可欠。そして、スターゲイザーが稼働状態を維持するためには、桃花の生存欲求が不可欠ということだ。生きる意志を失った者を無理矢理生き永らえさせるような設定がされていないらしかった。

「私が生きたいと思えるようにして」

 そこから先はとんとん拍子だった。

 自らの命を盾にした要求の数々は、ことごとくリンデン氏の権限を上回った。それが最上位命令の遂行に繋がるからだ。桃花は魔法のことをメルヘンチックで得体の知れないものだと思っていたが、スターゲイザーはどこまでも機械的に、ロジカルに対応してくれた。

 桃花は内密に、時間をかけて環境を支配していった。

 

 一人の少女が桃花の目に留まったのは、アカデミー内の様子を自在に見ることができるようになった頃であった。ちなみに遠隔映像を送ってくるこれらの魔籠を、桃花は監視カメラと呼ぶことにした。

 覗きとは悪趣味だとは思いつつも、ようやく研究室以外の景色がみられるとあって、アカデミー敷地内のいろいろなところへ目を向けていた。

 ある朝、桃花は暇つぶしに敷地内の様子を監視カメラで見ていた。すると、見慣れない制服の少女がアカデミーを訪れるのが見えた。同時に聞き取っていた会話によれば王都というところからきた学生らしい。引率と思しき男性教員との二人組であった。

 二人はゲスト用の宿舎へ入っていったので、桃花は映像で二人を追跡した。

「依頼のあった村はどちらに?」

「学都からさほど離れてはいない。門のところに車を手配してあるから、行ってきなさい」

「先生は来ないのですか?」

「ああ……先生は忙しいんだ。ララなら一人でも大丈夫だろう」

「……分かりました」

 ララと呼ばれた少女は荷物を置くと、宿舎を出ていった。

 桃花もカメラを次々に切り替えてララを追跡したが、先ほどの教師が言った通り、アカデミーの門で待っていた車に乗ってどこかへと行ってしまったので、それ以上追うことはできなかった。

 去っていく車が映像の範囲を超えた後、桃花はなんとなく呟いた。

「今の子、何しに行ったんだろう。引率の先生がついて行かないなんて」

『調べますか?』

「ううん。別にいいや」

 桃花の呟きに反応したスターゲイザーに断りを入れた。ただ他所の学校の人が何かの用事できただけ。さほど興味をそそられる話題でもなかった。桃花はもっと興味のある学食の監視カメラ巡りを始めた。スターゲイザーは学食からの取り寄せもしてくれるようになっていたので、桃花にとって食は新しい楽しみの一つになっていたのだ。

 カメラ越しに新作のアイスクリームを物色するうちに、一人の少女のことは記憶の片隅へと追いやられていった。


 状況が変わったのはその日の夕方だ。

 多くの講義が終わって、学生たちが帰路につき始めるころ、アカデミーの門に一台の車が停まった。車から降りてきたのは朝に見た少女、ララだった。門から出ていく学生たちの波に逆らってアカデミーへと向かってきたララは、体中に怪我を負っているようだった。

 小さな子供が流血しながら一人で歩く異様な姿に、周囲の学生たちがざわついていた。中には声をかける者もいたようだが、ララはそれを丁重に断って宿舎へと足を動かしていた。

「あの子、朝の子だよね。どうしたんだろう……」

 ララは宿舎に戻った後、引率の教員に連れられて医務室へと運ばれた。幸い大事には至らないようであったが、何かただ事ではない気配に桃花の興味は引き寄せられた。

「ねえ、あの子のことやっぱり調べてもらえる?」

『承知致しました』

 スターゲイザーが調べたところによれば、ララという少女は王立魔法学院では有名な魔法使いで、史上最年少のハンターアデプトに選ばれた傑物とのことだった。

 そして、その天才魔法使いが何故学都で血まみれになっているのかというと。

『学都近郊の村から王立魔法学院へ魔物の討伐依頼が出ています。学都が断った依頼がそのまま王立魔法学院へ流れたもののようです。その他いくつかの状況を勘案すると、ララという少女はそれらの依頼を遂行するためにアカデミーを訪問したと考えられます』

「ふぅん、ありがとう」

 つまり、危ない仕事を押し付けられたわけだ。

 その後も気を付けてみていると、ララは不定期にアカデミーへとやってきた。ある時は一人で、ある時は教員に連れられ、ある時は魔法学院の交流会として他の学生たちと団体で訪問してきた。


 その日、桃花が観る映像の中では同じ制服の少女たちが話に花を咲かせていた。

「ねえ、今日の午後は自由時間だって。みんなで街に遊びに行かない?」

「わたしも行く」

「私も!」

 王立魔法学院とギュルレト魔法アカデミーの交流会の日。ゲストの宿舎は学生の団体でにぎわっていた。この時もララは大勢に混ざってアカデミーに滞在していた。

「ララちゃんも一緒に行くよね?」

「だめだよ。ララちゃんは別のお仕事があるんだって」

 ララ当人が答える前に、別の少女が割り込んで断りを入れた。

「なあんだ、残念」

「うん。ごめんね」

 ララの表情が少しだけ寂しそうに見えたのはカメラ越しだからだろうか。

 その後、やはりというべきか、ララは魔物退治に出かけると怪我をして戻ってきた。他の学生たちが目を丸くして絶句する中、すっかり慣れた様子で医務室へ向かう。


 桃花がララを見ていて分かったことがある。

 誰もララを手伝わない。

 同じ学生だけでなく、教員ですら同じだ。ララの実力がそうさせるのかもしれないが、大人たちが少女一人をこき使っているのを長いことみていると、その異様さは嫌でも目についた。

 そしてもう一つ、ララは仕事を断らない。

 どれだけ危険でも、理不尽でも、ララは魔物討伐をつづけた。

「断ればいいのに、変わった子」

 ララにしかできない仕事。だから引き受ける。それは桃花も同じだ。しかし、桃花は引き受けたくてそうしているわけではない。そうしなければ死んでしまうからというだけだ。


 そうして月日は流れて、つい一週間ほど前。

「モモカ、良い知らせがありますよ。なんと、あなたと同じ世界からきたと思われる人物が見つかりました。近いうちにここへお招きしようと計画しています。あなたも是非会いたいでしょう?」

 研究室を訪れたリンデン氏は、桃花にニュースを持ってきた。もちろん、桃花はすでにそれを把握していたし、何のためにその人物を連れてくるのかも知っていたが、外面的には驚いたふりをしておいた。桃花は演技が得意ではないが、ろくに桃花という人物を見ようともしないリンデン氏には、それでも十分に通用したようだ。

「ああ、それから、何人かおまけがついてくるかもしれません」

「おまけ?」

「ええ、彼の同居人です。いろいろと事情はあるようですが、彼はこの子らの保護者代わりのようなことをしているらしく。まあ、モモカと歳も近いことですし、もしついてくるようなら話し相手にでもなってもらったらよいでしょう」

 そう言ってリンデン氏が提示した写真を見て、桃花は今度こそ本当に驚いた。

 そこに写っていたのはララだ。写真には二人写っているが、双子だったのか。危うく名前を言いそうになって、寸でのところでこらえた。

「この子は?」

「王立魔法学院の学生と、その姉です」

「王立魔法学院……」

 桃花がいつも見ていたララは妹の方ということだ。

「どんな子なんですか?」

 予想とは違う話に食いついたからか、リンデン氏は少しだけ桃花に訝しむような目を向けたが、特に隠さず教えてくれた。

「妹の方は、最年少でハンターアデプトを授与された天才魔法使いだそうですよ。しかし、この歳でそんなものをもらうなんて、きっとまともな子供ではないでしょうな。この短い人生のどれだけを戦いに使ったらそんなことになるやら、想像もできません。ま、戦闘狂というやつでしょう。姉の方は……情報が少なくて、いまいち私も把握できていません」

 桃花にとっては目新しい情報ではない。だが、リンデン氏の意見は桃花が見てきたララの姿を的確に表しているようにも思えた。少なくとも客観的には。

 ララは本当に戦いたくて戦っているのだろうか。それは直接会えばわかるのかもしれない。桃花はそう思った。

 

          *


 桃花は記憶を手繰るのを止め、心を決めた。

「明日の夜、やろう」

『承知致しました』

 長いこと掛けて準備をしてきた。今やアカデミーは桃花の手中にある。

 この計画は最初から最後まで桃花のための物だ。しかし、ついでにララの気持ちを試してみるのも、悪くはないだろう。

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