第十五話 桃花との会話

 僕とルルはリンデン氏の研究室前までやってきた。


「おじさま、お願いします」

「え?」

「わたし、扉を開けられないので……」

「そういえばそうだったね」


 ルルは魔力を持たない。魔籠でいろいろなインフラが整えられている都市で生活すると、これは目に見えて実害があることが分かった。エレベーターや扉が魔籠制御になっていると、移動に支障が出てしまうからだ。バリアフリー化は一つの課題だな。

 僕は扉に設置されている認証用の魔籠に手を当てる。リンデン氏に登録はしてもらってあるので、問題なく扉が開いた。


「よし、行こう」


 振り返って呼びかけるが、ルルはたった今僕が手を触れた魔籠を注視したまま立ち止まっている。


「どうかしたの?」

「あ、すみません。ちょっとこの魔籠が気になって」


 僕も魔籠を見る。扉の表面に張り付けられたそれは、シンプルな金属板の形状をしている。顔を近づけて目を凝らすと、うっすらと表面に何事か彫り込んであるのは分かるが、当然内容は理解できない。


「これ、昨日ララが持ってきた魔籠にあった魔法と同じものが仕込んであるんです」

「何かの一部だっていう魔法?」

「はい。あの後、周りで見かける魔籠に注意してみたんですけど、これと同じ魔法が仕込まれている物が他にもあったんです。宿舎のエレベーターとか、さっきのゴーレムもそうでした」

「どういうこと……?」

「わかりません」


 魔物から出てきた魔籠と、アカデミー内の魔籠。用途は全く異なるが、共通する魔法が仕込まれている。ルルは何かの魔法の一部のようだと言っていたが、一体何に使うのだろう。


「ララが戻ってきたら何かわかるかもね。とりあえず中に入ろう」

「はい」


          *


「いらっしゃい。待ってたよ」


 桃花は笑顔で僕らを歓迎してくれた。


「お茶の用意をお願い」


 僕らがベッド横に用意された椅子に腰かけると、桃花がスターゲイザーに話しかけた。


『承知しました』


 どこからともなくキャスター付きの机が床を滑るようにして僕らのもとにやってきて、ぴたりと目の前で止まった。良い香りの湯気を上げるカップが三つ乗せられている。


「便利なもんだね」

「大抵の物は用意してくれるの。お茶だけじゃなんだし、食べ物も頼もうかな。……中央のフルーツアイスをお願いできる?」

『中央棟学生食堂に発注しました。出来上がりまでしばらくお待ちください』

「今度はすぐ出てこないんですね」

「ごめんね。今頼んだのはアカデミーの学食で売ってるメニューだから。でも、美味しいから楽しみにしててね」

「取り寄せもしてくれるのか……」

「テイクアウトに対応してくれるところだけね。さ、待ってる間にもお話聞かせて?」


 これは僕の私見だが、雑談というのはなんとなく始まるから雑談であって、さあ何か話せと言われると出てこないものだと思っている。天気の話でもすればいいとは言うが、外に出られない相手に天気の話というはよろしくないだろう。

 そんな考えに基づいて低コミュニケーションスキルの僕が硬直した時、隣でルルが応えた。


「モモカさんも、スマホって持ってるんですか?」


 ルルから飛び出した予想外の質問に一瞬だけ桃花も固まった。


「え、うん。持ってるよ。ルルちゃん、スマホ知ってるんだ」

「おじさまが教えてくれたので」


 桃花は「あ、そっか」と納得し、ベッド横に置いてあった棚の引き出しを開いた。中に入っていたのはスマートフォン。


「ほら、これだよ」


 ルルはスマホを受け取ると、言った。


「おじさまのとちがう!」


 桃花のスマホは僕の物より旧式の物だった。二年前にこちらに来ているなら当然だろう。


「でんげんボタンはどれですか?」


 ルルが側面のボタンに指を這わして迷っていた。


「さすがに電池切れしてるでしょ?」

「満タンだよ」

「えっ!」


 どういうことだ。僕のスマホはルルが調子に乗ってあちこち写真を撮りまくったせいであっという間に電池切れになってしまったというのに。


「ここ、充電できるので」


 桃花はスマホの電源を入れて、再びルルに手渡した。画面を覗き込むと、確かに満充電状態のアイコンが輝いていた。


「すごいな……」

「ノブヒロさんの電池切れてるなら充電していく? コネクタが合えばだけど」

「いいの? ぜひ頼みたい」


 僕がスマホを取り出して渡すと、桃花はスマホが入っていた棚から充電器を取り出す。


「充電お願い」

『承知しました』


 すると、天井から一本のコードが垂れ下がってきた。桃花は充電器のプラグを垂れ下がってきたコードへつなげた。


「この子にお願いしたら作ってくれたんだ。さすがに時間かかったけどね。あっ、合うよ。よかった!」


 スターゲイザーの高性能には恐れ入る。一体どこまでのことができるのやら。

 無事充電を開始。桃花が電源ボタンを押し、久しぶりに点灯する僕のスマホ。


「ねえ、こっちの世界で写真撮ったんだよね? 見てもいい?」

「もちろん」


 僕らは揃って一つの画面を覗き込む。

 写真のほとんどはルルが撮ったものだ。最初に出てきたのは水都の広場。大きな噴水や、水の流れる涼やかな景観が写る。


「ここは水都って言って、学都をずっと南に行ったところにある街なんですよ。街の中に水が流れてて、そばに大きな河も流れてて、綺麗な街です」

「ほんと、綺麗なところだね。ふふっ、ルルちゃん楽しそう」


 噴水の前でポーズをとっているルルがいた。まだ王都で酷い目に遭う前のルル。旅への期待に満ちているのがよく分かった。

 一気に場面はとんで、列車の中の風景になった。僕とルルとララが揃って写っている。ルルは満面の笑み。僕は二人の間に急に押し込められたからか、少し準備不足の変な顔をしている。ララに至っては写真を撮られていることすらよくわかっておらず、困惑顔であらぬ方を向いていた。この時は本当に驚いたな。まさかララが家出してくるなんて思わなかったから。

 その後の写真は師匠の家に戻ってからの物だ。平和な食卓や、師匠に叱られながら魔法の勉強に励む僕が写っていた。

 次はルルとララが寝ている写真だった。毎朝のことだが、ララがルルに抱き着いて……というより、しがみついているせいでルルが苦しそうな顔でうなされている。


「ノブヒロさん、盗撮?」

「えっ、別にいかがわしい写真じゃないでしょ……」


 と、僕は思っているのだが、違うの……?


「ララはいつも寝相が悪くて困っちゃうんですよ」


 ルルは特に気にしていないようだった。写真のララを指して笑っている。


「モモカさんのスマホにも写真入ってますか?」

「……あるけど、病院で撮った写真ばっかりでつまんないよ」


 そう言いながらも、桃花は写真を見せてくれた。

 桃花が言った通り、ほとんどが病室のベッドの上で撮られた写真だった。たまに病室以外の写真が出てきても、病院の庭らしきところを車椅子で移動している場面や窓から撮ったと思われる外の景色ばかりだった。そんな中、一枚の写真を見て桃花が呟いた。


「これ、お母さんとお父さん」

「仲良しなんですね」


 ルルが、少し寂しそうに言った。

 写真は相変わらず病室で撮られたものだ。他の写真と変わらない、殺風景なベッドの上であったが、桃花と両親が笑顔で並んでいる様子からは、親子仲が良好であることが一目で察せられた。


「あ、ごめんね。確か、ルルちゃんの家って……」

「気にしなくていいですよ。わたしが決めたことです」


 前回ここに来た時、自己紹介の流れで少しだけ話してあった。詳細を説明したわけではないが、何か特殊な事情があることは察してくれたのだろう。


「今どうしてるかな」


 桃花が呟き、少し場が静かになったところで、天井の星々から声が降った。


『中央棟学生食堂より、注文していた商品が届きました』



「おいしい」


 ルルがシンプルな感想を述べた。

 届けられたアイスは、様々な果物をミックスした味がした。多様なフルーツピールが入っていて、ところどころに歯ごたえがある。僕も美味しいと思う。ところで、このアイスは学生食堂から取り寄せられているとのことだったが、代金は誰の支払いになっているのだろうか?


「私、これ好きでよく食べるんだ。病院にいたときはこんなの食べられなかったから」

「今は体調いいんですか?」

「うん。この子がかなり抑えてくれてるんだよ。どうやってるのか知らないけど、魔法ってすごいんだね」


 僕らは天井を見上げる。そこには瞬く星々のようなゴーレム、スターゲイザーがいる。桃花の魔力によって稼働する、桃花の生命線であるゴーレム。


「ルルはどうやってるか分かる?」

「うーん……」


 ルルはしばらく天井を仰いで考えていたが、やがて前に向きなおった。


「いえ、さすがに複雑すぎてちょっと見ただけではとても」

「そうか」


 ルルならば、もしかしたら現状の魔法を改善して病気の治療まで手を回せるんじゃないかと考えたが、さすがにそれは無茶ぶりすぎるか。そもそもゴーレムについて専攻しているわけでもないし。


「でも、ホントはここじゃなくて、食堂で食べたいな」

「中央棟だっけ」

「うん。中央棟ってアカデミーでも一番高い建物なんだけど、食堂はその最上階にあるの。屋上にも席があって、とっても見晴らしがいいんだって。やっぱり人気なのかなあ?」


 中央棟か。アカデミーどころか、学都で一番高い建物だとリンデン氏は言っていた。学都を取り囲む壁よりも高い、貴重な建築物だ。密集した建物のせいで学都の空は極端に狭く感じるから、並ぶものが何一つない屋上席で食べる昼食は気分転換に良いかもしれない。ただ、立地の問題から実用面には不安がある。


「見晴らしは良さそうだけど、講義室から遠くなったら逆に人気なくなるんじゃない? 昼休みに一番上まで登るのってめんどくさそうだし、エレベーター混みそう。僕なら他の食堂に行っちゃうかな」

「あ、そうかも」


 そう言って桃花が笑った時、部屋に鐘の音が響いた。

 正午の知らせであった。

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