第十二話 湖の怪物(三)

 ララは返事のできない僕に作戦を一通り説明し終えた。

 できなくはないのだろうが、ぶっつけ本番でやるにはなかなか怖い作戦だった。しかし、今は四の五の言っていられない。


「それでは、いきますよ!」


 ララが攻撃の手を緩め、杖を振りかぶる。すると、魔物の口に絡みついていた鞭がするりと解けて、僕ら目掛けて飛んできた。

 辛うじて押しとどめられていた敵が動き出す。ここからはスピード勝負だ。


「ノブヒロさん!」


 ララの合図を受け、僕は変身を解除する。

 蛇の身体から一転、水中行動に不適当な人間の体はあまりに鈍い。服があっという間に水を吸い、全身が重くなる。

 足場を失ったララも同じく水中に転落した。ララに残された体力は少ない。速攻で決めなければ。


「フィジカルライズ!」


 強化魔法を唱え、最後の準備を整えたところで、僕の手元にララの魔籠が辿りついた。ルルが作り、ララが使ってきた変幻自在の不思議な魔籠。数多に封じ込められた魔法の一つ、ララから教わったばかりの呪文を唱える。


「乞う、聖天の光。翼となりて、我が身に風を授け給え!」


 僕の手から鞭が消え去る。魔籠は迸る光へと姿を変え、僕の背中に収束してゆく。


「行くぞっ!」


 後ろは見えない。見ている時間もない。しかし、確かに風を受ける翼を感じる。僕は翼を大きく広げると、思い切り羽ばたいた。

 湖面を波立たせ、僕は飛び立つ。

 重い水から解放された身体が、風を切って進む。僕は航跡に光る羽根を散らしながら上昇、愚鈍な敵の背後へと一瞬にして回り込む。まずはララから敵を引きはがさなくては。


 いきなり目の前から飛び立った獲物に、魔物は興味を示したようだ。水飛沫をあげながら巨体を回し、上空の僕を追っている。ここまでは良い調子だ。

 自由になった顎を広げ、敵は攻撃の準備に入った。空を飛ぶ敵相手には、当然そうするだろうな。敵の喉奥から光が漏れだすのを確認し、僕は速度を上げた。

 直後、僕の背後を熱線が通り抜ける。

 凶悪な魔法による対空砲火。しかし、それに撃ち落とされるような速度ではない。迫る熱線を突き放し、僕は上空を旋回。やがて吐き出される熱線は細くなり、一度収まった。反撃開始だ。


 僕は再び剣を抜く。湖上で僕を見上げる魔物へ向けて刃を突き出し、急降下。次の攻撃が来る前に決める。

 剣を敵の眉間に突き立てる。


「ゼウス!」


 膨大な魔力が、剣を通して雷となる。轟音と閃光が周囲を満たし、凄まじい電熱が魔物を焼いた。空からの接触攻撃に敵はのたうち回るが、僕は剣を放さない。とにかく注げるだけ力を注ぎ、刃の先に意識を込め続けた。

 魔物が断末魔の咆哮を上げると、とうとうその巨体は湖面へ倒れ伏した。

 僕は剣を抜いて空へと離れる。


「終わった……」


 恐ろしく強力な魔物だった。

 力の抜けた魔物は腹を上にして水に浮かんでいる。動き出す様子もない。


「そうだ。ララは」


 僕は再び羽ばたくと、水に浮いて待つララの元へと駆け付けた。


「今引き上げるから」


 両腕を脇に回してララを引き上げる。かなり疲れた様子ではあるが、命に別状はなさそうだ。とりあえずは一安心か。

 そのまま岸までいこうとするも、ララが魔物の様子を見たがったので、腹を見せてひっくり返っている魔物の元へと舞い戻る。僕としては早く街に戻って治療を受けてもらいたいんだが。


「やりましたね」


 二人で魔物の腹の上に立った。


「うまくいってよかったよ。でも、こんな魔法が使えるなら、最初からララがやったほうがもっと上手にできたんじゃないか?」


 僕は背中の翼を示す。

 緊急事態だったので、ララに言われるまま唱えたが、なかなかに危ない橋を渡ったと思う。


「いえ……。その魔法、私は使えないんです」

「え、なんで? だって他の魔法は使えてるでしょ」


 師匠が言うには、ルルの魔籠を使うには条件がある。ひとつはルルが作りだした特殊な象徴化に対する深い理解を持つこと。もう一つは莫大な魔力による強引な起動。

 僕の場合は魔力で無理矢理起動しているわけだが、ララや師匠はそうではない。二人は異世界人である僕のような魔力を持たないが、ルルの魔籠をよく理解して使っている。実際に、ララはこの魔籠を活用していた。


「その魔籠はものすごく多機能ですが、私が使えるのはその一部です。お姉ちゃんの技術がすごすぎて、私でも全部はまだ……」

「そうだったのか」


 ララほどの魔法使いでも無理となれば、まともに使える人間はそういないだろうな。


「それよりも、魔物を調べて帰りましょう。魔籠を回収しておかないと」


 そうだ。倒した魔物からは魔籠を回収しておかなければならない。そうでなくては、また魔物が発生する恐れがあるからだ。こんな強力なやつが何度も現れてはたまったものではないが、学都はそれを平然と放置しているのだから悩ましい。


 ララは魔物の頭部をあちこち切り裂いて魔籠を探し始めた。その手慣れた様子から、ララがいかに魔物討伐に手慣れているかが伝わってくる。


「強かったね」

「ええ」

「いつもこんなのと戦ってるの?」

「今回はいつもより苦戦しましたが、まあ似たようなものです。前にも言った通り、大都市の周りに突然現れる魔物は大体強いので」


 この一戦だけでも命がけだった。こんなことを何度も繰り返していては、いつか大怪我では済まない時が来るのではないか。


「でも、学院を辞めたから、もう戦うことはないんでしょ?」

「私も、そのつもりでいたんですけど」


 今回の魔物狩りは完全な慈善活動だ。王都周辺の魔物は学院から与えられた仕事であったし、在籍当時に行っていた学都周辺の狩りも、一応は学院を通した正式な依頼を受けてのこと。しかし、学院を去った今となっては、ララが一人で命を張る義務はない。本来であれば学都が負うべき責務だ。


「私がやらないと、他に誰もいないんです。これまででも私ひとりでは守り切れないこともあったんです。そんな中で私も辞めてしまうとどうなるか……」

「いや、でもさ……」


 確かにこの村にとっては死活問題だろう。学都周辺というからには、この村だけではないかもしれない。僕はララに無理をしてほしくないが、あまり強くも言えずに口ごもった。


「ノブヒロさんの言いたいことは分かります。でも他に方法が無いので」


 ララはそう言って魔物から魔籠を探し続けた。

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