第十一話 湖の怪物(二)

 僕はひとまず敵の背後に回り込むように泳いだ。その間にも魔物は氷の拘束を打ち砕き、再び潜水してしまった。

 どうすればいい。死角からあれを撃たれたら一巻の終わりだ。と意見を述べようとするも、しゅーしゅー鳴るばかりで伝わらなかった。


「あんな魔法を撃てば獲物が消滅してしまうので、たぶん、どうにもならない時の奥の手のはず。連発してくることはない……と思います」


 あれ? 伝わった?

 しかし希望的観測すぎないか。


「ランダムに蛇行しながら、なるべく速く岸を目指してください」


 注文が多いな。でも僕も必死なので、頑張るよ。

 可能な限りの最大速力で泳ぐ。僕の背中はだいぶ揺れているはずだが、ララは器用にバランスをとりつつも湖面への警戒を怠っていない。さすがはハンターアデプト。


「来ます」


 ララが言う。

 進行方向に異常はない。しかし背後で大きな水音。どうやら敵は背後から襲撃をかけてきたようだ。


「このまま進んでください」


 ララがなんらかの魔法を放っているのか、背後で小規模の爆発音が連続する。空気の揺れは水面へと伝わり、僕の体全体にも響いてくる。衝動的に振り返りたくなるが、いまはララを信じるべきだ。


 一際大きな振動の後、再び敵が潜水する音が聞こえた。何とか一時は凌いだか。背の上からララの息遣いが聞こえてくる。少し余裕がなくなってきているように思えた。水上という完全敵地での戦闘はやはり大きな負担なのだろう。せめて声をかけてやりたいが、この状態ではそれもできない。


 再び、もどかしい緊張が湖面を支配した。次はいつ、どこから現れるのか。

 その時、僕は腹の下に凶悪な気配を感じた。思わず下に目を向けると、やはりそこには魔物の姿。直下からの攻撃は二度目だ。

 ララも気づいたか、舌打ちをする。しかし、前回のような回避はできないし、僕の速力では逃れられない。これは、本当にやばいかも……。


「少し無茶をしますよ……!」


 ララの声がした。

 言い終わるが早いか、僕は不可視の力に吹き飛ばされた。おそらくララの魔法であろうその力により、僕は蛇の姿のまま空中を舞って数十メートル離れた湖面に墜落。なんとか敵の攻撃を逃れた。

 ララはどうなった?

 蛇の体をくねらせて体勢を整える。なんだかんだ言って、この体は水上行動に適していた。他の攻撃魔法が使えないのは痛いが、小舟が無い現状では変身を解除しないほうがいい。


 僕は襲撃があった方向へ向き直った。

 果たして、ララは戦闘を継続していた。再び光の鞭と化した魔籠を魔物の口に巻き付け、己は敵の頭上に陣取っている。なるほど、あれならば熱線魔法を撃たれることは無いし、噛みつかれる心配もないだろう。

 魔物は頭を振り乱して、自らに絡みつく獲物を振り落とそうと必死だ。だが、ララも次の攻め手に移れずにいるようだ。あれではつかまっているのが精いっぱいだろう。

 今の僕にできるのは足場の提供くらいだ。魔物に巻き込まれないよう、背後から近づこうと泳ぎ始めた、その時。

 魔物はひときわ大きく頭を振ると、なんと潜水を始めた。頭にはララが乗ったままだ。

 僕も魔物を追って潜水する。

 湖水の透明度が高いおかげで、僕の位置からでも魔物とララを確認できた。潜水を続ける魔物に鞭の魔籠でしがみついたまま、もう片方の手に杖の魔籠を構えている。まさか、水中で戦闘するつもりだろうか。


 ララの周囲で光が瞬いた。多数の光弾と光線が乱射され、魔物へと襲い掛かっている。頭上からの近距離攻撃に面食らったのか、魔物は沈降の速度を落とすと、その場で暴れはじめた。

 懸命にしがみついていたララであったが、その顔は息苦しさを隠せなくなっている。

 やがて限界が来たか、ララは魔籠を手放して水中に放り出された。

 つかまる物もない水中。無防備となったララに、魔物の尻尾が叩きつけられる。

 魔物は鞭が解けずに暴れていた。もしかしたらララが食らった尻尾も意図したものではなかったのかもしれない。しかし、その巨体から繰り出された一撃は準備無しに食らうにはあまりに重すぎる。

 ララは気を失ったのか、泳ぎもせずにゆっくりと沈み始めた。

 再度の浮上を始める魔物。ララとの距離が開いていく。今なら僕でも助けに入れそうだ。

 ララは未だ水中に漂ったまま全く身動きをとらない。焦りに急かされながらも、僕はなんとかララの元までたどりついた。牙で傷をつけないよう、その小さな肢体を口にくわえ、浮上した。


 ――目を覚ましてくれ。


 僕は小刻みに頭を動かして、ララを揺すってみる。幸いにして死んでいないのは分かるが、気を失ったままだ。

 さらに周囲を見回す。魔物はまだ浮上していないようだが、どこから狙っているか、はたまた逃げたのか、まるで分からない。最後に見たときには頭部に鞭が絡まったままであったが、今はどうだろうか。ひとまずは陸地を目指して泳いでいるが、いざ魔物に追われれば逃げ切れないのは明白だ。

 そうして緊張に支配された遊泳を続けていると、敵は現れた。よりにもよって僕の進行方向、真正面だ。救いがあるとすれば、いまだに魔籠の鞭が強靭な顎を封じていることだろう。そうでなければ、僕もララも熱線で消し炭になっていたかもしれない。


 ――くそ、目を覚ませ、頼む、頼む!


 やむなく進行方向を変えたが、意味など無い。

 魔物は口をふさがれても戦意を失ったわけではないようだ。湖面をかき分けながら、巨体を揺すってこちらへ猛進してくる。僕との速力差は比べるまでもなかった。体当たりされるだけでも悲惨なことになるだろう。

 祈りが通じたか、ララが苦しそうな声を上げて咳き込み、目を覚ました。覚醒直後は朦朧としていたが、魔物の追撃に気が付くと、すぐに口を開いた。


「すみません、下手を打ちました」


 返事はできないので、心だけで応じる。下手なものか。むしろあの魔物を一人で相手にして生きているだけで上の上だろうに。

 ララは僕の口から抜け出すと、再び背に乗った。戦う意思はあるようだが、衰弱している感は否めない。しかし逃げ切ることは不可能。この期に及んでララに頼るしかない現状に、僕はどうしようもない無力を感じた。

 ララがなんらかの魔法を発動した。魔物の眼前で爆発が起き、突進の勢いが殺される。その後も魔法の攻撃が続くが、最初のような激しさが無い。背の上からは荒い息遣いが聞こえてくる。やはり無理をしているようだ。


「ノブヒロさん」


 何度目かの攻撃の後、ララが言う。


「すみません、私だけでは無理そうです……」


 謝るようなことではない。あえて言うまでもなく一人で戦うような相手ではないし、なにより戦場が悪すぎる。ララは懸命に防衛しているが、この調子では押し切られるのは時間の問題だ。


「作戦があります。ほとんどノブヒロさん頼りになってしまいますが、手伝ってもらえますか?」


 当然だ。やらなければ二人ともここで死ぬんだからな。

 僕は相変わらず喋れない頭でしゅーしゅーと鳴きながら頷いた。

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