第十話 湖の怪物(一)
小舟は岸から遠く離れ、湖の上を漂っている。
「さすがに広いですね。そうそう都合よくは食いついてきませんか」
ララがどうしてこんなに余裕なのかわからない。僕は小舟の下がどうなっているか気が気ではない。だって、今まさにこの小舟よりも大きな何かが迫っているかもしれないんだぞ。考えただけでぞっとする。
「ノブヒロさん。出番ですよ」
「え?」
「敵をおびき寄せましょう」
「どうやって……?」
「お姉ちゃん特製の剣。あれ、もう一つ魔法が使えるんですよね?」
僕は腰に下げた剣に手を添えた。
ダイヤモンドボアから作り出された魔籠の剣は、複数の魔法を秘めている。
一つ目は『ボルテージ』これは剣に雷の力を付与する。
二つ目は『ゼウス』これは敵に接触していないと使えないが、より高威力の雷攻撃だ。ララとの戦いでも、最後の一撃をお見舞いするのに使った。まあ、それでもララは倒せなかったんだけど。
「ルルから聞いたの?」
「ええ。今回の仕事にはうってつけの魔法ですよね」
「勘弁してくれ」
もうララが何をしたいのか分かった。
三つ目の魔法は『ボアフォーム』
なんと、ダイヤモンドボアに変身することができる、超カッコいい(?)魔法だ。
「とりあえず変身して、この小舟の周りを適当に泳いでみてください。食いついてくれるかもしれませんよ」
「食いつかれたら終わりじゃないか」
「その時は私が何とかするので」
「ホントに大丈夫だろうな……」
どのみちこのまま小舟で漂っていても始まらない。僕は意を決して、剣を抜いた。
「ボアフォーム」
剣から遡ってきた電撃が僕を包む。雷光が輝く間に、僕はダイヤモンドボアへと姿を変えていた。
左目に煌めくのは大粒のダイヤモンド。過去に僕が死闘を繰げた、あのダイヤモンドボアそのものだった。
僕は蛇と化した全身を湖に浸す。体をくねらせると水面を滑らかに泳ぐことができた。変身魔法はララとの戦いでも使ったが、変身してみると体の動かし方は自然と分かるものだ。
「いい感じですね。その調子で泳ぎ回ってください」
ララが小舟の上から声をかけてきた。
軽く言うけど、こっちはめちゃくちゃ怖いんだぞ。
僕は文句を言ったつもりだったが、しゅーしゅーと気の抜けるような音が鳴るばかりだった。
仕方が無いので言われたとおりに泳いでみる。
この湖は透明度が高い。顔を水中に入れると、揺れる水面から差し込む光を遠くまで見ることができた。しかし顔を下に向けてみれば、ただ底知れない闇があるばかり。いくら水が綺麗でも、底が見えるほど浅くはない。
自分の真下にある闇の中から件の魔物が見ているのではないかと冷や冷やする。しかし、今の僕は全長数十メートルの大蛇だ。おまけに目から雷を出せるとくれば、十分に恐るべき魔物と言える。案外、敵のほうが小さくて襲ってこないのではないか?
そんなことを考えながら小舟を囲うように泳ぎ回っていると、ララの声が聞こえた。
泳いでいるうちに少し小舟と距離ができていたようで、手を振りながら大声でこちらへ呼びかけている。
「ノブヒロさん! 下見てください、下!」
僕は蛇の頭を水に浸け、底を見た。
確信した。絶対僕よりデカい。
件の魔物は大口を開けたまま僕めがけて浮上してきていた。どうすればいい。僕はそんなに速く泳げないぞ!
「乞う、聖天の光。鞭となりて、我が敵を打ち倒し給え」
遠くにララの詠唱が聞こえた。ルル特製、数多の魔法を含んだ変幻自在の魔籠だ。
「ノブヒロさん!」
ララが振るった魔籠は光の鞭となって僕のほうへ一直線に伸びてくる。どういうつもりかと思う間に、鞭は僕の首に絡みついた。
「引きますよ!」
凄まじい力で鞭が引かれる。僕はしゅーしゅーと必死で抗議をしたが、そのまま空中へと放り上げられた。直後、湖の魔物はイルカショーよろしく水面を突き破って巨体を日に晒した。
ワニのような頭部、そしてサメのようなヒレ、目撃談にあった通りの姿だ。
魔物は僕を噛み損ね、そのまま水飛沫を上げて湖へと落下。
一方の僕は鞭に引かれるまま小舟へと引き寄せられた。大蛇のままでは小舟を沈めかねないので、空中で変身を解除、無事に小舟へと帰還する。
「大丈夫ですか?」
「首、折れるかと思ったぞ……」
だが、今はそんな心配をしている場合ではない。
エサを目の前で取り上げられた魔物は湖面を大きく揺らしながら小舟へ接近中だ。
「見つけてしまえばこっちのものです」
ララの周囲に魔籠の光が展開。小舟を守るように、湖面の水が噴き上がった。ララはさらにつぎの魔法を繋ぐ。立ち上った水が一瞬にして凍り付き、巨大な氷壁となって魔物と小舟を遮った。突撃してきた魔物は氷壁に鼻面を激突させて止まる。
魔物の隙をララは見逃さなかった。
連続する凍結魔法。動きの止まった魔物の周囲で次々と水が凍りついてゆく。
何度見てもララの魔法は常軌を逸している。魔法の戦闘というのは、あらかじめ象徴を埋め込んで儀式を固定化された魔籠を用いて行われるものだ。故に、今回のように水上という特殊環境で戦おうというならば、状況に合わせた魔籠を用意してくるのが基本となる。しかし、即興で自在に象徴を作り出せるララは、そのような制約をものともしない。
哀れにもカチカチに固められた湖の魔物。大口を開いたまま氷の彫像と化していた。こうなってしまってはいかに巨大と言えど、まな板の鯛だ。
「いきますよ」
ララが最後の一撃を放とうと魔籠を構えた。
「!」
氷の奥で何かが光る。ララは即座に攻撃を中断し、僕の腋に手を回した。
「立って!」
僕が立つが早いか、ララは僕をつかんだまま跳びあがる。
たっぷり十数メートル跳躍。僕は突然のことに驚きながらも眼下を見る。
魔物の口から発せられた極太の熱線が小舟を消し炭にしていた。その威力の凄まじさは沸き立つ湖面を見れば明らかだ。熱線が通過した湖面が部分的に蒸気を発し、辺りに白い靄を生み出している。
「ノブヒロさん、もう一度変身してください」
「えっ、ちょっ」
「はやく!」
すでに落下は始まっていた。ララに委ねるしかない。
「ボアフォーム!」
着水の直前、僕は再び大蛇へと姿を変え、ララは僕の背に乗っていた。
「なるべく速く泳いでください」
いきなりそんなこといわれても……!
蒸気の向こう、魔物が暴れて氷を砕いてゆくのが見えた。やるしかない。
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