第三話 学都へ

 野を越え、川を下り、僕らは水都の駅にたどり着いた。

 なんとアカデミーが用意した魔籠自動車に乗せていただき、地上の道は随分と楽に進むことができた。人体実験場に連行されるような気分でなければ、大層快適な旅だっただろう。


 学都へは水都から鉄道で北へ進むこととなる。せっかくまた水都まで来たのだから魔籠技研にも顔を出したかったが、列車の時間が迫っていたため断念した。船からの乗り換えだけの滞在となる。

 そして、またしても僕らは一等客室に乗ることとなった。鉄道乗車はこれで三度目だが、全て誰か他人の支払いである。ちなみにルル、ララ、僕の三人とリンデン氏はそれぞれ別の客室がとられていた。嬉しい配慮だが、何とも贅沢なことだ。


「うん。美味しい。このように大人数で列車旅など久しぶりですが、楽しいものですな」


 僕ら四人は食堂車で夕食をとっていた。残念ながら楽しそうなのはリンデン氏だけである。ララはリンデン氏に対してつっけんどんな態度のままだし、ルルはそんなララの様子を見て落ち着かないし、僕はそもそも旅の目的に気が乗らない。この重苦しい空気の中で楽しく食事ができるリンデン氏の神経を疑ってしまう。

 ただ列車の走行音だけが響く。僕はピリピリとした空気に耐えかねて、少し話題を出すことにした。


「あの、学都ってどんなところなんですか?」

「気に入らないところです」


 即座にララが返す。もうちょっと協力的になってくれないかな……。


「あの、わたしもちょっと気になります。ギュルレト魔法アカデミーって、どんなところなんでしょう」


 隣のララに若干睨まれながらも、ルルがおずおずと尋ねた。

 答えたのは当然、リンデン氏だ。


「良いところですよ。全ては新たな知識のために。最高峰の設備と学習の環境が整っています」

「魔力が無くても入れますか?」

「もちろん。生まれつき魔力が無い学生も居ります。彼らは魔力がなくとも魔法にかかわる道を究めようという人たちです。あなたが道と力を示すならば、アカデミーはいつでも受け入れるでしょう」


 ルルの目が輝いた気がした。ルルは生まれつき魔力をほとんど持たない。そのせいでずっと辛酸をなめさせられてきたのだ。だが、ルルには魔力が無くとも魔法の力を示す道がある。

 魔籠の才を活かすことのできる環境。それはルルがかつて追い求めたものだ。両親に望まれた王立魔法学院にはそれが無かったが、今のルルは自分で道を決めることができる。


「魔力がなくても、入れる」


 ルルが繰り返して呟いた。言葉に期待がこもっている。

 もしもルルがギュルレトに入りたいと言ったら、僕はどうすればいいだろう。一緒に学都に住むのか、離れる時と判断するのか。


「あなたは何か得意な分野がおありかな?」

「魔籠製作です」

「ほう。それなら、学都では良いものを見せられそうです。きっとお気に召しますよ」

「楽しみです」


 ルルのためになるなら、この旅も有意義なものだと考えよう。少しは前向きになれるというものだ。訳の分からない実験台にされに行くと思うよりはずっと良い。

 その後、期待と不安がごちゃ混ぜになった食事を終え、僕らは客室へ戻った。


          *


「ルル、もう寝ちゃったよ」


 ルルは部屋に戻ってすぐに眠ってしまった。ピリピリし続ける空気に疲れたのだろうか。少なくとも僕は疲れた。


「ララはまだ寝ないの?」

「ノブヒロさんがお姉ちゃんに変なことしないように見張ってるんです」

「しないよ。師匠みたいなこと言わないでくれ」

「冗談です」


 そう言って、お互いに少し笑う。

 リンデン氏から離れたら、少し話しやすくなった気がする。どうもあの人が近くにいると落ち着かない。


「お姉ちゃん、ギュルレトに入りたいのかな」

「どうだろうね。でも、今となっては王立魔法学院にこだわる理由もないし、魔籠の専攻があるところを選べるのはルルにとっていいことじゃないか?」

「それなら、学都じゃない別のところにしてほしいです。他の街にもありますから。それこそ水都なら魔籠技研のお膝元ですし、いいんじゃないですか?」

「魔法学院としてのレベルはギュルレトが一番優秀だって聞いたけど」


 水都は僕にとっても魅力的だ。なぜなら日本出身の剛堂さんが居る。しかし、望めるなら、できるだけ良い学院に行ってもらいたいと思うのは当然のことだろう。実際、ルルにはその力がある。


「確かにその通りです。それに、お姉ちゃんのレベルなら、ギュルレトも含めて魔籠専攻のあるどんな学院でもやっていけるでしょう。でも、学都にはあまり行ってほしくないです」

「ララは学都に何か嫌なことでもあるの?」


 リンデン氏が師匠宅に来た時から、ララの態度は一貫している。とにかく学都には良い印象が無いようだ。これから一緒に滞在することになるのだから、理由があるなら聞いておきたかった。


「あのリンデンとかいう人もそうですけど、学都は全体的に知識を追い求めるためなら手段を選ばない風潮があるんです。私はそれが気に入らない」

「なんか、危ないことやってるとか?」

「ええ、そのあたりは見ればわかると思うので、学都に着いたら実際に見せてあげます」

「そっか。じゃあ、ララに任せるよ」


 危ないことか。ルルが危ない目に遭うのは嫌だな。


「そろそろ私も寝ます」

「僕も寝るよ。おやすみ」

「おやすみなさい」


 ララは先に寝台に入ると、ルルに抱きついて眠り始めた。気持ちよさそうに眠っていたルルがうなされ始めるのを見ながら考える。

 僕としてはルルの安全を最優先としたい。そのうえでルル自身が望む一番いい環境に置いてあげられたらいいと思っている。まずは学都の様子をよく見極めて、僕の意見も決めておこう。


「まあ、その前に僕自身のことかな」


 リンデン氏が僕に見せたいものとは何だろうか。食事中の会話からすると魔籠に関わるものかもしれないな。ぼんやりとそんなことを考えているうちに、僕は眠りについた。


          *


 朝、列車はいよいよ学都を目視の範囲に捉えていた。


「ご覧ください。あれが学都。我が国における、知識の最前線です!」


 リンデン氏が車窓から仰々しく紹介した学都。しかし、街並みは見てとることができなかった。なぜなら――


「高い壁ですね」


 ルルが呟く。

 学都は高い壁に取り囲まれていた。広大な平野に突如現れた灰色の壁。空の青と大地の緑に挟まれた巨大な人工物。大自然の間に無遠慮に割り込む姿は、人の英知の象徴として相応しいものにも思えた。


「この地域は凶暴な魔物が多く生息しておりまして、壁は街を守るために必要なのです」


 朝にララから聞いた話を思い出した。強い魔物は大都市付近に出現する。

 隣でララがぼそりと呟いた。


「誰のせいだと思ってるのよ……」


 列車が壁に迫るにつれ、視界からは空も大地もどこかへ追いやられ、かわりに圧倒するかのような灰色が全てを埋め尽くしてゆく。

 学都の壁には列車が通るための門が開かれており、僕らはまるで吸い込まれるかのように街へと進入していった。


 壁を過ぎると、いよいよ都市の姿が明らかとなる。

 水都の中州もそうであったが、横の広がりを制限されたら上に伸びるしかないのが都市という物の常か、壁の中は林立する高層建築群に満ちていた。壁沿いは陽光を遮られて、さぞ暗いことだろうと思っていたが、そこは知識の都。多くの電灯が燦然と空間を照らしており、灯りに不自由することはなかった。しかし、密集して押し迫る建物と壁の多くには窮屈感を覚えずにいられない。空は狭く、日本の大都市圏ですら、ここより見晴らしがいいだろう。

 水都も先端技術を取り入れた街であったが、景観を目的として古い水路が残されているなど、大河を活かして自然と調和がとれた街づくりがされていたと思う。一方の学都にそのような気配は一切見られない。自然とは壁によって完全に隔絶し、高密度に集められた、完全なる知識と技術の世界、それが学都の第一印象だった。

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