第二十五話 和解

 そよ風に目を覚ました。

 明るい部屋だ。窓から吹き込んだ風が白いレースのカーテンを揺らしている。

 僕は上体を起こそうとするが、全身に痛みが走ったため断念した。代わりに首を回して周囲をうかがう。僕は清潔なベッドに寝かされていた。衝立で仕切られているため部屋全体を見渡すことはできないが、どうやら医務室のような部屋らしい。そして、ベッド脇の椅子に座っている見慣れた人影。


「ルル……」

「ララです」

「ララか……」


 やはり、僕には見分けがつかない。


「ここは?」

「学院内の救護室です。いまは強い治癒魔法をかけられていますので、そのまま安静にしていてください。直に治ります」


 治癒魔法って一瞬でケガが治るわけじゃないんだな。


「この状況は、僕の負けか?」


 辛うじて放った最後の一撃。僕は残りの気力すべてを振り絞ったが、それでも倒せなかったのか。一人で勝手に喧嘩を売って負けるとは、ルルには申し訳ないことをしたな。


「ルルに謝りたい。どこにいる?」

「お姉ちゃんは休ませています。昨日から寝ずにつきっきりだったので、無理やり引きはがしました。休むように言ってもなかなか聞かなくて、本当に苦労しましたよ。どうしたらあんなに懐かれるんですか?」

「なんでだろうな。僕にもわからない」


 なんだか似たような会話を師匠ともしたような記憶がある。あの時もルルは倒れた僕に付き添ってくれていたな。


「それと、勝負のことですが、あなたの勝ちです」

「え? いや、でも僕は今こうして……」

「私が棄権したんです。まあ、審判もどこかへ逃げていましたから記録も何もないですけど」


 棄権? どういうことだろう。僕がどう聞こうか考えていると、ララは懐から何かを取り出して、僕に見せた。それは試合でララが使っていた、変幻自在の魔籠だった。


「あなたは、お姉ちゃんの力を認めさせるために戦ったんでしょう? それなら、これに頼った時点で私の負けです」

「それは?」

「これは、お姉ちゃんが作った魔籠です。使い方が書かれた手紙と一緒に私の家に送られてきました。両親が受け取れば突き返されるのは分かっていたので、私がこっそり先に受け取ったんです」

「そうだったのか」


 そういえばこの魔籠も呪文方式だったな。僕の物とはだいぶ違ってるけど、途中で趣味が変わったのかな。


「じゃあ、その時点で降参してくれてもよかったのに」


 僕が冗談めかして言うと、ララは少し目を逸らして小声で答えた。


「だって、わたしのほうがお姉ちゃんから良い魔籠を作ってもらったんだって見せてやりたかったし……」


 なんだそりゃ……。そんなしょうもない意地のために僕はボコボコにされたわけか。一応嫉妬なんだろうか。僕自身はララよりもルルと親しいなんて思ってないんだけどな。


「そんなことより、あなたのことも話してください。お姉ちゃんとは、一体どういう関係なんですか?」

「僕は――」


 僕はこれまでのことを話した。

 こことは違う世界からやってきたこと。ルルに拾われて、王都へ行くために協力を頼まれたこと。戦いを経て師匠に認められたこと。そして、ルルが僕を必要としなくなるまでは一緒にいると約束したこと。


「列車で会ってからのことは、君も知ってる通りだよ」


 僕が話を終えた後も、ララはしばらく何かを考えるように黙っていた。異世界から来たなんて、やっぱり話が突拍子すぎたかな。そう思っていると、ララが口を開いた。


「地方の魔法学院を辞めた後も、お姉ちゃんがうちへ帰ってこようとしていたことは知っています。でも、そんなことをするくらいなら、最初から出ていかなければよかったのに」

「いや、ルルは追い出されたんじゃないか。魔法の才能がなくて王立魔法学院に入れないからって無理やり――」

「違います!」


 ララは僕の話を遮って言った。


「お姉ちゃんも私と一緒に王立魔法学院には合格していました。この学院はお金と家柄だけでどうとでもなるんですから、当たり前です。魔法の才能なんて関係ありません」

「本当か? じゃあ、ルルはどうして」

「お姉ちゃんは気づいたんですよ。自分より優秀な同級生が自分よりも低い評価ばかりをもらっていたり、まったくできなかったはずの実技科目で優良評価をもらったり。からくりに気づいたお姉ちゃんは、正当な方法で入学試験をやりなおすように両親に迫りました。ずるはしたくない。みんなと同じように勉強したいって。両親は取り合いませんでしたが、お姉ちゃんは学院の先生たちに直談判しはじめて……。悪目立ちして私の評価にまで影響が出ることを気にした両親は一旦お姉ちゃんを他所へ送ることにしたんです」

「そうだったのか。全然知らなかったよ」

「きっと、不正入学したことをあなたに言いたくはなかったんでしょう」


 ルルは自分で、王立魔法学院には入学できなかったと言っていた。実際のところ、それは自己評価だったわけだ。金とコネの力で入ったことを自分で入学と認めていなかっただけ。


「でも、ルルらしいな」

「そのせいで私は置いてけぼりです。お姉ちゃんがいなくなった分、私の責任は倍増しました。それでもいつかは戻ってきてくれるって信じてたのに、今度は学院を辞めたいっていう手紙が来て、両親もそこで完全にお姉ちゃんを見限りました……」


 そこまで話すと、ララは俯いて服の裾を握りしめた。


「ルルのこと、分かってやってくれないか? ルルは家に帰ることを諦めたわけじゃなかったんだから。現にこうして――」

「そのために私が辛い目に遭っていてもですか? 裏切られたのは、お姉ちゃんだけじゃないんですよ」

「それは……」


 あの両親のことだ。きっと僕には想像も及ばない苦労があったのだろう。部外者がごちゃごちゃと口をはさんだところで何の説得力もありはしない。僕が何も言えずに黙っていると、衝立の陰から声がかかった。


「ララ」


 僕らが衝立のほうを向くと、そこから顔を出したのはルルだった。


「ごめんね。立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど」

「お姉ちゃん」

「さっきのララの話、本当にごめんなさい。わたしのせいでたくさん辛い思いしたんだよね。それなのに、いきなり戻ってきて、ララの苦労も知らずに勝手にはしゃいで。怒るのも当然だったね」

「違うの。違う。嬉しかった。やっと帰ってきてくれて。なのに、どうしても許せない気持ちもあって……。だって、そんなに苦労してまで戻ってくるくらいなら、最初から出ていかなければよかったのに! 最初からお父様とお母様の言うことを聞いていてくれたら、ずっとそばに居られたのに。そうしたら私だって辛い思いしなかったのに」


 ララは椅子から立ち上がり、少しだけ涙ぐんだ声で訴えた。ルルはララのそばに歩いていくと、なだめるように肩に手を置いた。


「それじゃダメなの。わたしは、わたしの力でララの隣に居なくちゃ。あの時はお金の力で席をとって、ララの隣に置かれていただけ。きっといつかララの足を引っ張ることになってたと思う。もちろん、わたしのやり方が上手だったとは言わない。ララに辛い思いさせちゃったし、結局、家には帰れそうもないし……。でも、わたしが自分で決めたことだから」

「お姉ちゃんはすごいね。なんでも自分で決められて」

「ララが待っててくれたから、頑張れたんだよ」


 とうとう涙を流し始めたララの頭を、ルルが優しく撫でた。


「そうだ。これ、まだ渡せてなかったね」


 そう言ってルルが取り出したのは、水都で買ったペンダントだった。二つ買ったうちの一つはすでにルルの首にかかっている。そのお揃いのもう一つを、ルルはララの首にかけた。


「わたしとお揃いだよ」

「ありがとう。お姉ちゃん」


 ララが涙をぬぐって笑顔を見せる。

 いつかルルから聞いた話を思い出す。いつもルルにべったりだったというララ。きっとこれが本当のララの姿なのだろう。初めて見たときから、ララのほうが大人に見えていたのに、今はルルのほうがずっと大人に見えた。


          *


 夜、ララは屋敷に戻っていったので僕とルルだけが救護室に残っていた。ケガについては明日の午後辺りには完治しているだろうとのことだ。


「これからどうする? 家に帰れるようになったわけじゃないんでしょ?」


 ひとまず姉妹が和解できたことは喜ばしいが、問題がすべて解決したわけではない。ルルが家に戻れないなら、ララと一緒に暮らすことはできないからだ。


「どうしましょう。全然考えてませんでした」

「だよね」


 どうしましょうと言う割には危機感のない顔をしていた。正直、僕もあまり深刻な事態になっている感じはしない。むしろすべてを出し切った達成感のような気持ちが大きい。


「ほんの少し前まであんなに必死だったのが嘘みたいです。おじさまが言ったみたいに、諦めがついたってことなんでしょうか」

「たぶん、ララのおかげだよ。ルルは自分が一人じゃないって分かっただろう。ララの気持ちを確かめられただけでも、まずは一歩前進だ」

「そうですね。一緒に暮らすことばかりこだわっていましたけど、今は離れていてもそんなに問題ないのかなって思います。お師匠さまのところに帰って、ララと手紙でやりとりして、たまにこっそり会いに来て、そういうのもいいかなって。お師匠さまは、何しに帰ってきたんだ戯けって怒るかもしれませんけど」


 そう言って、ルルはふふっと笑った。確かに、師匠が言いそうなことだ。内心ではきっと歓迎してくれるだろうけど。


「ここまで来られたのは、おじさまのおかげです。ありがとうございました」

「いや、むしろ助けられたのは僕のほうだよ。右も左もわからない中で、ルルが拾ってくれたから何とかなったんだ。僕はずっとルルの後ろについてきただけ」


 だからこそ、これからどうしようか困るんだよな。誰かに指針を示してもらわないと自分がどうすべきかもよくわからない。昔から僕はそういう人間だ。


「……それなら、もう少しついてきてくれませんか?」

「え?」

「一緒にお師匠さまのところに行きましょう! まだ元の世界に帰る方法だって分からないんですし、それに約束したじゃないですか」

「ルルが僕を必要としなくなるまでは一緒にいる?」

「はい」

「ルルはもう、僕がいなくてもやっていけるよ」


 僕がそう答えると、ルルは少しため息をついてから言った。


「じゃあ、こうしましょう。おじさまがわたしを必要としなくなるまで、わたしについてくることを許します」


 なるほど、そうきたか。

 その通りだ。今の僕にはルルが必要だ。一緒に居てあげるなんて、なんて偉そうなことを言っていたんだろう。ただ僕がルルを必要としていただけなのに、バカみたいな言い訳だった。僕はなんだか可笑しくなって、少し吹き出してしまった。


「むぅ。なにがおかしいんですか」

「いや、なんでもないよ。……じゃあ、お言葉に甘えて、お供させてください」

「よろしい!」


 そうして、今度は二人そろって笑った。

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