第十九話 宣戦布告

 僕がこの世界に来たばかりの時も、師匠のもとを発った時も、水都を観光した時も、いつも僕を引っ張っていたのはルルだった。

 ルルはいつだって明るくて、挑戦的で、目標があって、絶対に諦めなくて、僕はすこしでもその助けになろうと頑張ってきたつもりだ。

 ルルに振り回されるのは悪くない。だって楽しいから。

 そんなルルが下だけを向いているのを見るのは、本当につらい。


 母親の手酷い拒絶を受けたあと、ルルは声も出さずに涙を流したまま動けなくなった。屋敷の前に長いことへたり込み、たまに小さく嗚咽を漏らし続けた。その間、僕は黙って横についていた。それしかできなかった。かける言葉なんてあるわけがない。


 やがて涙も枯れ果てたのか、日が暮れはじめるころに、ルルはよろよろと立ち上がった。

 それからルルはひとことも口を利かず、うつむいたままだ。僕が手を引くと、ただ人形のように黙ってついてくる。

 まるでルルの心を映しているかのように、空模様も怪しくなってきた。夜には雨になるかもしれない。


 どうして止めなかったんだ。こうなることは予想できたのに。僕は今になって悔やんだ。

 暗くなりつつあっても、未だ王都は賑やかだ。道の反対方向から仲のよさそうな母子が手をつないで歩いてきて、僕らとすれ違った。外見的にはルルとさほど変わらない歳の子だった。周りを見てみれば、ほかにも同じような親子連れはちらほら見受けられる。どうしてルルだけがその仲間に入れないのだろう。どうして今ルルの手を引いているのがルルの親でなく、僕なのだろう。


 ルルの手を引いて僕らは宿に入った。屋敷のある通りからは可能な限り離れ、王立魔法学院も見えない宿を選んだ。今の僕には、このくらいしかできない。

 部屋に入ると、ルルは膝を抱えて寝床に転がった。僕に背を向けているから、どんな顔をしているのかわからない。


「お腹すいてない? 食べ物買ってこようか?」

「……」

「何か欲しくなったら言って。いつでもいいから」


 ルルは返事をしなかった。

 外ではとうとう雨が降りはじめ、静かな部屋の中は雨音だけに満たされた。

 僕は椅子に座って考える。


 これからどうしたらいいんだ。双子の妹と会うことを目指したルルの目的を考えれば、不本意な結果とはいえ一応の達成は見た。このまま水都か師匠のもとへ逃げ帰るという手はある。きっと剛堂さんも師匠も受け入れてくれるだろう。しかし、ルルの心は元に戻らない。ララや両親との再会は、ルルにとっての原動力だったからだ。どういう形であれ、ルル本人が納得のできる結果を得られなければ事態は変わらない。


 僕は荷物から小箱を取り出す。ルルが両親に宛て、突き返された手紙。今は剛堂さんに翻訳してもらった紙も一緒に入っている。

 僕は翻訳された手紙を取り出して読み始めた。


『こんにちは。突然学院を辞めたいなんて言ってごめんなさい。でも、わたしなりに考えた結果だから、どうか許してほしいです。でも、いいお知らせもあります。学院に臨時で来ていた先生から、魔籠を教わりました。魔法を簡単に使うための道具のことだそうです。わたしはよく知らなかったけれど、最近はいろんなところで使われているそうです。ララが使っていたおもちゃや、鉄道も魔籠で動いてるんですね。初めて知りました。これなら魔力が無くても魔法の道に進めるって言われました。でも、わたしのいた学院では魔籠作りを教わることができなかったので、わたしはお師匠さま(さっき書いた臨時の先生のことです)のところで勉強することにしました。だから、学院はやめました。でも、きっと魔法使いになって帰るから、まっててね』


 師匠の下に移ってから最初に送った手紙だろう。ルルが勘当を受けてから最初に出した手紙と思われた。絶望のただなかで、師匠が示した道はルルにとってどれだけ魅力的だったことだろうか。


『こんにちは。おとうさんもおかあさんも元気ですか? ララやお手伝いさんのみんなも元気ですか? わたしは元気です。いまもお師匠さまのところで魔籠の勉強を続けています。簡単な魔籠は作れるようになってきました。でも、わたしが作った魔籠はなんでかお師匠さま以外の人は使えないみたいです。お師匠さまに言われたように作ったらみんな使えるけど、わたしがひとりで全部作るとお師匠さましか使えません。なんでだろう? でも、お師匠さまはこのままで良いって言います。もっとがんばって早く一人前になるから、まっててください』


 魔籠のことは詳しくないが、おそらくルルの天才性が仇になっているのだろう。師匠はその良さを殺さないようにと配慮した教育方針だったのだろうが、ルル自身は相当に困っただろうな。


『こんにちは。少し前にものすごいことが起きました! 森で魔物に襲われたときに、よくわからないおじさまが現れて助けてくれたんです。しかも、このおじさまはわたしが作った魔籠を使えるんです! ものすごくびっくりしました。一体何者なんだろう? おじさまが言うには、こことは違う世界から来たそうです。どんなところなんだろう。こんなにすごいひとがいるんだから、ものすごい魔法が発展しているのかもしれません。でも、ついにわたしの魔籠を使える人に会えました。もしかしたら近いうちに帰れるようになるかもしれません。もっと頑張るので楽しみにしていてください。わたしも早く帰れることを楽しみにしています。ララやみんなにもよろしく伝えてください』


「よくわからないおじさまって」


 思わず少し吹き出しそうになった。でも、今は突然現れたよくわからないおじさまがルルの頼れる全てなんだ。僕は自分のことなんて大したことないとずっと思ってきたし、ここまで来れたことも、ルルの力や周囲の助けによる部分がほとんどだと思っている。だが、このままではダメだ。今こそ僕が何とかしなければいけない。



 僕は手紙を仕舞い、今日の出来事をもう一度振り返る。

 ララと母親、それぞれに会って感じた印象で言えば、ララにはまだ望みがあるように思えた。ルルを目の前にした時のあの動揺。きっと完全にルルから心が離れたわけではないはずだ。一方の母親は極めて厳しい。何の前情報も無しに会ったにも関わらず、少しも驚いた様子のない、あの冷徹な反応。


 ララと話をするべきだ。突破口はそこにある。

 確かルルは、ちゃんと魔法ができるようになって帰ってくる。そうララと約束したと言っていた。誰が何と言おうと、ルルの魔籠はルルの魔法だ。ララならわかってくれるはずだ。王宮のステータスにしか興味のないであろう両親とは違う。

 明日はララのところへ行こう。そう決めて、その日は僕も眠りについた。



          *


 翌朝、雨はまだ降り続いていた。

 学院が始まるであろう頃合いをみて、僕は出かける支度を始める。ルルの様子を確認したが、まだ眠っているようだった。


「僕が話をつけてくるよ」


 ルルを起こしてしまわないよう、静かに宿を出た。


          *


 道中で傘を買い、王立魔法学院の前までやってきた。

 当然、勝手に敷地に入るわけにもいかないので、昨日のように門の前で待ち構えることになる。雨の中、朝から門の前に立っている男はやはり目立つようで、子どもたちは僕のほうを見てはひそひそと何事か話しながら通り過ぎていく。


「あの」


 声に振り向くと、そこにいたのはリナだった。


「列車で一緒だった、ノブヒロさんでしたよね? 今日はその、ララちゃんを?」

「そうだよ。ララに用事があるんだ。君はララと知り合いだよね。居場所が分かったら呼んできてもらえないかな」

「その前に、昨日あなたが連れてきた子。あれは誰なんですか? どう見ても双子なのに、ララちゃんは知らないって言うけど、あの子のことを知ってるっていう生徒もいて、何が本当かわからなくて……」


 なるほど。やはりララはまだ望みがありそうだ。では、ルルとの関係を否定するのはやはり両親の意向があるからだろうか。


「あの子はルル。ララの双子の姉で――」

「二人ともやめてくれませんか。迷惑ですよ」


 いつの間に居たのか、僕のすぐそばにララが立っていた。その背後には大人の男性がいる。何者だろう。


「リナ、余計な詮索はやめて」

「ご、ごめんなさい」


 リナは顔を伏せて引き下がっていった。


「ララ。どうかルルの話を聞いてやってほしい。ルルは君との約束を果たして、ここへ戻ってきたんだ」

「あなたは何者なんですか?」

「双子の妹に会いたいという、ルルの望みをかなえるために協力している者だ」

「双子? おかしいね。うちの子どもはララ一人のはずだが」


 会話に割って入ってきたのはララの後ろに立っていた男性だ。こいつが父親か。


「何故だか知らないが、居もしないララの双子の姉妹の存在を吹聴する輩がいるらしくてね。ララを知る多くの学生が困惑していたよ。今日はね、そのような事実はないと、しっかり説明をしにきたんだ。甲斐あって、皆にご理解を頂くことができた」


 ルルのことを知っている子供たちもいたはずだ。過去に何らかの繋がりがあったのかは知らないが、子供の言うことにまでわざわざ圧力をかけに来たということか。


「もしや君が昨日うちに押し掛けてきたという男か。ララの姉妹を名乗る子供に刃物を持たせて連れてきたそうだが、そういう手口の強盗でも流行っているのか? 幸い未遂に終わったそうだが」


 こいつ……。

 思わず拳に力が入る。だが、少し目をつむって気を落ち着ける。こんなくだらない話をしに来たのではない。この両親に何を言っても無駄だ。僕は構わずララに話しかける。


「ルルは、ルルなりの方法で魔法の道を見つけてきたんだ。魔法使いを志していれば家に帰れると信じて、君との約束を守るために、ずっと頑張ってきた。それを認めてほしい」

「知らんね。うちの娘はララ一人。そうだろう?」


 そう言って、父親はララの肩に手を置いた。


「……はい。お父様」

「あなたには言っていない」


 少し言葉に怒気が乗ったかもしれない。父親は今まで余裕で薄ら笑みを浮かべてこちらを見下していたが、僕の言葉に少しだけ怒りの表情を見せた。


「どうしたらルルのことを認めてくれる?」

「どうしたらって。そんなこと言われても……」

「じゃあ、こういうのはどうだ。ルルの作った魔籠を使って、僕がララと魔法で勝負をする。僕が勝ったら、ルルの力を認めて、話をしてやってほしい」

「なんでそんな意味のないことを――」

「ふん。……そうか。ララ」

「はい」

「勝負を受けてやりなさい。実力を測るならば一番の方法だ。妄言とはいえ、ここまで主張するからには余程の自信があるのだろう。無論、勝負の方法はこちらで決めさせてもらう。そして、ララが勝てば二度と我々にかかわらないと約束してもらおう。もっとも、勝負の後に口を利くことができるかはわからんがね」

「お父様、それは……!」

「いいじゃないか。望んでいるのは向こうだよ。その迷惑な思い込みに付き合ってやろうというんだ。感謝してほしいものだね」

「ルルの魔法は負けない」


 ララの父親は気味の悪い笑みを浮かべ、言った。


「決まりだ。勝負の詳細は追って伝える。楽しみにしているよ」

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