第十八話 再会
話をするうちに、僕らは王立魔法学院の前にたどり着いた。
ララに会える可能性を考えて、初等部棟に一番近い門の前に立つ。
「これは立派なもんだな」
公立学校の校舎といえば白い四角の箱という古臭い日本のイメージが抜けない僕からすると、ここは城とか教会とか、そんなものに思える。ところどころに置かれた彫像。杖を掲げるそれらは魔法使いの偉人かなにかだろうか。
建屋や門構えからは確かに一流の風格を感じる。いや、これらが建てられた昔は本当に一流だったのだろうけど、ルルの話を聞いた後では印象も変わるというものだ。
「ここからは見えないですけど、大きな実践演習場や学生寮も敷地の中にあるんですよ」
ルルからそのように解説を受けていると、白い鐘塔から、なんの合図かガランガランと厳かな鐘の音が響きわたってきた。すると、続々と子供たちが建屋から出てくるではないか。鐘の音は終業の知らせだったのだろうか。
男女ともに上下とも白を基調とした制服。その上から列車でララ達が羽織っていた物と同じ黒の外套を羽織っている子もいるようだ。
「なんか見られてないか?」
通りすがる子供たちが僕をみてひそひそと小声で話をしているような気がする。
「この道は学院に用がある人しか通りませんから」
ルルが少し小声になって言った。
こんなところに怪しいおっさんが立っていたらヤバいかな。ヤバいよね。先生とか警備の人とか呼ばれちゃったらどうしよう。
僕ばかりでなく、ルルも少し肩身が狭そうにしている。
一度離れようか悩んでいると、こちらに向かってくる女の子が目についた。彼女はこちらへ手を振りながら走ってくる。
「あっ、ララちゃん! もう戻ってたんだ! 先生がね――あれ?」
ルルと同い年くらいに見えるその女の子は、ルルと僕を交互に見て怪訝な表情を浮かべる。
「えっと? あれ? ララちゃんだよね……?」
「あ、わたしはララじゃなくて――」
「呼んだ?」
僕らは揃って声のしたほうを向く。
果たして、そこにいたのはララであった。リナも一緒だ。僕らが歩いてきた道を通ってこちらへ向かってきている。駅の方面から来たということは、僕らよりも後ろから学院へ向かっていたのか。
「えっ? えっ? あれ……」
人違いをした少女はいよいよ混乱を極めているようだ。ルルとララを交互に見やり、目を丸くしていた。
「ララ……」
ルルとララの視線が通る。
ほんの一瞬、しかし万秒時が止まったかのように思えた。
「お姉ちゃん……?」
とても小さな声だったが、僕にはそう聞こえた。
「ララ!」
ルルがララのもとへと駆け寄り、手を取った。
「お姉ちゃんだよ。帰ってきたの!」
こんなに嬉しそうなルルの顔は見たことがない。いつもより少しだけ早口になっているのも感情の昂ぶりゆえか。その様子は、まるでルルが内面に持っていた光が全身から溢れているようだった。ずっと溜め込んできた願いが成就しようという瞬間だ。この時のために頑張ってきたのだから、無理もないだろう。僕だって嬉しい。
一方、ララの表情には困惑が見える。突然訪れた再会に対して混乱しているだけか、喜びが追い付かないのだろうか? はじめはそう思ってみていたが、どうやら様子がおかしい。ルルがララに声をかける度に、困惑の色は少しずつ強くなっていく。僕は胸騒ぎを覚えた。
ルルの声に引かれたか、周囲に子供たちが集まってきた。少し離れたところから二人を取り囲み、近くの友人たちとひそひそ話を始める。やがて集まった声は大きくなって僕のもとにも聞こえてきた。
「うそ……双子だったの?」
「え、でも一人っ子だって」
「いや、だいぶ前に見たことあるぞ。やっぱり双子だったんじゃないか」
「あのおじさん誰?」
「見ろよ。ホントにそっくりだぜ」
「な、だから姉妹がいたはずだって言ったろ」
驚きと困惑、そして興味に満ちた囁きの群れが周囲に満ちる。ちらほら聞こえてくる声の中にはルルの存在を知っていると思しき者も見受けられた。
ルルは周りのことなど見えてはいなかった。自分たちに向けられた好奇の目にも気づかず、ただ喜びを表すのに忙しいようだ。
「わたしずっと魔法使いの修行してたんだよ。学院を辞めちゃったあとも、お師匠さまのところについて勉強してたの。だから、ちゃんと約束も覚えてるよ」
ルルは、ララの様子がおかしいことにすら気づいていない。ただ一方的に話しかけ続けていた。ルルがどれだけこの時間を待ち望んでいたか、渇望していたかが僕にはよく伝わってくる。だが、その明るさもララの不気味な沈黙と対比することで異様な雰囲気を作り出していた。周囲の子供たちもそれは感じ取っているようだ。
「――それでね、水都にも寄ってここまで帰ってきたんだ。そうだ! おみやげも買ってきたんだよ。ララは水都行ったことなかったよね。これ、わたしのとおんなじで――」
ルルが鞄から土産物を包んだ紙袋を取り出していると、ようやくララが言葉を発した。
「やめて」
「え?」
もうララの顔に困惑はない。ただ、その表情からは怒りとも苛立ちともつかない何かを感じる。人付き合いがあまり得意でない僕ですら分かる。この空気はだめだ。止めなければ。僕はルルのもとへ歩き始めた。
さすがのルルもララの様子には気づいたようで、顔の喜びに少し陰りが見える。
「えっと、ララ怒ってる……? ごめんね、遅くなっちゃったもんね。それとも、学院を辞めちゃったことかな。わたし、あとでおとうさんとおかあさんにもきちんと話をしに行くんだ。だからね、先にララにも話を――」
「やめてっ!」
ララが怒気をはらんだ声と共に、ルルの肩を押した。不意を突かれたルルは後ろによろけて尻もちをついた。土産の袋が飛ばされて転がる。遅かったか……。
「知らない」
「ララ……?」
「あなた、誰ですか。いきなり、何なんですか」
周囲のひそひそ話も止んだ。凍った空気の真ん中で、ララだけが熱をもって動いていた。
「これ以上かかわるなら、守衛を呼びますよ」
「なんで……? わたし――」
僕はルルに寄って言った。
「ルル、出直そう」
ララは背を向けて去っていく。その後ろを心配そうな顔をしたリナが何事か話しかけながらついて行った。
やがて人混みもばらばらと去っていき、座り込んだルルと、僕だけが残った。
ルルの目には涙が滲んでいた。今にも泣きだしそうな顔で、ララが去った後の道をただ見つめている。
僕は転がった土産物の袋を拾い上げ、ルルの肩に手を置いた。
「ルル」
「おじさま……」
悲しみを映した目だ。光が全部そこから抜け出てしまったみたいだった。いま、この目には僕がどう見えているのだろう。この状況で、僕はまだ頼れるおじさまなのだろうか。僕も悲しい表情をしているんじゃないだろうか。
「おじさま、ララが……」
「うん」
ルルはそれ以上何も言わなかった。
*
王立魔法学院を背に、僕らは歩き始めた。目的地が決まっているわけではなく、ただこの場を離れたほうがいいと思ったからだ。
ルルはうつむいたまま何も言わない。それでも僕が手を引いたらきちんと立ってついてきてくれた。しかし、その足取りは重い。ほんの少し前までの希望に満ちたルルの表情と比べてしまって、僕も辛くなる。
「とりあえず、今日の宿をとろう。休んだほうがいいよ」
ルルは何も答えなかった。僕も返答を強いはしなかった。
うつむいたまま歩くルルの手を引きながら、僕は適当な宿を探す。学院が見えないところのほうが気が休まるだろうか。学院の建屋は大きいから難しいな。
そんなことしか考えてやれない僕は気配りが下手だな。こういう時はどうしたらいいんだろう。そう思いながら宿を物色していると、ルルが小さな声で言った。
「おじさま。わたしお家にいきたいです」
「え?」
「おとうさんとおかあさんに会いたい……」
ルルはそう言ったきり、立ち止まってしまった。
僕はどうすべきなのだろう。
ララに拒絶された今、ルルにとって両親との再会は残された希望だと言える。早く会って確かめたい、安心したい気持ちは分かる。
正直に言うと、今は賛成できない。ララのあの反応を見るに、両親から何かを言い含められていると思えてならない。傷ついているルルを両親に会わせて、上手くゆく未来がどうしても想像できない。その結果、ルルがどれほどの悲しみを負うことになるのか。
それでも。それでも、潤んだ目で僕を見上げるルルの弱った顔を見ていると、僕は「今はやめておこう」という一言を、どうしても口にすることができなかった。
ルルの案内に従って辿りついたのは大きな屋敷が立ち並ぶ一角であった。道幅は広がり、喧騒は遠くなった。道行く人の身なりも上品になったように思える。
なんとなく予想はしていたけど、本当にいいところのお嬢様だったんだな。
「僕もついて行っていいの?」
「隣にいてください」
「……わかった」
ルルの実家は広い庭園を備えた三階建ての屋敷だった。芝生はしっかりと刈り揃えられ、よく手入れされているように見える。こんなに大きなお屋敷なら、使用人もたくさんいるのだろうか。いつぞやにルルとした、僕がルルの専属執事になるなんていう馬鹿話を、場違いにも思い出した。
敷地内に三人の人影が見えた。三人とも大人の女性だ。今まで外で何かをしていたのだろうか、屋敷の玄関へ戻る途中のようだ。
「おかあさんだ」
隣でルルが呟いた。
三人のうち二人はメイド服を着ており、残る一人の後ろに付き従うように歩いていた。ではあれがルルの母親か。
「おかあさん!」
ルルの声に、人影は歩みを止める。
ルルは僕の手を放して母親のところへ駆け寄っていった。敷地内に踏み入ることは少しためらわれたが、僕も後を追う。
二人のメイドはルルをみると明らかに驚いた顔をした。対して、ルルの母親は眉一つ動かさない。
「ただいま! おかあさん」
母親は何も答えない。ただ射貫くような冷たい瞳をルルに向けたまま微動だにしない。横で見ているだけの僕ですら怯みそうになるほど重い空気を感じる。
いけない。僕はこの場に来たことをすでに後悔し始めていた。
「えっと、お手紙は書いたんだけど、読んでもらえたかな……? 突然帰ってきてごめんなさい。学院も辞めちゃったことも、ごめんなさい」
魔法使いを志さないなら家の娘ではない。確か、ルルはそのように告げられたと言っていた。その後の手紙はすべて突き返されたとも。今の両親はどのように思っているのだろうか。新たに魔法の道を見つけたルルのことを、どう見るのだろうか。
「あのね、学院は辞めちゃったけど、わたしこれまでずっと魔法の勉強してたんだ。それでね、それで……」
はじめは明るく声をかけたルルだったが、母親の様子からただならぬものを感じたのだろう。だんだんと言葉は小さくなってゆく。影が濃くなっていくように、ルルの心のうちの不安がにじみ出ている。思わず目を背けたくなるほどだった。
「そ、そうだ。わたし、魔籠を作れるようになったんだよ。え、えっと、今出すね」
ルルは水都を出てからずっと大切に持っている魔籠の剣を取り出した。その最中も、母親は氷のように冷たい目でルルを見下ろしていた。
ルルの焦りと必死さが自分のことのように感じられる。後生だから、ルルにひどいことはしないでくれ。
「こ、これ、頑張って作ったの。わたしが考えたんだよ。ちょっと手伝ってもらっちゃったけど。でもね、わたし、自分で魔法、使えないけど、でも、わたし――」
「お引き取りください」
ルルではなく、僕に向けられた言葉だった。
「この子どもの保護者はあなたですか?」
「……は?」
なにを言っているんだこいつは。
「突然人の敷地に上がり込んで、あまつさえ武器をとりだすなど、どういうつもりですか。街の衛士を呼びますよ」
もうやめてくれ。これ以上、ルルを傷つけないでくれ。
「おかあさん……?」
ルルの声は震えていた。とても見ていられない。
「お帰りいただきなさい」
母親は控えていたメイドに指示を出すと、ルルに背を向けて玄関へと歩き始めた。
「まって、おかあさん!」
ルルは母親を追おうとするが、二人のメイドに阻まれた。
「おねがい。放して、ミルトさん、ラミカさん」
メイドの二人もルルとは知り合いなのか。ルルは二人の名を呼んで懇願したが、僕らは敷地の外まで追い出されてしまった。
「ごめんなさい、ルルお嬢様……」
メイドの一人がとても悲しそうな顔で言った。
僕らの目の前で門扉が閉ざされた。
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