第十二話 同郷
助けてもらっておいて申し訳ないが、まだ完全に信用できないので、ルルと共に少し後ろを歩いて進む。
「
「僕の職場さ。すぐにつくよ。この島はさほど広くないから」
やがてたどり着いたのは中州の下流側に位置する建物だった。かなり背が高い。船で全体を見たときからこの街の高層建築の多さには驚いていたが、こいつはその中でも特に大きい。駅舎と思しき中州中心の建物も大きかったが、それよりも大きいのではないだろうか。
彼の職場だというが、一体なんの施設なのだろうか。
「ここの二十五階から三十五階までが僕の職場だよ」
「ちなみに何階建てですか?」
「地上四十階建てだ」
でかい。最初に訪れた小さな町だけをみて、なんとなくこの世界の技術的な水準をはかっていたが、どうやら完全に見誤っていたようだ。鉄道の存在といい水都の規模といい、僕の予想を軽々しく超えていく。きっと魔法の存在も大きいのだろう。
建物内部に入ると壁際に向かって進み、いくつか並ぶ扉の一つを開いて入る。扉の奥は大人が五人も立てば満員になりそうな密閉された小部屋だ。例えるなら、エレベーターのような……。
剛堂さんは小部屋の扉を閉じると、壁際に並べて埋め込まれた石板に手をかざした。
小さな振動と共に、軽い上昇感。……うんエレベーターだな。
「どうだい、乗り心地は。魔籠式だが、なかなかのものだろう。こいつが実用化されているのは国内でまだ水都と学都だけなんだ。王都の蒸気式より安全だぞ」
「なんていうか、その、びっくりしすぎて言葉がないっていうか……」
ルルに至っては、少しおびえた顔をして僕の腕にしがみついていた。
「はっはっは。うれしいね」
僕らは三十五階にたどり着いた。一階には僕ら以外にも大勢の人がいたが、ここには人影が見当たらない。
やがて一つの扉の前で立ち止まる。磨かれた木製の扉に、曇りのない金属製ドアレバー。扉の中心にはこちらも綺麗な金属プレートが取り付けられ何かが書かれているが、残念ながら僕はこの国の文字が読めない。
同じくプレートを見たルルが隣でつぶやく。
「所長室」
所長? ここは一体何なんだ。
「さあ、入ってくれ」
一気に視界が開ける。
部屋の壁のうち南側が巨大なガラス窓になっており、水都の南側の岸にある街と川を見渡せる。見える範囲にはここより背の高い建造物は見当たらず、とても見晴らしがよかった。
さらに驚くべきことに、部屋の照明は火ではなく電灯であった。この街には電気が通っているのか。
僕らは椅子を勧められ、ルルと二人並んで着席した。
「さて、お互い聞きたいこと言いたいことがあるだろうが、まずは自己紹介といこう」
剛堂さんは一度咳払いしてから、続ける。
「改めて、僕は
「この世界に来る前……」
「そうだ。僕は君と同じ、日本からここへやってきた。もう十二年も前のことだ」
十二年も前なのか。帰る方法は見つからなかったのだろうか。それとも帰らないだけか。それは気になることだが、まず先に聞かなければいけないことがある。
「どうして僕が日本から来たと――」
「待った。まずは君の名前を教えてくれ」
「あ、失礼しました。僕は
「今川君ね。覚えたよ。そちらのお嬢ちゃんは?」
「あっ、えっと。ルルといいます。魔法使いの見習いをしていました」
ルルは自分が話を振られるとは思っていなかったようで、少し慌てていた。
「ルルちゃんはこの国の生まれかな?」
「はい。王都です」
剛堂さんはふんふんと頷き、話をつづけた。
「ありがとう。では今川君の疑問に答えることにしようか。まず、どうして君が日本人だと分かったか。答えはこれだ」
そう言って剛堂さんが懐から取り出したのは文庫本『ポラニア旅行記』だった。
「こいつを持っていたからね。そう思ったのさ」
僕もリュックから本を取り出す。剛堂さんの物と同じだ。
「船でこいつを見ていただろう?」
「はい。同じ船に乗っていたんですね」
「ああ、上流にある町に用事があってね。その帰り道だったんだ」
「あの! わたしからもいいですか?」
「もちろん」
「ゴウドウさんって、もしかして魔籠を発明したっていう」
「その剛堂さんだよ。僕の名前も全国に轟いているようだ。うれしいね」
魔籠を発明? そういえば魔籠は世に出て間もないと聞いていたな。この人が作って広めたのか。十二年の差はあるにせよ、同じこの世界に飛ばされてきた身として、自分が情けなく思えてくるほどの差だ。
「ただ、魔籠を発明したのが僕かというとちょっと怪しい。僕より前に作っていたやつはいたわけだからね。僕はそのアイデアを拝借して、魔籠と名付けて世に出しただけだよ」
「それはこの本、『ポラニア旅行記』ですか」
僕が口をはさんだ。
師匠は言っていた。この本はよくできた魔籠だと。
「君も気づいていたか」
「自力じゃありませんが」
「なんですか? それ」
ルルが僕に尋ねた。そういえば結局この本について相談しないままだったな。
「どうも、これが僕らをこの世界に飛ばした魔籠みたいなんだ。師匠からそう言われた」
「見てもいいですか?」
見せても大丈夫なものか迷った。師匠は大丈夫だと言っていたが……。
剛堂さんは僕が迷っている理由をなんとなく察したようだった。
「見せても問題ないだろう。間違ってもルルちゃんが日本に飛んでいくことはないよ」
冗談めかして言う剛堂さん。そりゃ、それができるならとっくに帰っているだろうな。
僕が『ポラニア旅行記』を渡すと、ルルはパラパラと頁をめくりはじめる。この本は日本語で書かれている。師匠と同じくルルにも完全解析は難しいだろうか。
「回路は壊れているみたいですけど、いくつかの魔法が入っていますね。それにこの起動方式……どうなってるんだろう。読み進めていくと勝手に起動するように狙ってるのかな?」
剛堂さんが驚いている。
「少し見ただけでそこまで分かるのか」
「文字がほとんど読めないのであまり自信はないですけど、たぶん、文章を読み進めていくうちに抱く印象や感情を起動に必要な意思の代わりにしてるんだと思います。頭から順番に魔法が起動していって、最後の魔法でこの世界に飛ばしてるのかも。途中にある魔法は、読者を選別するようなものがひとつと、たぶん言語翻訳のものがひとつ。それ以外は……ちょっとわかりません」
「驚いたな。この子は天才か?」
「あってるんですか?」
僕は剛堂さんに尋ねる。おそらく彼はすでに相当解析を進めているはずだ。日本語も分かるわけだし。
「ああ。この研究所の設立以来、僕が優秀な魔籠技師たちと共に解き明かしてきた内容に迫るものだ」
剛堂さんは若干興奮気味に言った。
っていうか、魔籠技師って職業があるんだ……。
「僕らはもう少し詳細に解いている。まず選別の魔法だが、おそらくこれは読者がこの世界に飛ばすべき対象か否かを判定しているものだ。判断材料とされているのは読者が持つ魔力量だと思われる。言語翻訳の魔法については、音声会話についてのみ適用されることが分かっている。君もこの世界の文字はまだ読めないだろう?」
「はい。不便だなとは思ってました」
なんで言葉が通じるんだろうとも少しは思ったけども。
「この理由ははっきりしないが、読み進めている途中で文字が読めるようになってしまうと、作品中にところどころ紛れているポラニア語が読めるようになってしまうために、作品に対する印象操作が失敗する恐れがあるからだと推測している。作品に対する印象を起動のトリガーにしている以上、このリスクは許容できないだろう。ほかにも、簡素な肉体強化の魔法が複数かかることも分かっている。転移後の生存率を上げるためだと思われるが、正直、これにも救われたね」
そういえば飛ばされた直後に熊に殴られたけど大丈夫だったな。言われてみると思い当たる節がある。
「しかし、すごい子がいたものだ。どうかな、ぜひうちで働いてもらいたいんだが。きっと今川君の助けにもなるよ」
ルルに向けて勧誘する剛堂さん。なんだか冗談に聞こえないのがちょっと怖い。
「いえ、わたしはほかにやらないといけないことがあるので……」
「そうか、まあ気が変わったらいつでも声をかけてくれ」
いいなあ。もう就職先決まったようなものじゃん。天才ってずるい。というのは冗談として、ルルの前に魔籠でやっていける道が開けたのは僕もうれしい。今だけは別の目的があるにしても、ルルには将来があるんだ。
「何にしても、これがこの世界と僕らの世界を繋いだんだ。僕らが帰る手掛かりも、これが握っているはずだ」
「剛堂さんは、元の世界に帰りたいと思っていますか?」
「当然だ。今川君は違うのか?」
はじめはそう思っていた。だが、今は迷っていることだ。ルルを送り届けた後、僕はどうするのか。ずっと困っていたが、どうやら一つの道はこの人が持っているようだ。帰るつもりなら、この人についていくほかないか。
僕が黙っていると、剛堂さんが言った。
「今すぐ答えを出す必要はないさ。ただ、僕はいつでも君に協力する。覚えておいてくれ」
「……はい」
僕は頷く。
隣でルルが少しだけ寂しそうな表情をしたのが分かった。
「君たちとはもっと詳しく話をしたいところだが、旅の予定があるのだろう?」
「ええ、いまは王都に向かっている途中でして」
「王都か。それなら二日後の夜に列車が出る予定だな」
二日後か。それならルルの水都観光にもつきあってやれそうだな。
「滞在中、困ったことはなんでも相談してくれ。もちろん王都に行った後、手紙を出してくれてもいい。いま、僕は君たちの世話を焼きたくて仕方がないんだ」
「それはまたどうして?」
「ここは異世界だよ。今川君。外国で日本人に出会うのとはワケが違うんだ。いまこうしている間も、喜びでどうにかなりそうだよ」
そう言う剛堂さんの全身からは、確かに喜びが溢れているような気がした。きっと長いこと大変な苦労と孤独があったのだろう。僕も十二年間自分の世界の人間に会えなかったら、同じようになっていただろうか。
「あの、おじさま……」
ルルが小声で囁きながら僕をつついた。何やら膝をすり合わせてもじもじとしている。
「トイレ?」
ルルは少し恥ずかしそうに頷いた。
「ああ、トイレなら部屋を出てずっと右に進めばあるよ」
剛堂さんが案内すると、ルルは小さくお辞儀して部屋を出ていった。
「いやあ、僕が話に熱中しすぎて言い出すタイミングが無かったのかな? 申し訳ないことをしたね。はっはっは」
楽しそうだなこの人は。同郷の人間に会えたのが本当に嬉しいんだろうなと思う。
その時、ふと思い出した。いいタイミングだ。たぶん頼める人はこの人しかいない。僕は荷物から木の小箱を取り出した。
「すみません。早速で申し訳ないんですが、一つお願いが」
「おお、なんだい?」
僕は木箱を開ける。中にあるのは、ルルが両親に送って受け取り拒否されたという手紙の数々だ。師匠から預かったまま、結局ルルには何も伝えていない。だが、内容くらいは知っておきたかった。
「実は――」
僕はこの手紙にまつわるルルの来歴を剛堂さんに少し話した。ルルが席を立っている隙にこのようなことをするのに少々後ろめたさはあったが、頼みごとをするのだから仕方がない。
「なるほどね。あの子も相当な苦労人だな」
「ええ」
「で、出発までにこれを翻訳して渡せばいいんだね」
「はい。お願いできますか?」
本当なら僕が読むべきだろうが、一から文字を勉強しているほど時間はない。こんなことなら最初に迷わず師匠に口頭で訳してもらうべきだった。
「お安い御用だが、僕が読んでしまってもいいものかな」
「……はい。お願いします」
「分かった。任せてくれ」
ちょうどそこにルルが戻ってきて、剛堂さんは机の上からサッと小箱を引いた。
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