第十話 水の都へ(一)
師匠宅を出発して数時間が経った。
ただひたすら、街道を行く。もう振り向いても町は見えない。前も後ろも緑の起伏ばかりが続いており、所々に点在する岩と木々のほかに視界を遮るものは何も無い。
「ルル、ちょっと……歩くの速い」
「はい?」
ルルは僕の十歩ほど前を先行している。ルルが若いからか、僕がひ弱だからか、もしくはその両方か、軽快に進んでいくルルにあわせるのが正直きつくなってきた。
「リュックが重くてさ、ちょっと休憩しようよ」
「魔法使ってないんですか?」
「えっ? ……あっ」
「今まで素で歩いてたんですか。おじさまは元気ですねー」
全然思いつかなかった。なにしてんだ僕は。でも一定時間ごとに「フィジカルライズ」って呟きながら歩くのもなんだか悲しい気持ちになりそうだな。
「でもそろそろお昼ですし、休憩にしましょうか」
僕等は道沿いにポツンと生えている木に寄り、木陰に腰を下ろした。
リュックから取り出したパンをかじりながら脱力する。ただ幹に背を預けて足を投げ出していると、師匠に言われたことが頭に浮かんだ。
――お前さんがここに来たこと自体、何者かの策謀が関与しているのかもしれん。
僕がここに来た理由か。
師匠はあの本が罠のようだといっていた。読んだ者を無差別にこの世界へとばすような仕組みになっていたのだろうか。師匠でも分からなかったくらいだから、僕が考えるだけ無駄なんだろうけど。
いや、ルルならどうだ。
僕は隣を見る。ルルは師匠も認める魔籠作りの天才だ。悲しいことに師匠はそれを本人に告げていないようだが、ルルにあの本を見せれば何か分かるんじゃないか。すでに回路が壊れていると言っていたし、見ても害は無いのだと思う。ただ、罠だといわれた魔籠をルルに見せるのは少し気が引けるな。本当に安全なんだろうか。
僕が迷っているうちにルルは食事を終えたようだった。ルルは自分の鞄からキラキラと光る何かを取り出して眺め始めた。
「なにそれ」
「あっ、これですか。おじさまの戦利品ですよ」
僕の戦利品?
ルルが手渡してきたので、よく分からないまま受け取ってみる。
「それはダイヤモンドボアの目に入っていた宝石です! 焼けて小さくなっちゃってましたけど、なんとかそれだけ回収できたので、頂いてきました」
それは親指ほどの大きさがある宝石だった。炎に焼かれたせいか、表面が少しくすんでいる。そういえばダイヤモンドは燃えるんだったな。しかし小さくなったとはいえ、これはかなりのデカさだ。この世界での宝石の価値は分からないが、売ったら高かったりするのだろうか。
「なかなか質がいいので、強い魔籠にできそうです。どんなのを作ろうかなーって考えてたんですよ」
「へぇー」
あの死闘を思い出す。雷魔法が込められた宝石か。
「それ、焼けてても魔法が撃てそうなくらい高品質ですよ。試してみてください」
「マジか」
ルルが作ったものじゃないってことは、呪文はいらないんだよな。
僕は宝石を前方に掲げる。道を挟んで二十メートルほど離れた木に狙いを定め、意識を集中。ダイヤモンドボアが放った、あの雷撃を意識してみる。どうだ……?
宝石が煌いた。
激しい雷鳴と同時に、木へ向かって一本の稲妻が走った。
「すごい!」
これはいい! なにより、呪文が要らないのがいい。
「やった! やっぱり良い物ですね。これは作るのが楽しみになります。呪文はどんなのにしましょうか。『ライトニング』とか『サンダー』とか? あっ『サンダーブレス』とかどうですか?」
ルルがひとりで盛り上がり始めた。数日後にはこの高品質ダイヤモンドが、サンダーブレス発生器と化しているかもしれない。
師匠によれば、ルルの魔籠作りの才能は魔法の常識を変えうるとのことだった。きっと天才の発想というものには常人には追い付けない部分があるのだろう。本来なら素人が余計な口を突っ込んで自由なアイデアに水を差すべきではないのかもしれない。しかし、これだけは言える。もうブレスは勘弁してくれ。
「このままがいいかなー……なんて」
「ダメです」
急に真顔に戻ったルルに宝石をひったくられた。
宝石を磨きながら「『サンダーキック』も捨てがたい」なんて呟くルルを見ていると、もう不安以外抱きようがなかった。
*
宿場で夜を越しては進みを繰り返し、僕等はついに川沿いの船着場へと辿りついた。
目的の船が来るのは明日とのことなので、今日は船着場に併設されている宿に泊まることにした。
「疲れた。寝る……」
部屋に入るなり、僕はベッドに倒れこんだ。ここまでの道中ずっとこの繰り返しだ。歩いて長旅なんて初めてで、体が慣れない。ルルに指摘されてからはなるべく魔法の恩恵に与りながら進んできたが、力がついても疲れるものは疲れるようだ。
ふと見ると、ルルは部屋に設置された簡易の卓について、ダイヤモンドボアの宝石をいじくり始めていた。いろいろな角度から宝石を観察しながら、紙に何かを書いている。魔籠の構想を練っているとのことだが、この光景も数日間に見慣れたものだ。
「まだ寝ないの?」
「はい。もうちょっとだけ」
よく飽きないものだ。魔籠作りってそんなに楽しいのだろうか。
「でも、すごい入れ込みようだね」
いつも笑顔で朗らかなルルだが、魔籠に向かっているときの表情は真剣だ。これが天才職人の風格だろうか。……まあ、ここからファイヤーブレスのような謎発明が出来てしまうのは考え物ではあるが。
「これにはわたしの命運が懸かっているので」
「どういうこと?」
ルルは手元から目を離さずに話し始めた。
「前にも言ったと思いますけど、わたしが魔法学院を辞めたいと言ったときに、一度両親から見限られています」
僕は思い出した。ルルの両親は二人の娘を王立魔法学院に入れようとしたのだという。魔法使いとして天才であった妹と違い、才能に恵まれなかったルルは地方の魔法学院に入れられたのだという。しかし、そこでも挫折。そこで魔籠の道を勧めてくれたのが師匠だった。ただ、学院には魔籠の専攻が無かったので結局は学院を辞めざるを得なかったようだが。
「わたしが魔籠作りをすることは、わたしが魔法の道を外れなかったことの証明です。両親が望んだ魔法使いの道とは違うかもしれませんけど……わたしはわたしが作った魔籠で、いままで積み重ねてきたことを示すんです」
双子の妹に会いに王都に行く。
これがルルの旅の目的だ。当然両親にも会うこととなるだろう。一度は否定された自分の道を認めさせなければならない。
「そっか……それじゃあ、サンダーブレスはやめといたほうがいいかもね」
「ふふっ。考えておきます」
冗談めかした僕の言葉に、ルルは少し笑って答えた。
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