第七話 独り立ち
目が覚めたのは師匠宅のベッドの上だった。
上体を起こす。まだ少し体が痛んだ。
「おじさま!」
ルルが僕の胸に飛び込んできた。
「よかった。おじさま。よかったぁ」
「ルル」
「あれから丸一日眠っていたんですよ。もうずっと目を覚まさないかと……」
ルルは泣きじゃくりながら僕にしがみついて離れない。僕はルルの頭を撫でてやった。この状況を見れば、あの後何があったかは大体分かる。
「ごめんなさい。わたしが無理を言ったから、おじさまがこんな酷い目に。おじさまは危ないから帰ろうって言ってくれたのに、わたしが……」
「もう終わったことだよ。それに行くって決めたのは僕だから」
やはりルルは責任を感じていたのだろう。優しいルルのことだ、きっと僕が倒れている間、気が気ではなかっただろう。随分無茶な戦いをやってしまったし、ルルには辛い思いをさせてしまったな。
「ようやく起きたか」
「師匠」
部屋の壁にもたれかかってこちらを見ている。黒いとんがり帽子、黒い外套、長い髭。本物の魔法使い。
「師匠が助けてくれたんですね」
「お前のような愚か者を弟子にした覚えはない」
「なんとでも言ってください」
師匠は大きなため息をつくと、ベッドに近寄ってきた。そして僕にいつまでもしがみついているルルの服の襟を摘み上げると、僕から引き剥がした。
「いつまでへばりついてるつもりだ。さっさと食事を買ってこい」
ルルは袖で涙をぬぐうと、少しだけ名残惜しそうに部屋を出て行った。
師匠はルルが出て行くのを見届けてから言った。
「ついこないだ知り合ったばかりの男に、よくもまあここまで懐いたものだ」
「はは……僕も驚いてます」
本当に驚きばかりだ。突然この世界にとばされて、いきなり熊に殴られて、魔法の才能があるとか言われて、魔法使いと一緒に暮らして、女の子と森で遭難しかけて、雷を放つ大蛇と死闘を繰り広げて、これがなんとたった一週間の出来事なんだから。
「まあ、あいつには今まで友人というものが居なかったし、家族からも冷遇されておったから、無理もないがな」
「聞きました。師匠が引き取ってあげたんですよね。師匠って意外と優しいですね」
「やかましいわ」
「ルルが僕と一緒に行くと言ったときに師匠が反対していたの、正解だと思います。師匠は本当にルルのことを心配している。もう家族みたいなものですよ」
「ふん。ワシはあいつの才能が無駄にされるのが許せんだけだ」
才能か……。
「でもルルは魔力をほとんど持っていないと」
初めて師匠とルルに会ったときにルルが言っていたような気がする。ルルには才能がないと師匠に言われたのだとか。ルルは魔力をほとんど持っていないというのも事実のようだが。
「ワシが今言ったのはその才能ではない。お前さんも身をもって知ったはずだ」
「……魔籠を作る才能ですか」
師匠は頷いた。
「あいつの発想と技量は魔法の常識を変えうる。ワシはそう思っている。学院の有象無象は誰もそれに気づけなかったようだがな」
ここまでストレートに褒めるとは、少し意外だ。
「でも、師匠と僕以外に今までルルが作った魔籠を使えた人はいないと聞きましたよ」
「ああ。あいつが作る魔籠は本当に特殊だ。自分では気づいていないようだが、世に出ている他の魔籠とは一線を画する。あれを使うには、あいつが作り出した特殊な象徴化の技術に対する深い理解か、もしくは莫大な魔力で強引に起動させるか、これしかない」
僕は後者なんだろうな。たぶん。
「だからワシはあいつの独り立ちに条件をつけた」
「ルルのために、ルルの魔法を使いこなせること……」
「そうだ。あいつの魔法を使えるだけではダメだ。むしろ使えるやつこそ危険だ。強い力を手にしても、それに溺れない者だけに許される。お前さんのように、強大な素質を持ちながら魔法を理解しようとしないやつに渡すわけにはいかんと、そう思って反対していた」
「そうだったんですね」
「だが、ワシのつけた条件があいつを焦らせていたようだな。お前さんほどの素質を持つものと今後どれだけ会えるか分からん。あいつはようやく現れた独り立ちのチャンスを前にして、完全にお前さんにとりつかれておった。ワシの反省点だ」
そうだ。ルルが僕を必要としたのは、僕の素質がルルの独り立ちにとって一助となるからに過ぎない。
「お前さん。もしも元の世界に帰る方法が見つかったら、どうするね」
「え、どうしたんですか突然……」
「いいから答えよ」
僕は考える。
どうするのだろう。一週間過ごして分かったのは、この世界は正直言って恐ろしいということ。魔物が跋扈していて身の安全は保証されない。社会のルールも分からず、暮らし方からなにから全く分からない。それでも、いまは一つ気になることがある。
「ルルが」
「ん?」
「ルルが、僕を必要とする間は、帰りません」
師匠は僕の答えを聞いた後、腕組みをしたまましばらく考え込んでいた。
沈黙が続く。あまりに長いので、何かまずい答え方をしてしまったかなと心配していると、ルルが戻ってきた。
「おまたせしました!」
ルルは三人分のパンを載せたトレーを手にしている。彼女が僕らにパンを配っているとき、師匠がようやく口を開いた。
「こいつを食ったら支度を始めろ。そして近いうちに出て行け」
ルルが空になったトレーを落とした。
「そんな! 悪いのはわたしなのに。そんな追い出し方――」
「お前もだ。ルル」
「え……?」
「二人まとめて出て行け」
そう言うと、師匠はパンにかじりついて立ち上がった。
「あの、それって、わたしが独り立ちしてもいいってことですか……?」
「王都までの行きかたは後で教えてやる」
それだけ言い残すと、師匠は部屋から出て行ってしまった。
残された僕等はなんともいえない沈黙の中、しばらく呆然としていた。
「おじさま」
先に言葉を発したのはルルだった。
「おじさま、ありがとう!」
「え、なにが?」
「だって、おじさまがお師匠さまを説得してくれたんでしょ?」
「いや、僕は何も」
ルルは聞いちゃいなかった。僕の手を握ってぶんぶん振りながら喜びを表現している。
よく分からないが、僕は師匠が定めたルルの独り立ち条件を満たすことが出来たと思っていいのだろうか。
ともかく出て行けといわれたからには仕方ない。僕等は旅立ちの支度をはじめた。
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