第六話 雷撃の大蛇

「ああっ、くそっ」


 腕を振り回して敵を追い払う。

 僕は今魔物に襲われていた。魔物の名はルビーバットというそうだ。額に小さな赤い宝石を持つ小型のコウモリで、鋭い牙を武器にする。


 エメラルドグリズリーのような巨体の相手も恐ろしいが、こういった小型相手には別の難しさがある。とにかく小さいので攻撃が当たらないのだ。加えて空中を縦横無尽に動き回る飛行能力も厄介だ。僕が使える魔法は火を起こすものばかりなので、森の中で闇雲に撃てば火事を起こす可能性もある。仕方がないので相手が諦めてどこかへ行くまで追っ払い続けるか、運よく腕が当たって殴り飛ばせるか、現状これしかなかった。


「おじさま……」

「ルルは隠れてて!」


 しつこく腕を振り回すうちに、ようやく諦めたのかルビーバットはどこかへ飛び去って行った。

 魔物がいなくなったのを見届け、ルルが茂みから出てきた。そして、おずおずといった感じで僕に尋ねる。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫。それよりも、池はまだなの?」


 自分で思ったよりも言葉に苛立ちが乗ってしまったことに驚く。いけないな。慣れないことの連続で疲れてきているせいだろうか。ルルに当たったって仕方がないのに。

 たぶん僕の苛立ちはルルにも伝わっているのだろう。少し前からルルは僕の顔色を窺って話しかけてきていた。


「も、もう少し、だと思います……」


 ルルは地図を出して周囲の地形と見比べているが、顔に物凄く焦りが見える。自分から無理に意見を押し通した手前、後ろめたさもあるのだろう。しかし、これは確実に迷ったな。


 ルルのガイドに従って奥まで進み、道中でさらにエメラルドグリズリーと、ルビーバットをいくらか倒してきている。慣れない戦闘の連続と悪い足場。かなり疲れがたまってきた。


 日も暮れてきている。先ほど戦ったルビーバットは日中暗がりの中に群れで眠っていて、夜に起きだす魔物らしい。今のところは一体ずつ現れるはぐれを倒しているが、夜になって大群に出くわしたりしたらまずい。帰りのことを考えないと。


「ルル。そろそろ帰ろう。本当に危ない」

「はい。でも……」

「分かってる。迷ったんだろ」

「ごめんなさい……」


 申し訳なさそうに顔を伏せるルル。


「いいよ。進むことを了解したのも僕だし」


 とは言ったものの、どうしたものか。

 地図を受け取って自分でも確認してみるが、さっぱりわからない。周囲は木々に覆われて同じような景色ばかりだ。ルルが分からないのに僕が案内できるはずもないし。これは道しるべでも残しながら来るべきだったか。

 そう悔やみながら周囲を見渡しているとき、きらりとオレンジに光るものが見えた。

 夕日かと思ったが小さく揺らめいているようだ。


「ルル、あっちになにかある」


 二人で光の見えたほうに進む。草木を掻き分けてたどり着いたのは――


「池だ」


 頭上が開け、久しぶりに大きな空を見ることが出来た。先ほどの光は水面に夕日が反射したもののようだ。

 池の規模はそれほど大きくないが、水は泥か藻によってひどく濁っているため、水中の様子はほとんど見ることができなかった。


「ここまで来たんだ。ダイヤモンドボアを倒していこうじゃないか」

「はい!」


 ルルもすこし元気を取り戻した。池の場所を基準に出来るのだから、帰りは地図も役立つだろう。急いで倒して、急いで帰ればいい。


「どこにいるのかな? 池の近くにいればいいけど」


 たった一度の目撃情報が頼りだ。ダイヤモンドボアのねぐらがこの池ならばいいが、すぐに見つからないのなら帰ることも考えないといけないか。

 二人で池のほとりを歩く。風はほとんど無く、水面は静まりかえっていた。

周囲に目を配りながら池を半周ほどしたころ、微かな水音が聞こえた。

 僕は立ち止まって水面を見る。小さな波紋が広がっていた。魚でも跳ねたのか? それとも……。


「おじさま?」

「ちょっと待って」


 僕は水辺ぎりぎりまで近寄り、身をかがめて池を観察する。やはり透明度が低く、ほとんど何も見えない。しかし、さっき確かに何かが――


「!」


 水中の濁りが大きく動いた。姿は見えないが、何かいる。


「ルル、下がって!」


 そう言って二人で水辺から距離をとった、まさにその瞬間。濁り水を割って飛び出してきたのは大蛇だった。恐ろしく大きい。池に浸かっていて全長は分からないが、見えている部分だけでも十メートルは軽く超えているだろう。太さはエメラルドグリズリーが簡単に入ってしまいそうなほどだ。

 さっきまで僕らが立っていた場所に牙を立てる大蛇。その左目は夕日を反射して美しく輝く巨大な宝石。

 間違いない。こいつがダイヤモンドボアだ。


「フィジカルライズ!」


 敵の奇襲は避けた。この隙を逃す手はない。


「ファイヤー!」


 僕は敵の左目を狙って魔法を放った。

 ダイヤモンドボアは素早く頭を振ると、左目への直撃を避けた。狙いを外した火球はダイヤモンドボアの頭部より少し下にかすって爆発した。自分の急所が分かっているようだ。


「くそ、それなら直接」


 僕は強化された脚力を生かしてダイヤモンドボアに接近。頭部めがけて跳躍した。そのまま脚を振り上げて左目を狙う。


「ファイヤーキッ――」


 だが、僕の攻撃は敵の頭突きによって中断した。

 巨体の体重を乗せた激しい頭突き。僕は空中から叩き落され、草地に転がる。

 追い打ちをかけるように顎が開かれ、鋭い牙が迫る。僕は横に転がって回避、同時に左手を突き出す。


「ファイヤー!」


 ほとんど狙いも定めずに撃った魔法だが、奇跡的に下顎のあたりに命中。ダイヤモンドボアは攻撃の手を緩めて少し引いた。


「ルル、離れよう!」


 敵が怯んでいるうちに距離をとろう。こいつはいままでのやつと違う。

敵に背を向けて走り出したとき、何かがはじけるような音と共に、凄まじい激痛が僕の全身を襲った。

 何がおきたのかも分からないまま、僕は地面に倒れ伏す。


「おじさま!」


 ルルが泣きそうな顔で叫ぶ。

 一体何をされた……。

 幸い体はまだ動く。僕は痛みの残る体に鞭打って立ち上がると、ルルへ駆け寄った。


「距離をとろう。あいつ強いぞ……」


 敵は最初の場所から動かず、首をもたげてこちらを見ている。今度は背を向けずに、にらみ合ったまま後退する。

 そして今度こそ見た。

 ダイヤモンドボアの左目が輝く。

 直後、その左目から発せられた稲妻が僕の体を貫いた。

 雷鳴と共に、瞬間的な雷撃が立て続けに三発。完全に予想外の攻撃に成す術も無く、僕は再び倒れた。


「魔法か……!」


 これまでの敵は魔籠を持っていたものの、その魔法はすべて肉体の強化に使われていた。こんな魔法を使える魔物がいたのか。


「ルル、大丈――」


 呼びかけようとルルに目をむけ、気づく。

 ルルも倒れている。魔法が命中したのか。


「ルル!」


 気を失っているのか、呼びかけに応じない。魔法で強化された僕ですらこのざまだ。ルルが食らった一撃は僕の比ではないだろう。


「く、そ……」


 僕はなんとか立ち上がり、ルルを引きずって退避をはじめる。だが、これでは遅すぎる。

 体は動く。動くが、ダイヤモンドボアに太刀打ちできるとは思えない。獲物を弱らせたダイヤモンドボアは池から上がり、悠々とこちらへ向かってくる。

 そして、僕は気づいた。

 僕だけなら逃げられるのではないか?

 初撃の奇襲こそ素早かったものの、こいつは移動が速いタイプではない。雷魔法は厄介だが、僕には強化魔法があるし、ルルが獲物としてこの場に残っているなら、どうだ……?


 そもそもこんなところに来たのが間違いだったんだ。熊や狼を強い魔法でらくらく蹴散らして、ファンタジーのゲームでもしている気になっていたんだ。

 ここに来たいと言ったのもルルじゃないか。僕は危ないから帰ろうと言ったじゃないか。それでも無理矢理押し通してきたルルが悪いんじゃないか……。


 ダイヤモンドボアはゆっくりと向かってくる。もう勝った気でいるのだろう。

 僕はルルから手を離した。


――おじさまは命の恩人です。何かお礼をさせてください。


 僕はなにを思い出しているんだ。


――わたしはおじさまのこと、おじさまって呼びます!


 ルルはまだ気を失っている。


――おじさま。待っていてくださいね。


 逃げよう。そして師匠に謝ろう。


――ほんとですか? やったあ! おじさま、大好き!


 そう思って、ルルに背を向けたとき、



「ごめんなさい、おじさま……」



 僕はハッとして振り返った。

 無意識の言葉だろうか。まだ気を失っているように見える。痛みがあるのか、ルルは苦しそうな顔で涙を流していた。

 僕は……。


「うあああああああああ!」


 突進。敵の注意を僕に向けろ、ルルから引き剥がすんだ。

 いきなり走り出した僕に気を取られたのか、ダイヤモンドボアは動きを止めた。だが、怯んだといった様子ではない。倒れている獲物から、向かってくる獲物に少し狙いを変えただけだろう。


 熱くなった頭で思う。なにを考えていたんだ、僕は。そもそもルルがいなかったら僕は生きていなかったんだぞ。それに、ルルに協力すると決めたのは僕だ。ここまで進もうと最後に決めたのも僕だ。引き受けておいて、ダメだったからルルが悪いだなんて情けない話が通用するか。


 左目の宝石が輝く。跳躍。

 間一髪、雷撃は空振りして地面へ吸い込まれていった。こんなところでやられてたまるか。


「ファイヤーブレス!」


 僕の口からすさまじい炎の奔流が放出される。唱えた後、なるべく速く口を大きく開けたつもりだったが、これは火傷したな。あとでルルに文句を言わないと。

 ブレスの炎は周囲の草地を焼き、ダイヤモンドボアにも降りかかった。

 一瞬、ルルまで燃えていないかヒヤリとしたが、幸いそこまでは届いていなかった。

 あまりの火力に敵はのた打ち回る。

 度肝を抜いてやったぞ、どうだ。これがルルの魔法だ!


 周囲の植物が燃え盛り、僕とダイヤモンドボアだけが円形の炎の中に取り残されてしまった。これはちょっと計算外だったな……。

 敵の目が再び輝く。立ち止まると危険だ。

 僕は小刻みに雷撃をかわしながら敵に近づき、足を振り上げる。


「ファイヤーキック!」


 胴に炎の足蹴が直撃。敵がよろめく。だが、決定打ではない。宝石がある頭部は僕の頭上にある。僕は真上を目掛けて跳躍した。


「もう一度! ファイヤーキック!」


 今度こそ目に一撃を……だが、敵は頭を振って回避。僕の蹴りは空を切った。

 僕の目の前で巨大な宝石が煌く。まずい。

 空中で雷撃に貫かれる。身動きが取れないまま墜落、僕は地面に仰向けに倒れた。

 今度こそ動けない僕を見下ろすダイヤモンドボア。その大口が開いて僕の元へ迫ってきた。

 こうなれば破れかぶれだ。僕は最後の力を振り絞る。


「ファイヤー……ブレス……!」


 先ほどとは違う、至近距離でのブレスが頭部に直撃した。

 ダイヤモンドボアは首を振って暴れまわる。頭部は激しく燃え上がり、自然に消える気配は無い。池に逃げ込もうとしているようだが、周囲の燃える草地に阻まれているようだ。

 徐々にダイヤモンドボアの動きは緩慢になり、ついにその巨体を横たえた。


「やったぞ、ルル……」


 だが、もう限界だ。とても動けない。這うくらいがせいぜいだが、この炎の中を抜けることはできないだろう。ルルが炎に巻かれる前に目覚められるか、一人で森を抜けられるか、それだけが心配だ。


 なんだか意識が遠くなってきた。まわりの熱さもよく分からない。

 もう終わりか……。

 そう思った直後、周囲に大量の水が降りかかってきた。炎が一斉に消え去る。雨か? 違う。その一度だけで、それ以後何も降ってこない。


「まったく……馬鹿弟子が」


 微かに声が聞こえた。

 顔をあげると、見覚えのある黒いとんがり帽子と黒い外套、長いひげ。

 それもすぐにかすんだ視界の中に消え去り、僕は意識を失った。

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