第五話 ファイヤーキック!

 森に入ると頭上が葉で覆われ、一気に薄暗くなった。夜ほどではないが、あの晩のように興奮で麻痺した状態でないとちょっと怖い。

 僕の背後で突然がさがさと茂みが鳴った。

 驚いて振り返ると、茶色い野うさぎがこちらを見ていた。


「あれは?」

「あれはうさぎです」

「普通の動物だよね。魔物と他の動物ってなにが違うの?」

「魔法が使える動物は総じて魔物と呼ばれてますよ」

「でも師匠は、魔法はきちんと儀式を組まないと使えないって言ってたよ。魔籠を使えば別みたいだけど」


 ルルはひとつ頷いて、説明してくれた。


「魔法使いは様々な霊や自然の力を儀式を経由して取り出すんです。人間の目に見えない力を、儀式っていう目に見える形にわざわざ変換してるんですね。でも、人間はそうしないと自然を理解できないんです。もっとも、これでも上っ面を形に表しているだけで、本質を理解しているとは到底言えないとされていますけど」


 ルルは野うさぎに近寄ると、しゃがんで手を伸ばした。野うさぎは一瞬にして身を翻し、茂みに消えてしまった。


「でも魔物は違います。自然と直結している……というか、自然そのものです。理解しようとかそういう理屈でなく、魚が泳ぐように、鳥が飛ぶように、これが魔物の魔法だそうですよ。だから儀式なんて必要ないんです」


 なんだか感覚的で難しいが、腑に落ちないことがある。


「人間も自然の一部じゃないか」

「いいところに気づきますね。さすが、おじさまです」


 ルルはにっこり笑いかけて褒めてくれた。ちょっとうれしい。


「人間が自然を理解できなくなったのは知性を獲得した代償だとか言われています。でもですね、本当に稀ですけど、そういうふうに魔法を使える人間がいます。儀式もせず魔籠も使わず、自然そのものを感覚だけで理解している人です。だからわたしは、知性のせいだとは思っていません。きっとわたしたちが忘れてしまった何かがあるんですね」


 きっとルルはしっかり勉強してきたのだろう。師匠から教わったのか学院の教育かはわからないが、教えられたことを鵜呑みするのではなく自分としての意見を持っているところに感心してしまう。


「ただし、自然への理解だけでは魔法を使うことは出来ません。魔法を使うには魔力と意思が必要です。これらの条件を併せ持つ生き物は珍しいんです」

「えっ、でも魔物っていっぱいいるんじゃ?」


 退治しないといけないくらいだから、勝手にそう思っていた。


「はい。ここ数年のうちに、過去の常識から外れた魔物が大量に出没するようになりました。これらが発生しはじめたのと同時期、同じく普及し始めたものがあります」

「……魔籠?」

「あたりです! わかってますね」

「あの熊もそれ?」

「はい。エメラルドグリズリーの額に埋まっていた宝石。あれは単純で粗悪な魔籠のようなものです。魔籠を使えば、明確な意思がなくても、ほとんど本能に近いような目的意識や弱い感情のようなものでも一応魔法が起動します。あの晩おじさまが使ったような感じですね」

「そういえば気合だとか言ってたね」

「なぜ魔籠を持った動物が生まれるようになったのか、よく知りません。誰かが捨てた魔籠を動物が取り込んだ結果だとか、意図的に魔物を作っている人がいるとか、いろいろ言われてはいますけど」

「迷惑なやつがいるもんだな」

「本当ですね」


          *


 だいぶ進んできた。背後は木々に覆われて、森の外が見えない。ルルは帰り道をわかっているのだろうか?


「今、何か聞こえました」


 ルルが立ち止まって言う。僕も立ち止まって耳を済ませてみる。

 がさがさと茂みを掻き分ける音。動物か、魔物か……?


「いました。あれです」


 ルルが声量を落として前方を指差す。木々の隙間から姿が見える。恐ろしい巨体の熊。そして額に輝く緑の宝石。エメラルドグリズリーだ。こちらには気づいていないか?


「よし、練習には丁度いいな」


 意を決する。まずはやってみるか。前回は必死だったけど、いざこちらから仕掛けようと思ったらなんだかドキドキしてきた。


「フィジカルライズ」


 しっかり目的を意識して唱える。靴に刻まれた記号が一瞬輝き、全身に力が充足する。あの晩のように大声を出す必要なんて全く無かった。コツをつかめた気がする。


「距離があるし、前と同じ方法で片付けるぞ」


 僕は左手を突き出し、エメラルドグリズリーへと向けた。視界は通っている。大丈夫だ。


 隣でルルが「がんばって、おじさま」と小声で呟いた。


「いくぞ……ファイヤー!」


 指輪が煌き、火球が出現。周囲に熱波をふりまく。

 さすがに相手も気づいたか、こちらを向いて立ち止まる。だが、もう遅い!

 火球が射出された。猛スピードでエメラルドグリズリーの腹に直撃。小規模の爆発が起こり、熱風が辺りの木々を一斉に揺らした。


「よしっ」


 気持ちのいいクリーンヒットだ。思わずガッツポーズをしてしまった。


「待ってください!」


 隣でルルが息を呑む。一体どうした。

 爆炎と煙が晴れると、そこにはエメラルドグリズリーが立っていた。前回は一撃で倒せたじゃないか。どういうことだ。


「魔法で強化されています。魔籠を壊さないとダメです」

「そういうことか……」


 言われてみれば、あの時は顔面に当たっていたような気がする。あれで額の宝石が砕けたのか。まぐれ当たりだったか。

 エメラルドグリズリーはしばらく怯んでいたようだが、すでに体勢を立て直していた。明らかにこちらへ敵意を向けているように感じる。


「来ました!」


 細木をなぎ倒しながらこちらへ走ってくる。速い。ルルをつれて距離をとるのは難しそうだし、こうなったらちょっと怖いが仕方がない。近接攻撃を試してみよう。


「いくぞ」


 前方へ跳躍。フィジカルライズの恩恵で身体が恐ろしく軽い。自分でもびっくりな超人的動きが出来る。木を足場に跳ね回りながら、身体に勢いをつけてゆく。

 敵は目の前だ。僕は足を上げて額の宝石を狙う。


「ファイヤーキック!」


 足の周りに炎の渦が発生した。熱いぞ!

 敵も腕を振り上げる。鋭い爪に一瞬背筋が寒くなるが、あの晩は顔を殴られても耐えられたんだ。恐れてはいけない。

 僕の蹴りがエメラルドグリズリーの額に直撃!

 何かを砕いた感触が確かに足から伝わってくる。

 勢いに任せて、そのまま空中で一回転。炎の尾を引いて、僕は華麗に着地した。

 僕が振り向くのと、エメラルドグリズリーが倒れ伏すのはほぼ同時であった。


「やった! おじさまカッコいい!」


 ルルが駆け寄ってきた。

 砕けた緑の宝石が散らばり、エメラルドグリズリーは倒れたまま動かない。


「どうよ」


 柄にもなく誇ってしまった。だって今の絶対カッコよかったぞ。


「足、大丈夫でしたか?」

「ちょっと熱かったけど、大丈夫」

「よかった。これもファイヤーブレスみたいに火傷しちゃうかと思って」

「先に言ってよ」


 言われてみればそうだ。足に炎を纏うとか言われた時点で気づくべきだった。


「これは足に直接当たるようには作ってないので大丈夫かなとは思ってましたけど、ちょっと心配で」


 ルルはそう言いながら、エメラルドグリズリーの死体に近寄ってしゃがむと、砕けた宝石を集め始めた。


「討伐の証拠ですよ」


 なるほど。

 僕も手伝って集めると、まとめてルルの鞄に収めた。少しヒヤリとする場面もあったが、結果は上々だ。


          *


 その後、森をしばらくうろついてエメラルドグリズリーを一体と、ルビーウルフという狼型の魔物を二体倒した。

 そして今、三体目のルビーウルフにトドメをさすところだ。


「ファイヤー!」


 魔法の炎が炸裂。ルビーウルフは爆風で吹き飛び、周囲に赤い宝石が砕けて散った。


「調子がいいね」


 僕は宝石を集めながら言う。


「でも小物ばかりですね」

「そうかな? エメラルドグリズリーはここらじゃ強いほうなんでしょ? それに、こいつだってそんなに弱くはなかったよ」


 ルビーウルフはエメラルドグリズリーのようなパワーは無かったが、とにかく小回りが利いてすばしっこかった。直接蹴りや火球を当てるのが難しかったので、至近弾の爆風に巻き込み弱らせて倒すという、ちょっとした小技を使っている。


「はい。でも、もっと強いのを倒さないと」


 表情が真剣だ。


「そんなに焦らなくてもさ、師匠も分かってくれるよ」

「だといいんですけど……」


 ルルは森のさらに奥を見つめている。


「もっと奥に進みませんか? 大物がいるかもしれません」

「奥か」


 僕もルルと同じく奥に目をやる。茂った木々はここまでと変わらず。今はまだ日が出ているが、あまり帰りが遅くなって暗くなると危険だろう。


「夜になったら危ない。そろそろ帰ることも考えないと」

「まだ明るいです。もう少し進めると思うんです」


 ずいぶん押してくるな。

 僕も少し考える。


「この森でエメラルドグリズリーより強い魔物は?」

「ダイヤモンドボアっていう大きな蛇の魔物がいるらしいです。奥の奥にある池の周辺で一度だけ目撃されたそうですけど」


 僕は少し迷う。

 奥の池か。どのくらい進むのかわからないけれど、一度しか目撃されていないような魔物を探していると夜になる可能性があるな。


「おねがいします」


 僕が思案していると、ルルが訴えかけてきた。本当に僕に賭けているんだな。少し危ない気がするが、そこまで言われるとどうしても断りづらい。


「……分かった。行こうか。そいつを倒して早く帰ろう」

「はい!」


 ルルの表情は晴れやかだ。でも僕は不安をぬぐいきれないでいた。

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