第6話 嵐の前のなんとやら
玄関の扉を開けると、そこには朝日を背にした小羽の姿があった。
少し大きめの紺のブレザーが、小柄な小羽をさらに小柄に見せている。
うん、そこがまた可愛い。
「正ちゃん、おはようございます」
俺に気付いた小羽は、途端に笑顔になって朝の挨拶をした。
「お、おう、おはよう小羽」
動揺気味に挨拶を返す俺。
そんな動揺を笑って誤魔化す俺。
その笑顔が引き攣っている俺。
あああ、なんか自然に出来ない俺っ!
何故俺がこんなにも動揺しているかというと、昨日小羽が出した要求というのが『一緒に学校に行ってください』というものだったからだ。
なんなのそれ? なんなのそれ? どういう意味なの?
っとそんな感じで、それがどういう意味なのか、ずっと気になって昨日から悶々としていたわけだ。
「さあ、正ちゃん。学校へ行きますよ」
小羽はそう言うと、俺の袖を引っ張って大きく一歩を踏み出した。
「お、おい、引っ張らなくてもいいだろ」
「早くしないと遅刻してしまいますよ」
小羽は少し声を上ずらせながら、こちらを見ずに歩いていく。
「遅刻って、俺いつももっと遅く家出るんだけど……」
「そんな事だからいつもギリギリなのです。これからはこの時間に学校に行きますよ、いいですか?」
「は、はい……」
うう、昨日の交換条件があるから逆らえない。
俺の睡眠時間が……。
……まぁ、……いいか。
学校への道のりは、まず十分ほど歩いて駅のターミナルまで行き、そこから出ているバスに乗って二十分ほどである。
バスと言っても学校専用のスクールバスとかではなく、普通の市営バスを利用しているので一般客に混じっての混雑した中の登校なのだ。
いつもならうんざりするラッシュも、今日は小羽がいる。
やべぇ、考えただけで興奮する。
あれだろ、バスが揺れたら合法的に体がくっ付いたりするんだろ? ……あれ? 合法なのか?
いや、たぶん大丈夫だろ。世の中の出来事はだいたい不可抗力で済ますことが出来るらしいからな。
そうなると、バスの揺れを利用して……。
「正ちゃん、どうかしたんですか?」
どきぃぃぃぃ!!!
な、なんだ、思考を盗聴されたのか!?
「な、なんだ!? ど、どうもしないぞ?」
「そうですか? なんだか、おちんちんを腫らした時と同じ顔をしてましたよ?」
「おい、やめろぅ! ほんとにそれはもう忘れるんだ!!」
小羽は「だめです」と言って頬を膨らませる。
くそぅ、このネタをずっと使ってくる気か、小羽め……。
だいたい女の子がそんな言葉を連呼するなんてどうかと思うぞ正ちゃんは!
「正ちゃんはすぐに忘れろと言うけども、私には大事な思い出なんです」
そう言って、小羽は頬を膨らませたまま俺に指を突き付けてくる。
「……もっと他にもあるだろ、大事な思い出はさ」
俺は肩を落として溜息を一つ吐いた。
「そんな事よりも正ちゃん、今日のお昼はお弁当ですか?」
「ん? いや、俺いつもパン買うか学食だけど?」
「やっぱりですか。そう思って、正ちゃんの分のお弁当を作ってきました。お昼は一緒に食べましょう」
「えっ!? いいの? いやそりゃ嬉しいけど、大変じゃなかったか?」
手作り弁当、だと!?
なんだよ、なんだよそのリア充な響きはよ、これはあれかフラグが立ったってやつなのか!?
やっべ、ちょっと緊張してくるじゃない!
「大丈夫です。昨日、正ちゃんの小母さんにも頼まれたのです」
おかあぁぁぁぁぁんんんん!!!!
ぐあぁぁ、やめろよぉぉ、そういうことはよぉ!! 親が頼み込んで手作り弁当作ってもらうとか、痛々しいにもほどがあるだろうがよ!!
くそう、なんだよ、フラグかと思ってぬか喜びしてしまったじゃないか……。
「そ、そういや、昨日帰り際に何か話してたな……。何、話してたんだ?」
「正ちゃんが最近、通販で何かを買っているらしいので私に調べてくれないかと……」
おかあぁぁぁぁぁんんんん!!!!
やめろよぉぉほんとにぃぃぃ!!! 息子の一番デリケートなところじゃねぇかよぉぉ!!
なんで女ってのは何でもかんでも知りたがるんだバカ野郎!!
「こ、小羽、そこには絶対触れてはいけないぞ。それはその、あれだよ、この世界の触れてはいけない禁忌の中の一つなんだよ。その深淵を覗くとみんなが不幸になるんだから、絶対に調べちゃダメだからな」
そう、それは誰も得をしない、皆を不幸のどん底に叩き落とす。
とてもとても危険な真実がそこにはあるのです。
「でも、小母さんに頼まれているのです」
「そんなの律儀に守らなくてもいいんだよ……」
「……小母さん仕事忙しいから、きっと正ちゃんの事が心配なんだと思うのです」
「違う違う、あれは単なる覗き趣味だ。人の秘密を暴くのを生きがいにしてるんだよ」
「……でも、…………」
小羽は俯いて言葉を失ってしまった。
う、……やめろよ。
そんな情に訴えるようなのは……。
「……そ、そうだな、母さんには参考書を買っていたと言っといてくれ。そうしたら、小羽にご褒美をあげよう。それでどうだ?」
「ご、ご褒美……!? ご褒美とはなんですか!?」
「えっ!? そ、そりゃもう、小羽の喜ぶ凄いやつよ」
やばい、そんなに食いつくとは思ってなかったから何も考えてない……。
「解りました、小母さんにはそう伝えます!」
小羽はそう言って敬礼をするように右手を上げた。
これは子供の頃の小羽がよくしてたポーズだ。
俺を隊長か何かと思ってたのか、小羽は俺に返事をするときによくこのポーズをとっていた。
なんだか、一瞬だけ昔の小羽と今の小羽がだぶって見えてしまった。
「ははは、懐かしいなそれ」
「えへへ、ところでご褒美って……」
あんなポーズ一つで、少しだけ三年のブランクが埋まった気にさせられた。
少し、小羽の事を凄いと思った。
☆
駅前バスターミナル。
通勤や通学でごった返す朝の日常風景。
俺たちの学校は徒歩で通学する以外では、バスで通学するか自転車で通学するかの二つである。
バスは混雑するので自転車で通学する人が多いので、バス停に俺たちの学校の生徒はちらほらと見かける程度なのだ。
それ故、バス停でクラスメイトに会う事は少ないのだが……。
「あら桐山君。おはよう、今日は早いのね」
「げっ、花野井っ。お前もこのバスだったのか……」
俺に声を掛けてきたのは『
見た目は綺麗な顔をしていてどこぞのお嬢様かといった雰囲気を持っているのだが、何かと残念な性格をしている女なのだ。
そして、何故か俺に対してハラスメント的な事をしかけてくるとんでもない奴なのだ。
「あら、その反応は何? まさか今日私の夢でも見て、何かしらの気まずくなるような事象が起こったとかかしら?」
「お前は朝っぱらから何を言ってんだ……」
小羽といるときに、こいつとだけは会いたくなかった。
なにせこの花野井という女は、授業中に小学生が描いたのかと思うような絵で女の裸を描き、それを俺に見せつけて『どう、興奮した?』とか訊いてくるやつなのだ。
こんなのが小羽と仲良くなってしまったらどんな悪影響を及ぼすか……。
「……正ちゃん?」
俺の後ろから小羽が不安げな声を掛けてくる。
「あら、桐山君その子は誰なの? ひょっとして、……桐山君の彼女、とか?」
ちっ、気付きやがったか。
「ああいや、これは――」
「いつも正ちゃんがお世話になっています。槙城小羽といいます」
そう言って小羽はぺこりとお辞儀する。
何そのお前は俺の母ちゃんかっていうような挨拶は……。
「どうも、花野井香です。……いつも桐山君がお世話になってます!」
何故お前もそこで対抗する?
「小羽とは幼馴染だよ。家が隣同士で、小さい頃からよく遊んでたんだよ。言っとくけど、幼馴染といってもお前が考えてるような幼馴染じゃないからな」
「あら桐山君、私が考える幼馴染とはどんな幼馴染かしら? 詳しく訊かせてくれないかしら」
「そんな事をこんなとこで言える訳ないだろう。何言ってんだお前は」
こいつのことだから、どうせ変態的な事を考えているんだろう。
だが、俺はそんな手には乗らないのだ。
こんな所で俺の妄想を赤裸々にぶちまけては奴の思うつぼだからな。
「あらあら桐山君、随分つれない言い様じゃない? 私達はお互いの恥ずかしいとこを見せ合った仲だというのに」
「ちょっ! お前変な言い方――」
「は、恥ずかしいとこ?」
花野井が誤解を生むようなことを言うから、小羽が驚いた顔でこちらを見てくる。
こいつ、常に攻め手を忘れないとは、やはり侮れないやつだ。
「こ、小羽、誤解するなよ。ただテストの答案を見せ合っただけだからな。あと、こいつは何かと頭が残念だけど気にするんじゃないぞ」
俺がそう言うと、小羽は眉をきゅっと上げて頷く。
「恥ずかしいとこなら、私も昨日見たのですっ!」
「おおい!! やめろぅ!!」
それはマジの恥ずかしいやつじゃねぇか!
俺は慌てて小羽の口を押さえると、小羽はモゴモゴと俺の手の中で何かを喋っている。
誰にも喋らないって約束はどうなったんだよ、ちくしょう!
「おい、花野井、今のは何でもないから気にするなよ」
「あら、その恥ずかしいとこに興味があるんだけど、その辺の所を詳しく聞かせてくれないかしら」
「だからそこを掘り下げなくていいんだよ!!」
小羽は俺の手を除けて、花野井を目の前にする。
「だめです。これは正ちゃんと私だけの秘密なのです」
「おお、小羽、お前を信じてたぞ」
できれば秘密がある事自体を隠してほしかったけどな。
しかし花野井はこんな事では引き下がらない。
「じゃあ、私だけが知っている桐山君情報と交換というのはどうかしら?」
「しょ、正ちゃん情報!?」
「やめろっつってんだろうがよ!!」
なんなんだこの流れは!
こいつら結託して俺を辱める流れなのか!?
小羽も動揺してるんじゃない! 俺との約束を守り通すんだよ!
「小羽、こいつの甘言に乗るんじゃないぞ。あれは悪魔の囁きだ、絶対に耳を傾けちゃだめだ」
「桐山君、私と槙城さんとの交渉を邪魔しないでくれるかしら」
「邪魔するに決まってんだろうが、そんなもん!!」
バスを待つ他の人たちがこちらに目を向けるくらい大声を張り上げてしまった。
小羽は手を翳して俺を制してくると、顔を寄せるように詰め寄って来る。
「正ちゃん、あまり騒ぐと周りの人に迷惑です。あと、花野井さんだけが知ってるという情報、そこのところを詳しく!」
そこに食いつかなくていいんだよ!!
って叫びそうになったが、迷惑だと言われたばかりなのでぐっと堪えた。
「ほら、槙城さんも知りたがってるようじゃない。桐山君だけよ、嫌がってるの」
「そりゃそうだろ!! 全部俺の事なんだからよ!!」
くそっ、こいつら何か目がマジだ。
何故だ、何故、俺の秘密を暴こうとする!?
「正ちゃん、落ち着いてください。情緒が不安定になってますよ」
誰のせいだよ!!
「槙城さん、大丈夫よ。桐山君が今日はイライラしているのは男の子の日だからなの」
「小羽に変なこと吹き込むな!!」
だめだ、この花野井だけは早く何とかしないと、小羽が毒されていく。
それだけは何としても阻止せねば!
俺たちがそんなやり取りをしていると、ようやくバスが停留所にやってきた。
そのバスに乗り込みながら、小羽が男の子の日について訊いてきたがそこは適当に濁しておいた。
俺たちを乗せたバスは、この先に起こる事を暗示するかのように荒々しく発車する。
そして、次の事案が発生するのです。
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