第2話:これから

 数日後、私とみかは二人で通学路を歩く。特に話すこともなく、二人の足音と周りから聞こえてくる子どもたちの練習の声と吹奏楽部が練習する音が聞こえてくる。子どもたちの声の後には、鋭い金属音が響く。少年野球だろうか。吹奏楽の練習は教室から色々な楽器の音色が乱れあっている。パート練習かな。やがて退屈な私の意識の方向はみかへと向かう。

「そういえばさ、みかは結局進学の話はどうするの?」

「――私、進学するわ」

「そっか、そうなると私とさあやが就職か~。まぁみかはそんな気がするもん。どこの大学いくの? やっぱ地元の私立?」

「いや、東京の大学に行く。だからここからは離れる」

 私はその言葉を聞いて、最初何を言っているのかわからなかった。

「東京の……えっどういうこと?」

 私はまるでみかの言葉を取り消すことを懇願するような表情で、彼女にもう一度答えを促す。

「東京の大学に私は行く。だから合格すれば来年の春には上京する。今までのように私たちは一緒にいられなくなる」

 私はミルクティーを持つ右手の感覚が軽くなるのを覚える。やがて体のあちこちにぽたぽたと何かがこぼれたような感覚に襲われる。しかし今はそのような事さえどうでもいいと感じられるほどに、私の心は動転していた。

「えっ……じゃあ……」

 なんといえばいいのか分からなかった。私は少しずつ彼女の言葉を飲み込もうと試みる。

「ごめんなさい。本当は私もあなた達と一緒にいたいと思っている。大学に行っても、就職するにしても、地元から通う形にして、大人になってもあなた達と時々遊んだりできたらと思っていた」

 そして彼女は一息置く形で間を取り、再び次の言葉を紡ぐ。

「でも私、東京の大学で天体について学びたいの。私が目指す大学はそういう分野の研究が充実しているし、ぜひ教えを請いたい教授もいる。地元の私立にはそういった大学はないし、どうせ研究するなら、本気でやりたい」

「そんなの……急すぎてなんか寂しいな」

 私はつい本音が零れてしまう。わかっている。自身の言葉がただ彼女を困らせてしまうという結果になってしまうことは。もちろんこれを言ったからといって、彼女の覚悟は変わらないという事は。

「……私いつまでたっても、この三人での日常は変わらないものだと思っていた。今みたいに毎日集まることはできなくても、きっと三人でいつものように集まったりすることはできるんじゃないかなって……みかは勝手だよ」

 私は思っていることを淡々と語る。いや正しくは自分の感情を――わがままを吐露しているだけだ。そうすればみかは何かリアクションを取ってくれるだろう、そんな一方的な感情に任せただけのもの。この言葉を終えるころには、彼女はとても複雑そうな目つきで私を見つめる。怒りも、悲しみもない、その瞳に映っているもの、今だけはそれが分かるような気がする。

「……ごめん」

 彼女は私にそう告げ、カバンを背負い、公園を後にする。ミルクティーで濡れているところが肌にあたり、そこに夏の終わりを伝えるかのような冷たい風が流れた。


 次の日私はさあやに相談することにした。さあやはきっとまだみかが東京に行くことはおろか、進学することすらまだ知らないはずだ。

 今の私だけではどうすることもできない。どうすればいいのか、さあやなら知っているかもしれない。さあやにも知らせないと。ラインで『今から会える?』と聞いたところ、『夕方からなら会える』と返信があったので、結局18時に例の公園に集合することになった。

 私は自転車を飛ばし、集合場所である公園に急ぐ。別に遅刻しそうというわけではなかったが、一刻も早くさあやにみかのことを伝えたかった。私は吹き出る汗をぬぐう。その一方で口から肺へ入る十月の少し寒い風が肺に染み渡る。秋の夜風が口腔を乾燥させる。今はそれでもかまわない。とにかくさあやに相談して一緒にどうすればいいのか考えたかった。その衝動が私の足に力を与えた。

 集合場所につくと、さあやはすでに到着していたようで、近くに自転車を置き、スマホをいじっていた。十月ということもあり、夏とは違い、この時間でもだいぶ暗い。蛍光灯がつき始め、その光に虫が集まり始める。私は彼女のもとへ駆け寄る。

「さあや、ごめん待った?」

 私の到着に気づいたさあやがスマホをポケットにしまう。

「いや、全然。今来たところだから」

 心なしか、口元が少し緩んでいる。ラインでもしていたんだろうか。やり取りしていたのは誰だろう。やっぱり彼氏なのかな。私の中で色々な考えが浮かんだが、今日さあやに話しかけた理由を思い出し、私はさあやに問う。

「みかのこと、聞いた?」

「みかのことってなんだ?」

 突然の質問にさあやはきょとんとして私に聞き返す。それはそうだ、と私は説明を試みる。

「えっとね、みかが大学に進学するんだって」

「そうなんだ」

「……えっとそれだけ?」

「それだけってなんだよ」

 私はさあやの返答に戸惑いを隠せない。私は前のめりになり、彼女に畳みかける。

「えっと東京だよ? 来年の春からここを離れるって」

「あー、まじか」

 その興味のなさそうな返事に私の沸点は次第に上がっていった。

「まじかって……それだけ?」

「いや、だってどう答えたらいいの? おめでとうとでもいえばいいのか」

 彼女の言葉に私の沸点がふつふつと上昇していく。

「あの子は東京に行っちゃって、私たちは一緒じゃいられなくなるんだよ。今みたいにこの公園に集まることもできなくなっちゃうんだよ」

「いやでもそれは本人が決めた事だから仕方ないだろ」

 叩き出された反論に私はうまく答えることができなかった。ふつふつと湧き上がる怒りのすぐそこにひっそりと感じる罪悪感。その正体は私のわがままな感情の押し付けでしかない。私は彼女の言葉に心臓を鷲づかみにされたような感覚を覚える。

 やがて私とさあやの間に沈黙が流れる。さあやは気まずそうに髪の毛を弄る。この子の癖だ。

「ねぇ、どうしたの? ちょっとおかしいかもよ?」

 私は目を見開く。自身の感情と理性が相反する。理解はできるがそれを受け入れることはできない。そんな板挟みに私はただただ声を荒げることでしか立ち向かうことはできなかった。

「……うるさいなぁ!  さあやなんか冷たくない?」

「はぁ、何言ってんだ?」

「私たちずっと一緒だったじゃん」

「でも大学に行くってなんなら仕方ないだろ」

「さっきから仕方ない仕方ないって、そればっか。そもそも彼氏ができた途端に、私達の事はほぼ無視。一緒に帰ったり、一緒に話したりすることもだいぶ減った! 最後に話したのいつだよ!」

「いやなんでお前にそんなこと言われないといけないんだよ。確かにかおり達と話す時間は減ったけど、でもカレとの時間も大事なんだよ」

 私は彼女の言葉にたじろぐ。

「なぁやめようぜ、こんな言い合い。ちょっとさ頭冷やそうぜ?……な?」

「……さあやはいいよ、彼氏がいればいいんだからね。後はどうでもいいんだもん……」

 突如、公園中には甲高い音が鳴り響き、私は気づいたら横を向いていた。いや向けられていた。左の頬にはヒリヒリとした感覚が強く残っている。私はやがて自分がさあやからはたかれた事に気付いた。私は目を見開き彼女を見つめる。

 その表情は怒りにも悲しみにも似つかない、きっとそれが混在した表情をしていた。今にも泣きだしてしまいそうな、それでもその涙は怒りに燃えているような気さえするようなものだった。私は次第に我に返り、自分が彼女に放った鋭利な言葉の数々を思い出す。もう取り消す事の出来ない事実が判然とした形で私の目の前に立ちはだかる。私はその罪悪感に心が震える。それに呼応して、私の唇も震えている。

 やがて彼女は何も言わずに自転車の下へ駆け寄り、私を置いて、公園を後にする。私はさあやの方へ手を伸ばす。彼女は私から遠く離れていく。決して届かない距離まで。私は雲をつかむような手を伸ばし、彼女の後姿をただただ見つめる。自分の力だけで立つことが出来なくなり、膝から倒れてしまう。膝が震える。やがて今起こった出来事が脳裏に映される。全身が自責の念に駆られ、震えだす。

「なんであんなこといっちゃったの……」

 さあやが私に言った言葉を思い出す。

『あいつを応援してやるもんだろ』

 そして私は自身の言葉を反芻させる。

『さあやは冷たいよ』

 いや違う。私は自身の言葉を否定する。彼女は冷たいのではなく、ただただ応援してくれているのだ。もちろんそんなことは理屈としてわかっている。それなのに、どうして自分の心はこうも煮えつかないんだろう。どうして彼女にあんな言葉を浴びせてしまったんだろう。目をつむる。やがてそこから見えてくるのは私たち三人が一緒に過ごした日々。一緒に遊びに行ったり、旅行に行ったり、たくさんの日々を共有してきた。その思い出が一斉に真っ暗な視界の中からめぐるようにしてよみがえってくる。やがて呼吸が苦しくなる。しかし呼吸が苦しいのはきっと自分の器量の小ささに自分が耐えられないからだろう。友達のこれからを素直に応援できない心の小ささからくるものだろう。私は再び、目頭が熱くなる。

「私は卑怯で……わがままだ……大バカだ……」

 私は一人そうごちり、暗闇の中、体を震わせながら嗚咽を漏らしていた。


 土曜日の朝、私はいつもより少し遅めに起床する。何もやる気になれない。結局昼過ぎまで寝てしまった。

 ベッドから起き上がり、私は壁のコルクボードに貼ってある写真に視線を移す。そこには私とさあやとみかが紡いできた思い出がたくさん詰まっていた。

「……これは自然教室の時か」

 私たち三人が一緒にベッドの上でピースをしている写真だ。三人で枕をもって、談笑しあっている。あの時何を話していたんだっけ。たぶんしょうもないこと。このころは今みたいに仲良くなかったし、いじったりしてもいいのか分からない関係だった。

 その隣には二年の修学旅行の写真。スキーに行った。みかがものすごく運動音痴でスキーがすごく下手だった。結局さあやが教えていたんだっけ。みかのあんな恥ずかしそうな表情はあの時初めて見た気がする。ここから徐々にさあやがみかをいじるようになったんだ。そしてみかの毒舌が火を吹くようになるんだ。

 今年の冬に行ったネズミーランドの写真。三人で夢の国を満喫している様子を写真に収めている。さあやがここのマスコットキャラクターを溺愛しており、正直ちょっと引いてしまった。

 仲良くなっていって、それぞれの悪いところや弱点を見つけて、それを少しずついじれるようになっていった。関係は変化する。でも関係が終わるわけではない。分からないけど、私たちが一緒に過ごした三年間を簡単に終わらせたくない。 

 私は手元にある携帯を取り出す。

『今日の夕方公園に来て。絶対来て』


 私は通学路を通りながら、三人で築いてきた思い出を振り返る。三人で毎日を過ごすことはできなくても、会う頻度が減ってしまっても、きっと「久しぶり」といい、今と同じように、会話に花を咲かせることが出来るだろう。

『まぁ私たちの会話に花なんてないけどね』

 みかなら今の言葉はきっとこう突っ込んでいただろう。それにきっとさあやは嫌みを言う。なんとなく想像できてしまう二人のやり取り。それは決して高校の三年間だけでなく、これからも続いていくような景色。ただちょっと頻度が変わるだけだ。関係性は変わらない。


 やがて公園に到着する。いつも集合するベンチのところにはさあやとみかが一足早く到着していた。二人ともスマホをいじっている。私は二人のもとへ急ぐ。

「ごめん、遅くなって」

 私は到着が遅くなったことを詫びる。みかが「いや、いいよ別に」といってくれる。さあやは頑なに私と視線を合わせようとしない。当然だ。あんなことを言ったんだから。私は二人を見つめ、そして――

「私応援しているから!」

 二人は突然の発言にきょとんとしている。

「みかは大学の勉強頑張ってね。私じゃ力にはなれないけど、話し相手くらいにはなれるから」

 そして私は今度さあやの方を向く。

「この前はひどいこと言ってごめんね。私が悪かった。――さあやは彼氏と仲良くしてね。でもたまにならのろけ話とか聞かせてよ!」

 私は思いのたけをぶつけた。この気持ちが二人に届けと切に願いながら。

「……いや、私の方こそ悪かった。てかのろけ話とか聞いても楽しくないし」

 最初に口を開いたのはさあやだった。少しの照れが入っているような気がして、さあやらしいなと私は笑う。

「ありがとう。受験頑張る。たまにはこっちに帰ってくるから。その時また遊ぼう」

 そしてみかが返してくれる。みかが自分から遊ぼうと誘ってくれたという事実に私は喜びをかみしめる。

「……てかとりあえず自販機でジュース買ってこない?」

「じゃあ、ジャン負けにしようよ」

 じゃんけんの結果、私が買いに行くことになってしまった。さあやが「ホット系の飲み物一つ」、みかが「炭酸じゃなければなんでも」と注文をしていく。私はその指示に従って、みかには緑茶を買う。さあやにはちょっと悪戯をしたくなった。私はおしるこを買って、彼女に渡す。彼女はおもむろに嫌な顔をして――

「お前、覚えとけよ」

 と私を睨んだ。そんなこと気にしないとばかりに、私は二人と一緒にベンチに腰掛ける。

「……てかさ、あんた、私が彼氏できないって言ってたの取り消しなさいよ」

 さあやがみかを睨みながら彼女に抗議の視線を向ける。

「いや、たぶんその内、あんたのガサツさに愛想をつかして、破局してる未来が見えるから取り消さない」

「おい、誰がガサツよ。ぶっとばすぞ」

 二人のやり取りを私は眺める。

「ほんと、二人は仲がいいなぁ」

「どこがっ!」

 そうして私たちは笑いあい、気づけばいつもの放課後を過ごしていた。

 私はふと、空を見上げる。夕方の空だ。きれいなオレンジ色は私を少し寂しい気持ちにさせる。しかしその色はすごく純粋で美しいものだった。


                    完


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『久しぶり。最近どう?』 としやん @Satoshi-haveagoodtime0506

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