走れ光太郎

増田朋美

走れ光太郎

走れ光太郎

その年、富士市の町おこしのため、地元で駅伝大会を開催することになっていた。地元の有力な選手を招いて行うのかと思われたが、全国各地の大学から、有能な選手を招いて行うという、いわば箱根駅伝に近いような大会になるらしい。部門は女性の部と男性の部と二つあり、結構有名な大学の選手が、富士市に集まってくるという事で、富士市は、大賑わいになっていた。

まあ、こんな大会、歩けない蘭には無関係だという事で、蘭はそんなこと気にも留めなかったが、とりあえず出場している大学の名は、気になった。

「へえ、城西大学に、大東文化大学まで出るのか。はあ、いろんな大学があるもんだなあ。」

蘭は、新聞に書かれている出場大学一覧を見ながら、大きなため息をついた。

「なかなか知らない大学もあるもんだなあ。」

大学一覧には、何処にあるのかわからない、大学まで載っていた。きっとこういうモノに出て、少しでも大学の名を売り出そうとする魂胆は丸見えだった。

「どこが出るんだって?」

近くで、お茶を入れていたアリスが、そう蘭に聞くが、

「まあ、駅伝大会だから、僕たちには、関係ないよ。」

と、蘭は、新聞を、ごみ箱に捨てた。

どうせ、駅伝大会何て、たいしたことはない。唯、大学が名前を売るためにやっているだけの事である。と、蘭は思っていたが、こういう見方もあるようだ。

そのころ、杉ちゃんと、水穂は、バラ公園を散歩していた。バラ公園は、近隣に遊園地ができてしまってから、年寄りばかりが来訪するようになっている。若い人は、近隣の遊園地へ行ってしまうのだ。通りがかりの挨拶してくれる人も、大体が年寄りばかりだったが、その中に、トレーニングウェアを身に着けた、若い男性が、走っているのが見えた。

「あれれ、あの人、何をしているんだ。」

と、杉三が言うと、

「ああ、もうすぐ富士山駅伝が開かれるから、それで、練習しているんでしょう。」

水穂さんが静かに答えを出す。

「でも、見慣れないジャージだな。この辺のやつじゃないぜ。」

「まあ、確かに全国各地から、集まってきているもんね。」

杉ちゃんと水穂はそういうことを言い合って、バラ公園での散歩を続けていた。暫く歩くと、水穂さんが、疲れてしまったようで、どこかに座ってもいいかと言い出した。じゃあ、あずまやで休もうか、と、杉ちゃんは、彼を、あずまやのある方へ連れて行った。あずまやの椅子に座ると、水穂さんは二、三度咳をした。薬飲むかと聞くと、水穂さんはうんと頷いたので、杉三が近くにあった自動販売機へ、水を買いに行った。

ところが、水を売っているところが、高すぎて、杉ちゃんには手が届かなかった。とりあえず、御金を自動販売機に入れることはできたのだが、水を買いたくても、車いすの杉ちゃんには手が届かなくて、どうしても、買うことができない。

「おい、一寸お願いがあるんだけどよ。」

杉三は、ちょうどそこに走ってきた、一人の女性にお願いした。彼女は結構有名と言われている大学の指定のジャージを着ているので、すぐにそこの学生さんだとわかった。

「お願いなんだが、自動販売機のボタンを押してもらえないだろうか。」

しかし、その女性は、嫌そうな顔をして、そのまま走り去ってしまった。

「冷たいなあ。」

しかし、杉ちゃんは、そうしてもらわなければ水を買うことができないので、そのままお願いするしかたなかった。

もう一人、また別のエリート大学と言われる大学のジャージを着た、若い女性が走ってきたので、もう一回、自動販売機のボタンを押してもらえないか、と、杉ちゃんは、お願いしたが、彼女も黙ったまま、通り過ぎてしまった。

「あーあ、みんな冷たいな。これじゃあ、水も買っていくことができないじゃないか!」

そう言っても、事実は変えられず、やっぱり杉ちゃんは、誰かに代理でボタンを押してもらわないと、自動販売機で水は買えないので、三人目の学生に近づいて行った。今度は、若い男性で、一応走ってはいるけれど、なんだか自信がなさそうな、悲しそうな男だった。

「おい、自動販売機のボタンを押しておくれよ!」

と、杉ちゃんが言うと、彼は、いいですよと言って、一度走るのをやめて、自動販売機の方へ歩いて行ってくれた。そして、

「何が飲みたいのですか?」

と聞いたため、水と、杉ちゃんが即答すると、はいドウゾ、と言って、水のボタンを押してくれて、そして、出てきたペットボトルを杉ちゃんに渡した。

「ありがとうな。お礼に、これでも持って行っておくれよ。」

杉ちゃんが、車いすのポケットから、芋切干の入ったビニール袋を差し出すと、

「いえいえ、当たり前のことをしただけなので、お礼はいりません。」

と、彼は答えた。

「当り前って、そりゃ、法律では当たり前の事なのかもしれないが、現実問題その通りになったことなんて、一回もないじゃないか!」

杉三が笑ってそういうと、彼は、

「そうですよね。確かにそうかもしれないですが、でも、当たり前だと思っているので、お礼はいりません。」

といった。

「そうか。お前さん不思議なやっちゃな。さっきの二人の女の子みたいに、こういうやつに何か頼まれたら、黙って通りすぎちゃうほうが、当たり前なんだがなあ。」

杉三がからかうようにそういうと、

「でも、そうしなければ、自動販売機で買い物できないでしょう。だから、お礼はいりません。」

と、彼は言った。

「お前さん、見かけによると、どっかの大学の学生さんだと思われるが、どこの大学なんだ?まあ、大学で何でも判断するやつは僕は嫌いだが、珍しい態度をとったので、一応聞いておく。」

杉三はそう聞いた。

「あ、はい、明星です。」

と、彼は答えた。勿論杉ちゃんが、その大学の事を、はっきり知っているわけではない。ただ、

「ああ、そうか、ありがとうな。」

と、杉ちゃんは、お礼をした。

「これで、水穂さんも心おきなく、薬が飲める。」

と、車いすを方向転換させ、元来た道を帰ろうとすると、

「送っていきますよ。雨が降りそうなので。」

という彼。杉三は、それでは、よろしく頼むよ。と、にこやかに笑って、彼に車いすを預けることにした。杉ちゃんが口笛を吹きながら、あずまやに戻ってくると、水穂さんがすでに立って、帰りの遅い杉ちゃんを待っていた。右手には、朱く染まったハンカチを持っていた。

「杉ちゃんどうしたの?いつまでも帰ってこないから、心配だったよ。」

「おう、帰ってきたぞ。この親切な学生さんが、手伝ってくれたのさ。」

水穂さんがそう聞くと、杉ちゃんはにこやかに答えた。

「あれれ、右城さんではないですか。」

一緒に来た学生も、そんなことを言う。水穂が、なぜ自分の名を知っているのかと、彼の顔を見て驚いていると、

「あ、すみません。子どものころ、右城さんのコンサート聞きに行っただけの事です。印象的な演奏だったから、覚えていました。」

と、学生は言った。

「へえ、お前さん、こいつのファンだったのね。」

杉三がそういうと、彼も久しぶりにあこがれの人物にあえてうれしかったのか、水穂さんの顔を見てこういうのだった。

「ええ、子どものころ、右城さんのピアノを聞きに行って、ぜひ、音楽学校に行きたいと思ったんです。だから、明星に行ったんですけど、肝心のピアノの成績は、中の下で、足が速いからという事で、こうやって駅伝に無理やり出される事になってしまいました。本当は、ピアノの研究を一生懸命したいのに、なぜか大学は駅伝に力を入れすぎて、、、。」

「そうですか。今の音楽学校は、駅伝に出場することになるのか。そりゃ確かに苦痛でしょうがないわな。本当は、音楽の研究をいろいろやりたいだろうが、それなのに、そんなことをやらされちゃ、そりゃ、確かにつらいわな。はははは。」

彼の一言に、杉ちゃんもすぐそう反応する。その間に、杉ちゃんからもらった水で薬を飲んだ水穂は、杉ちゃんみたいに、にこにこ笑って話すという気にはならなかった。

「でもそれも、一理あるかもしれないですよ。今の時代は、少子化で、大学も名前を売らなきゃいけない時代ですし。そのために、駅伝大会に出なきゃいけないんでしょう。」

水穂は、しずかにそういうことを言った。

「今の大学は、昔と違って、いろんなことをしなければならないと思いますが、頑張ってください。」

「そうだ、お前さんの名前なんていうんだよ?」

急に杉ちゃんが、そういうことを言い出した。杉ちゃんという人は、突然こういう風に話を切り出す癖がある。

「僕ですか。僕の名前は、本間光太郎です。」

と、彼が言うと、

「じゃあ、走れコウタローだな。よし、走れ走れ、コウタロー。」

杉ちゃんが手拍子しながら歌いだす。

「ええ、これからも理不尽だらけだと思いますが、頑張ってください。」

水穂さんが、応援するように、彼の肩をたたいた。

「はい、ありがとうございます。実は、余りにも駅伝の練習ばかりさせられて、僕はどうしようかと思っていましたが、右城さんのおかげで走る気になれました。本番も頑張ります。有難うございます。」

と、にこやかに笑って挨拶する彼。そのまま引き続き走り始めた彼に、やっぱり若いものはいいなあ、と、水穂は、ほっとため息をついた。杉ちゃんは、相変わらず走れ走れコウタローと歌い続けるのであった。

「え?駅伝大会応援に行くのかい?」

その日、家にやってきた杉ちゃんにそういうことを言われて、蘭はぽかんとした顔をした。自分達には無関係な行事だと思っていたので。

「そうだよ。あの、本間光太郎ってやつを応援しに行くのさ。水穂さんは、動けないそうなので。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑うのである。

「本間光太郎。競馬の馬みたいな名前の選手だな。何処の大学の選手だよ。」

蘭が聞くと、杉ちゃんは、明星と答えた。

「なんだ、底辺の大学じゃないか。」

蘭がそういうと、

「バーカ。そういう目で見るから、毎年本領発揮できないんじゃないのか!とにかく、うちの前を通るみたいだから応援に行こう!」

と杉ちゃんは、にこやかに笑って、自宅前の道路に待機した。同時に、パトカーが、まもなく選手が通りますとアナウンスしながら、走ってきた。という事は、もうすぐここを通るのか。数分間待っていると、先導の白バイと一緒に上位の選手がやってきた。それらは、有名な大学もあればそうではない大学もある。でも、どちらかと言えば、そうではない大学のほうが、勢いがある気がする。

「お!来たぜ!あいつだ。ほら、走れ走れコウタロー!」

杉ちゃんが手をたたいて応援している選手は、まさしくびり番という順位の選手だった。それは、競馬の歌だろうと蘭は思ったが、杉ちゃんは歌うのを止めなかった。

「全く、大学が名前を売るレースなんかしても意味はないと思うんだがなあ。」

と、蘭はちょっとため息をつく。

「大学の不条理に負けず、頑張って走れよ!」

杉ちゃんは、そうにこやかに言っていた。

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走れ光太郎 増田朋美 @masubuchi4996

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