第23話【古泉の視点Ⅰ】

「どういう風の吹き回しだ?」

 喫茶店の軒先で、冷たい風が俺と古泉の前髪を靡かせる。奴のそっと吐く息が白んでいた。

「別に。他意はありませんよ。親睦を深める機会はいくらあってもいいではありませんか。あなたも、どうやら体調がいまひとつのようですし。ご自身の健康のためにも、ひと息入れるのは重要ですよ」

 そんな白々しい言葉をそのまま鵜呑みにすると思うのか。

「嘘を言っているつもりは毛頭ありません。親睦を深めることはいいことです。僭越ながら、あなたの体調をご心配差し上げていることも」

 なら、お為ごかしとでも言わせてもらおうか。

「方便、というものですかね。でしたら、僕も迂遠な物言いは止めましょう。またあなたに、ねめつけられてしまっては敵いませんから」

 自覚はあったんだな。

「おかげ様で。さて、今度は僕とあなたとの間で共有している僕の秘密の話です。僕はそのために涼宮さんやあなたと行動を共にし、今日もこうして会合に参加しています。今では若干の私心も込めつつ……。ちなみに、鶴屋さんの幻聴とやらは、まだその耳に響いているのですか」

 いらん世話だ。取ってつけたように俺の体調を心配してきやがる。

「先ほども申しましたが、あなたの体調を心配しているのは本当です。我々『機関』は、あなたのバイタルサインにも細心の注意を払っています。涼宮さんの影響を最も色濃く受け得るのは、あなたでしょうからね」

 どうやら俺は知らないうちに、こいつの所属する『機関』から肉体の健康面にも気にかけられるようになったらしい。俺のかかりつけ医にでもなったつもりだろうか。健康診断でもしてくれるのか。

「では、まず脈拍と血圧でも計りましょうか。ご希望とあらば問診も手配しましょう」

 それは俺が過労で倒れた時にでも頼むさ。

「承知致しました。……まァ、冗談はさておき」

 相変わらず、本音と冗談の境目がわからないやつだ。

「確認です。部室前からあなたが断続的に反応を示されておられる『鶴屋さんの声』とやらは、確かに聞こえたものなのですか」

 軽快かつ落ち着き払った声で尋ねてきた。ただ、その表情の奥にはさっきの下校途中までにはない、鋭さのようなものを感じる。

「……そう思うがな」

「では、涼宮さんが仰られた幻覚というのは?」

 あれは幻覚でもなんでもない。声がした方向を向いても、誰もいなかったってくだらないオチさ。

「その声の主が、鶴屋さんだったと?」

 俺の耄碌した鼓膜はそう反応したらしいな。

「あなたの感性は耄碌などしていませんよ。少なくとも昨日……いえ、本日の涼宮アカデミー前後まではそのような経過なんてなかったはずです」

 本当に俺の体調も監視されてるのか。

 古泉は一瞬だけ中空に視線をやり、それから少しだけ肩を竦めた。体の冷えを解すように。

「僕はこの件で『機関』に報告書を提出しようかと思っているほどですよ。涼宮さんの起こす事象の渦中に居続けているあなたに、数度の幻聴と……幻覚? 気のせいだなんてあり得ません。十分、警戒に値します」

 俺の体調不良で上司に報告書かよ。アホらしすぎて何も言えねえ。

「なにが事の発端となるのか。一寸先もわからないご時世ですから」

 そうして人は疑心暗鬼になっていくのだろうさ。

「あるいは、そうかもしれませんね」

 古泉は小さく笑い、いかにもわざとらしく肩を竦めた。

 それから、

「ただ——」

 小さく穏やかに言葉を続ける。

「このSOS団設立以降、涼宮さんの精神は飛躍的に安定してきていました。おかげで僕のアルバイトも最近は開店休業状態です。ここ数日の涼宮さんなんて、期末試験というささやかなイベントのために勉強会を開くなんて慎ましい取り組みに友人を連れ誘うような穏やかさですよ。そうした中で、我々『機関』の構成員は未来に怯えつつも、ここ数日はほっと胸をなでおろしながら、今だけは“かつての普段通り”とも言えるような一日を過ごせるはず、いや過ごすことを望めるのではないかと淡い期待を寄せられるほどになった……」

「過ごせる『はず』、か」

 普段というものが一体どのような状態を指すのかは置いておいてだ。また、なにやら穏やかじゃない推量の語句が飛び出してきたな。

 俺のすぐそばで胡散臭い笑みを垂らした優男は、ハルヒたちが店内のカウンターを通り過ぎて店の奥に進んでいったのを見届け、こんなことを言いだした。

「兆しを感じるのですよ」

 その細めた目の奥に光る眼差しは、妙な真剣味を帯びていた。

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