第19話【鈍色の雲の下】

 靴を履いて朝比奈さんたちと一緒に校舎の昇降口を出る。外でハルヒが冬空の下で叫んでいた。いかにも寒そうで、鼻を若干赤らませて声を出している。両手をポケットに突っ込んでいた。ハルヒと同じく、外で待っていた連中のマフラーが風に棚引いている。

「悪い。待たせた」

「寒いでしょ! いつまで待たせるつもりなのよ!」

 だから、悪かったって。

「試験前にみんなが風邪ひいたらアンタのせいだからね!」

 一気にまくし立ててきた。

 俺にも待たせていた自覚はあったから、やや駆け足でそそくさと昇降口から出てきた。弁解はしない。また、鶴屋さんはいつもの飄々としたてへぺろ的なノリで「待たせてごめん」という風なことを言って周囲をとりなしつつ、朝比奈さんはその斜め後ろにつつましく控えている感じだ。

 いま、この場には古泉、国木田、長門、鶴屋さんに朝比奈さん、それからハルヒ。全員が揃っている。俺はそれでなぜか安堵の白いため息を漏らしていた。そんな自分に若干の違和感を抱きつつ、

「行くか」となぜか俺が言い、一同歩きだしたのだった。

「何でアンタが仕切ってんのよ」

 と、すぐにハルヒがツッコミを入れてぶつくさと何か言い出した。それをスルーして、他の連中と足並みを揃え、校門を出てからいつもの坂道を下っていく。


 家路を辿る中、俺達は昨日と同じようにそれぞれ他愛の無い会話を楽しみながら、冬の風にそれぞれの表情を織り交ぜていた。どこから見ても平和な冬の夕刻。問題なのは健全とは言い難いこの一団の中身にあるのだが……。まァ、それはいい。いつものことだ。

 そう、これはいつものことなはずだ。

 なのに、なぜだろうな。さっきの鶴屋さんの声の空耳をきっかけに、俺は何か妙な違和感を持つようになっちまった。単なる聞き間違いが、そんなに俺の不安を掻き立てるのか? いや、あれはそもそも聞き間違いという簡単な話だったんだろうか。すっと腹に落ちる答えを出しきれない自分が歯痒い。

 すぐ隣で、国木田と古泉が何やら雑談をしている。後ろでは長門が俺の背中をついてまわるように淡々と歩いている。

 西の空の方を見上げた。昨日と違い、薄鈍びた雲に覆われているらしく、夕の陽は拝めそうにないな。

「キョン?」

 昨日と同じように帰り道を歩いているのに、昨日とはどこか違うという違和感……いや、これは警鐘に近い。そんな不鮮明な兆しが俺の中で微かに芽生えている気がしてならないんだ。

「ねぇキョン——」

「うん? ああ、何だ」

 振り返ると、どうやら国木田が俺に呼びかけていたらしい。

「これ、使ってよ」差し出したのは、一冊の参考書。

「……いや、遠慮しておく」

「いやいや、そう斜に構えなくてもさ」

「いやいやいや、大変ありがたいがお気持ちだけで……」

「き、きっと役に立つから、せめて鞄に入れておくよ」

 何を血迷ったか。国木田は俺の鞄のファスナーをこじ開け無理矢理に参考書を押し込もうとした。

「ま、待て。いきなり鞄はよせ」

 突然どうした国木田よ。

 俺はすでに今あるテキストで十分いっぱいいっぱいなワケで。それまで手が回る余裕なんておそらくない。そうして参考書を挟んだ押し合いへし合いを展開していた俺と国木田だが、意外なことに、隣で音もなく歩いていた長門が、

「受領を推奨する」

 などと言い出した。

「な、長門?」

「長門さん……?」

 これには俺も国木田も驚いた。だが当の本人はそんな反応など知った事ではなく、

「受領を推奨。きっと役に立つ」と繰り返し言うのだ。

 情報統合思念体が推奨する学習参考書ってなんだかすごそうだな。ただ、念を押すまでもなく、見たところはただの参考書だ。

 長門と国木田に推されてはと、渋々受け取って鞄に突っ込んだ俺であった。ただ、先ほども述べたように、俺は既に手持ちの教科書や資料集の読み込みでいっぱいいっぱいだ。参考書まで手が回るかと言われれば甚だ疑問なのだが、まァ、二人がこうまで言うなら仕方がない。

「そこまで言うなら、鞄にしまっておく」

 しかし、鞄から出す日が来るかもきわめて疑問である。

 俺は観念して件の参考書を鞄に詰めた。本の重量以上に、鞄の重みが増した気がするぜ。

 隣で国木田が飄々と笑いながら、

「せっかくだから、使いなよ」

 と、とりなすように言っている。

「余力があればな」

 ただ、先ほども述べたように、俺は既に現在抱えている課題の山でアップアップしている。せっかくふたりから推薦していただいた参考書ではあるが、手に取れる日が来るとしたら一体いつになるか。正味の話、それは俺の気が向き次第というより、俺の根気と基礎学力の問題の方が大きいように思われた。

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