第4話【ハルヒの着想】

 放課後、俺は我ながら機敏とは言い難い動きで帰り支度を始めていた。俺にとっては限られた自由な時間だ。これは有効に使わねばなるまい。

 そう思いながら鞄を引っ張り出して引き出しを漁る。ハルヒが国木田と絡みだしたのはそのときのことだ。

「ねぇ、キョン」

 ハルヒが俺に不穏な言葉を言い放つ。

「今日からSOS団で勉強会をやることにしたから。期末は良い成績を修めなさいよ」

 いきなり何かよくわからないことを口走っていた。俺の脳が理解を拒んでいる。

 まさかそれは、俺に向かって言っているのか。

「だから、部活で勉強みたげるって言ってんの。夏休みみたいに前日でどうにかするのは、ナシだからね」

「全力で遠慮させてもらう」

「なんでよ」

「自分の事は、自分で何とかする。この度は大変有難い申し出だが——」

 ここは是非、お気持ちだけ頂いて丁重お断りさせて頂こう。

 心にもない事を言っている点については俺自身自覚があるものの、とりあえずそう言い放っていた。本当に何とかなるのか。不安を隠せないところだが。

 一方でハルヒは案の定、俺の言葉を全く信用していない様子である。

「何とかなるならもうなってるわよ。これもいい機会だわ。あんたを性根と成績を一から叩き直すチャンスよね」

 これは危険な兆候だ。

 ハルヒが気乗りし出している。徐々にだが、やつの語気が弾みだしていた。心なしか先程までのむっつりした表情が笑みに変わっていっているような気もする。

「それに、たまにはこういうのもいいんじゃないかしら。ウチの団全員が好成績を修めれば教師も生徒会もおとなしくなるに決まってるし——。うん、やるしかないわね!」

 自分で切り出したことに、自分で納得して自分で会話を切り上げようとするハルヒがいた。そこに当事者の俺の意思が一切介在していないのがいかにもハルヒらしいと言える。なんだかんだで俺は放ったらかしだ。方法がどうたら、目的がどうたら。壮大な独り言なら、俺を巻き込まないでほしいのだが。

「大体な、ハルヒよ」

 俺は最大限の拙い演技力で申し訳なさげな表情を見せつつ、

「お前が教師の真似事をしたところで、その指導に妥当性が担保できるのか」

「あら、キョン。いい度胸じゃないの」

 俺の抗弁にハルヒはフンとあしらい調子で鼻を鳴らす。

「言っとくけど、あんたにだけは言われたくないわよ。それに、SOS団なら有希も古泉くんもいるんだし、学力の面なら大丈夫でしょ。問題はあんただけ」

 ——まぁ、それはその通りだ。ハルヒが試験の設問に悩んでる姿なんて確かに想像がつかない。しかし、長門が勉強を教えてくれる姿も想像できないし、古泉になんて教えられたくもない。朝比奈さんなら……まァ是非にとも思わなくはないが、でもどうなのだろう。

 そうして俺は思考回路に少々の煩悩を纏わせながら、少し灰色に染まっている空を窓の傍からため息まじりに見上げていた。もちろん窓は閉めたままだ。一段と冷え込みも厳しい冬の時節。ここで窓を開けられるほど、俺はこの寒さと仲良くなれそうにないからな。俺はあくまで夏が好きなのさ。こればっかりはどうしようもないね。

「そうねえ。先生役も他にいた方が見栄えがあるわね」

 俺の憂いなんてなんのその。ついには見栄えなどという勉強とは極めて関係ない点をこの馬鹿殿様は気にし始めた様である。

 そして時が来た。急に思い立ったハルヒは国木田の席へと向かう。俺がそれに気がついた時には既に国木田と話し始めていたのだ。

 ハルヒは実にいい笑顔を浮かべている。コイツがこんな顔をする度に、俺は寿命が縮んでいるのではと自身を訝しむほど疲れる目に遭うんだよな。

 そして、あいつが言う。

「国木田。今日はちょっと、あたしのところに来なさい」

 当然だが国木田は驚きの声をあげる。そして今に至る、というわけだ。


 この「勉強会をしよう」という、一般的には本当に他愛のなくささやかな高校生の着想が、まるで思わぬ方向へ向かっていく大事件の始まりとなるなど、この時の俺は知る由も無かった。

 始まりは何だったのか。何がキッカケだったのか。それは今この時から始まっていたのか。

 それはわからない。

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