第2話【ハルヒの視線】
罪深いその出来事は、本日の授業が六限目まできっちり終了した直後に起こった。
教室に岡部が入ってくる。室内で雑談していたクラスメイト達は、これまた生き物の本能的な習性のようにスムーズに席に着いた。終礼の時間だ。
本日の岡部の出し物もといお言葉はテスト前の激励らしく、そんな半ば説法じみた担任の一言もそう長くかからずに終わり、あとは事務連絡を淡々と伝達していた。終礼の最中、俺は自分の列に位置する連中のプリントを集めて担任に提出する。
この手の事は一般的に考えて列の最後尾のやつがやっていて然るべきなのだが、ここで俺の後ろの席に座っているのは何者であるのかを思い出して頂きたい。そう、何を隠そう涼宮ハルヒだ。それで俺の親切改めハルヒのものぐささが起因してか、俺がプリントを集めるのが通例となっている。俺は俺で、冷えたゴムのように強張った身体を無理に動かし、集めたプリントを岡部に手渡した。
すると、そいつは何やら口走っていたわけだ——今度の試験、大丈夫なんだろうな。早い内からきちんと計画だててしっかり準備をしておくように——多分だが、こんな感じのことだ。失礼ながら、自分の席に戻ったときにはもう正確に思い出せなかった。日頃から言われていたことではあるし、とりわけ今更思い知るべき事項でもないので、そこまで印象にも残らなかった。反省はしている。
そう、試験だ。進級のための最後の関門。学期末試験が控えているのである。そこまで俺は成績に難有りだったろうか。むしろ、俺より谷口に言うべきだろう。直々に言われるとどうもそわそわして仕方がない。いらぬ不安が芽生えかねないじゃないか。そんなことを思いながら俺はのそのそと自分の席に戻った。
ハルヒがそんな俺の心中を察したとはとても思えないが、俺が抱く不安をいやらしくゆさぶるように、俺の背中をシャーペンで突っついてくる。
「なによ、その落ち着かない感じ。岡部に何言われたの」
あまり愉快ではないが、これも予想通りだ。おれはまた面倒なことを言われそうだなという予感をそこそこに感じつつ、何事もなさそうに振り返った。
「その……あれだ。試験がんばれよ、ってさ。今更の話だ」
あえて余裕っぽく振舞う俺を、うつ伏せっぽく机に突っ伏していたハルヒ。そんな俺を少し見上げるようにして、じとっとした目で見つめてくる。こいつはな、こうして黙っていてくれればな——。
「それ、直々に警告されてんのよ。結構重傷なんじゃないの?」
うん、やっぱり口が開くとまァ、アレだ。ハルヒは姿勢そのまま、あてつけがましい程の深いため息を吐いて窓に顔を向けた。
「普段のアンタに何の問題も無いなら、岡部もなにも言わないわよ」
ごもっともで。
終礼は思いの外あっさりと終わり、気のない生徒一同による帰りの挨拶も終えて担任も教室を後にしていた。ハルヒはまた教室の外を眺めているようだ。その視線につられて俺も窓の外に目をやった。別に、黄昏るつもりは一切ない。寒くてしょうがないしな。学校に植わっている木々は直立不動で寒空に晒されている。ロマンスも何もないグレーの世界で不憫にも凍えているのだろう。もしくは、ハルヒの睨みつける視線にビビっているのか。案外、後者なのかもしれない。
「前にも言ったけど、ウチの団から落第生なんてごめん被るわよ。なんなら、今日から勉強合宿でもやる?」
それこそご免被るわけだが。
「この年齢にして、胃薬の世話になるのは嫌だ」
ハルヒはフンと軽く鼻を鳴らし、それからぶつぶつとぼやきだした。相変わらず、俺のことは規格外品のじゃがいもか何かくらいにしか思っていないのだろう。
周囲を見渡すと、室内には帰る準備をしているやつ、雑談しているやつ、部活に行く準備をしているやつ。谷口と国木田は掃除の準備をしていた。おっと、そういえば俺も掃除当番じゃないか。
そんななかで、ハルヒは相変わらずボヤいている。そして視線の矛先が俺に向いた。人様を睨むんじゃありません。
「キョン。アンタはホント、追い詰められないと何もやんないものね。夏休みを思い出すわ」
少しむっとしたが、さりとて反論したところで反駁が百倍になって戻ってくるだけであろうことは想像に難くないわけで、とりあえず黙った俺である。
「あの夏休みか。思い出すな」
「黄昏れてんじゃないわよ」
いや、俺はあのアホな話と疲労感を思い出していただけだが。
あの終わらない夏休みのことだ。ハルヒに話を切り出され、つい思い出してしまった。深夜に朝比奈さんと一緒にいた古泉という構図だ。なぜそれがまず出てくるのか。そこは別に忘れていいだろう。いや、朝比奈さんが映っている図であるのなら古泉の部分を記憶からトリミングしてでも残す価値はあるかもしれない。
「終礼、終わったぞ」
そう言った俺を軽く睨むハルヒ。これもいつも通りさ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます