第13話 ラーゲルシュテッテン大地
目指すべきアクラシスの森は、ほぼ未踏の地である上に、どんな動物が生息しているのかも正確に把握されているとはいえず、その際まで首都でレンジャーを雇い、装備を整えてオルヴィスはやってきた。荒涼とした大地と鬱蒼とした密林には明確な境界があった。
「ここから先はアクラシスの森だ。俺にもなにがあるのかわからん。正気なヤツは行かない樹海だ。死にに行くヤツくらいしかな。だが、オマエが死にに行くとしても俺は止めないぜ」
「死にには行かねーよ。野垂死にするかもしれねぇがね。そして、それはオレのせいじゃねえ。ここがヤバかったってだけのことだ」
レンジャーが馬首を翻し、荒野を駆けていった。オルヴィスは馬上に一人取り残された。雲ひとつない上空を、巨大な翼を広げた首の長い鳥が周回するように円を描いて飛んでいる。風の音しか聞こえなかった。自分で決めたことなので、この孤独だけは卵のように大事に温めてあげないといけない。
「イヤ。すまねぇ。オマエがいたな」
オルヴィスは馬の首を撫で、ほおをつけた。温かかった。カルデラの底を目指して馬を蹴った。生い茂った木々が顔を体を打ちつけた。馬も耐えてくれているので、ここで馬首を引くわけにもいかず、馬に任せた。
ようやく平坦なところへ降り立つと、聞いたことのない鳥や獣の鳴き声がする密林の中を進んだ。オルヴィスは森の声に耳を澄ませた。ここはウッドワイド近郊のカミサマの森よりもずっと古い森だった。日差しは大木によって遮られ、林床まで届かない。若い木々の声はどこにもなかった。あまりに老いを重ねすぎて醜悪になった声しか聞こえなかった。こういう老大木は切ってあげた方がよっぽどよい。その方が林床に光が届き、若い芽が吹く。老大木は老いを重ねても自ら死ぬことのできない呪いに囚われているかのようだった。若いものに譲り、土に還りたいと思っているのに、その下に若いものが交代を待っていることに気づかず自ら若い芽をつぶしている老大木の哀しみと孤高。
『そろそろ僕から降りてくれ』
オルヴィスはきょろきょろした。声がしたのだ。鬱蒼とした密林に聞こえてくる声。木の陰か樹上に誰か隠れているのだろうか。
「誰だ!」オルヴィスは声を張り上げ、辺りを警戒した。
『大きな声を出さなくてもいいよ。僕だよ、僕。君の下にいるよ』
まさかと思い、オルヴィスは馬の首に手を置いた。
「おいおい、まさかとは思うが、ウマさん、アンタかい? いましゃべったの」
『不思議だね。ウマの僕の声が人間に聞こえるとはね。僕の方でも君の言葉がわかるよ』
「どうなってるんだろうな」オルヴィスは自分がおかしくなったのかと正気を失った。この森にはそのような力があるのだろうか。
『君だけじゃない。鳥とかサルとか、耳を澄ませたら足元を這う極小の昆虫とかか、いろいろな生き物たちの声が聞こえてくるよ』
オルヴィスは馬から降りると、腐葉土に手をつき、耳を近づけた。
『ホイ、せっせ、ホイ、せっせ、わいらは森の掃除屋さん』
腐葉土をめくった。なにもいなかった。
『ニンゲンさん、わいらの世界はアンタの目にゃ見えないミクロな世界さ〜』
「オレの目には見えない世界があるっていうのか?」
オルヴィスには聞いたことのない世界だった。目に映るもの、それがすべての真実ではないのか。
「おい、オマエ。名前はなんていうんだ?」
オルヴィスは地面に向かって語りかけた。
『わいらトビムシ家族、森の掃除町一番地』
「トビムシ? 虫か? 目に見えない虫なんているのか? どうしてオレはオマエらの言葉がわかるし、オマエらもオレの言葉がわかるんだ?」
『ここでは、わいら含めてすべての存在が、等しい』
『ニンゲンだからって、デカイ面できないってことじゃないの』馬が言った。
「デカイ面? オマエから見たら、ニンゲンはデカイ面してるのか?」
『僕だけじゃないと思うよ。たぶん、みんな、そう思ってる』
足元を見て、
「オマエらもそう思うか?」
『うん』
「いやあ、それ、いろんなヤツに聞かせてやりてぇぜ」
『わいらのご先祖様は、アンタたちがまだネズミみたいに地上をちょろちょろ走り回っていた頃から森の掃除屋でしたから。言うなれば、わいらの方が先輩なのだ』
「先輩! 面白ぇな。先輩面すんのか! ってオマエらもデカイ顔してるじゃねーか!」
言いことを言ったと思ったら、いきなりの矛盾に笑いがこらえられなかった。このトビムシというのは、密林を進む間、至るところで声が聞こえた。どうやら腐葉土の下にうようよいる肉眼では見えない昆虫のようだ。
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