第7話 二度目の襲来

 オルヴィスはかねてより計画していた遼ノ国は首都アグリコラへの旅を実行に移そうと決意を決めた。山小屋にこもってからというもの、外の情報がまるで入ってこず、自分がいかにこの世界のことの無知に気づき、そのことを恥じ、見聞を広げようと思ったのだ。

 雪が解けて、草花が芽吹き、旅にはうってつけの季節になった。そのことをガードリアスとフリーダに打ち明けると、二人はそろってついて行くと聞かなかった。

「最近のキミはなんだか何事も上の空って感じで、仕事にも身が入らないようで危なっかしいからね。旅の道連れは多い方がいいよ」

「オルヴィスは捕まえておかないと、どっかへ行ってしまう気がするから」

「捕まえておかないと、ってオレは犬かよ」

「犬だよ。ちゃんと首輪つけておくからね」

 ガードリアスは狩人という個人営業であり、仕事の休みには融通が利く。フリーダはマスターから長期の休みをもらっての旅になった。三人での旅は初めてだった。オルヴィスは一人で行くと言って聞かなかったが、二人は無理やり押し切って旅を決めたのだ。

 吉日を決めて、三人はアグリコラへ向かい、旅立った。





「なんだテメェ、その目つきは! 主人に刃向かったらどうなるかわかってんだろうなッ。俺はテメェを買ったんだ! テメェは物だ! 物をどうするかはその持ち主の勝手だぞ! 舌ひっこぬいて、目をえぐって、鼻にキリをぶっ刺して、タマをつぶしてもいいんだぞッ」

 鎖に手をつながれた少年が商人らしき男に引かれていた。

「なんだ、あれは」

 オルヴィスは目を見張った。

「奴隷だよ」とガードリアスが言った。

「奴隷? あれが?」

「そうだよ」

「なんであんなに罵られているんだ?」

「男の子が反抗的な目をしたからじゃないかい」

「物ってなんだ? 人は物じゃないだろ」

「奴隷は、商品なんだよ。だから彼らを売買するヤツらにとっては、ウシやブタと同じ商品、物と一緒なんだと思う」

「ひどい…」とフリーダが目を背けた。

「たぶん、あの男が安く買って、神聖サハルト帝国に高く売り飛ばすんだと思うよ」

「でも前にお客さんに聞いたんだけど、その外国って、民を一つに国を一つに統一することを大義に掲げているんじゃなかったっけ?」フリーダが疑問を口にした。「その偉い国が人を物みたいに売買するのは矛盾していると思う」

「矛盾はしてねーと思うよ」とオルヴィスが言った。「かの国は、神が争いばかりしている人間に対して怒り、そんなに争いたいなら、人間を人種に分けて死ぬまで争いをさせようって成立したこの世界をふたたび正し、人を統一し、国家を統一することを大義に掲げているんだろう? それなら、未だ成し遂げられていない今この時は、人間はまだ別々ってことだ。だから、奴隷を買う人間と、奴隷を得る人間、売られる奴隷は、まったく矛盾しない。これが今の世界の在り方だ」

「スゴイね、オルヴィス」とフリーダが感心した。

「いつの間にそんな難しいことまで考えられるようになったの?」とガードリアス。

「バカにすんなよ、オマエら。オレだって、伊達に山にこもっていたわけじゃねーんだ。市井に降りて書物を買い、勉強したよ。だからこうして旅に出てきたんじゃねぇか。書物だけでは体感としてわからねーことを知るために来たんだよ。おまけ付きだったがね」

「僕らはおまけか」

「当たり前じゃねーか」

「でも」フリーダは奴隷として連れて行かれる少年に目を移した。「卑賤民のわたしにもわかる。奴隷とほとんど変わらないと思うから」

「ちょっと待てよ、フリーダ」オルヴィスが言った。「卑賤民はまだある程度は自分の意思を持って生きることができる。だが、奴隷は金で売り飛ばされて、自由なんかねぇんじゃねーの?」

「そうかもしれない」とガードリアスが言った。

「でも、きっと大丈夫だぜ」とオルヴィスは少年を見ながら言う。「見てみろ、あの小僧の目。あれは、隷属に甘んじるを良しとしない反抗の強い目つきだ。遠くない将来に主人をぶっ殺して、自由を手にするかもな」

「自由を手にしたってどうするの?」フリーダが離れていく少年の背中を目で追った。「だって、大陸に売られるんでしょ? 自由になっても、そこは自分の国じゃない。言葉も通じない、友達もいない。海を渡らない限り、ここには帰ってこられないよ」

「別に帰ってこなくてもいいだろ」とオルヴィスはいつもの調子であっけらかんと言った。「奴隷にされたこんな国へ帰ってこなくてもいいよ。体さえ丈夫なら、新天地でもどうにかなる」




 遼ノ国の首都というだけのことはあり、神聖サハルト帝国との交流を示すサハルト教を布教する宣教師の姿がちらほら見られた。オルヴィスはそのうちの一人を捕まえて、問答をふっかけた。

「おい、そこの坊さん」

 坊主は無視して通り過ぎていった。

「あ、そっか。言葉が通じねぇーのか」

 代わりにこの国の信者と思しき人物を捕まえた。

「なぁ、アンタ。サハルト教のことをちょっと教えてくんねぇーかな?」

「はぁ。アナタも信者になりたいのですか?」

「ま、そんなモンだ。あまり深くツッコむな」

「では、創世の頃からお話いたしましょうか…」

 サハルト教といえば、これだ、というどこかで聞いたことのある神話を語り始め、オルヴィスは退屈であくびした。

「わかったわかった。ありがとう。神話はそこまでいいや。アンタは、神聖サハルト帝国がこの国を侵略しに来ることは知ってるかい?」

「もちろんだ」

「そのことについては、賛成かい? 反対かい?」

「賛成に決まっているだろう。サハルト教は、人類の統一、国家の統一をめざしているのだから」

「それは、戦争を肯定している、ってとらえていいのかい?」

「もちろんだ」男は力強くうなずいた。

「じゃあ、オマエも戦争に行け。そしてこの国から出て行けよ。神聖サハルト帝国の兵士として帰ってこいよ」

「なぜそういう話になる? 小僧め。俺は戦争には賛成だが、兵士ではない。戦争は将校や兵士の仕事だ。俺はただの市民だ。戦争に行く必要はない。それに、統一国家にならねば、この世から戦争がなくなることはない」

「なぜだい?」

「無知なオマエにもわかりやすく説明してやろう。たとえば、ここにオマエの家族百人がいるとする。家族が増えすぎて大変だ。全員養っていくには、もっと食料が必要だ。しかし、オマエの所有している土地では百人を養っていくには限度がある。もっと食料を手に入れねばならない。もっと広い土地へ引っ越しをしようか。それとも、家族を分けて、一チームはこの土地を出ようか。ところが、オマエの土地のすぐ隣には、家族五十人のもう一つの集団がある。五十人ならなんとかなるくらいの備蓄があるとしよう。そうしたら、オマエは手っ取り早く、この土地を奪って家族を養おうとするだろう。それが戦争の本質だ」

「ふざけんな!」とオルヴィスは一喝した。「オレはお隣さんから奪ったりしねーぞ。自分で新天地を開拓する」

「ふんッ」と男は嘲笑った。「ただの苦しまぎれか強がりか大口か知らんが、仮にそれがオマエの信条だとしても、オマエみたいに考えるヤツはごく少数派だ。隣人もオマエみたいな考えをするヤツらかはわからんぞ。もし、ヤツらが攻めてきたら、オマエも武器を取り、戦争に応じるだろうよ」

「オレは武器を取らない」

「理想ばかりを語るな。では、私がいまオマエに刃物を持って襲いかかったらどうする?」

「抵抗する」

「それが暴力というものだ」

「暴力じゃねえ。自衛の行為だ」

「屁理屈をこねるな。自衛も広い意味で暴力に含まれる。戦わずして口喧嘩で済むはずもなかろう。だからこそ、だ。そうした醜い争いに終止符を打つべく戦っておられるのが、神聖サハルト帝国の皇帝であり、大神官でもあられるミアヴォルト様であり、あの方こそがこの飛鳥ノ国を捧げてもこの国にとって不幸にはならぬお方だ」

「そうか。そうかもしれねぇな」

 言い負かされたオルヴィスは、男がいなくなると地団駄を踏んで悔しがった。

「チクショウ! 言いくるめられるっつうのは、殴られるよりも腹立つなあ」

「仕方ないよ」とフリーダはしょんぼりして言った。「確かに、自分の家族が食べる物に困っていて、隣に魅力的な土地があったら、横取りしたくなっちゃうよね」

「その理屈が気に入らねぇーんだよ!」

「でも、そこまでキミが悔しいって感じることは、それだけキミが世の中のことを知り、成長したってことなんじゃないか?」

「成長なんかしてねぇよ! したくもねー」

 アグリコラには、外国人が多かった。栗毛の髪に、緑色の瞳。商売をしている人々がほとんどで、あちこちで奴隷売買の光景が見られたが、憲兵らしき者たちが現れると、慌てて逃げて行った。その結果、奴隷は憲兵に連れて行かれ、助かった。

「フィンレンソン様は自国の民が奴隷にされて外国に売り飛ばされるのを禁じているからね」ガードリアスは安心したのか、緊張した顔が解けた。

「不公平だ」とオルヴィスは指をさした。そこでは、同じような光景があったが、商人が憲兵の裾に金を渡し、憲兵が引き下がったのだ。

「ひどいね」とフリーダが憤慨し、両腕を組んだ。

「それだけじゃない。さっきの少年。憲兵が見ていなかったために、売り飛ばされたよ」

 オルヴィスは、ツイていると、ツイていないの差はなんだろうと思った。努力したり、前向きであったり、不幸でも笑顔であったり、他者を惹きつける魅力であったり、そういう者たちが幸運を手にするのは理解できるが、たまたま憲兵が通りかかるか通りかからないか、というのは、個人の才覚や努力ではどうにもならない類のものである。そのことを二人に告げたら、

「運命だよ」とガードリアスが諦観しきった表情で言った。

「神様の領域だよ」とフリーダ。

「納得できねえ」とオルヴィスは二人の答えを退けた。オルヴィスは国家宗教であるラーマ教の神々も信じないばかりでなく、サハルト教の神もまた信じていなかった。この世界の理を説明するのに、超自然的なものとは違う別の理由が欲しかった。

 三人はぷらぷら外国人の多い通りを歩いたが、街を行き交うことばは、三人のうち一人としてわかる者はいなかった。遼ノ国の領土を他に点々と旅を続けていた時、思わぬ凶報が舞い込んできた。ふたたび神聖サハルト帝国が侵攻してきた、という。

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