第29話 アナザーサイド 後編

 カランカランとドア鈴が鳴る。


「らっしゃーせぇ――って、おお!」


 私の顔を見るや否や、白のワイシャツに黒のベストとスラックスを身に纏った店員さんが駆け寄ってくる。


「お邪魔しても大丈夫ですか?」


 私がそう尋ねると、店員さん――立木見さんはニッコリと笑みを浮かべた。


「当たり前だろう! どうしてこの私が未来の花嫁たる可憐の来店を拒めようものか! あり得ない! 君はいつだって来て良いんだ。寒い日に、ホッと一息つきたい時、是非ここを訪れて欲しい。私は何も言わずに迎え入れてコーヒーの代わりに熱い熱い抱擁を出会って五秒で交わしその後はくんずほぐれ――」


 とても大仰な素振りを交え、慈しみに満ち満ちた表情を浮かべる立木見さんは、けれど私の後ろでおっかなびっくりした様子で控えていた太田さんを目にするや否や瞼をこれでもかと剥き。


「カモがネギを背負ってきた!?」

「は?」


 私がぽかんとすると、立木見さんは大袈裟な咳ばらいをした。


「い、いや、つい本音が――じゃない、ついつい心の声が漏れてしまった」

「どちらにせよ本心ですよね?」


 私の指摘を受けて、立木見さんは「あ、何か父ちゃんが呼んでるみたいだな。それじゃあ二人とも、適当に座っててくれ」と白々しい演技をして引き上げてしまった。


「まったくもう」


 呆れて溜息を零す。と、後ろで太田さんが苦笑交じりに声をかけてきた。


「どこにいてもあんな感じなんですね。でも、どうして立木見さんはここで働いているんです? ジョニトリ―だけだと稼げないからとかですか?」


 太田さんの問いかけに私は首を横へ振る。


「いいえ。ここは立木見さんのご両親が経営している喫茶店なの。立木見さんはそのお手伝いで働いているのよ」

「へぇ。ご家族で……あ、だからさっき立木見さん、お父さんが呼んでるって仰ったんですね」

「ええ――って、敬語ッ!」


 頬を膨らませて、顔の前で左手の人差し指を立てる。一体何度目のやり取りだろう。そして相変わらず太田さんは見慣れた苦笑い。しかし返答はいつもと違うもので。


「それなんですけど……この姿でいる時は、敬語を使いたいんです」

「この姿?」


 はてと首を傾げる私から太田さんは視線を逸らした。心なしか頬を赤らませている。


「そ、その、お昼にも指摘されて、その時は敬語の方が楽だって言ったんですけど……でも、ジョニトリ―で働いてる最中に考えたんですけど、女装してる時に普段通りタメ口を使うって、なんかバランスがおかしい気がして……」

「ふむん……」


 太田さんの指摘を受けて、私はタメ口が標準装備となった太田さんをぽわわーんと想像してみる。

 モデルをやっている妹さんの助力もあるのだろうけど、顔は奇麗だし服装はオシャレ。それで太田さんも好き好んで女装している訳ではない。だけど、吐き出されるのは男口調、と……。


『もう嫌だ、何でこんな格好をしなくちゃいけないんだよぅ!』


 なんて、営業中に発奮する太田さんを何となく思い浮かべてみて私は笑ってしまう。


「うん、むしろ良いと思う。何らかの界隈の人たちには刺さりそうだし、そうじゃなくてもギャップ萌えで良いじゃない」

「良くないですよ!? ……って、ギャップ萌えなんて言葉、獅々田さんよく知ってますね?」


 ――貴方に教えられたんですが!? ゾンハンでそれはもう熱量たっぷりに散々と教え込まれたのですがッ!?

 ……なんて言えません。だって太田さんは私が十六夜八日だと知らないのですから。

 私は辛うじて笑みを浮かべる。


「え、ええ。その、クラスの子たちが言っていたのを耳にしたの」

「あー、なるほど。うんうん。今や『萌え』は一般常識ですからね」


 と言って訳知り顔で腕組みしながら何度も頷く太田さん。それを眺めて私は人知れず溜息。

 ……んー、調子が狂っちゃう。私の知ってるウルフ殿なら、こんな時には、


『やっぱ萌えは素晴らしいよな! いやぁ、八日も分かるようになったか! 偉いぞ!』

 なんて言ってくれるんだけど……。私もそうやって褒められる(?)のが嬉しくて勉強したのだけど。


 なんて思いながら、私たちは客席へ向かう。先客は一人だけ。制服姿からするに学生さんのようだ。でも、何故かサングラスをして何かメモを取っている。ちょっぴり近寄りがたいので、私が先導して彼女とは反対側にあるテーブル席に腰を下ろした。

 すると、頃合いを見計らっていたのであろう立木見さんが颯爽とやって来た。


「さて、ご注文はお決まりかな?」


 ウィンク一つのオマケつき。普段であれば呆れてしまうのだけれど、今日はこのためにここへ来たと言っても過言はない。

 私は覚悟を決めると、頬に片手を当てながら。


「そ、そうねぇ。それじゃあ……立木見さんを一つ」


 ここぞとばかりに私もウィンクをお見舞いする。と。

「――」


 立木見さんは無言で胸を抑えると俯いてしまった。


「え、えーっと?」


 思わずたじろいでしまう。私の想定では、「可憐ー!」とか叫びながら抱き着いてくると思っていたのに(何ならそのために身構える準備もしていたのに)。

 と。


「……アウトで……」

「え?」


 普段ならあり得ない立木見さんの蚊の鳴くようなか細い声に、思わず聞き返す。

 すると立木見さんは顔を上げた。彼女は大粒の涙を零しながら感慨に満ちた笑顔を浮かべていた。


「テイクアウトで、よろしかったでしょうか……?」


 いえ、よくないです。冗談です。なんて言える雰囲気ではありません。泣いてます。それはもう戦地から帰ってきた夫を出迎える妻のように、喜びに満ち溢れた涙を零していらっしゃいます。

 ――が、違うのです! 私は立木見さんからちょっとした求愛行動を求めていただけなのです! 喜色満面でハグしてきて、それを太田君がどんな反応を見せるのか、何ならちょっと焼きもち焼いたりするかもとか、そんな意地悪な気持ちから喫茶ヴァラドンに訪れたのです。


 なのにこれは一体これはどういう事でしょう。立木見さんは感涙に咽び泣いていますし、チラッと太田君を見てみればポケーっとお世辞にも賢くなさそうな顔をして眺めてきてますし。何もかも私の目論見からは外れてしまっています。

 あぁ、因果応報なのでしょう。人の心を踏みにじって弄んで利用した私への天罰なのでしょう。そう考えれば自然と目頭が熱くなってしまって。


「う、うぅ……」

「可憐……嬉しいんだな。嬉しくって泣いてしまって――」

「違うぅ! 自分がバカだから情けなくて泣いてるのぉぉ!」


 なんて、両手の甲でゴシゴシと目元を擦りながら叫んだ。

 ……果たしてそれから数分後。立木見さんが去ってから直ぐに私は太田さんへ真顔で向き直った。


「さて、本題に入りましょうか」

「え。変わり身早すぎません? つい十秒前まで泣いてましたよね?」


 シャラップ! 結局立木見さんに誤解だと、さっきのは冗談だと伝える間ずっと、自分のずるさに思わず泣き続けてしまっていましたが、それはもう過去の出来事なのです! それを伝え終えてから見た立木見さんの「……あぁ、分かってたさ、そんなこと」なんて言葉とは裏腹に哀愁漂う後姿に思わず再び号泣しかけましたが、何とか堪えました。

 私は咳払いをします。


「と、ともかく、本題なのです。これ以後、先ほどの事に対する発言は一切認めません!」

「は、はい……」


 気圧された様子で太田さんは頷いた。

 うぅ、こんなはずじゃなかったのにぃ。本当は太田さんに焼きもち焼いてもらって、そこで実は私は『十六夜八日』だと伝える段取りだったのに……そうすることで保身を保ちたかったのに……。

 でも、ここまで来たら意を決さなきゃ。


「その、実は、ね」


 告げる。告げる。私は十六夜八日だと告げる。

 それで何かが変わるかは分からない。どうなるかも分からない。自分がどうしたいかも分からない。

 真っ白な頭の中、きょとんとしている太田さんを真っすぐに見つめて私は告げる。


「実は、私はいざよ――」


 その時だった。


「貴方達! もう少し静かに出来ませんこと!」

「――ひゃ!」


 責められるような声に驚いて、私は身をキュッと縮こませながら悲鳴を上げてしまう。

 恐る恐る横を向けば、あのサングラス女子高生さんが私たちの席の傍に立っていた。彼女は溜息交じりにサングラスを外す。


「貴方達が来るまでは折角静かな店内でしたのに、今ではただただ騒がしい! こういう部分でお店も損をしているんじゃありませんの!」


 ビシっと人差し指を突き付けてくる女子高生さん。その横でいつの間にか戻ってきた立木見さんが高らかに言う。


「安心したまえ麗しき少女よ。この店は普段静かすぎるぐらいに静かだ。何故なら年中閑古鳥が鳴いているからな!」

「なんで腰に手を当ててドヤ顔なんですの! って……ん?」


 女子高生さんは私の顔をまじまじと見つめてきて、思わず苦笑いを浮かべてしまいます。


「え、と、何でしょう?」

「貴方……ジョニトリ―の店員ではありませんこと?」


 すると、私よりも早く立木見さんが反応した。


「よく分かったな麗しき少女よ。ちなみに私もジョニトリ―で掛け持ちのバイトをしているぞ」

「あ、確かに言われてみれば見覚えがありますわね。では、そちらの方も……」

「ああ、彼女もジョニトリ―で勤務している。どうだ麗しい少女よ。可愛らしいだろう? だが私からすれば君も二人に負けないぐらいに――」


 なんていつも通り口説き文句を吐く立木見さんだけど、女子高生さんはそんな事には耳を貸さず、驚いた様子で見つめていた。太田さんを。

 そして太田さんもまた、その女子高生さんを見て唖然としていた。

 見つめ合って黙り込む二人を尻目に、私と立木見さんは黙って一瞥を交わす。

 そして次に口を開いたのは女子高生さんだった。それは。


「貴方、司……?」


 というもの。そしてそれに対し太田さんは。


「まさか、マネージャー、か……?」


 と、掠れ声を発した。

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