第29話

 海水浴の翌日。俺は憤っていた。その理由は。


「ラブコメギャルゲーにおいて、お風呂シーンを匂わせておきながら省くなど愚の骨頂。最早冒涜だ。そんなのを書いたシナリオライターは万死に値する。というか俺が殺す」


 肩をいからせながら街中を往く俺は絶賛女装中だ。いつも通り彩音に化粧してもらい、服装もコーディネートしてもらい、重ねていつも通りの見た目でジョニトリ―に向かう道中である。重ね重ねいつも通りなら、すれ違う男性諸君の不躾な視線に晒されて嫌悪感や羞恥心を催すのだが今日は違った。


「お風呂シーンだよ? お風呂シーン。美少女のお風呂シーンとか、健全で健康な男子を育てる上で最も重要な要素だろ。ドラえもんとか水戸黄門見たことねぇのかよ。それともアレか、時代の流れってやつか。時代に屈したかシナリオライター。お風呂シーンを関係各所に叩かれるのを恐れて省いたのかシナリオライター。テレビならまだしもギャルゲーなんてニッチな分野でも日和っちまうだなんて見損なったぞ。許せねえ。許せねえぞシナリオライター……!」


 ぶつぶつぶつぶつと俯き加減に呪詛めいた文言を呟き続ける俺に、道行く男性諸君は一瞥を送ってくるのみ。

 こりゃいいな。今度から独りでぶつくさ言ってようか。余計なナンパ野郎に声かけられないし。

 等と考えていた所で肩を叩かれる。

 チッ、これでも声かけるのかナンパ野郎。お前らの脳みそは空っぽで股間によって動いてるのか。

 なんて意思表示も含めて後ろを振り返る。と、驚いた様子の人物がいた。俺の嫌悪感丸出しの表情が原因だろう。


 ふふん、俺の勝ちだな。俺みたいな陰キャが凄んでるだけだってのに、それで引っ込むなんて情けない。

 ……という感想を抱く事は俺には無かった。むしろ頬を引き攣らせてしまう。何故なら、肩を叩いてきたのは私服姿の獅々田さんだったからだ。

 白のドレスシャツとデニムスカートを履いた獅々田さんは、申し訳なさそうな顔をしている。


「ご、ごめんなさい、偶然見かけたから、その……」


 視線を泳がせ、終いには顔を伏せてしまう彼女を前に俺は思う。

 ――何てことをしてしまったんだッ! 俺みたいな社会の掃き溜めでのうのうと暮らして眩しさの余り光を避けて生きている根暗男が、向日葵どころか太陽そのもの、何なら太陽すらも崇め奉っているであろう地球上における最も尊ばれる存在の獅々田さんの表情を曇らせるなんて。ここはもう仕方ない。


「ああ、すみません。ここで自害します。それが俺に出来る精一杯の償いです」

「どういう流れでそんな事になるの!? い、一回落ち着こう? うん、私もちょっと緊張してるし」


 緊張? 俺なんかと話すのに緊張するはずないだろ。

 あ、あれか。住む世界が違う人と話すのって緊張するもんな。獅々田さんからすれば俺なんて何しでかすか分からない生物だろうし。え、一緒の職場で働いてそれなりに経ってるのに未だに警戒されてるって、どんだけ俺ヤバい奴だと思われてるんだろ。って、さっきまでぶつくさ独り言垂れ流してたぐらいだし、そりゃヤバい奴かアッハッハ……マヂ無理もう無理自害する。


 すっかりダウナーになってしまった俺だが、そこへ獅々田さんは何故かモジモジとした様子で話しかけてくる。


「その……昨日は、恋愛相談ありがとう」

「え。いやー、あれは別にそんな大層なもんじゃないですよ」


 俺が頭に手をやって苦笑する。どうだ、それなりに社交的な受け答えだろう。

 と思っていたら、獅々田さんはムッとした。


「敬語。治ってないよ?」

「は、はい――いや、うん、ごめんなさ、いや、ごめん……」


 はい元通り。無理です俺にコミュ力なんてありません。

 しかしそんな狼狽えてばかりの俺を獅々田さんは咎めず、天使の如き笑顔をご披露して下さる。


「良いよ。気にしないで。むしろごめんね? こっちがお願いしてるんだもんね」


 天使かよ。やっぱ天使だよこの人。そんな天使様が表情を曇らせそうになったら、俺だって慌てて否定しちまうよ。


「そ、そんな事はないで――ない。俺も、タメ口の方が楽だから」

「そう? それなら良かった」


 はぁ、まったく。獅々田さんが三次元の人間で良かったぜ。彼女が二次元だったら、この笑顔を前に何をしでかしたか――やっぱやべえ奴だな俺。

 なんて我が身に課せられたカルマに思い寄せる最中。


「ジョニトリーが終わったら、ちょっとお話しない?」

「え? 話?」


 思いもよらぬ誘いに俺は思わず口半開きだ。

 獅々田さんはそんな俺を一瞥してから視線を逸らす。その頬はどうしてだか朱色が差していて。


「う、うん……太田『さん』には、まだ恋愛相談してなかったから、それで」


 そう言えば、海水浴の時にそんな話をしたか。でも、いくら女装したからって心が入れ替わる訳も無し。何ならまだ男心が分かる太田『君』に相談するのが道理な気もするが。

 しかし、そんな事をとやかくは言いません。まず、獅々田さんの誘いを断れる程、肝が据わってませんから。それに何より暇ですから。

 なので俺は。


「ええ、良いですよ」

「ホント!? って、むぅ」

「あ。えっと、良いよ」


 あははーと苦笑いする俺に、獅々田さんも吹き出すように笑い出し。


「楽しみっ」


 なんて言葉を、腕を頭上へ伸ばしつつ背伸びしながら口にしていた。

 ああ、こりゃ普通の男ならイチコロだわ。と、得心しながら、伴だって俺たちはジョニトリーへと向かった。

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