第28話
獅々田さんが落ち着いたのを見計らい、俺達は二人で海水浴場の入り口へと移動した。そして横に広い石段に拳二つ分空けて並んで座り、海を眺めていた。
ひとしきり泣いた獅々田さんは、すっかり普段通りに戻っていた。けれど、まだ表情に陰りが残っていたりもして。
「でもその男の人も異性と海に行っただけで、その子とは好きとか付き合ってるとかじゃないかもしれませんよ?」
事の経緯は獅々田さんから掻い摘んで説明された。
獅々田さんの好きな男性が、今日女の子と海水浴に行ったらしい。
てっきり告白してフラれたのだと思い込んでいた俺からすれば、全然フラれた内には入らない内容だった。
しかしそれでも獅々田さんからすれば違うみたいで。
「け、けど、女の子と海水浴なんだよ? 絶対何か起きるよ。起こっちゃいけない何かが起きてるよ絶対」
「うーん、そういうものなんですかねー。とりあえず、その男の人は誰かと付き合ってるとかじゃあないんですよね?」
「うん。多分。そんな事一言も言ってなかったし」
「じゃあやっぱり、女友達と海に行っただけなのかもしれませんよ?」
「そうかな? アバンチュール楽しんでないかな?」
アバンチュールて。
俺は苦笑交じりに返事をする。
「そもそも俺だって、獅々田さんを含めた女性達と海水浴に来てる訳じゃないですか。もしかしたらその男性も俺と似たような感じで海水浴に行っただけかもしれないですし」
まぁ、海水浴は結局一ミリも楽しめなかったんだけど。
すると、獅々田さんは何かに気付いたように「あ」と声を上げた。
「……そう言えば、女の人が一人とは言ってなかったかも」
「ほら。やっぱりそうですって。考えすぎなだけで――」
「で、ででででも、綺麗なお姉さん達に囲まれて鼻の下伸ばしてるかも! ハーレムでキャッキャウフフでアバンチュール楽しんでるかも!」
言葉選びがとても獅々田さんらしからぬものだが、それだけ必死なのだろう。
「かもかもって、やっぱり直接聞いてみないと分からないですよ」
「き、聞けるわけないじゃない! ……恥ずかしいし」
言って獅々田さんは体育座りの姿勢になると、顔に膝を埋めた。
いじらしい態度の彼女を見て、俺は笑みを零す。
「大丈夫ですよ。俺が言っても気休めにもならないでしょうけど、獅々田さんって可愛らしいですし、普通の男なら獅々田さんに想われてるってだけで有頂天ですよ」
「そんなことないよ……あの人は私の事を異性として見てないし」
「え。そんな馬鹿な。その人、異性愛者じゃない可能性がありますよ」
最近多いらしいからなぁ。と、そんな可能性に思いめぐらせる手前で、獅々田さんが膝から少しだけ顔を出した。彼女は海の方を見つめながら囁くように言った。
「……そもそも、私あの人と会ったことが無いし」
「え……ネットで知り合ったとかですか?」
獅々田さんは声には出さず、一つ頷いた。
「獅々田さんって、意外と恋愛にアクティブなんですね……」
「ち、違うの! マッチングアプリとかそういうのじゃなくて、その……ゲーム」
「ゲーム?」
「うん。オンラインゲームで知り合ったの」
獅々田さんは頬をほんのりと染めながら、下唇を噛んだ。
「オンラインゲームって、ソシャゲーでは無くてですか?」
「うん……ゾンビハンターオンラインっていうの」
「ゾンハンですか!? 俺もやってますよ!」
思わず声が高くなる。
けれど獅々田さんは俺に一瞥を寄越すと。
「そなんだ」
「あ……はい」
素っ気ない反応に俺の声が萎れた。
まぁそりゃそうか。今はそれどころじゃないよな。大体俺が同じゲームをやってるからって何なんだって話だし。うげぇ、自己嫌悪。
と。
「私、ゾンハン下手っぴなの。でも、あの人はそんな私に手取り足取り教えてくれてね。気付いたら好きになっちゃってて。でも、私はゲームでは男性アバターだし、それに口調も変だし、絶対に頭おかしい奴だって思われてて、うぅ」
獅々田さんも自己嫌悪に苛まれているようだ。
俺は苦笑しながら口を開く。
「でもその人優しいんですね。異性相手だと下心とかあったりしますけど、同性だと思ってるのにずっと親身になってくれるなんて、あんまいないですよ」
言いながら、やはり同性が恋愛対象の可能性も……なんて思いもしたが、獅々田さんの興奮気味な口調に掻き消される。
「そう、そうなの! あの人すっごい優しいの! チャットの文章はちょっと乱暴なんだけど、でもそれとは裏腹にきちんと私の事を見守ってくれてたり、私が楽しんでいるかを気にかけてくれてたり。あんなのズルいわよ。惚れちゃうよ。それにそれに、最初にあの人が海水浴に行くって言った時は、実はちょっと期待もしててね。もしかしたらバッタリ海水浴場で出会わないかなぁとか思ったりもして。でも、話を聞いたら……ぐすん」
身振り手振りを交えて一喜一憂する獅々田さん。
微笑ましいその姿を見て、俺は尋ねる。
「本当にその人が好きなんですね?」
「す……好きよ。うん」
ゆでだこみたいに真っ赤な顔をして獅々田さんは頷いた。
そんな獅々田さんに、俺は心から思ったことを告げる。
「きっとその人も、獅々田さんを憎からず思ってますよ。これだけ一途に思って貰えてるのに、嫌いなはずがありませんし。だから、正直に言ってみるのはどうです? 自分が実は女の子だって」
「え。む、無理よ。怖いし……」
「大丈夫ですって。ネカマだったらアレですけど、逆の場合は嫌われる理由には基本的になりませんよ。それにきちんとカミングアウトしないと、ずっと今のままですよ?」
「それは……嫌かも」
「だったら一歩進んでみましょう? 話はそれからですよ」
俺は立ち上がると獅々田さんの正面に立ち、彼女へ手を差し出していた。
……はっきり言って無意識だった。多分、俺の脳内にギャルゲーの主人公が憑依していたに違いない。それぐらい我ながら自然に動いていた。
獅々田さんは俺の顔を見上げていた。ここで「は? 何言ってんの?」とか言われたらどうしようと考えたが杞憂だった。
彼女は直ぐに俺の手に視線を落とし、微笑みながらその手を握ってくれた。
引っ張る様に獅々田さんの手を引く。と、彼女は砂浜に立ってから僕の手を離し、くるりとその場で一回転。月明かりを受けながら、制服のスカートと艶やかな後ろ髪を靡かせる姿に俺は見惚れる。
そうして彼女は俺にニッと微笑みかけ。
「まさか太田君に恋愛相談に乗ってもらうだなんて、夢にも思わなかったわ」
「はは……俺もまさかですよ」
すると獅々田さんは意地悪気に笑った。
「今度は太田『さん』にも恋愛相談に乗ってもらおうかしら?」
その一言に、俺の胸は嫌に高鳴った。
「えーと……勿論、乗りますよ? それより、獅々田さんはいつから俺が太田さんだって知ってたんです?」
「ジョニトリーの控室で見た時からよ? というか、太田さんも太田君も別人だと思った事は無いわ」
「え。じゃあ何で愛猫さんとかにチクらなかったんですか?」
「最初は太田君がそういう趣向の人なのかなって思ってたからね。あんまりそういうのって口外すべきではないでしょう? だから黙ってたのだけど、まさか愛猫さんも知らなかったとは思わなかったわ」
あっけらかんと言われ、俺は肩の力が抜けるのを感じた。
が、直ぐに俺は佇まいを正して両手を合わせながら拝む。
「そ、その……出来ればまだ黙って頂けますかね?」
「そうねぇ。犯罪行為に加担しない限りは黙ってあげましょう」
「はい、それで構いません。何卒お願いします」
「でも太田君はどうしてそこまでして、あのジョニトリーで働きたいの?」
尋ねられ、俺は返事に窮してしまった。
どうしてなのだろう。
どこのバイトの面接でも落ちまくって、唯一受かった職場だから?
美少女に囲まれまくりのハーレム天国だから?
今更辞めるのが面倒だから?
……どれもしっくりとは来なかった。そもそもバイトを探していた動機は、ドキドキメモリーズのグッズを買うため。そしてそのために必要な資金はもう稼いだ。なら、俺はジョニトリーを辞めても良いのでは?
しかし答えは出ない。多分これは、俺の心の問題なんだろう。理屈とか理論とかじゃなくて、感情の問題。そしてその感情が何であるのか、俺はまだ言葉に出来なかった。
「……まぁ、何でも良いよ。とにかく、太田君はもうジョニトリーの主力なんだから。今更辞めるなんて私も許さないもん」
「そう言ってもらえると、ありがたいです」
「それと、それ! いい加減敬語は止めようよ。もう何回も言ってるよ?」
獅々田さんはぷくーっと頬を膨らませる。
「そ、そうです――そうだね。うん」
「よろしい。あ、そうだ。さっき言っていたけど、太田君もゾンハンしてるのよね? 今度一緒に遊ばない?」
「え」
ま、まさか、これは『お誘い』!?
どどどどうしよう、良いのか、良いんだろうか。俺みたいなネズミが天の女神様であらせられる獅々田さんとゲームだなんて。恨まれるぞ、妬まれるぞ、学校の男子に知れたら血祭りに遭うぞ。
などと一人で戦々恐々としていたところ。
「こっそりプレイして、とっても強くなって、そうしてあの人を驚かせてみたいの! 知らない内に強くなってたら、ちょっと気になっちゃうでしょ? 恋愛は押すだけはダメだって、クラスの女の子達が言ってたの」
……うん、俺は噛ませ犬のようだ。まぁ、それでも俺では役者不足なんだろうけど。
等と自分を卑下していたら、獅々田さんが申し訳なさそうな顔をする。
「その、嫌じゃ無ければで構わないからね? それに私は下手だし、本当に暇なときに構ってあげるか、みたいな感覚で構わないから」
……うん、獅々田さんは魔性の女のようだ。こんな言われ方をされて断れるはずも無い。
等と彼女を冷静に分析しつつ、俺は自分のアカウント名を口にしようとした。が、そこへ。
「おーい! 二人ともー、帰って来たわよー! 私達は帰って来た! この地に!」
声のする方を見れば、石段の上から愛猫さんがこちらへ大きく手を振って来ていた。その隣には立木見さんと彩音もいた。
俺は溜まらず声を上げる。
「良かった、無事だったんですね」
「あったりまえじゃないの! 私がちょーっと色気をチラつかせれば、私は正義になるのよ!」
ふふんと得意気な愛猫さんの横で立木見さんが話しかけてくる。
「色気というより訴訟をずっとチラつかせていたがな。未成年をナンパするとは何事かと。おかげで私も助かったのだが」
「無駄に歳重ねてないからね! あっはっは。って誰が年増じゃ!」
陽気な彼女たちを確認して、俺はホッと胸を撫でおろす。
と、愛猫さんはこちらへ手招きをしてきた。
「今日はもう帰りましょう。そして近い内にリベンジよ!」
言って愛猫さん達は石段の向こうへと歩き出した。
……愛猫さんのスケジュール的にリベンジは来年以降になりそうだけど。
ともかく俺は彼女達を追おうとする。が、ある事を思い出して振り返った。
石段の中央で突然立ち止まった俺に、獅々田さんはキョトンとしながら見返してきていた。
俺は右手の親指を自分に向けて告げる。
「俺、ウルフだから」
「え?」
「いや、ゾンハンのアカウント名」
「……え?」
「結構ポピュラーな名前だけど、あのゲームで俺以外にウルフって名前は見かけたこと無いし、多分俺しか使って無いと思う」
「……え」
「もしも見かけたら声かけてよ。どうせ暇してるから――って、あー、月曜日だけはよく一緒にやる奴がいるんだけど、そいつも説明したら付き合ってくれるよ。変な奴だけど良い奴だし」
「……」
「えーと。と、とにかく、そういうことだから」
何だか獅々田さんの反応が薄くて、俺は足早に石段を駆け上がった。
もしかして、社交辞令だったのだろうか。うっわ、だとしたら俺めちゃくちゃ痛い奴じゃん。真に受けちゃって。
それから少しして、獅々田さんの「えええええええええええええええ!?」という絶叫が聞こえた気がした。お月様みたいな彼女がそんな素っ頓狂な声を上げるはずがないので、多分気のせいだ。
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