第18話
騒動の最中、お客様の中で通報していた方がいらっしゃったようだ。
俺が青年二人から危害を加えられることは無くて、彼らが呆然としている間に警察官が到着。二人は連行され、めでたしめでたし。
……とはいかない。
刑法第208条暴行罪。傷害罪よりかは軽いが、それでも法律違反に変わりはなくて。
黒尽くめをぶん殴ったこと。それにスーツにも水をぶちまけたことで俺に適用される違法行為は、正しくその暴行罪が該当していた。その事は後に警察官から聞いたことだ。
故に、彼らと同じく俺も同行を求められ、俺は仕方なく応じた。
一先ずは近くの交番にて、青年二人とは別室で事情聴取。事の経緯を話した。
呑気そうな老年の警官とは裏腹に、俺は。
――何であんなことをしでかしてしまったんだ!
と、酷く狼狽していた。
だってあんな事をしなくても、警察が来て事は穏便に収まっていたはずだったのに。そうでなくても、もっと荒立てずに済ませられたものを。
後悔の念が募り、きっと青ざめた顔をして俺は聴取を受けていた事だろう。
だが、問題はそれだけじゃない。
身分証の提示を促され、俺は学生証を差し出したのだが。
「……これは、君の学生証で間違いないの?」
「え……あ」
当り前である。公文書偽造なんてする程俺は度胸は座っていない。
しかし、警察官の胡乱な目を受け、俺ははたと思い出す。
ジョニトリーの制服を見に包み、メイクをきっちりばっちりし、果てはウィッグを被り、俺の今の外見は正しく美少女。しかし学生証に載った写真は正しく根暗男。
「は、はは……こ、これには、やんごとなき理由が御座いまして」
「ふむ。まぁ、とにかくコピーさせてもらうよ。それと親御さんにも連絡をお願いして良いかな。警察から連絡するとやっぱり驚く人が多くてね。勿論事情を説明すべきなら私が途中で代わるよ」
じ、地獄だ。
だが俺の学生証を手に部屋を後にした警察官を見送って、俺は携帯電話を手にした。このまま家族に連絡しないでやり過ごせるとは到底思えない。
だが親にかけるわけにはいかない。こんな女装姿で出くわしたら卒倒される。あるいは罵倒される。挙句は勘当だ。
故に俺が電話をかけた相手は。
「はい、なんでありますか?」
「あ、彩音。どうか落ち着いて聞いてほしいんだが、実は――」
妹の彩音に電話先で事の次第を話した。
すると。
「はぁ。何をやってるでありますかまったく。普段ならビクビクして見守っているくせに」
「し、仕方ないだろ。あの時は、何か、衝動的に行動しちまって」
「犯罪者予備軍みたいな思考でありますね。まぁ良いであります。とりあえずパパとママには内緒で私がそちらに向かうでありますよ」
「そ、それでどうにかなるかな?」
「知らんであります。でもどうにかしないと司は社会にも家にも居場所を失くすであります。一先ずは踏ん張るでありますよ」
どうやって踏ん張れって言うんだか。
朱音は十分で駆けつけると告げて電話を切った。
それから俺はどうしようどうしようと焦りまくりで、警察官との会話のあらゆるパターンを考えつつ、ただただ不安に駆られていた。
だが、警察官は一向に戻ってくる気配は無くて、俺のいる部屋に姿を見せたのは彩音が先だった。
俺は思わずじんわりと目を滲ませてしまう。
「あ、彩音ぇ」
「ああ、ちょっと! 折角私が施したメイクなのに、何て顔してるでありますか!」
そう言って彩音は肩から提げていたブランド物のバッグからメイク道具を取り出すと、俺の横に座ってテキパキとメイクを直し始めた。
俺より崩れたメイクの方が心配か。と、平生であれば文句も言えたのだろうが、こっちにそんな余裕は無くて。
「でも、勝手に入って来て大丈夫だったのか?」
「勝手じゃないであります。交番の中で二人の警察官の方が会話していて、司の身内だと説明したらここに入るように促されたのであります」
あれ。連行された時は二人しか警察官はいなかったんだけどな。もしかしたら応援でやってきたのだろうか。とすればこれ以上大事にならないよう祈りたい。
と、そんな会話をしていると、漸く先ほどの警察官が戻って来た。
彩音は気にした風も無くメイクを施し続けている。
「わざわざご足労感謝します。貴方は司君とどういった関係の方ですか?」
「私は司の姉の太田彩音であります」
いや妹だろ。とツッコミそうになるが、何とか堪えた。
もしかしなくても、彩音は姉と偽ることで俺の保護者代わりとなって話をしに来たのだろう。そりゃ高校生の妹がやって来たなんて馬鹿正直に言ったら結局両親を呼ばれるハメになるだろうから。
警察官が「彩音さんね」と繰り返す中、当の彩音は素知らぬ様子で俺のメイクを直している。
ある種異様な光景だろうに、警察官はさして気にも留めてい無さそうだった。まぁ、そういう変な人間を相手にするのに慣れているのだろう。
「彩音さんは弟さんが今回何をしたのか聞いていますか?」
「ええ。客をぶん殴ったのでありますよね?」
「その通りです。事情があったようですが、暴行の事実に変わりはありません。その辺りは彩音さんの方からも弟さんに言い聞かせてあげてください」
「分かったであります。ぺし」
そう言って彩音は俺の額にデコピンしてきた。地味に痛い。
すると警察官は小さく笑ってから告げてきた。
「暴行罪は親告罪では無いので、本来であれば被害者の同意が無くとも捜査するのですが、今回は事情が事情。それに、暴行の被害者が捜査をしないで欲しいと強く訴えてきたため、今回は厳重注意という事にしましょう」
「え……被害者がって、あの二人がですか?」
思わず尋ねると、警察官は頷いた。
「そうだよ。そもそも二人とも自分たちに非があったと認めていてね。お尻を触ったこととかだね。だから殴られても文句は言えないと。その上でお尻を触る行為が迷惑防止条例違反に当たるんだけど、その点で君の方から何か訴え出ると言うのなら甘んじて受け入れるんだそうだ。どうするかな?」
殊勝すぎやしないか。あの二人がそんな控えめな性格とは思えないのだが。
しかし、だ。だからと言ってそれを糾弾する権利が俺にあるかと言えば、それは無い。だって俺男だし。彼らはそれを知らないだろうし。もっと言えば、そんな事で揉めたら俺の身が危うい。彩音の言う通り、社会にも家にも居場所を失くす。
よって。
「俺の方からは、大丈夫です。何もありません」
警察官はうんうんと頷きながら「そうか」と口にした。
良かった良かった。これにて無事解決。色んな人には迷惑をかけてしまったが、円満に終わって何より。
何事も無く一日が終わりますよーに、と祈っていた数時間前が久しいぜ。
等と考えていた所、警察官が「ただ」と言った。そして。
「もう一つ懸案事項があってね。君のそれは女装だよね? あのジョニトリーは女性しか働いていないと噂に聞いている。その点、君が性別上では男性であることを店の人はご存じなのかな?」
思わず引き攣った頬は痙攣するばかり。言葉を思わず失する俺に代わり、彩音が俺のメイクをしながら告げた。
「当たり前であります」
「そうかい……でも一応お店の方にも連絡をしていてね。ここに来てもらっているんだ。そろそろ来る頃だと思うんだが」
「……え?」
辛うじて絞り出した声。頭は真っ白。
彩音もまた、表情にはおくびにも出していないが、メイクを施す手が止まった。と。
「すみません、こちらに赴くように伺って来たのですが」
第三者の声が部屋の外から聞こえてきた。
ああ。オワタ。
愛猫さんが来たのだろう。彼女は無論俺が男であることを知らない。というか知っていたら俺を採用しているはずも無い。
もしもこの場で俺が男である事実を警察官から伝えられたら、一体どうなってしまうんだろう。いいとこ解雇。最悪訴訟でもされかねん。
想像するだけで意識を失いそうだ。
だがしかし、俺は目にした。第三者の姿。その顔を。それは、その人は愛猫さんでは無かった。
「おっと。これまたご足労ありがとうございます。……ですが、店長さんではありませんよね?」
「はい。店長はこちらへ来る時間が取れないようで、代わりに私が来ました。名前は獅々田可憐と申します」
「獅々田さんですか。まぁ、良いでしょう。実は確認したいことがありまして」
部屋の入口で佇む獅々田さんは、制服姿のまま警察官と会話をしていた。俺はその姿を見て、更に絶望した。
もしも愛猫さんが来たのなら、ジョニトリーと俺の問題で話は終わった。しかし、獅々田さんが来たのなら話は違う。彼女は俺のクラスメイトだ。そうなれば、学校中に俺の事が知れ渡るのは必然。学校中で俺に女装癖があるとか、女装してバイトした変質者だとか、そんな悪口雑言のべつ幕なし交わされること請け合い。
愕然とし、呆然とする俺を他所に警察官は。
「単刀直入にお尋ねしますが、彼、太田君が男性であることはご存知でしたか?」
――ああ、死にたい。生まれ変わって貝になりたい。
本当に単刀直入に真実を語る警察官を前に、獅々田さんは、絶望の淵に立つ俺を一瞥。
やめてぇ。蔑む目はやめてぇ。と思っていたら、しかし彼女の目にそんな色は感じられなかった。
整然と獅々田さんは俺を見据えたまま頷き。
「はい、存じ上げています」
と、言った。
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