第17話

 黒尽くめが、そしてスーツが狼狽えた理由は――周りの客から向けられる視線だった。

 俺は自分の事で手一杯だった。新人だから、緊張していたから、そして女装をしていてドギマギしていたから、きちんと客席を見渡したのは初めてだった。


 男子高校生の集団や、サラリーマン風の男性や、オタクっぽい青年たち。やはりこの店には男性が多い。

 でも家族連れやカップルだっている。一人で食事をする女子高生だっていた。夕食時で混雑する店内には、老若男女がいた。そして彼らは一様に、件の青年たちへ侮蔑的な眼差しを向けていた。

 突き刺さるような視線を受けて、黒尽くめが顔を強張らせながらも立ち上がって怒声を上げる。


「てめえら何だよ! 文句あんのかよ!」


 黒尽くめが血走った目で見渡す。と、そんな彼に近づく人影。それは、縦にしたお盆を肩に乗せた立木見さんだった。

 彼女は呆れた様子で黒尽くめに声をかける。


「むしろ文句しか無いだろう。飯時に耳障りで喧しい声を聞かされて、気分を害さないはずが無い」

「て、てめえ!」

「さっきお前ら、ここをキャバクラだとか言っていただろう?」

「んだよ、違うって言えるのかよ!?」


 すると立木見さんは肩を竦めた。


「はっ。当たり前だろう。キャバクラは酒を飲んで女性と会話を楽しむ場所。ここは食事をする場所だ。明確に違う。だが同じ部分もある。それは、居心地の良さを求めて人が来ることだ」

「俺らにとっては居心地悪いけどねー」


 スーツが漏らした声に、再び立木見さんは小ばかにしたように笑った。


「お前らが他のお客様の居心地を悪くしているんだよ。それが返ってきているだけ。そんなのも分からないのか?」

「はぁ。ま、どうでもいいけどさ、女の子目当てで来ている客が多いのはどっちも変わんないでしょ」


 それは、きっとそうだ。俺もそう思う。

 だが、立木見さんは――。


「ああ。同じだ」


 同意していた。至極当然そうに頷いている。

 思わず肩をかくんとさせる俺だったが、立木見さんの話は終わっていなかった。


「だがな、さっきも言ったが、ここは食事をする場所だ。その上で付加価値として女の子がいるだけ。だからこそ、ここには様々なお客様が訪れる。その中にはお前らみたいなのもいるさ。でもそんな輩は少ない。どうしてだか分かるか?」

「……どうしてさ?」

「それは、お客様が協力してくれているからさ。食べる事だけが目的のお客様。可愛い女の子を眺めるのが目的のお客様。あるいは従業員を娘や孫みたいに見て下さるお客様だっているし、窓辺の景色が目的のお客様もいる。本当に様々なお客様たちが、一つの目的を共有している。それが、居心地の良さ。お前が「どうでもいい」と吐き捨てたものを、私達は元よりお客様も大事にしているんだ」


 言って辺りを、客席を見渡しながら立木見さんは続ける。


「お前たちがうるさくしている間に、私は一つ一つの客席に謝って回っていたんだ。そうしたら、誰も文句なんて言わなかった。むしろ慮り、心配してくださる方しかいなかった。勿論こうしてお前らに私達が手を煩わせている間に、呼び出しベルを鳴らすお客様もいない。思いやりがあるからだ。店っていうのはな、そういう従業員とお客様の思いやりがあってこそなんだ。お前らには無い思いやりだ」


 立木見さんの言葉に、俺は驚いていた。

 普段は飄々としていて、ずぼらにすら見えるのに、彼女の言葉には信念と情熱が感じさせられた。そしてその言葉は、じんわりと俺の胸にも伝播する。

 だが、それでも尚、青年たちは悪びれない。


「はいはい、ありがたやありがたやー。これで満足? で、どうすんの? 警察呼ぶの? 呼べよもうめんどくせーから。くっだらねえ長話してねーでさ」


 黒ずくめが半笑いで告げた。

 すると愛猫さんが。


「そうね。それが良いでしょうね。これ以上何を言っても無駄そうだし」

「何言ってんだよ。綺麗事しか言ってねえくせによ」

「そっちは子供みたいな文句しか吐かないわよね」

「んだとぉ!?」

「なによぉ!?」


 おいおい。雲行きが怪しくなってきたぞ。

 愛猫さんと黒尽くめの罵り合いをハラハラしながら見ていたところ、獅々田さんがこちらへと近づいてきた。

 収拾がつかなさそうなのを見かねて、警察を呼ぶことにしたのだろうか。

 と、思ったのだが、どうも様子がおかしい。


「えと、獅々田さん、どうしたんですか?」

「え……何が?」


 居佇まいは普段通りに優美にして可憐。だが、何故か頬が引き攣っていた。しかも声は震えている。

 すると獅々田さんは、俺の顔を見返し、そうして。


「っ」

「あ、獅々田さん!?」


 屈みこんでしまった。

 一体全体どうしたのかと、俺は慌ててしゃがんで声をかける。


「本当に、どうしたんで――」


 そこで俺は気付いた。

 彼女は右腕で目元を隠しながら肩を小刻みに震わせていた。

 獅々田さんは、泣いていた。

 だが、それに気付いてしまった俺に彼女は、震え声で。


「ごめん、ごめんね……威勢よく出てったのに、私、本当は、ずっと怖くって、耐えられなくって……情けないね」


 ベテラン? あの手の客に慣れている? 何を勘違いしていたんだ俺は。

 彼女が如何に完全無欠であったとして、少女であることに変わりはないのだ。自分よりも年上の男たちにあんな態度を取られれば、怖くなって当然だ。

 そしてずっと怖かったにも関わらず、どうして彼女はあいつらに面と向かって敵意を向けてくれたのか。

 ……それは、俺のためだ。俺を守るために、もしくはお客様があんなのばかりでは無いのだと教えるために、矢面に立ってくれていたのだ。

 彼女は自分が情けないと言うが、本当に情けないのは俺だろうが。

 愛猫さんや立木見さん、それに獅々田さんに庇われ守られ。他人事みたいに眺めるだけで。

 ……そんな自分はもう、こりごりだ。


 俺は咽び泣く獅々田さんの背中を撫でた。普段なら恐れ多いと思って躊躇してしまうのだろうが、この時ばかりはそんな事は意識していなかった。

 そして俺は、泣き続ける彼女に顔を寄せて。


「ちょっとだけ待ってて。終わらせてくるから」

「え……」


 獅々田さんの耳元で囁いてから、俺は立ち上がった。

 涙に濡れた彼女の瞳が一瞬だけ見えた。が、まじまじと見つめず一目散に向かう。愛猫さんと青年たちが口論を交わす客席へ。


「アンタたちみたいなのがいるから――」


 突然近寄ってきた俺に愛猫さんが一番に気付いて閉口した。

 次いでスーツと目が合う。

 そして。


「あ? 何をよそ見して――」


 黒尽くめが愛猫さんの視線に気づいたのか、こっちを振り向いてきた。

 その時にはもう目前まで俺は迫っていた。なのでそのまま。


「ぐへみゃっ!」


 打ち抜いてやった。頬を。

 黒尽くめがよろけながらスーツのひざ元へと倒れ込む。

 卓に置かれたまま口が付けられていない二人分のお冷を両手に持つと、俺はスーツと黒尽くめにそれぞれ水をぶちまけてやった。

 唖然とする二人を見下ろして告げる。努めて笑顔。


「お客様のご迷惑となりますので、表へ出て頂けますか? 腐れ男共」

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