第12話
ジョニトリーでの初勤務を終えて、二日後の水曜日。
俺は帰りのホームルームが終わると同時に教室を抜け出して、颯爽と家へと帰った。そして彩音にメイクを施してもらい、慌ただしくジョニトリーへと辿り着く。
ジョニトリーの店舗内に入ると、とても長いポニーテールのウェイトレスさんが俺に気付いた。そして、入り口付近でにこやかに笑いかけてきて。
「いらっしゃいませ。一名様でしょうか?」
「あ、いえ。おれ――私は従業員で」
俺が言い終えるより早く、立木見さんは目を細めてずずいと近寄ってきた。
突然の出来事に俺は「え」と声を漏らして後ろ脚を踏んでしまう。
ま、まさかではあるが、俺が男である事がバレた、とか?
でも、彩音が施した今日のメイクだって完璧だったはずだ。俺ですら鏡の前で見惚れてしまいそうになるぐらいには美少女めいていた。
では、どうしてこんな態度を取られているのか。
……もしかして、獅々田さんにバレた? それで、俺が男であることを吹聴したとか?
ありえる。ありえるぞ。二日前だって誘われるがままについつい一緒に家路についてしまったが、あれはもしかしたら俺がクラスメイトの太田司であることを確認するための工程で、そうでなくても家路につく最中で俺が誰であるかに気付いてしまったとか?
あ。そこまで考えたら、足早に帰って行った理由も、実は彼氏との約束なんかでは無くて、俺からさっさと離れたいがための行動だったのでは。
などと、凝り固まった劣等感から卑屈な答えに至るのだけど、けれどそんな思考を吹き飛ばしたのは立木見さんの呆れたようなため息。
継がれる言葉に、ただ意識を集中していたら。
「冗談だ。冗談。これぐらいの冗談は理解しておけ」
「……え?」
「二回も会ったんだ。顔はぐらいは憶えている。そうでなくとも、こんな時間に一人でファミレスにくる学生然とした女なんて従業員ぐらいだろう? それに私は記憶力だけは良いんだ。お前の名前は太田司。どうだ? 違うか?」
「えっと、そうですけど……冗談って言うのは?」
すると立木見さんは肩を竦めた。が、急に自分の手を絡め合わせ、キラキラと目を輝かせて俺を見てくる。
「もうっ! 私の事を忘れたって言うんですか! 一緒に働いた仲なのに! ……という反応を私は期待していた」
「は、はぁ……ご期待に沿えず、すみません」
結局訳も分からず頭を下げる俺に、立木見さんはフッと笑う。
「そこまで気にするな。冗談に過ぎないんだからな。それにお前は合格だ」
「ご、合格、ですか」
もしかしなくても、立木見さんはちょっと頭のネジがぶっとんでいらっしゃるみたいだ。
立木見さんは腕組みをして大きく頷く。そして意味の分からないことを言った。
「うむ。私の彼女候補に入れてやる。喜べ」
「……大変無礼を承知で言いますが、大丈夫ですか?」
「ああ、至って正常だ」
正常で意味不明な事を仰っているみたいだ。
しかし、頬を引き攣らせるばかりの俺とは違い、彼女は自然と微笑み。
「私はな、女の子が好きなんだ。初心で純粋そうな太田。いや、司。審査の結果お前は私の彼女候補に入った。とても名誉なことだぞ。あっはっは」
「は、はは……」
苦笑いするしかないだろう。
すると立木見さんは「けれど」と言って。
「一番の彼女候補は、可憐だ。あいつをも上回れるように研鑽を積むことだな」
「あ……もしかして、立木見さんと獅々田さんって、お付き合いとかされているんですか?」
俺の質問に、立木見さんはガキ大将のように鼻を擦った。
「まぁな。あんまり広めるなよ?」
衝撃的な事実発覚。
では、先日獅々田さんが言っていた想い人の正体は立木見さんってことに――。
だがそんな考えは、立木見さんの背後に現れた人物の行動によって途切れた。
「なーに適当な事を言っているの」
その人物は立木見さんの後頭部にチョップ。受けた立木見さんは「いて」と言ってから後ろを振り返った。
俺と立木見さんの視線を受けて、ウェイトレス姿の人物――獅々田さんは腰に手を当てて小さくため息を吐いた。
「まったく。太田さんは純粋なんだから真に受けたらどうするの」
「望ましい結果に喜ばしい限りだ。まずは外堀から埋める事こそ定石だろう」
「一生埋まることは無いからもう諦めて」
胸を押さえて「こんな扱いも、悪くない」と感慨に耽る立木見さんをそっちのけで、獅々田さんが俺へと話しかけてきた。
「太田さんも急いで着替えてきた方が良いわよ。そろそろ就業時間だからね」
「は、はいっ」
緊張してきた。これから仕事をするという事もそうだが、何よりも。
「……どうかした?」
「あ、いえ。失礼します」
きょとんとする獅子田さんからそそくさと離れる。
一番緊張する原因は、獅々田さんに気取られてしまわないかってことで。俺が男だとバレてしまわないか、不安である。何事も無く一日が終わりますよーに。
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