第13話
「今日は勤務日二日目よね?」
「はい、そうです」
「初日には食器と設備の名称を覚えてもらって、発声練習もしたよね?」
「はい、そうです」
制服に着替えてから手洗いを終えて就業開始時間となると、パントリーにて獅々田さんに確認を取られていた。
俺の正体がバレやしないかと常に内心はヒヤヒヤで、ついつい固い顔をしながら返事も簡素になってしまう。
しかし獅々田さんは柔和な顔のままである。そして。
「それじゃあ今日はご案内、それとお冷とおしぼりの提供をしてみましょうか」
「はい、そうで――え?」
「ん? どうかした?」
「あ、あの、それって、誰をご案内して、誰にお冷とおしぼりを提供するんでしょうか?」
一縷の望みなんて無いのは重々承知していたが、案の定。
「お客様よ?」
「で、ですけど、早すぎやしませんか? おれ――私、まだ二日目ですし、そんな、いきなり接客なんて、失敗するかもしれませんし」
「大丈夫よ。獅々田さんなら出来るから」
片手を胸元でグッと握りながら、獅々田さんはこれまた柔らかく微笑んだ。
……その信頼は一体どこから湧いてきているのでしょうか。
「それに、獅々田さんが何かミスをしても私がきちんとフォローするわ。仮にミスを犯したとしても、それって良い経験よ。ミスを犯した方が物覚えも良くなるってどこかで聞いたことがあるわ」
「な、なるほど」
苦笑で返す。だってここで開き直って「じゃあいっぱいミスしまくるぜぃ」なんて息巻けるわけもないだろう。
それからは獅々田さんにマンツーマンでご案内の方法を教えて貰った。
会釈のタイミング、会釈の角度、どこの席にご案内するのか、ご案内後にはお冷とおしぼりをご用意する旨を告げてから去る事。
その後、用意したお冷とおしぼりを卓に置き、注文の際には備え付けのボタンを押してお呼びくださいと告げる、と。
注文自体はハンディーと呼ばれる専用の端末の操作や、メニュー等を覚えていないと難しいみたいで後回し。
だが、ご案内やお冷とおしぼりの提供だけと言われても、俺の頭はパニック状態だ。
「え、えーと、ご案内を終えたら、お冷とおこぼれをご用意しますって言って」
「おこぼれは用意しないかしらね」
「それらを提供し終えたら、ご注文の際には備え付けの店員をお呼び出し下さい」
「流石に付きっきりの給仕人はいないわね」
ダメだ。日本語むつかしい。
途方に暮れてしまいかけていたが、けれど入店を告げる電子音が店内に響くと。
「はい、それじゃあいってらっしゃい」
ポンと軽く背中を押されてしまった。
顔を振り返らせると、獅々田さんがニコニコとしながら手を振ってきていた。天使みたいな顔だが、今の俺からすれば悪魔に見える。
だが、こうなってしまったからには仕方ない。破れかぶれだ。当たって砕けろだ。
自分にそう発破をかけて、俺は入り口へと向かい。
「い、いらっしゃいませ! お客様は、えーと、二名様、でしょうか?」
ふるふると震える手を挙げ、二本指を立てて示す。
入り口に立っていたのは二人の男性だ。黒尽くめの恰好と、スーツ姿の青年たち。
彼らは俺の姿を見ると、目を微かに細めた。
なに、何か失態でも早速起こしちまいましたか……?
ビクビクの俺に、けれど黒尽くめの青年は。
「ヒュー」
と口笛を吹いてきた。
軽薄そうな印象を受ける態度に、俺はぽかんとしていると。
「いいねぇ。やっぱ可愛い子がいるファミレスは最高だよなぁ」
「だよな。久しぶりに来てみたけど、こんな可愛い子がいるなんて、常連にでもなっちゃおうかなぁ」
彼らは口々に誉めそやしているみたいだ。だが俺はまったく嬉しくない。男だからだ。それに今はそんなのに気を取られる余裕も無い。それに何より、彼らの視線――どこか蛇を連想させるような粘っこい視線に、俺は嫌悪感を抱いていた。
こ、こんな客しか来ないんじゃないだろうな、この店は。
しかし、今はどうのこうの考えている場合ではない。
俺は彼らを席へと案内。座り終えると、スーツ姿の青年が尋ねてきた。
「ここって喫煙席とかは無いのー?」
「え。あー、そうですね。無かったと、思いま、す?」
「どうして店員さんが訊いてくるのさ」
あははと笑う二人に俺も愛想笑い。
俺とは違う性格をしていそうな二人からさっさと離れたくて、「それでは、只今お冷とおしぼりをご用意いたします」と告げて立ち去ろうとした。その時。
「ひぃっ」
思わず我ながら気色悪い奇声を上げてしまった。
その原因は、臀部。というか、ケツ。ケツをそれとなく撫でられたのだ。
サッと下座に座る黒尽くめの青年を見る。と、彼は素知らぬ顔をして背けた。
こ、このやろう……お前は俺を美少女だと思ってるんだろうがな、俺は男だ! ナメクジみたいな根暗な男だ! それを知ればこの状況がいかに誰も得しない状況か分かるだろうさ!
でも言えません。言えるはずがありません。
仕方なく、俺は「し、失礼します」と頬を引き攣らせながら言ってパントリーに引き上げた。
「あ、あいつらめぇ……!」
氷の入ったヒヤタンに水を注ぐ最中、俺は腸が煮えくり返る様な思いを呟くように吐きだしていた。
と。
「太田さん」
「あ、獅々田さん」
客席の方から現れた獅々田さんが俺の元へと近寄ってくる。と、急に顔を近づけてきて。
「え。え」
慌てふためく俺だったが、彼女は顔をそっと耳に寄せ。
「何かされた?」
と、尋ねてきた。
どう答えたものか。考えあぐねていたら、獅々田さんは耳打ちを止めて一思案顔を覗かせた。そして。
「あの二人、見たことがあるような気がするのよね……」
「え。常連さんなんですか?」
「いえ。そうではないわ。でも、確か……」
そこまで言って、何やら思い出した様子で獅々田さんが俺を見つめた。
やだ、その何もかも見通して見透かして、俺の正体すらも見破りそうな瞳が眩しすぎます。思わずさっきのセクハラ男みたいに顔を背けてしまうのも自明の理でしょうが。
そんな穏やかな胸中じゃない俺に、獅々田さんは何やら意味ありげな色を含んだ声を上げた。
「……あの二人へのおしぼりとお冷出しは私がするわ」
「え。いや、それは流石に」
俺は男だ。男だから耐えられる。けど、獅々田さんがあんなロクでも無い奴らからセクハラを受けるのはダメだろう。俺だってそんなのみすみす見過ごせない。
そう思って彼女の顔を見れば、先ほどの声に感じた色はやはり聞き違いでは無かったのだと察する。
彼女は意味ありげに微笑んで。
「ちょっとね、考えがあるの」
そう言った。
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