第7話
獅々田可憐。新望高校の二年生。もっと言えば、俺のクラスメイト。
彼女を表す言葉がある。それは、立てば華やぐ、座れば見惚れる、歩く姿は可憐様。
正しくその通りなのだろう。三次元には露ほども興味無い俺からしても、それを初めて耳にした時には共感したものだ。
常に彼女は全校生徒から羨望の眼差しを浴びている。自然と周りには人が集まり、彼女が校内を歩けばそこかしこで彼女を誉めそやす囁き声が交わされる。
成績はどの教科でも一、二位を争う好成績。それは体育でも同様で、毎年冬に行われるマラソン大会では、去年彼女は一年生でありながら三位という成績を収めたと風の噂で聞いた。
それに人柄も優れているようだ。それは彼女と彼女の周りに笑顔が絶えないのを見れば容易く想像が付く。正しく聖人君子だと、どっかの誰かが言っていた。
とまぁ、殆ど伝聞となってしまったが、俺でも分かることはある。それは、彼女の容姿だ。
煌いて見える澄んだ瞳。鼻筋の通った小鼻。ぷるんと艶めく唇は蠱惑的ながらも魅力的。感情の機微に合わせて見せる表情の数々は視線が思わず縫い付けられてしまう。彩音とは違った意味での百面相。なるほど、これはアイドルというか、プリンセスさながらの人気が出てもおかしくはない、と俺も納得した。
……ただ、個人的に一番目を引いたのは、彼女の髪だ。
黒く、けれど艶やかで、サラサラとした髪。前髪はふんわりとした七三で流され、後ろ髪は肩甲骨まで伸びている。何故俺が彼女の髪に着目したかと言えば、千春ちゃんとまったく同じ髪形であるからに他ならない。きっと三次元に千春ちゃんが出てきたら、こんな感じなんだろうな、と妄想したこともあるぐらいだ。
とまぁ、そんな太陽のような少女と俺は接点が無かった。そりゃそうだ。根暗でジメジメしててともすれば気持ちが悪いと陰口を叩かれていそうな俺がどうして獅々田さんと接することができようか。……自分で自分を傷つけるスタイルは辛いぜ。
ともかく、高校に上がって間もなく彼女の存在を知り、彼女が打ち立てた武勇――ラブレターを一日で十通貰っただの、告白してきた百人の男性を悉く断っただの――を噂で聞きながら、二年生で同じクラスになっても彼女をどこか別世界の住人のように捉えていた。なのに。
「……」
授業中。数学の教師が黒板にチョークを走らせる音をBGMにしながら、俺は廊下側の一番後ろの席から、窓際の先頭に座る獅々田さんへジッと視線を送っていた。この距離もまた、俺と彼女の関係性をよく表しているだろう。
どうして獅々田を俺が見つめているのか。それは昨日のあの一件、獅々田さんとジョニトリーで出くわしたことが理由だ。
結局昨日俺は、ジョニトリーの契約書にサインしてしまった。
要するに、俺は女と勘違いされたままに採用されたのだ。
クラスメイトである獅々田さんに見守られながら、女装しているのだとカミングアウトするのは、流石に躊躇してしまった。それ程人目は気にしない性質だが、女装癖という、持ち合わせていないそれを勝手に持っていると思われるのは御免被りたかった。
どうしてこんな事になったのか。そんなの当然、彩音のせいでしかない。
契約書にサインをしてから逃げるようにジョニトリーを後にした。一刻も早く獅々田さんから離れたかったのと、家で彩音を問い詰めるためである。
そしていざ帰ってみればあいつ、呑気に茶を啜りながらサスペンスドラマの再放送を見ていやがったのだ。
しかし俺がリビングにやって来たのに気づくと、にんまりと笑い。
「おかえりなさいであります。首尾はどうでありました?」
などと言ってきやがった。
その後、俺は彩音曰く『最高傑作』のメイクを落とし、ウィッグを外してから彩音に何でこんな事をしたのかは聞いた。
まず説明されたのが『あの』ジョニトリーの採用基準だ。つまり、それなりの美貌さえあれば性格等は度外視で採用するという話を彩音は知っていたのだ。
そこで俺にメイクを施し、美少女に変身させた上で面接を受けさせたのだそうだ。しかも、その時間には俺が申し込んだ本当の面接の予定があったのだが、彩音は用意周到に予めキャンセルの電話も入れていたみたいで。
「どうして言わなかったんだよ!」
と叫ぶように尋ねると、彩音は悪びれた様子も無く。
「言ったら面接を受けなかったでありますよね?」
と言った。当たり前である。女装していると分かっていながら面接を受ける程俺ははとち狂っちゃいない。決して性的少数者を卑下しているとかではなく、俺の持つ俺らしさに女装ってのが無いのだ。そんな事を家族の彩音が知らないはずも無い。
そうして履歴書には彩音自身が俺と全く同じメイクをして撮影した証明写真を貼付したこと。及び男性では無く女性と書いたことを明かされた。
余りにも万全の備えに絶句しながらも、ふと疑問が過ぎった。そこで俺はそれを、
「もしも俺がここでうたた寝してなかったらどうするつもりだった」のかを尋ねた。
するとあのやろう。
「コーヒーに睡眠導入剤を入れてたからその心配は無かったであります」
と平然とした顔でせんべえを咥えながら答えた。
マジでぶん殴りたい。兄を一体何だと思っているんだ。
そうやって怒髪天を突きかける俺に、彩音はふふんと鼻を鳴らし。
「安心するであります。バレないようにこれからもバイトの時には私がちゃーんとメイクするでありますから」
「安心できるかああぁぁぁ!」
以上、昨日の顛末である。
今、思い返すだけでも恥ずかしさから顔から火を噴きそう。憂鬱すぎる。
しかし、本当の憂鬱は今日から始まるのだ。
「……」
俺は再び彼女に目を向ける。
獅々田可憐さん。
彼女、昨日面接されていた女が俺だと気付いていやしないだろうか。
顔は自分で言うのも何だが、俺とは思えない程可愛かったはずだ。声や口調も普段とは少し変えていた。
ただ、問題は名前だ。俺は本名で契約書にサインをしてしまった。昨日は獅々田さんに名乗りもせずに逃げ出したが、けれどあの後、店長の愛猫さんから聞いているかもしれない。いくら俺が空気のような、あるいはステルス機能を標準搭載している身だとしても、流石にクラスメイトの名前であれば引っ掛かりは覚えるはずだろう。
ちらりと時計を見てみれば、丁度正午。
今に至るまで彼女から接触は無い。それに、俺がチラチラと見ても、彼女はこちらを気にした風も無い。普通なら、同じアルバイト先に女装したクラスメイトがくれば、ちょっとは気にかけてくるんじゃなかろうか。――って何だその普通って。聞いたこともねえ普通だぞ。
ともあれ、まだ気づかれていないと見て良いのだろうか……。
だが、もう一つ引っ掛かることもある。
それは、ジョニトリーで会って、彼女が自己紹介をした時、俺の顔を見てぽかんとしながら自己紹介を途中で止めた事。
……いやまさかな。あの顔と今の俺とでは、月とスッポンぐらいに違うわけで。何なら高校では路傍の石みたいな存在だし、石の見た目を獅々田さんが覚えているはずもないわな。うんうん。
と、一人で納得していたところ。
「――たくん。……太田君!」
「うぇ?」
気付けば壇上にいる先生と、クラスメイト達が俺を注視していた。
先生はこれ見よがしにため息を吐くと、教卓に両手を置いた。
「うんうん頷いていたけど、先生のつまらない授業よりためになることでもあったかな?」
ドッとクラスに笑い声が響いた。どこが面白いかまったく分からないが、とりあえず硬い愛想笑いを浮かべた。
「ちゃんと話は聞くように」
「はい、すみません……」
恥かいた……まぁ、昨日に比べれば百倍どころか一兆倍もマシだが。
と、クラスメイト達が再び授業に集中し始める中、視線を感じた。
獅々田さんだ。
彼女は他のクラスメイト達とは対照的に澄まし顔で横目を向けてきていて、俺の視線に気づくとサッと顔を逸らした。
そんな彼女の姿を俺は引き攣った顔で見つめる。
……まだ、気づかれてないよな? まさかな……まさか、な?
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