第6話
「――うん、合格ね」
「し、志望動機は千春ちゃんへの……え?」
切られるぐらいならば自らハラキリの精神で、聞かれてもいない志望動機を口にしかけたところで、愛猫さんの思いもかけぬ言葉にぽかんとしてしまう。
「ご、合格?」
すると愛猫さんは、さも当然と言わんばかりの顔をして頷いた。
「ええ。それで早速なんだけど、契約書にサインを――」
「ちょ、ちょっと待ってください。えーと、合格って、採用していただけるということですか?」
「そうよ? 何か問題でもあった?」
「いや、問題はありませんけど、こんな簡単に決めてしまわれるものなのかな、と思いまして」
今まで受けた面接は後日改めて連絡を、というものだった。大抵は採用の場合にのみ連絡で、鳴らない電話を待ち続ける日々が続いた。にも関わらず今回は即日結果発表の即決採用。百歩譲って面接を終えて直ぐに採用を決定するのは分かるが、にしても今回の面接は簡略すぎる。
その事を恐る恐る尋ねた。
「その、志望動機とかシフトとかの話はしなくて良いんですか……?」
「シフトはともかく、志望動機の話なんかしてどうするの? それで何か変わるの? 皆理由はどうあれお金が欲しいからアルバイトをするわけでしょ。本人に素質があれば、私はどれだけ不純な動機でも採用するわ」
なるほど。そういう考えもあるのか。妙に納得してしまう。
「それにしても、もう少し人を見るために話をするものではないかな、と思いまして。職場の雰囲気に合うかとか、そもそも向いていそうなのかを質問を通して見るものなのかなと」
と、愛猫さんが口を尖らせた。
「なぁに? 採用されたくないの?」
「い、いえ、決してそういうわけでは……」
言えない。内心では受からない方が身のためかも、と思っているなんて絶対言えない。
口の端を引き攣らせながら笑う俺を見て、愛猫さんは喉を鳴らした。
「あまり納得していないみたいだから、採用理由を教えてあげるわ」
「あ。是非お願いします」
確かに彩音のアドバイスを実行した。しかしだからと言ってここまで効果覿面となるのは納得できない。しかも殆ど話をしていない。その上、俺はお世辞にも明るい雰囲気など醸し出せる容姿などしていない。歩くメタンガスとは彩音からの蔑称だ。あの女今更ながら許せねえ。
一人憤る俺に、愛猫さんはニコっと笑いかけてきた。そして。
「可愛いから」
「……はい?」
「だから、可愛いから採用したの。でも貴方ぐらいの容姿なら言われ慣れてるでしょうし、褒め言葉にはならないわよね」
「ちょっと待ってください……可愛い?」
何を言ってるのやら、訳が分からない。未だかつて可愛いなんて言われたことは――。
「ほら、ウチの店ってちょっと特殊でしょ」
――言われたことはあった。ついさっきだ。ここに来る途中、あのチャラそうな青年と諍いを起こしていたスーツ姿の男性に確かに言われた。……可愛いと。
何だか嫌な予感がする。
背筋に冷や汗が伝う中、愛猫さんの声が耳に入る。
「ここはジョニトリーの名前を借りてはいるけど、実際はフランチャイズで、色々と融通が利くのよ。その一環で『可愛い女の子だけを働かせたら』話題になってね。手前みそだけど、この近辺のジョニトリーでも一番来客数も多いのよ」
「可愛い、女の子だけ……?」
「ホールにいた子も可愛い見た目をしていたでしょう? こっちとしてはちゃんとした口調で喋ってほしいんだけど、あの口調と人柄がお客様から人気を得ている分、強く言えないのよね」
ふぅ、と息を吐く愛猫さんに、俺は表情を凍らせながら小さく手を挙げる。
「すみません……鏡を見させていただいてもよろしいですか?」
「鏡? 良いわよ? ここを出た正面に姿見があるわ」
「ありがとうございます……」
不思議そうな顔をする愛猫さんを残して控室を出る。
言われた通り控室の正面に姿見があったが、電気が点いていないためにいまいち判然とはしない。俺はゆっくりとその前へと歩を進める。
まさか、な……そんなバカな……。
嘘であってほしい。勘違いであってほしい。そう願った。
だが、姿見の目の前まで来て、その願いは脆くも崩れ去った。
ネイビーのTシャツ、ロールアップされたブルージーンズ。暗い色だが足元の赤いスニーカーが差し色で映える。
ここまでは承知の通り。しかし問題は上――顔だった。
眉は細く長く垂れていて、目元は瞳が大きく見えるメイクが施されている。それに頬は薄っすらとしたピンク色で、唇はやけに艶めいている。あと、全体的に白い。指先で顔を撫でてみると、同色の粉っぽい何かが付着した。
極めつけは髪だ。エアリーだ。ふんわりとしてやがる。いくつかの髪の束が外に内にと跳ねていて、お洒落感ぷんぷんだ。ただそのお洒落ってのは、決して男性的なものではない。それに、俺はこんなに髪は長くない。
首元まで伸びる後ろ髪を握って引っ張ってみる。案の定、痛くない。これは、俺の毛ではない。つまり、カツラだ。
以上を踏まえ、全体を眺めてみる。
……単刀直入に言おう。鏡に映る俺は、カジュアルな服装をした――美少女だった。
「……」
鏡の向こうの俺は、魂が抜けたような顔をしてる。だがそれでも尚、世間的に見れば美少女と称されても何らおかしくない見た目をしていた。
どうしてこんなことになったのか、はたと思い至って俺は目を瞑る。
――やたれた! おかしい所はいくつもあった。街中で視線を感じたのは、だぼっとしたTシャツを着て胸元をパタパタしていたからだ。それに巻き込まれた問題ごとも、この容姿なら納得がいく。
そして、一番おかしかった点は彩音だ。というより俺をこんな美少女にしたのもあいつだろう。多分俺がリビングで寝ている間にメイクを施したのだ。百面相と俺が呼ぶだけあって、奴のメイク技術はすこぶる高い。俺みたいな根暗をこんな風に変身させるのも容易かったに違いない。
沸々と怒りが滾る。だが、ここで苛立ったところで何も解決はしない。
愛猫さんも俺が実は男だとは露ほども思っていないだろう。だからこそ採用を即決したのだろうし。ここはさっさとカミングアウトしなければなるまい。
正直、恥ずかしい。面接を受けて採用された挙句に女の恰好をしながら「実は男なんです。落としてください」なんて、かなり恥ずかしいカミングアウトだ。エロ本を買おうとして年齢確認されるよりよっぽど恥ずかしい。
しかし、ここはきちんと話さなくてはいけないだろう。迷惑を被らせる結果になるかもしれないのだから。
それにこの場限りの恥である。向こうは知り合いでも何でもないのだから、ネタにもされないだろうし、仮にされてもいずれは忘れ去られる。
と、無理やり自分を納得させながら、すっかり熱くなった頬を両手で冷ましつつ、控室へと向かう。
「あ、あの」
扉を開いてどもった声で話しかけると、愛猫さんがこくんと頷いた。
「うん。どうかした?」
ああ、曇りが無い瞳をしていらっしゃる。疑うことを知らぬ赤子のような目だ。この目が数秒後には汚物を見るような目に変わると考えると、思わず全身が痙攣する。
「じ、実は――」
死にたい。穴があったらダイブして埋まってそのまま死にたい。
全身が火で炙られたように火照り、冷や汗をドッと滝のように流しながら、俺はせめて愛猫さんの顔を見ないようにと、目をきつく瞑って叫ぶように声を上げた。
「実は俺、おと――」
「こんにちはー」
背後から女の人の声が聞こえ、俺は口を噤んで目を開けた。
「こんにちは」
愛猫さんが俺の後ろに目を向けながら挨拶を交わした。従業員でも来たのだろうか。
どうする。このままカミングアウトするか? 恥は二倍増しだが、しかしこのまま嘘をつき通すわけにもいかないだろう。
傍目からすればきっと、この世の絶望を一身に背負ったかのような顔つきで後ろを振り向いた。そして、目を剥いた。
「あ、ごめんなさい。来客中だったんですね」
少女はそう言って申し訳なさそうな顔を見せた。
「そうね。でも大丈夫よ。彼女は今度から一緒に働く仲間だから」
「そうなんですか?」
「ええ。今の内に挨拶をよろしくね」
愛猫さんと会話をしていた少女は俺の近くまで寄って頭を下げた。
「初めまして。ディナーの時間帯に接客を担当している獅々田可憐(ししだかれん)です。よろしくお願いしま……」
しかし顔を上げて少女は口は半開きにして固まった。対して俺もまた口を半開きだ。半開き同士で見つめ合ってしまった。
それもそうだろう。そうならざるを得ないだろう。
だって彼女、獅々田可憐は、俺のクラスメイトなのだから。
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