第5話
ジョニトリーの店舗に入ると、センサーが反応したのだろう。電子音が店内に響いた。次いで遠くから「らっしゃーせー」という声が聞こえた。
店員の姿が見えるまでに入り口から程近いレジカウンターで立ち止まり辺りを見渡す。
レジカウンターと対面には席が空くのを待つ椅子が五脚あって、それぞれの背後にある仕切りの向こうが客席となっていた。店内は広々としており、昼下がりでも客席は賑わっていた。祝日だからだろう、家族連れが目立つ。と。
「待たせたな。一人か?」
「は?」
入り口の正面にドリンクバーがあり、その左右には厨房などと繋がっているのであろう通路があるのだが、そこの暖簾を潜って姿を見せたのは一人の小柄な少女。
白いブラウスに水玉模様の前掛け、それにえんじ色のスカートに身を包んだ彼女はやや釣り目がち。表情には機微が感じられず、どことなく取っつきづらい雰囲気だ。後ろ髪を一つに束ね、いわゆるポニーテールなのだが、その毛先は腿の付近まで伸びている。滅茶苦茶長い。
……と、そんなことはともかく、だ。何だか普通のファミレスでは聞かないような口調をしていたような。というか、先ほど遠くから聞こえていた、来店した俺に対する挨拶も、やけに気怠げだったような。
いやしかし、仮にも接客業。そういった口調はするなと指導されているはずだし、どちらも気のせいだろう。
と、少女が射竦めるような眼差しをそのままに口を開いた。
「どうした? 強盗か?」
やっぱり変だ! この子変だよ!
「い、いや、その、面接に来たんですけど」
「面接? 名前は何だ?」
胡乱な顔をされ、俺はしゃちほこばってしまう。
「えと、太田、司、です」
「太田司、ね。ちょっと待ってろ」
少女は身を翻して、ポニーテールをテンポよく弾ませながら、通路の奥へと引き返していった。
取り残された俺は、少女が見えなくなったのを確認して一息吐いた。
……この店、大丈夫なのか? 個人経営の店ならまだしも、大手のファミレスであんな接客をする従業員を雇ったりして。客からのクレームとか、会社から指導とか入らないのだろうか。あるいは、そういう従業員を使わなくちゃいけない程、人手に困っているのか。まだ志望段階の身ではあるが、経営が心配である。
何ならUターンしてこのまま帰りたいなぁ、なんて思っていたら、例の通路から先ほどの店員とは別の女性が出てきた。
純白のブラウスに赤の蝶ネクタイ。それに黒のスラックスとパンプス。先ほどの少女とは違い、モノトーンのシックな服装だ。
髪はショートで前髪はアシンメトリー。綺麗な二重の両瞼にかからない形で右から左へ流され、先は頬に触れている。
化粧っ気は薄いが、それでも美人さんである。出来る女っぽい雰囲気が滲み出ている。不躾ながら見た目の年齢は二十代後半ぐらいだろうか。
と、その女性は俺を見つけると、にこやかな笑みを振りまいてきた。
「あら。立木見さんの言う通りみたいね」
「はい? 言う通り、ですか?」
俺の問いかけには答えずに、女性は辺りを見渡した。
「それはそうと、ごめんなさいね。何かの手違いだと思うんだけど、面接の話をこちらでは把握していなかったの。普段だと客席で面接をするんだけど、今日はこの通りお客様が多くてそうもいかないのよ。だから、店の奥にある従業員用の控室でお話を伺っても良いかしら?」
「はい、俺、ああ、私は構いません」
あぶねえ。普通に『俺』で通すところだった。改めて彩音から教わったコツを思い返す。一人称は私、話し言葉は敬語。アニメゲームの話題を避ける。声を高く。
それらを心の中で唱えた。
女性は「ついてきて」と言って通路の奥へと歩いて行く。俺も慌てて後を追う。
幅二メートル、長さ十メートル余りの空間が客席に隣接していた。通路は客席と壁一枚隔てているだけだ。
女性が通路に入って直ぐの突き当りを右に曲がったので、俺も追いながら周囲を見やる。
小さめのシンクのような形をしたスペースに氷が詰められていたり、その横にはグラスが並べられていて、その上には飲み水が出るのであろう金属製のホースのようなものが鎌首をもたげていた。逆側に目を向ければ、フォークやスプーンやナイフなどが収納された小さな棚がいくつも置かれている。その付近には、取り皿のような白い皿も積まれていた。そしてそのどれもが尋常では無い数である。
いかにも飲食店という雰囲気で、小さく感嘆してしまう。
と、女性の行く手に扉があった。その右側は客席に繋がる通路があり、改めて背後を振り返ると、逆側にも扉と客席に通じる通路が見えた。
女性は突き当りの扉を抜けていき、俺もそれに続く。
「狭い場所でごめんなさいね。ここは下駄箱とユニフォーム置き場で、奥に食事や休憩をする控室があるから。あ、でも控室もそれ程広くは無いから期待しないでね」
女性の言う通り、正面にはユニフォームがかかった横に大きなハンガーラックと三十近い靴が並ぶ下駄箱があった。従業員の数もその数に近いのだろう。
女性は下駄箱の前を左に曲がった。この場所はくの字の形をしている。内角には更衣室、外角にはトイレがある。
「さ。ここが控室よ」
再び扉。女性はそこを押し開き、中に入ることを促してきた。
「ありがとうございます」
お礼を口にして中へと入る。
控室は確かにそれほど広くは無かった。およそ三畳。入り口の正面に大きめの窓。部屋の中央には腰の高さほどの長机。そして長机の二辺にはパイプ椅子が都合四脚、向かい合う形で置かれていた。
俺は上座へと座ることを促され、一番奥の椅子に腰を下ろす。
女性もまた俺の対面に腰かけると、俺から受け取った封筒を開けて履歴書を軽く確認。それから気さくな笑みを浮かべて俺を見つめてきた。
「それじゃあ面接を始めましょうか。私はここで店長を務めている愛猫恋(あいびょうれん)と言います。よろしくね」
「あ、私は」
「あぁ、別に構わないわよ。貴方のお名前は太田司さんよね? ちゃんと履歴書に書いてあるから大丈夫」
机の上に置かれた履歴書に視線を落としながら愛猫さんが言った。
「あ、そうですよね……」
ダメだ。やっぱり面接となると緊張しちまう。しかも今回はサブカルチャーの話題禁止令まで出ている。一体何を話せば良いって言うんだ。ああいや待て。そもそも俺から話題を振るのがおかしい。では、これから出てくるであろう質問を予想しておくのはどうだろう。我ながら名案。面接のプロここに爆誕。
ともあれされるであろう質問だが、志望動機や、いつ働けるか等について訊かれるのではなかろうか。働く時間に関しては学校帰りから労働基準法に引っかからない時間までは働ける。労働基準法が何なのかは俺も知らん。多分重要なやつだ。そして土日祝日も同様だ……って考えてみると、本当に暇人だな俺。何だか悲しくなってきた。
しかし、労働時間はよりも一番の懸念材料は志望動機だ。この店はおろか、ファミレスにすら数えられるくらいしか訪れたことの無い俺が、欠片も興味が無かった飲食店についてどう語れと。
まぁ、ここは一つ適当にそれっぽい動機でも語ろう。「人と関わる仕事をしてみたかった」とか、「他人が食事して笑顔になる姿が好きなんです」とか。やだなにそれ、ぽいじゃん。
これならイケる、と自信を漲らせながら愛猫さんの顔を見て、俺は凍り付いた。
愛猫さんはジッと俺の目を見ていた。まるで少しの嘘も見逃さぬような鋭い眼光。俺は思わず唾をごくりと飲み込みながら、己の安直な考えを恥じた。
――嘘はつけない。この人に嘘をついても見透かされる……!
気は動転。すっかり先ほどまでの自信は消えて無くなった。
むしろこの人は俺の考えを読んでいるかもしれない。安易な嘘を吐こうとしていた俺を見透かしているのかも。
無言の圧力はあまりにも長く感じられ、その間の俺の心臓は大きく打ち続けていた。
そして、愛猫さんはゆっくりと口を開いた。
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