第4話

 自宅を出てから十分後。最寄り駅へと繋がる幹線道路の側道を歩いていた。

 連日の面接故に、今日の面接場所や社名すらも覚えていなかった俺だが、ご丁寧に彩音が簡易的な地図を描いていてくれたおかげで道には迷わなかった。

 ちなみに目的地には猫の顔のイラストと、『ここだニャン』と吹き出しが書かれている。

 後はもう道なりに歩くだけだ。地図を折りたたんでポケットにねじ込む。

 ……それにしても。


「暑い……」


 梅雨時特有のジメジメとした空気。それに六月だってのに例年の七月中旬並みの気温が合わされば、歩いているだけでも汗ばんでくる。

 額の汗を手の甲で拭いながら、胸元に空気を送る。と。


「……?」


 やけに視線を感じる。

 駅が近いこともあって、付近には人がひっきりなしに行きかっているのだが、すれ違う人達がやたらと俺に目を向けてきていた。それも男性ばかり。しかも俺と目が合うとサッと目を逸らされる。何とも居心地が悪い。


 奇抜な格好では無いと思うのだが。他に何か耳目を集める理由があるだろうか。

 はて、と首を傾げつつ進んでいく。

 と、唐突に俺の行く手を阻む人影が斜め後ろからニョキっと飛び出してきた。


「うわぁ!?」


 すわ何事かと慌てふためき、俺は無様な悲鳴を上げて身を引いた。

 しかし突如現れた人物はこっちの反応などお構いなしに、ニコニコと薄気味悪い笑みを浮かべながら話しかけてくる。


「驚かせちゃったかな? ごめんね」


 見覚えの無い青年だ。歳は大学生ぐらいだろうか。パーマがかった少し長めの茶髪に、服装は薄いピンクのYシャツにゆったりとした黒のスラックスと、お洒落感が漂っていてウザい。顔だちも整っていて、さぞやリア充な生活を送っていらっしゃることだろう。あーウザい。


 しかしそんな心境を面に出さぬよう、俺は努めて笑顔を浮かべた。

「い、いえ。お気になさらず」


 言って、ささーっと青年の横を通り過ぎようとした。が、腕を掴まれた。

「はっ?」


 何だ強請か? 難癖か? それとも八つ当たりの暴力目当てか?

 俺の脳内ストコンは瞬く間に答えを弾き出し、これは多分恐喝だろうと結論付けた。

 だが俺の腕を掴んだ青年の顔を見て、俺の脳内ストコンはフリーズした。俺と目が合うと、照れくさそうに微笑み出したのだ。そして空いた手で何故だか気恥ずかし気に鼻の頭を掻き。


「この後、時間ないかな?」

「え? やっぱり暴力ですか?」

「は? いや、違うよ。君のことが気になって」


 告げてから青年はネズミキャラクターさながらの甲高い笑い声を上げた。

 え。何この人。気持ち悪い。


「すいません。失礼します」

 身の危険をいち早く察し、俺は青年から離れようとした。が、彼の手は俺の腕を離さない。


「そうは言わないでさ、ちょっとだけ、ほんのちょっと」

「何ですかその言い方、まるでホテルに女の子を誘うような、あるいは事を致すためのような口ぶりは」

「ホテルって、そんな……ハハッ」


 おいおい。止めろよ。満更でも無さそうな顔するなよ。マジでヤバいぞこいつ。

 恐怖の余りプルプルと震えていると。


「ちょっと君、嫌がってるじゃないか」


 今度はスーツを着た三十代っぽい男性が仲裁に入ってくれた。突然の男性の登場に、青年も戸惑った様子で俺の手を離す。

 良かった。これでやっと面接に行ける……。

 と思ったのも束の間。今度は男性に両肩をがしっと掴まれた。


「ひえっ」


 もう何が何やら。正面では仲裁に入った男性が俺の目をめっちゃ至近距離で見つめてきていた。ちょっと臭い。


「大丈夫だったかい? 怪我は無いかい?」

「あ、はい、大丈夫、です」


 何でこんな心配されてるんだ俺。この前駅の階段から転げ落ちても誰も声すらかけてくれなかったのに。

 と、今度は男性の背後に立っていた青年が男性の肩を掴んだ。


「おい。抜け駆けするつもりだろおっさん」

 は? 抜け駆け? 何のこと?

 と、ぽかんとしていると、何故か男性は動転した様子で後ろを振り返った。


「ぬ、抜け駆けとは失礼な! 私は善意から――」

「とか言って肩まで掴んじゃってさ。下心丸出しだろうが」


 下心? 真心とか親切心の間違いだろ?

 そう思っていたら、尚も男性の口調に焦りが滲んでいた。


「た、確かにこの子は凄く可愛いけど、私はそんな――」


 衝撃の事実。仲裁に入った男性もそっちの気があったらしい。

 無論、俺にはそんな気は無い。千春ちゃん一筋だ。だが俺の事などお構いなしに、二人の口論はヒートアップ。


「肩を触って内心では役得とか思ってたんだろ?」

「き、君こそ強引にどこかへ連れ出そうとしていたじゃないか!」

「あ、あれは確認を取っていただけだ。ハイエナみたいに立ち回ってるあんたよりはよっぽど男らしいだろ!」

「あの――」

 声をかけるも相手にされず。


「強引に力で連れ出そうとする人間が男らしい? 最近の若い奴は本当に腐ってるな!」

「じゃあ若者の話に首突っ込むなおっさん。時代遅れなんだよ考えが!」


 俺の発言を無視して舌戦を交わし合う二人。野次馬も出てきて、このままでは警察沙汰にもなりかねない。そうなれば、面接は……。

 さっきっからイライラとしていた。ただでさえ暑いし、どうせ面接も落ちるしやる気も起きないのに、こんな面倒事に巻き込まれ、しかも発言を無視され。

 俺の中でプツンと何かが切れた。そして。


「おい」

「「は?」」


 男性二人が口を半開きにして俺を見てきた。何だよ、始めから話聞けるんじゃねえかよ。

 俺は封筒を顔の横に掲げた。

「俺はバイトの面接に行かなきゃ行けねーの! アンタらの話に付き合ってる暇は無いわけ。だから俺はもう行くぞ?」


 あえなく却下される気がしていた。二人の熱はすっかり上がってしまっていたようだし、俺なんかの発言でそれが下がるとは思えなかった。が。


「え、あ、はい」

「わ、分かりました」

「ん? まぁ、分かればよろしい。そゆことで」


 まるで狐につままれたような顔をしてコクコクと頷く二人に背を向け歩き出す。

 ……あ。もしかして俺いつの間にか男らしくなったのかもしれない。だから大の大人二人が俺に恐れをなしたのだろう。うん、何とも気分が良いぞ。

 意気揚々と目的地への道のりを進んだ。そうして漸く目的地が見えた。


 想定外の問題ごとに巻き込まれはしたが、携帯で時刻を確認すれば三時五分前。ギリギリセーフ。

 携帯を仕舞いながら目前に建つ建物を立ち止まって見つめる。


 二階建て。一階は駐車場で、建物の正面にはエレベーター、左手に二階へと続く階段がある。そして二階の壁には店舗の名称が書かれた看板が掲げられていた。


『イタリアンレストラン・ジョニトリー』


 知らぬ者などいない超有名レストラン。と言えば聞こえは良いが、端的に言えば大衆向けのファミリーレストランである。都内であればニ、三駅に一軒はあるぐらいのポピュラーなレストランチェーンだ。そしてここが、今日の面接場所。


 だが、今更ながらに俺は首を傾げていた。

 俺、こんなとこ応募したっけ?


 むむぅと唸りながら考え込む。

 面接も十社を超えた辺りからは手あたり次第に受けていた。業種も様々で、勿論サービス業も含まれていた。だが、ファミレスは敬遠していたはずだ。というのも、ハキハキと喋って、しかも愛想良く振る舞う己の姿がまったく想像できなかったからだ。


 とは言え、今更悩んだところで仕方がない。先方に迷惑をかける訳にもいかない。

 釈然とはしないが、俺はジョニトリーの階段を昇り出した。

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