「Destruction 311 version」
3月11日 卒業式
午後の第二部終了後 15:00より打ち合わせ
飲み会もあるしそれでその日は終わるはずだった
14:35にぷーさんのコップを洗って 席に戻って
PCの電源を入れたままにして蓋を閉じた
「あと15分か」 と時計を見て次の仕事の段取りを考えていたら地鳴りがした
そのあと激しい揺れが室内を襲う
14:46
最初のひと揺れでそれはわかった
地面を這うように響く重い地鳴り
いつもの地震と違う揺れ 東西に引っ掻き回されるような横揺れ
机の下に避難しても 足を持っていないとそのまま床に投げ出されてしまうほどの揺れ
2段重ねのロッカーが音を立てて降りそそぐ
すべてのものが落下する
コンクリートの軋む音 陶器の割れる音
点滅する蛍光灯 真っ暗になる室内
「地震だ! 動くな! そこにいろ!」と
校庭で部活をしているサッカー部に声をかける人もいた
揺れが収まると部屋のなかはグチャグチャだった
一瞬 辺りは静まりかえる
恐る恐る机から顔を出すと再び地鳴りがしてさっきよりもひどい余震
大きさも時間的な長さも今までの経験を覆す
コンクリートの箱に入って物凄い力で東西南北にシェイクされたような感じ
(あまりの揺れの長さにジェットコースターに酔ったように気持ち悪くなった)
33年前の悪夢より規模が大きい
同じレベルの地震が一度に二度来たら 築64年の校舎はもたない
1階にいるから土台が振幅に耐えられなくて崩壊し圧死する
「これはもうダメだ 死ぬんだな」と思った
奇跡的にも建物は崩壊しなかった
ロッカーと机のあいだに挟まれた同僚を助け出し
地震が静まったあいだに屋外を目指す
とりあえずバッグと車のキーだけを持って外へ
外へ出てみると校舎がM字に歪んでいる
閉めていたはずの窓が開きカーテンが風になびく
コンクリートの犬走りはアコーディオンのように折れ曲がっていた
あちこち地面が陥没している
視線を周囲に向けると電柱が家の方に傾き 遠くの方からサイレンが聞こえる
あちこちから子どもたちが集まってくる
つい2日前に話していたことが現実になる
「33年前にあったことはあなたたちが生きてるうちに起こるよ
いつかはわからないけど確実に起こることなんだから 覚悟を決めないと」
当時小学4年生だった私が経験した事から学べることがあると信じて
確かにそう言った だがこんなことってあるのだろうか
しばらく経って校庭には続々と車が入り 避難者が押しかける
上空のヘリから「大津波警報が発令 高いところに避難するように」と告げられた
逃げる場所はこの建物しかない
津波の規模はわからない
ワンセグを持っている人がTVを見ると太平洋沿岸一帯に出されている
建物内が安全かどうかの確認をする間もなく とにかく全員で誘導する
誘導しながら 内部の有様を知った
旧校舎と新校舎のつなぎ目がまっぷたつに分断されめくれ上がっている
ちょうどせんべいを手で割ったときのように ヒビも多数
その間にも大きい余震 とにかく職員は最後尾について上がった
その日からここは避難所
阪神淡路大震災のことがよみがえる
あのときに避難所と避難所になった場所にいた職員が抱えた問題がいま現実にある
ひとつだけ違うことは県民が33年前を経験し訓練しているということ
あの地震を想定して準備をしていたということ
仮設トイレ 備蓄の水とアルファー米 クラッカーと乾パン
救援が来るまでの1~3日間=72時間をしのがなければならない
この場所にあるすべての物品を使ってしのがなければならない
いま生きてここにいる人達がすべての優先
280世帯 約400人の人達が
夕方6時過ぎ 倉庫から備蓄を被服室へ運び込み
仮設トイレの設営を見守りながら人が建物に入り込まないように門番をしていると
色々な人からトンでもない情報が入ってくる
10mクラスの津波が来て 小学校の3階部分まで舐め尽くしたと聞いた
荒浜にはもう何も残っていないと
行方不明者は2~300名にのぼるという話も
家も何もかも失ってここへ来たけれど命があっただけ
家族が無事なだけましですよねと言われた
何も言えなかった
制服姿のまま 保護者に会えない子どもたちが避難所にやって来る
みんな 私の顔を見ると泣きはじめた
生きててよかったと言うことと抱きしめることしかできない
避難所の中は電気もなく真っ暗
おまけにコンクリートの上にラバーが乗っただけの冷たい床
ダルマストーブは5台しかない
余震が続いているので市の対策本部からはまだ点けないでくれという
暗闇のなかで配った備蓄の水とクラッカーはあっという間になくなった
職場を出たのは夜8時ちかく
全県停電で何も明かりがない 道路は亀裂 陥没箇所が多数
電線が目の前にぶら下がり 信号機もなく幹線道路へ出るまでが渋滞
幹線道路に出てもヘッドライトだけでは暗すぎて何処を走っているのかわからない
いつもなら30分の道を慎重に1時間かけて帰宅
携帯は地震直後から規制が入って繋がらなかったけれど家族は幸いにも無事だった
次男は6時間目の国語の授業中に4階で地震に遭ったがすぐ避難
しろがねさんが迎えに行って駐車場の車で待機
長男はI区のカラオケボックスで地震にあったがTVを押さえて避難
そこから歩いて移動 コンビニに並んだようだが埒があかず
運良く通りかかったS駅前までのバスに乗り(おそらくは地震後の最終便)
10時半に徒歩で帰宅
1晩目は家族でラジオを聞きながらエンジンをかけたまま車のなかで過ごした
20~30分に1度あるほどの余震に目を覚ましながら
翌朝の日の出は5時51分
太陽の光がこんなに安心できるものだとは思わなかった
(ふとエジプト神ラーの話を思い出した)
そうして1日目を過ごす…
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