第4話
焼け落ちた建材は、まだぷすぷすとところどころ白い煙を上げていた。
辺りに人影はなかった。が、少し離れた〈市場通り〉の商店の前から、こちらをうかがう視線を感じていた。
かつて革細工店であった敷地に踏み込むと、地面はまだ熱を持っているように、私は錯覚した。気のせいか、頬の火傷がまた傷み始めたように感じられた。
黒焦げになった棒を拾い上げた。昨日の記憶を頼りに、おそらく
掘り出したのは、土瓶の一部だった。さらに周囲を探すと、砕けた土瓶の破片がほかにも三つ見つかった。いずれにも、油が付着している。が、以前に見つけたもののような文様は刻まれていなかった。
私は動きを止めた。懐紙で
背後から風圧を感じた。
体をかわす。右肘で付く――手応え。胸の真ん中を突かれ、灰色の塊が地面に転がった。剣を抜き放つ。駆け寄り、切っ先をその塊に突きつけた。
紺色の覆面をかぶった男が、煤まみれの地面から私を見上げていた。かたわらには、男が持っていたと思しき木ぎれが転がっていた。
「ウロコネズミの匂いがするな。向かいの空き家の右側に二匹、左に一匹、そして私の後ろのマダラスギの林に一匹」
私が言うや否や、背後に気配があった。
私は覆面の男の首筋に手刀を叩き込んだ。男が昏倒すると同時に、振り返った。すぐさま剣で
初老の痩せた男の頭が現れた。これまで何度も相手にしてきたような、ならず者の眼ではなかった。おそらくは職人であろう。長年の生活の苦労のためか、深い皺が顔に刻まれている。
「あんたが火付けの下手人か?」
私が訊くとほぼ同時に、背後で
同様に覆面をかぶった人影が四つ、近づいていた――合計六人。私の読みより一人多かった。それぞれ、木ぎれや手斧、大ぶりの岩を手にしていた。いずれも、腰が引けている――素人だ。
一人が、うなり声とともに手斧を振りかぶり、私にとびかかってきた。体をかわす。男がのめった瞬間に、背中に蹴りを入れた。男は地面に顔から突っ込んだ。
私は初老の男の肩を左足で踏みつけたまま、剣の切っ先を男たちに向けた。
私を取り囲んだ人影たちが、それぞれ後ずさり始め、誰かが合図をしたかのように、一斉に逃げ出した。
私は足下に横たわる初老の男を見下ろしながら、剣を鞘に収めた。
「友人には恵まれていないようだ」
私が言うと、男は私に向かって唾を吐いた。その唾の塊は、私には届かずに男自身の胸に落ちた。
「クソ小人のケツをなめやがる、よそ者風情が!」
初老の男はうめいた。
「何が言いたい?」
「小人同士で勝手に殺し合ってろ! 小人の女郎を殺しまくる気の触れた小人野郎の肩を持つようなてめえは、大人族の風上にも置けねえ」
「下手人が
「うるせえ。小人好きの外道が! 小人どもと一緒に村から出て行きやがれ! この村は、俺たちのものだ」
男は歯がみしながら、吐き捨てた。
私は男の腕を摑み、ひねり上げた。初老の男は裏返った悲鳴を上げた。
「あんたたちに石もて追われても逃げ出すつもりはないね、残念ながら」
私が言うと、男はもう一度、唾を吐き捨てた。やはりその唾は私には到達せず、地面に落ちた。
私は男の腕をさらにひねり上げた。
「あんたの焼き菓子屋にも
男が激しく歯がみするギリギリという音が聞こえた。男の顔に、狼狽のいろが拡がっていた。
「だ、だ、黙りやがれ……どうして俺のことを……」
男が歯ぎしりの隙間から、声を漏らした。
何のことはない。男の両手指の爪の間に、赤黒いルリカエデの蜜が付着していた。これは、おもに西方の焼き菓子に使われる甘い蜜だ。そして、サンナ村でその焼き菓子を作っている店は、私の知る限り〈市場通り〉に一軒だけしか存在しない。以前、フィエルのために菓子を買ったことが一度だけある。その際に接客したのは、男ではなく、若い少女だった。私の記憶にある少女の鼻から口の形は、男に似ていた。娘が店番をしていたことなど、誰にでもわかることだ。
「クソ小人びいきのクソ外道がっ!」
男はうなり声を上げた。どこにそんな力を隠していたのか、一気に私の体をおしのけ、駆け出した。
私は、追おうとはしなかった。男は、こけつまろびつしながら〈市場通り〉から裏の路地へと逃げ去って行った。
上衣の土埃を払って立ち上がった。〈市場通り〉は、閑散としていた。が、そこここから、私に向けられている鋭い視線を感じた。
「もう戻りましょう」
若い
冷たい秋雨が降りそぼっていた。じっとりと全身を濡らし、体の奥のほうから冷え切っていく。顔の火傷に冷たい雨が滲みた。
「前の襲撃――イルルーサが襲われたのは、真夜中過ぎだった。まだ一刻(約二時間)もある」
私が言うと、若い黒帽隊員は顔をしかめた。寒さをしのぐために足踏みしているその姿は、エンデイスよりもさらに二つ、三つ若く見えた。まるで、子どもだ。
「ギンセラ隊長は、最近詰所にいないようだが?」
「さあ、俺みたいな下っ端は、隊長と顔を合わせる機会なんて、めったにないっすよ」
私が黒帽隊とともに〈
「殺しだ!」
裏返った叫び声が、〈緑月楼〉から〈なか道〉につながる小径から夜の雨を通して聞こえた。
私は剣の柄に手をかけ、声のほうへ駆け出した。
「どこだ?」
私は剣を鞘から抜き放った。
「違う、違います」
手提げ灯を持った黒帽隊員の姿が現れた。黒髪で肌の浅黒い若い男だった。男は激しく息を切らして言った。
「ワーガス副長からの遣いです。女の死骸が河原で見つかったんです。詰所に運んで検分中です」
「身元は? また〈緑月楼〉の女か?」
「は、はい……
黒帽隊員はあえぎあえぎ答えた。
天井をにらむ双眸は、泣き濡れているかのようだった。生きているときも、耐えずべそをかいているように見えたものだったが、今ではまばたくこともなく、底なしの悲哀をたたえたまま、ぴくりとも動かなかった。赤い髪は頬に貼りつき、あたかも野蛮な植物の蔓のようにも見えた。
私の背後で、ふらっと空気が揺れるのを感じた。反射的に振り返る。〈緑月楼〉楼主のラナディウが顔面を蒼白にして、まさに崩れ落ちようとしていた。寸前で抱き留めると、ラナディウは私の肩に頭をあずけ、全身を小刻みに震わせた。
「ゴルカン……どうなってんのさ……この子まで……ミグナルまで斬り殺されるなんて、あたしたちどうすりゃいいのさ!」
ラナディウは身を離すと、泣き濡れた顔をゆがめながら、私の肩と胸に、拳を叩きつけた。一度、二度、三度と。
「ねえゴルカン、下手人の狙いは何なのさ? あたしたちを皆殺しにするつもりなのかい?」
ラナディウの眼には恐怖のいろが浮かんでいた。これほどまで
扉が開き、渋面を作った医師ユーリパが現れた。がっくりと肩を落としている。彼の脇に立つ薬草売りのアシンベクは、さらにげっそりと憔悴しきっていた。ラナディウと同様に、いや彼女以上に、今にも倒れそうなほど蒼ざめていた。
「ゴルカンさん……この下手人、必ず斬ってください」
嗚咽混じりにアシンベクはかすれた声を絞り出した。
「きみは私の命を救ってくれた恩人だ。ミグナルは、きみにとって大事な人だったんだね。私にできることは、何でもするよ」
「お願いします……」
アシンベクは両手で顔を覆った。
そのとき、アシンベクの後ろから長身で銀髪の女の姿が、ゆっくりと現れた。
「ゴルカン、しくじったな」
黒帽隊隊長、ギンセラだった。彼女は、鋭く冷たい視線を私に向けていた。
「必ず下手人を捕らえます。殺された娘たちの
答える私の声は、思いの外かすれていた。奥歯をぐっと噛み締める。
ギンセラはすぐに、寝台に横たわるミグナルへ視線を向けた。
「死因は?」
ギンセラがユーリパに問うた。
「正面から、ひと突きだ。痛みを感じる暇もなかったろうな。心の臓を刺されて即死だよ。言っとくが、ほかに傷ひとつねえ。犯されてもいねえよ。きれいな顔のまんま、ピローナ神のもとへ行っちまった。せめてもの救いだな」
乱暴な口調だったが、ユーリパの両眼は潤んでいた。
「現場は?」
ギンセラはミグナルの衣類をあらためながら、訊いた。
緊張でがちがちに体を硬直させながら、若い黒帽隊員が答えた。
「はっ、ユイヌ川とウェルスー川がちょうど合流するあたりのユイヌ右岸です。砂利の上に女が倒れていると、巡回中の黒帽隊員が通報を受けました。駆けつけたときには、すでに息絶えていました」
彼の報告によれば、今から半刻(約一時間)ほど前、家を抜け出して川原で夜釣りをしていた三人の少年が、屍体を発見。現場での検分の結果、着衣に乱れはなく、胸を鋭利な剣状の凶器によってひと突きされていた。辺りには血が流れ、その場から屍体が移動させられた形跡はなかったという。
「この
ユーリパが疲れ切った声で訊くと、ラナディウは泣き腫らした眼で、ユーリパをにらみつけた。
「冗談じゃないよ。あたしがミグナルを死なせたって言うのかい? いくら先生でも、それは聞き捨てならないね」
「そんなこたぁ言っちゃいねえ。けれどな、そんな刻限に勝手に川っ原に行かせなかったら、この子はこんな目に遭うこたぁなかったはずなんだ」
「やっぱり、あたしが殺したって言うんじゃないか! うちの
「やめてください、二人とも」
言い合うユーリパとラナディウのあいだに、真っ赤な眼をしたアシンベクが割って入った。
ギンセラ黒帽隊長が静かに続けた。
「わたしたちがいがみあえば、その陰で笑う者がいる。すでにサンナ村には不穏な空気が蔓延している。そうだろう、ゴルカン? 貴様は身をもって知ったはずだ」
ギンセラは私に顔を向けた。
「ええ。ルフゥ、エッレイ、イルルーサ。小人族の娘ばかりが立て続けに襲われ、下手人も小人族だと考える者がいる。〈市場通り〉の火付けも、そんな村人によって行われました」
私がそう答えるのとほぼ同時に、乱暴に部屋の扉が押し開かれた。
「ゴルカン、貴様……ここで何している!」
飛び込んできた大柄の人影は、副長のワーガスだった。
「ワーガス副長、何ごとか?」
「た……隊長、下手人が見つかりました、今、部下が追跡中です」
「なにっ? まことに下手人だろうな?」
「〈
「蟲車を準備せよ」
すでにギンセラ隊長は剣を取り、腰に収めていた。
私は二頭立て蟲車の後部座席にギンセラとともに乗り込み、〈なか道〉を東へと向かった。
〈なか道〉の北側、あばら屋が並ぶ〈
「車を停めろ」
ギンセラが御者に命じた。蟲車から跳び降りるギンセラのあとを追って、私も駆け出した。何かしら嫌な予感が私の頭の一部をとらえていた。
「小人野郎の姿が消えやがった!」
誰かが怒鳴る、憎悪に満ちた声が耳に届いた。
「あっちだ! 人殺し野郎をとっ捕まえろ!」
「焼き殺せ!」
暗がりの向こうに、松明を掲げた影がいくつも蠢いている。口々に罵声を上げながら、〈蟻塚長屋〉へ続く路地へと入っていくのが見えた。
私は、はっと気づいた。すぐにギンセラとは離れて走り出した。
「ゴルカン、勝手に動くな!」
ギンセラの声を背中に聞きながら、私は〈なか道〉を横断して南側へと走った。
ここから〈クトラシア〉は目と鼻の先だ。
私は独り、深夜の暗闇の落ちた〈なか道〉を、わずかな緑月の明かりを頼りに走った。
〈クトラシア〉に着いたとき、店の灯りは消えていた。扉を押し開けると、店内は暗闇に覆われていた。が、明らかについさきほどまで人が動いていた気配が残っている。飯台の上の盃や食器類はまだ残されたままだった。
「ヘスクス、急に店を閉めて隠れているんだろう、わかっている」
私は暗闇に向かって呼びかけた。
ほどなくして、奥の厨房から物音がした。私は飯台を乗り越えた。
「おっと客は立ち入り禁止だ。今日はもう看板だよ。帰んな」
厨房からヘスクスの小さな影が現れた。
「ここで
「何の話だ? あんまりしつっこいと
「聞いてくれ、ヘスクス。〈緑月楼〉の娼婦殺しの下手人を捕まえて私刑にかけようと、
私はヘスクスの背後の闇へと声を投げた。
ヘスクスがぬっと私に近づいたとき、もう一つの小さな影が闇の中に現れた。
「ぬかったぜ」
ザンピロが吐き捨てた。
「らしくないな。なぜ見つかった?」
「おまえさんの
「仇討ち?」
「トトラク爺の店を焼いた野郎をぶった斬ってやろう思ったんだがな、しくじっちまったぜ。まあ、片腕は落としてやったがな」
「火付けの下手人? 〈市場通り〉の菓子屋のおやじか?」
「菓子屋? 違うな。〈市場通り〉の酒屋の若主人だ。くそっ、まさか店ぐるみで火付けに加担してるたぁ思わなかったぜ。客のフリして店に入った途端、すぐさま店の連中が黒帽隊に通報しやがった。その上、近所中に吹聴しやがったんだ。大人族はやっぱり信用ならねえ。慌ててケツまくって逃げ出しちまって、ざまあねえぜ」
私は懐から割れた土瓶のかけらを取り出した。革職人の店の焼け跡で拾ったものだ。
「私の小屋から盗んだものを返してもらおうか」
ザンピロは舌打ちをし、しぶしぶ懐に手を突っ込み、無造作に私に突き出した。
その手に握られているのは、同じく小さな土瓶のかけらだった。私は飯台の上に破片を並べた。それらの輪郭はぴったりと合い、一つの大きな陶器のかけらとなった。
組み合わさった今、六角形を模した紋章の一部分が彫られているのが、はっきりとわかった。雪と氷の神、ネゾールフ神の紋章だ。
「〈樹氷庵〉だ」
ザンピロは言った。
「店の名か?」
「ひと目見て、あの店だとわかったぜ。前々から噂は聞いていたんだ。あそこの馬鹿な三代目どら息子が、以前から〈
「小人族を村から排斥しようと扇動しているのは、その男なのか?」
「ああ。女郎買いや博奕で、どら息子とつるんでる連中がいる。そいつらもお仲間だ。黒帽隊の一部ともつながってやがるらしい」
その瞬間だった。ヘスクスがはっと顔を上げた。
「誰か来やがった。足音がするぜ」
と同時に、扉が激しく叩かれた。私は飯台を飛び越え、扉の前に取り付き、扉をぐいと押さえた。
激しく扉がガタガタと揺らされる。私は心張り棒を架けた。
「ここから出るぞ」
私は言った。ヘスクスが動揺して眼を泳がせた。
「冗談言っちゃいけねえ! 寝言はピローナ神の前で言いな!」
ヘスクスの前にザンピロが割り込んだ。
「裏口はあっちだな」
ザンピロは一人で厨房の暗闇へと姿を消した。私は飯台を乗り越えてヘスクスの腕を摑んだ。
いきなり、壁に陶器が叩きつけられる音が聞こえた。
「逃げるんだ!」
私は言った。ぽかんとした表情のヘスクスの腕を引っ張り、厨房へと向かった。
さらに続いて二度、三度、四度、陶器が割れる音が外から聞こえた。そしてすぐさま、焦げた臭気が〈クトラシア〉店内に広がり始めた。
「おい、勘弁してくれ! 店が!」
ヘスクスが悲痛な声を上げる。私は彼を引きずるようにしてザンピロの後を追った。
すぐに背後の壁から煙が上がり始めるのがわかった。パチパチと爆ぜる音も耳に届く。窓の外に朱色の光がまたたいていた。
「ゴルカン、早く来ねえか! 図体のでかい野郎は、のろまで見ちゃいられねえ!」
ザンピロが暗がりのなかで言った。私はヘスクスの腕を引きずり、彼の声を頼りに厨房の奥へと進んだ。
ぱっと背後が朱に染まった。熱気が私たちのところまでも届いた。壁が焼け落ちたのだ。
「ああ、俺の店が!」
ヘスクスが私の胸元で悲鳴を上げた。
ザンピロが、厨房の奥にある小さな扉を開いて待っていた。私の喉元あたりまでの高さまでしかない、小さな扉だった。
「急げ、〈灰色の右手〉! てめえに死なれたら、俺も目覚めが悪い!」
ザンピロが吐き捨てる。
私は身をかがめ、ヘスクスとともに扉をくぐり抜けた。すぐあとからザンピロも続く。
店の表側で、松明の光がいくつもまたたいていた。おそらく二十人近い人間が集まっている。〈クトラシア〉の外壁はすでに炎に包まれていた。緑月の昇った夜空に煙が吸い込まれていく。
「〈灰色の右手〉、菓子屋のおやじがどうとか言ってたな。どうして見つけ次第、叩き斬らなかった? あの野郎どもはミズアブラムシと同じだぜ。一匹でも逃すと、すぐさま何十匹にも増えやがる」
めりめりっ、という轟音とともに、〈クトラシア〉の西半分が崩れ落ちた。無数の火の粉が夜空に舞い散る。松明を掲げた人影の群れから、どよめきが上がった。悲鳴を漏らしかけたヘスクスの口を、私はぐいっと覆った。
「連中に見つかったらことだ。西へ向かおう」
私は二人に囁いた。
さらに大きな火の粉を撒き散らし、〈クトラシア〉の建物が倒壊した。
「緑の夜の刺客 / 〈灰色の右手〉剣風抄」最終話へつづく
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