『もの言わぬ迷い子⑤』

『もの言わぬ迷い子⑤』




 ・・・




 決行前夜——トリケランダーの背には件の龍種の生息地を再現して安定した温度。

 また重力環境さえも調整可能な卵専用の仕切られたとばりの個室を維持しつつ気配の少ない青年で側に見守る。

 暗所でも満点の星空の下で時折には本来なら蛇龍の尻尾でやるように『ジャラジャラ』と、流れる体の信仰を持つ女神でも自ら生やした尾の先で音を出してやる程度で『十分』の取り扱い。




(…………)




 それは記録と実物を参照して形に音を真似た精巧の波長であり、対するも卵の中から未だ軽い印象を残す真似の音は聞こえて。

 その少しずつ同種間で『"敵意も危険もない"と知る発育の段階を助ける程度』が『のちに大き過ぎる影響のなし』を穏便とする可能な限りの支援であった。




(……可愛らしい音)




 そうして昨日に会ったばかりで卵の殻越しにしか青年は相手の姿形を知らねども——。

 それにも関わらず女神の玉容で確かに己の内に覚える"愛着あいちゃく"が赤子あかごの側を片時も離れぬのは『不意に親から離れた迷い子』という『"自身と似た境遇"を前にして放ってなどおけなかった』という"同情どうじょう"が第一に。




(大きさだって今はこんなにも小さいのに……いつかはこの子でもきっと、翼は空を覆い隠すようになるなんて)




 その『他者への献身』を綺麗に表現として飾るのも当事者の心情と動悸の実態で距離が開くと感じられてむず痒ければ、より正確に表して『他者の苦痛や不安に陥るだろう現状が己にも苦しく感じられて仕方がない』。

 または『もう既に、その手の苦悩は己で嫌と言うほど今にさえ味わって、君の同じ経験を見ていることさえ自身の内に苦しみの想起を掻き立てられてたまらない』などとの"いびつな心の声"が潜む。

 故にも"日々の助く動機"とは『その己の胸中が騒ぐ不快や焦燥を回避するために。"他でもない自分が楽になりたい"から他者を放っておけない』とでも言えようか。

 時にそれは多くの者が持つ"共感性の発露"の一つであれば、されど青年では『崩れ去ってしまった己の形に心』に由来する"脅迫的なまでの衝動"が手弱女たおやめの表面上に繕う捗々はかばかしさの裏側で常に暗く存在していた。




「…………」




 なにせ人の過去に『自分でない女神なにかと相成ってはがよく分からない』のだ——『だって、自分じぶん他者たしゃになったのだから』。

 それも即ち『現在の此処に存在するのは【他者たしゃ】という【自分じぶん】』?。

 かつて人として持っていた筈の自身を構成する要素は大半が失われ、どころかそもそもの『という客観的事実さえ皆無』なら——『"本来ほんらい"とは何時いつ何処どこに在ったものなのだろうか?』。

 歳若き青年には考えども明確な境界線など見つからず。

 たとえてうみそそかわのように、『人』と『神』との要素も溶けて混ざり合えば区別の境界など曖昧に希薄が無いに等しい"そんなもの"。

 事実として『何方どちらおのれ』として主観に感じられる意識が大いなる世界の流れに抗い難きまま、乗せられ——『先立つ真実』だと感じられていた人の記憶は届かぬ過去に離れてしまって遠く。




(……"そうしてきみには、いつまでもすこやかでいて欲しい")




 斯くしても『溶けて消えた己は今現在で誰か』なら、『泥のように眠った先で次に目覚めた時には自分じぶんかも知れない他者きみ』が『単なる他人たにんこと』とは最早一笑いっしょうすことあたわず。

 そうした青年女神の動転した内心で今尚続く混乱の中にあれば『人が人に言う悪い冗談にひそめる眉根』や、また時に『家具のかどに指を引っ掛けての小さな悲鳴』さえ"傷心に痛く染みての勝手な共感"が己に病的なまでの震えを発生させて落ち着かない。

 過去には多くを失う恐怖を見知り、死線に死地で耐え難い苦痛に悲痛を体感してきた身として——"皆が自身と似た苦しみや悩みを抱える平時"にあっても『痛みに不安の波長が絶えず伝播でんぱするようでまない』のだ。




("小さくとも背には何処までも羽ばたけるような翼を備えて、思うまま——自分きみの行きたい所へと、自由に")




 しかしてこその『他者おのれが苦しみ悶える現状など嫌だ』と考えより先に今を変える活路にげみちを求めて奮い立つ者——いや、震えても"現状に甘んじて待つことさえ苦痛"なら『変化を求めて立つ以外に選べる道もない』のが青年という女神。

 先述の動機を詳しく言って『自分たしゃが困っているなら、放ってなどおけない——なぜなら他者たしゃの苦境を放ったままでは何時まで経っても自分じぶんが苦しいだけ』とも表現はできようか。

 それ即ち、とうに疲弊した心を重苦しく抱えていたとしても、己の生きていた足跡や記憶の積み重ねの全てが容易く無に帰す水泡すいほうのように虚ろであっても"止まれない"。

 だとしても今更に生きる目標の見つからなければ、確たる本心も定まらぬに生きる意欲すら湧かずとも『全ては自分の苦しみを紛らわすためでも——"他者の為"になら頑張れる』。




(……そうだ。『君のあるべき』はきっと——『他でもない君自身の望んだようであるべき』なんだ)




 まだ『目の前の他者は生きている』なら、『死した事実すら不確かで生けるしかばねの如き己』よりは『優先すべき価値あるもの』と思えるから。




(……そう、それがいい。だからそうして、自分も……たとえ僅かでも君の羽ばたける其の一助になれれば——)




 "おれの安らかなるために、君の幸せに貢献できたのだという実感を"。

 "無いに等しい己"でも『自分の存在する意義』を求めての声なき叫びが胸で静かに木霊こだまする。




(本当に自分勝手な想いだと分かっていても、"本当に君の為になれたのなら"……少しぐらいいびつな動機でも——)




『我が弟子』

『——"!"』

『間もなくだが、準備は出来ているか』

『は、はい。大丈夫です』




 心を配ってくれる女神たちの前では中々に見せぬ退廃的な虚脱の眼差し。

 それでも自嘲気味の乾いた笑みに歪んだ口角は恩師の声掛けに際して危うい思考を振り払うように首を振って眼前の事に集中。




『自分は……何時いつでも』

『では、間もなくの夜明け。龍の覚醒かくせいを見計らいつつに向かいます』

『——了解』




 闇夜やみよを作る神の計らいで赤子の寝ているような状態へと届かぬ声をささやき掛けたとて『勝手な同情で干渉かんしょうはしない。これでいいのだ』と。

 "龍の親子達の間で関係の悪化でもなければ不運に起きた別離"なら。

 "己と違ってまだ後戻りが出来るなら"——その先でこれからに広がる『親子の良き可能性』を願わんとして臨む。


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