『水面下に魚心③』

『水面下に魚心③』




 その後では『調査への協力』と、少女からは『日頃の礼』も兼ねて招かれた青年。




『——了解しました。お気を付けて』




 見慣れた住居を訪れて間もなくに夕食を頂き、けれど『食欲が減衰している』旨をやんわりと明かして自分の量は今回も少なめ。

 口に運び入れた物が喉奥で暗黒の渦に吸い込まれるよう処理されての、暫く。

 先述の通り『都市でお勤めなら』と少女の厚意で宿泊の提案も受け、やはり民家でも新規に増設されている筈の『水洗式便所』や『風呂』を調べる機会としても熟考の末に了承。




『けれど、その間も神は貴方をのがさず。"監視の続いている"事実をゆめゆめ忘れることなかれ』

『はい。色々と配慮して頂き、有難う御座います。イディアさんにも「今日は世話になった」と宜しくお伝えください』

『……ええ。では』

『はい。また』




 よって今はその決定を恩師へと連絡し、見守る加護が続いていることも今一度に教えられた。

 そうして連絡の念話を閉じ、夕食の次で風呂も済ませた青年は、続いて此処も形式的に立ち寄る便所で時代の進んだ機構——取手レバーを倒すと水の流れる動作を確と目にして。

 その水の来る『配水』と下へ出て行く『送水』の圧力や位置の関係する感覚も己に『学び』として刻み、戻る居間では機会を提供してくれた家主への感謝。




「アイレスさん。お風呂とかわや、有難うございました」




「それに夕飯までご馳走様してもらって、本当に美味しかったです」

「いえ、御粗末さまです。しかし、本当にあれだけで宜しかったのですか?」

「はい。やっぱり、その……体型に気を使っていたりもするので、あの量でも大丈夫です」




 貸してもらった布巾で長い黒髪を拭く仕草。

 内側に混じる"神秘の青い髪色"は人の視点で『違和感なく』認識が調整され、水滴の幾つかを纏って如何にも乾かしている中途の『それっぽさ』も演出しつつ顔で浮かべるのは笑顔。




「……ルキウスさんのような方でも体型に気を使うことが——あ、いえっ、『無駄に尽きる』と、"馬鹿にしている"ようなことでは決してなく……!」

「大丈夫です。意味は伝わっていますし……自分でも一応は『他者に良く見られたい』と思ったりもしますから、それで……食事などには気を使っていたり(?)」

「……でしたら、その……お聞きするのも失礼かもしれませんが」

「? いえ。答えられるものはお答えします」

「では、"良く見られたいと思う方"が……『そういったお相手』が、既に貴方にはいらっしゃったり、も……?」

「…………——」

「……」




 そして、数秒間の答えに迷う視線では、この世界に来て幾許いくばくもない頃に一晩の宿を貰った当時を思い出しつつ——妙な間を置いても『不快に思った訳ではない』と真意を強調の笑みを続ける。




「……いや、まさか」

「……では……」

「今は自分でも他の事——それこそ今日のようなお勤めで手一杯ですので、"そういったお付き合い"とかも、全然」

「……"お勤め"というと、"水を調べる"?」

「はい」




 色恋的な話から、『いやいや他の事で忙しい』と。

 はぐらかしては『女神より賜った勤め』についてを問題にならず、『成るく嘘にもならない範囲で伝えよう』と努力をしてみる。




「やはり、この都市と一帯で『水』の存在は重要ですから……それと関係して語られる『うえかた』にとってもはじとならぬよう」


「また貴方をはじめとして恩恵に与る人々の営みも護られるように、こうして……以前の如く今も、調査を重ねているんです」




 その様は"胡散臭い"語り口に思えるかもしれないが——けれど、これまでに"示された事実"として此処は"神秘の跋扈する世界"。

 取り分け少女アイレスの方では以前の『飢饉』や『戦争』で騒ぎの時、目の前の『神の使い』が己の助けを請い求める話を聞いて『それを神に上告してみせる』と言ってのけ。

 そうして実際、間もなくに問題が解決した例があるから——"覚えのない罪を疑われても信じて助けてくれた相手"だから疑念などは皆無に、傾ける耳も真剣に。




「……成る程。それはまた、決して簡単ではないことを……ご苦労様です」

「……いえ。自分では其処まで大変なことはしていなくて、寧ろアイレスさんや都市の人々の方が全然すごいと思える程で——それこそ難しいだろう"水利"を此処までの物とされるのは、『見事』と言う他なく」

「『自慢』とは言いましたが、私は技術者ではないので詳細を知らず……貴方から見ても其処までの物なのですか?」

「はい。それはもう、"土地の性質"に"高さ低さ"・"流れる物が関連する複雑な圧力"も上手く考えて、"災害への備え"も様々な状況を想定しないといけないですから——」

「……」




 そのアイレスで学校という学校に通ったことがなく殆ど文盲もんもうでもあるからして。

 話の大部分は理解を得ず——しかしそれでも、水にまつわる神性が狂気マニア的に水利の難しさを話してくれる様へは未知への好奇心。




「いえ本当に、外の『馬水槽ばすいそう』なども、あれは人だけでなく他の動物が飲むことを考慮に入れた……謂わば"愛護精神"の表れでもあって凄い、凄くて——」

「……はい」




 何より懇意にしてくれる恩人(神?)が自分へ楽しげに語ってくれる事実が嬉しく、少女でも頬の緩ぶ笑み顔。

 また家の内に聞こえる話の中途では学問的な領域に興味を示す弟もいて。

 青年では、その以前より背の伸びた七、八の少年が関心を示す『才能の兆し』に何とか更なる支援、今より成長を助けられる『教育機会の提供は出来まいか』と学術都市の情報案内を持ち込むことを約束——『其処までは独断で難しいものがあるだろう』と。

 けれど、悩んでいればどうやら少女の話す限り既に弟のオリベルは都市の初等教育を受けられる環境で安定しているようであり、『寝る前に済ませなさい』と宿題に姉にで追われて自室に戻って行くのであった。




「……『宿題』とは、もうそんなお年頃でしたか?」

「はい。この前など『足し引きを教えてもらった』と言ってはお金を集めて、それを落として、ばら撒いたりをしてしまったりで」

「……」

「……それでも、そうして遊んでいても近い将来に"私よりも賢くなる"のだと思うと……何か遠くなってしまうようで寂しく、けれど何よりは健やかに成長してくれて喜びの絶えず」




 その少し厳しく言っても不仲でない家族の光景。

 都市で起きた一連の災害連続からの復興は勿論、この姉弟の経済状況も少しずつ良い方向へ進んでいることを青年でも再確認をし——例えうらやみの念を抱えても、同じ『親なし』で喜ぶべきとするは相手の幸福。




「つきましては本当に、幾度となく都市の窮地を救って頂いて、我ら家族の支援も続けてくれて……本当に、何と感謝を言えば良いものか」

「……いえ。貴方が助かったのなら自分はそれで——それに、自分だけでなく何より皆さんが諦めずにいてくれたから」




「だから、かつての奇跡のようなことも起きて、今も自分の拠り所とするこの場所が保たれているのだと思います」

「……」




 次第に話の進行は、"青年がしてきたこと"への謝礼に移り——その『憧れ』を前にして感じ入るのは、言葉を探す一人の少女。




「……それでも本当に、"貴方"へは感謝をお伝えしたいのです」




 親という庇護者・収入の柱を失い、家は残されても腹は減り、稼ぎを求めて一層と神に仕え、それでも大抵の資金は右から左への生活。

 度々に物品を売っては何とかで食い繋ぎ、けれど例の飢饉を大打撃として家計は大きく傾いて。

 遂には家を売って『自らの身分ごと』をも他者に買ってもらおうかという時に——青年は現れた。




「……アイレスさん?」

「本当の本当に、苦しい時を助けて頂いて……だから、では謝意をあらわしきれない気がして」

「……」




 人ではどうにもならなかった問題を『何とか口利きしてみる』と言い残し走り去っては——驚くことに言ってくれた通りで事態は大きく好転、間もなくでの解決。

 飢饉に疫病、何より少女の身を護ろうと弁をふるってくれた戦禍の兆しで同じく。

 また普段では日持ちする物を中心に、生活において最も必要となる食事を支援。

 だからそんな『救世主』のような、しかも大人びて努めてくれる素敵な者に多感な時期の少女——"特別な思い"を抱かない筈もなかった。




「……『言葉だけ』なんて、そんな」


「今の機会のように貴方からは、他にも多くのものを与えてもらっています」




「……でも」

「初めて出会った時に助けられて、その"苦境の只中でも他者じぶんに優しくしてくれた貴方"——アイレスさんがいたから、今の自分があるんです」

「……」

「あの時の貴方の行いに感銘を受けたからこそ『自分も何かをしたい』、『貴方のようで在りたい』と……迷いの中でも"己の生きる道"を見つけることが出来たんです」




 今日のよう勤めの終わりに食事も一緒する光景だって『家族』のようで。

 名付けの難しく"淡い感情"は高まって——言葉にならぬ思いが胸で、熱く。

 しかし幾ら適切な言葉を探せども、同地で『同性の愛とは即ち友愛』との文化背景——。

 そうした価値の認識を持つ彼女で口に出そうと決めるものは——『感謝』以外で見つからず。




「なので自分からも……有難うございます。アイレスさん」

「……はい。いえ、すみません……急におかしな、我儘わがままのようなことを言って」

「……大丈夫です」




 此方も『親のない少女に何と声を掛ければ良いのか』と悩む青年。

 光の少ない夜に、二者で艶の際立つ黒と栗色の長髪。

 女性と女性の形は座りながらも向かい合い、対面に見えるのは苦笑。




「でしたら、それでも何か私に……他に出来ることがあれば、遠慮なく仰ってください」

「……はい。その時は」




 考慮しても本当の親にはなってやれぬ者は首を縦にも横にも振るでもなくの微笑み。

 意識は『ただ健やかでいてくれればそれで十分に嬉しい』と思っても——その願いさえのははばかられた。




「……」

「……」

「…………そうしたら、お風呂も冷めてしまいますので……私は、行きますね」

「……はい」




 一方の部屋を去らんとする少女でも——秘めるのは"想い"だろうか。




「……今日はここまで話を聞いてくれて、有難うございました」

「こちらこそ」

「……お勤めで疲れているだろう所をすみませんでした。……眠る時間を邪魔してしまって」

「……いえ。眠くなるのも遅い方ですので、寧ろ助かりました」




「それに、また次の日からで良ければ、お会い出来た時に色々と自分でも話は聞けますので……アイレスさんの方でも、遠慮なく」

「……はい。深く感謝を」




 立ち去る彼女で、背を向けた後では顔も作れず、振り返れず。

 彼女の掴んで取り出す決心をやめた衣嚢いのうには、一輪のはな




「…………そうしたら、また明日」

「……はい。また明日、宜しくお願いします」





「……おやすみなさい」

「おやすみなさい」





 地域で『ヨリ』の名を持つ瑞々しい白の百合ゆりを遂に表へ出せず。

 隠したまま、秘めたままは、咲ききらぬ"関係性の花"。

 やはり、『これ以上の重荷にならず』、『"お姉さん"のよう素敵な貴方へ私の存在が応援を出来るなら』——"それでいい"、"それがいい"。






「…………では——」






(…………)






————————————————






 だから斯くして、明けた夜の朝。

 ひとかみは何でもないように今日も謝意を表しながら。

 "勤め先の神殿"と"女神の待つ拠点"という其々の向かうべき場所へ、"共に相手の幸福を祈っては異なる道へ"と——。




(…………これでいい)




 恩を感じ合う者同士で円満に。

 笑みと挨拶を交わして、別れの時を踏むのである。




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