『学知に触れる③』

『学知に触れる③』




 学術の盛んな大都市フォルマテリアに到着後。

 ——研究者、学生の波を横切って。

 ——どでかい図書館、突っ切って。

 本棚を過ぎ去った奥で幻想的な青白い光の通路を進み、壁に隠された特殊の認識機構をくぐっての——入室。




「この空間が今回の目的地」


「知識の神によって収蔵された情報の置き場所——『資料室』であります」




 イディアと訪れる"資料室"。

 先導の彼女が言うように知識の神が蓄積した学びの成果が集められし暗所。

 地下都市の真下にあたる此処では実体の持たない書籍の類いだって棚に並べられては神秘的。

 人が書いた紙の論文も勿論に、各種の研究物では複製の記録は再現が出来るようにも残され、青年の横目に見える本と思しき表紙では難しげな論題が掲げられて——それでも資料、物を言わず。

 他の利用者も皆無の空間、"神の眠る秘所"近くで満ちるのは静けさであった。




「私は適当に楽しんでいますので、貴方がたはゆっくりにどうぞ」




 すると、後方から棚へ進み出たアデス。

 暗中で魔眼の妖しい彼女は弟子に使い方の一例を示すよう適当に選び取った記録資料でその再現鑑賞を開始。

 知己の神が過去に集めては今に立体で映し出される光景の中、当時を生きた『恐竜種』を観察し始めて女神の作る小集団から離脱した。




「分かりました——では、我が友。私たちは此方へ」




 残りでは目的を持った女神に連れられ、特に目的のない青年が後を続く。




「……口振りからして此処も以前に訪れたことがあるみたいですけど、イディアさんにとっては慣れ親しんだ場所なんですか?」

「はい。この空間もおもての学術機関も、以前から利用をさせてもらっています」

「……ではもしかして、"学校"に通っていたりというのも此処で?」

「そうです。私が過去に通学をしていて、それが一度や二度ではないことは既にお話しした通りですが……中でもこのフォルマテリアでは主に『いろ』や『ひかり』についてを学ぶため、籍を置いていたことがあります」




 右に左に黄褐色の頭髪が何かを探すよう揺れて、その目当てが見つかるまでは美の女神の過去話。




「特に今の我々がいる資料室では、初めは論文用の資料を探している時に半ば偶然で入り口を見つけ……その後で管理者である"知識の神"に許可を得てからは、暇があれば情報を漁るのに入り浸っている次第で」

「それはまた、凄いです。"論文"も書いていたことがあるなんて」

「いえ。話に出したことの当時は"課題"としての論文で勝手が分からぬ内はつづりもつたなく……思い返せば論理ろんりの展開も少し強引なものがありまして」




「先人の残してくれた資料で、けれど信憑性に疑いも残る部分も気になり、自分で調査をして……そのまとめたぶんが一応……此処にも収められているのですが」


「……己の成果物を事細かに口で語るのも何か気恥ずかしいような気はしますから、我が友が『ご覧になりたい』と言うのであれば持ってくるとして……今は、話題を変えさせて頂くと——」




 付け毛の下では緑に黄色が目まぐるしく。

 幾つかの論文の複製記録に触れ、苦笑いで探しながらに内容を流し見るイディア。




「彼女——女神アデスと初めて顔を合わせたのも此処だったり」

「この、資料室?」

「えぇ。利用者が私以外に殆どいないこの場所——ですがそれでも度々に姿を見せていた女神の形が気になり、思い切って私の方から声を掛けてみたのです」

「……アデスさんに」

「はい。当初は『学びに興味がある者として意見交換をしてみたい』と好奇心で話を持ちかけたのですが……言葉を聞いてみるとどうにも博識のようでしたので、"ついつい"と『何時いつもの疑問』を尋ね——」




「その議論に付き合ってもらっているうちに相手が『原初の女神』と知り、驚きながらも以来の関係を築くに至ったという——あ。探していた論文ものが見つかりました」




 思い出の話もそこそこに。

 "発見"の報を言っては流れで動かしていた指を止め、その指先で突つく資料を作成された当時の形式に再現展開——ちゅうに浮く朧の光を手に取ってめくることの出来る『らしい形』と変え、室内で併設の椅子が一緒になった机に置いては友を座らせて見せんとする。




「これは……」

「私が以前に目を通した論文で、主に『寄生生物きせいせいぶつ』について記されたものなのですが——少し、私の方で読み上げますね」




 取り出したのは『キラメキフクロムシ』を主とした節足せっそく動物についての論文。

 及び共通して節足動物への寄生から関連する細菌『カイザーボルバキア』なども特徴が調べられた、美神が発生する前に作文がされたとても古いもの。




「『……今に説明したように寄生生物は宿主しゅくしゅの持って生まれた"性"の要素に変化を起こし、また種として自発的にそういった"変性"の特徴を持つものも確認がされ——』」


「『このことから——"性の転換"。それもまた決して"ファンタジーだけの専売特許ではない"ことが分かる』」




(……!)




 時に寄生しては"宿主の性別にさえ変化を引き起こす"——即ち『性転換』の現象についても記された文。




「『また、その事象には元来、"善"も"悪"も、"正しき"や"間違い"も紐付けられているとは私に思えず。各所での判断には重ねる議論と細心の注意が必要とされ——』」




 その論文の中でイディアがなぞる先人の記述。

 玉声で語っても聞かせてくれる今回の要点で青年も指の動きに釣られて読む、文字の並び。




「『この世界は途方もない程に広く、信じられないことだらけ』」


「『全てを知るには一体どれだけの時間や労力が必要なのか、若い身空では想像もつかない』」




 その溢れる湯水の如き文章。

 論文としては少しまとまりに欠ける印象でも青年の目を引き、流し読みで至る後ろの方で『引用』や『参考資料』の部分は兎も角として当該論文自体の著者は二名の、共著きょうちょのようであった。




(『ブレイズ・ノロイ』……いや、並んでるから『ブレイズ』と『ノロイ』?)


(……『——結びに私の研究、生涯に携わってくれた者の全てへ感謝を捧げ、いつ何時なんどきも共にいてくれたノロイに祝福と心からの』……?)


(——ここで、終わり?)




 そして論文の後書きにあたる文章は『未完』の如く半端に終わっているよう青年には思え、その表情と傾げる小首に表れる『疑問』へは黙読を邪魔せぬために途中から黙っていたイディアが知見をくれる。




「『ノロイ』という方は情報が皆無で私も詳しくを存じませんが……『ブレイズ』との名前は学位と共に同時期の他の資料でも見受けられ、彼は後世の生物学や医学の発展に寄与した人物であったようです」

「文章が途中で終わっているように見えますが……」

「私も当時を生きていないのでハッキリとしたことは言えませんが……管理者の神に聞いた限りではこれが著者の『遺作』だそうです」

「……"遺作"」

「はい。護教騎士団から学術の地へと移籍をして、寄生生物の研究において多大な貢献を果たしながら……"早くに亡くなった人物の遺作"」




「『作業もその直前までに及んでいた』と聞き……ですから何か、"手の回らない事情"があったのかもしれません」




 千年を超えて生きる女神。

 学者でもあるイディアは己も知らぬ過去を想い、今で共に生きる青年へ『学び』から自身の得られた『恩恵』を再びに言葉として送る。




「……ですがそれでも、私はこの論文から『性別の転換』という現象を学び知ることが出来て——"だから"


「其処でお話ししたように『貴方』や『私』で起こる"大きな変化"は『不思議』であっても『さげすむようなものではない』と……そのように思えていたのです」




 そしてイディアが隣から見せる微笑。

 真実を明かされたあの日以来も続く互いの友好を喜んで——けれど根本的には事態へ目立つ対処も出来ていない己を悔やみ、気は沈み。




「なのでまた転機に向き合い、『我が友の力になれることは他にないか』と思い立って今日は、調べ物をしに此処へ足を運んだのですが……」




「……流し見た所で目新しいものは見つからず、過去に閲覧した物の再確認で終始をしてしまいそうで……己の無力に恥じる——」

「——いえ、そんな……無力だなんてことは、決して」




「……有難う御座います。イディアさん」


「また貴重な話を目に見える形でも教えてくれて……少し、ほんの少しですが"安心しました"」




 それでも、相手の『助けてくれる姿勢』が身に染みて『さいわい』と思う青年——微かに潤む瞳を拭って言う。




「……先人の方が残してくれた記録とイディアさんの案内のお陰で気は……"卑下していた気持ち"は『そうまでする必要はない』と少しだけ楽に思えて」

「……」

「『自分がどうあるべきか』、『どうなりたいのか』はまだ、判断は分からずとも——」




「今では『どっちでもそれは"おかしくない"』と——"変化を肯定的にも捉えられそう"な気がするんです」




 恩師の行う健康診断で玉体に目立った異常は発見されず。

 また"性転換を誘発する寄生生物"なんて神の身に入り込む余地がないと既に分かっていても——青年だって『友』の存在に笑みは溢れるのだ。




「だからまた、今日だって本当に有難う御座います」




「イディアさんの助力。心の底から嬉しく思いました」

「……そう仰ってくれるなら私にとってもこの上なく、やはり助けになれそうなことがあれば遠慮はいりませんからね?」

「"!" はい……!」

「察しの付くようこれまでの学びで『人の性別のあれこれ』も色々と知ってはいるので、お任せを——関連する所では"男性であっても母乳が出たり"なども知り得ていますので、はい」

「頼もしいでs——え"。そ、そんなこともあるんですか……?」

「あります。ありました」




 そんな風に微笑ましい女神たちの会話。

 同空間で恐竜の鱗や甲殻から『イカした装甲』の意匠へ着想を得ようとする原初の女神に覆い隠される遣り取りで——その美を探求するイディアと既に知己の、"男神"は。





「"……"」





 "見慣れぬ川水"の、『未だ知らぬ暗黒の使徒』を警戒しながら——"謁見の場"へと身を乗り出す。



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