『第十五話』

第四章 『第十五話』




 終わりを迎えた上映。

 目前でまざまざと示された"事実"——『河上誠という一人の人間は死んだ』。




「…………」




 "あの瞬間"を経て黒に塗られたスクリーンはこれ以上、"人の記憶"を光景として映すことはなく。

 その映像が途切れたのを真正面で見定める青年でも最早、座席の上に誠としての彼の姿はなかった。




(…………おれ、は——)




 小刻みに揺れるのは女神の垂れる後ろ髪。

 華奢な彼女の肩を黒の艶が撫でる。




「っ……"俺"、は——」




 そうして、啜り泣きの合間を縫って絞り出されるのは声だ。




「——……




 虚脱に座り込む長身の女性——『女神ルティス』の苦しげな玉声。

 黒と青で交互に色を変えて明滅する瞳。

 神秘の眼から涙の雨を降らしながら再確認で繰り返すのは——同義の言葉。




「……俺は……あの日、あの時——」




「……転落して……身を、打ち付けて——」





——





 繰り返して、解らせる。

 己に——"受け容れる"ことを促す女神。




「……それこそが、"本当のこと"」




 両手と両腕で自らの柔らかな玉体を覆い、『ただ逃げ出そうとする』己へ『待て』と命ずる。

 その震えを残す身に傷や変形のあとは一切なくとも、しかし——想起した記憶は今になっても恐ろしくて。




「……それが、"真実"——」




あの瞬間——"終わり"を迎えた」




 せめてもの救いは悔やむ落命が——『他者ではなかった』こと。

 後悔の場面でならば気持ちの整理、『その付けようはある』と。

 他者の苦痛を完全に取り除いてやることは極めて困難で、でも『自分の心情なら自発的に変化が起こせる』——まだ『開き直ってしまえる選択肢』はあって、『諦めが付けられる』とも涙で濡れながらに思い、諦めようとする青年。




「……という……『終わり』を」





「…………」





 沈み込むような沈黙、俯く表情。

 体さえも前に大きく傾けて——。





「…………」





 しかしそれは『祈り』の仕草であっても——"ただ無念で悲嘆に暮れるため"。





(……俺によくしてくれた、共に時間を過ごしてくれた人たちが……せめて——)





(……末長く——"幸せでありますように")





 何が現実で、何が夢かも終ぞ不明であっても。

 しかし、せめて離れた家族たちの幸福を願い——力一杯、握る拳。






「——






——」






 まなじりも決して、再びに湧かせて体中を漲る神の気。







にはまだ——"出来ることがある"」






 折られた体はその実、内で生み出す粒子と粒子のつける——"夢の実現を可能とする力の溜め"。

 そうした今を生きる者が有する"権利"——即ち『権能』を行使するための"再起への予備動作"。

 女神は自立する二本の柱で——自らの足で席を立ち、その場を後にして歩みを開始する。




(——果たしたいと願う"誓い"もあって、"やりたいこと"だってある……!)


(まだ幸せを願いたい相手が同じ世界にいて、唯一の冥界へ踏み込める者、呪いを解く可能性として"自分"は——)




("彼女の助け"に、なれるかもしれなくて——)




 濡れた頰は今も、潤い新たに水を流し。

 落ちる雫は髪に触れ、筆の如き毛先——去り際に描くのは青き水の線。

 一歩、二歩、三歩——徐々に確かとなる足取り。

 上映の部屋を出た女神はかつて来た道を振り返ることなく——見通しの立たない未知の暗闇の中を先へ、先へ。

 その先で形作る"未来"を目指し——進む。




(だから彼女へ——"恩を返したい")




(別の形で——"笑顔を見せてもらいたい")




(ほんの少しでもいい、もっと——"彼女のことを知りたい")





(そしてなにより、もう————!!)





 前回とは異なり、暗闇の先に出口らしき光明は見えず。

 しかしそれでも女神は輝く己の目、そして髪——自らを光源として辿る"冷ややかな熱"。

 また彼女の行く手に舗装された道がなくともやはり問題にはならない。

 時に落ちる涙は固まって足場を形成。

 またある時にその水は冥界への流水と結びつき、再びに現出した流れが青年の向かうべき場所へとそのを——押すからだ。





「————"!"」





 そうして、『死』という"終わりの受容"。

 それが契機となって——"更に齎す力"。





(……"自分これ"は……——!)





(女神じぶんの、湧き出るような……"この力"は——!)





 今——『自分は人である筈』・『人体が溶け出すのは怖い』と。

 これまでの青年が意識的無意識的を問わずに己へ設けていた安全弁セーフティー——"それ以上の恐怖"を前にして——

 体の節で各所で"人としての枷"は取り払われて、魂が得るのは更なる自由——彼女が気付くのは"新たな生の始まり"。

 人ならざる『神』として認識だって拡張を続け、動物の赤子が生まれながらにして呼吸の仕方を知っているのと同じくらい自然に——女神は、己が持つ可能性を今日に改めて再学習。

 求める結果を導き出す方法の数々が彼女の内海より湧き出てては浸透し、その感覚は文字や数字を介さずとも玉体全体へ染み渡っての——"理解"。





(女神の、すべらかな川水かわみずの……"この体"は、まるで——)





 尚も青味を増して行く玉体の輝き。

 天井も足場もない空間に水を張り、立ち止まっては己の掌を結んで開く女神。

 既知とした情報を言語化することで"人外としての有り様"を自分自身に知らしめる彼女の内側——だだっ広い海のようであった心で源泉は流れを生じさせ、その溢れんばかりの気は体の方々ほうぼうへ——より"細く"、"長く"、"線状"となっての運び。





(ひとよりもまるで……"足の生えた"——)





(——『』の、ような……————)





 それは——手足しりゅうを生やして畝り、中核を流れる——"しなやかな柱一筋の流水河川"。

 その実感、その有り様は青年がこの世界に来てから頻繁に実物を目にするようになった動物——『蛇』の姿を女神自身に重ねさせた。

 またそうした"芋づる式の類似認識"は神の習熟理解を大いに助け、揺らめくその身は遂に及びその"要領を自らの物とする手応え"を胸に——惑いの色を決意で塗り替え、奮い立つ。





(——……だったら……"それでもいい")





("それだって構わない")





(最早なんであっても構うものか——)






(例え『蛇足だそく』であったとしても、彼女の下へ向かえるのならなんだっていい——!)






 踏み出す再出発の一歩、欄干らんかんを振り切って。

 駆け出す——『渡り川の女神ルティス』。





(今の自分には、女神としての自分にはまだ——"前に進む力"が残されている)


(その持てる力の全て——今は彼女の為に……!)





 落ちる雫さえ漕ぐ手足のよう。

 足す流れで自らを押し、先刻と同じく姿を現し始めた死者の魂たちと並走する女神の玉体——包む、一層の眩い輝きは青白く。





「だから——だからこそ、





 剥がれ散って行く青光の膜。

 中より『芽』生えた『霊』——今再びに『転』じ、神は新たに『生』ずる。





「——『わたし』は……! まだ————」





 しかして現実に戻った今のあるじの下へ回帰する『漆黒の隠れ蓑』と『星光の盾』。

 また頭部で灰色を経て『虹に煌めく髪の一房』は"友よりの想い"——併せて"三神さんじんの加護"をその身に宿す青年女神。

 今や棚引たなびく黒髪の内色うちいろまでもそぼつ幻惑の"青"に変え——形式仕上げとしての打つ"終止符"もまた、"同様"に。






————!!!」






 代わる代わる色を変えて明滅していた虹彩も——"定常の青色"へと変化。

 それは霊魂の行末、渡りを見守る"女神の眼"——描き入れられたひとみの点は青で、眼差しの中に散りばめられた星影の如き夢見の光は"永遠の夢想家"である神の証左。

 即ち、今この時を以って"折れても尚立ち上がる"青年は『柱』の在り方を体現し、一定の『完成』と『覚醒』を経て水の柱——渡りの女神は境界線を越えるのだ。






「————"!"」






 突如の浮遊感、水流急降下。

 先の見えぬ暗黒空間は立ち消え、死者として門を潜った青年が女神としての実体を維持したまま捉えるのは新たな物質反応——水に岩に、"得体の知れない何かたち"。

 何時の何処かも曖昧な暗がりで、しかし広大の空間——見えるのは魂たちの道筋となる"渦巻構造"。

 その『冥界』の中心部へと巻く水流に指導された隠密で乗り、遥か遠くで『燃えるような赤光』を見据える青年。

 一対の炯碧眼けいへきがんを携えた青き新星の女神はそうして——幾度となく"覚めぬ夢"の悲嘆に濡れども、流れ行く日々に区切りをつけての今。





 青く、輝き、描いた進路みちを進む。

 "見果てぬ夢"へ今度こそ——悔やむ己を届かせるために。





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