『第十二話』

第四章 『第十二話』



 秋冷に包まれた雨夜。



「……」



 枝枝えだえだ掻き分け、岩を踏み越え、まもなくの水源目指して進める歩み。



(…………)



 身を漆黒尽くめで、女神たち。

 共に衣より覗く艶のある長髪や明眸めいぼうは薄っすらと神秘の光を帯び、彼女たちの行先にて月の隠れた暗きを照らす。




「……」

「……」




 少し前に川を流れた青年を引き揚げ、また風雨避けとしても助けてくれた神獣に礼を言ってから離れた海辺。

 それから慎重を期して目的地へ向かうのを一言二言で確認して以後、彼女たちの間に目立った会話はなく。

 両者の身と心に染み入るは降る雨と、活発化した蛙の鳴き声。




「……もう少しです」

「……分かりました」




 先導する美の女神が横目の黄褐色で報せ、後方で喉に水を通しながらに応える黒。

 彼女たちの周辺で既に茂みはまばら。

 視界の奥には楕円の水面みなもが見え始め——下流から上流へ川に沿って遡上を続けた女神。

 足を踏み外して落ちた青年は今、"神体おのれの原点"へと立ち戻る。




「……」

「……どうでしょうか……?」

「……そこに薄っすらと、"渦"のような流れが……感じ取れます」




 水の表面で広がり続ける降雨の波紋を前。

 最低限の落ち着きを取り戻した心、行使する権能で辺りを探り、水神。

 青年という女神が感じ取ったのは星明かり月明かりさえ届かぬ幽玄の泉で、一際『冷ややかな気配』が渦を巻く事実。

 調査のために静止させた水中で、それでも水の湧く奥底——何かがを広げるようにして佇む『不可視の穴』のような存在。




「……恐らくはその"渦"が件の入り口。冥界へと繋がる——『死者専用の非常口』だと思います」

「……私には確認出来ませんが、貴方が言うのなら事実なのでしょう」




 底を照らす黄褐色の視界、イディアの目で映るのは正常にして清浄の泉。

 けれど一方、その横で同じ場所を見つめるルティスの視界には『垂直に立てられた透明の鏡』のような『円を描く流れ』が——初見ながら"ハッキリ"と確認が出来ていた。



(……冥界への入り口……注ぐあの"光"は……——)



 その渦に吸い込まれて行く『光の球体』も薄らぼんやり。

 見えるそれ、冥界に向かっているとするならば——『死者の霊魂』だろうか。




「……『たましい』のようなもの、水に反応せず漂う光が渦に吸い込まれて消えるのも……ぼんやりとですが見えます」




「なので、やはり……この場所で間違いはないかと」

「……以前から、その"魂のようなもの"は見えて?」

「……いえ、以前は見えていませんでした」

「……ならば、『渡りを見守る神』としての力が発露し始め、また非常事態であるが故に川へ集まるそれが見えるようになったのかもしれませんが……」




「……考察は、兎も角」


「つまりその渦の中、その"先へ進む"ことが出来れば——辿ことも……?」




「……"恐らく"」




 二柱は未だ良く知らぬ渦を目前、立ち尽くす。




「……」

「……」




 共に柳眉を顰め、険しき表情。

 その間も握り締められた状態で小刻みに震える青年の拳を、友は見逃さず。

 試しがあるとはいえ見送り直前、『他でも何とか助けになれないものか』と、率先して話を切り出すイディア。




「……後は、その渦の"門"を通過出来るかどうか——"挑戦"あるのみ……ですが」

「……」

「……その前にもう一度、作戦の基本方針と最終にして最重要の目的を確認しておきましょう」

「——」




 重なる視線、頷き。




「——まず決して忘れてはならないのが『いくさでは戦神に決して敵わない』という事実であり、それは単純な"力比べ"だけでなく"知恵比べ"——"心理戦"でも同様だということです」




「よって、故にこそ我が友。貴方は……」

一時的いちじてきに斬り結ぶことになっても同じ舞台には——『相手の独擅場どくせんじょうである戦場せんじょうには決して立たない』……"立ってはならない"」

「……その通りです。そしてまた貴方の心を惑わし、いくさの舞台に首尾よく引き揚げようとする戦神の、敵の老獪なる言葉の数々にも一切の耳を貸さず——」




「"呪いを解くこと"——『女神に突き刺さった聖剣をことだけに注力せよ』」




「——……はい」

「解呪に於いて必要となる力や理論は全てその"盾"、及び狙いを察する恩師の女神が用意をしてくれるでしょうから、貴方はそれら守護を信じて大切な者の懐へ飛び込み——"呪いの剣を抜き取る"のです」

「……」

「そうして見事、解呪を成し得たのなら……その後は彼女——女神アデスの指示に従って行動を」




「——いいですね……?」

「——はい」




 冷静且つ決断的なイディアの語調は青年に染み込む心地よい音の群れ。

 裁判の予行演習で見聞きし、そして見様見真似で覚えた美神の堂々たる振る舞いを、眼前の手本を今も鏡面に映すようにして——律する震え、奮い立たせる己。

 最早、青年にとっての恩を感じる師の存在は唯一でなく。

 若きを助け、導く——"友"としても頼もしき先達へ示せ、確固たる決意のくろ




「ここまでが作戦の大まかな概要、万事上手くいった場合の流れ」


「ですが当然、必ずしも事の全てが希望的観測通りに運ぶとも限らず」


「序盤の、冥界下りへ臨む際でも『もう無理だ』と『恐ろしいまでの苦痛』を感じたのなら……『直ちに引き返す』事も考慮には入れておいてください」




「……はい」

「例え作戦が上手くいかなかったとしても、逃げ帰ってきたとしても……無事でさえいてくれたのなら——私は静かに、"貴方を迎え入れます"」




「そこで貴方が、どのような思いを抱いていようとも」




 縮める距離は一歩。

 イディアは頭で漆黒を取り払い、素顔の熱を——喜怒哀楽とその他様々な想いが綯い交ぜとなった"虹の輝き"を髪で見せて、伝える。




「……どうか上手く行き、無事に貴方と貴方の恩師が戻って来る事を……切に、願っています」

「……我儘を言って、ご迷惑をお掛けします」

「……いえ、迷惑だなんて……私はただ『最終的な生き方を決定するのは当事者自身であるべき』と、そう思っていて——」




「それに、何より私が『夢を追う』ような事をこれまでに散々してきた身なので……"止めづらい"のです」




 くるしい心持ちをにがい笑みとしても隠さず、"後押し"となる言葉を探そう。




「……イディアさん」

「……私も過去には色々と、それこそ『無茶』や『無謀』と言われるような挑戦を積んで……時に大きく落胆をする事もあって」

「……」

「……"うっかり"の回数も数知れず。今はその……実は少し『格好を付けよう』と——貴方の前ではせめて『頼れる者』として振る舞おうと心に決めて、色々をやってみているのですが——」




「——……私は貴方に対して、そのよう出来ていますでしょうか?」

「……"勿論"です」

「……」

「イディアさんは初めて会った時から、何時も真剣に向き合ってくれて……心の底から『助けられた』と、そう思っています」

「——」




 そうして、儚く交わす微笑み。

 惜しむべき時は過ぎて。




「……では最後——……気休め程度のものですが、私よりの加護も貴方に授けます」




「……また、以前のように……体へ触れても……?」

「……はい。お願いします」

「……以前の接触は少し配慮が足りず、軽率でした」

「いえ……以前も今も、こうして事前に了承を得ようとしてくれたので、強引で嫌な感じは全然なくて……」

「……」

「……寧ろ、前回は此方こちらの方こそ色々黙っていた状態のままで貴方の体に触れてしまって——申し訳ありませんでした」

「……我が友」




 崩れて浮かぶ慈顔。




「……私の方こそ、先に言ったようかつても今も貴方へ嫌悪の情を抱いてはいませんので、どうか……お気になさらず」




 向かい合い、縮まる両者の距離。




「……そうしたら——失礼して」

「……」




 イディアの指は優しく青年の肩に伸び、親しみの頰は触れるか触れないかの位置。

 対して、迎え入れる同様の気持ちを自身も示そうと青年が回さんとした手——きこちなく。

 咄嗟にそうはしたものの、何にどう触れるべきかも分からずに下ろす惑いの仕草。

 だが、肩に触れずとも伝わる掌の熱——素朴な心遣いが嬉しい美神の心。




「……我が友の望む"理想"が見つかるよう、美の女神は祈っています」

「……何から何まで、有難うございます。戻ったらイディアさんやグラウさんにも、ちゃんとお礼をしないと」

「……礼についても今はどうか、余り気負わず」




「……私は貴方が幸せであるのなら……それで十分に嬉しく思うのです」




 そして事前の口約束通り、彼女たちの体が過度に密着することもなかった。

 抱擁は数秒の時を経て解かれ、控えめの色が再びに顔を見合う。




「……ですがそれでも貴方が返礼を望んでくれると言うのなら……」

「……」

「また、"私の前に姿を見せてほしい"。共に学び、共に遊んで……女神グラウへのお返しも同じく、その時に話し合いをしましょう」

「……はい」




 しかして『生命を賭そう』という決意が青年に断言をさせず。

 加えて"帰還"が許されるなら、それは"冥界の主神次第"でもあると知るイディア。




「……そうしたら、そろそろ——"行ってみよう"と思います」

「……我が友。どうかご無事で」

「——」




 水面を爪先とする青年を前に彼女と——青年でも柔和の表情は崩れかけ。





「……では……——」

「……」





 要らぬ息遣いは深い一度の呼吸で停止。






「——

「——……"はい"」






 見送られて返す、せめてもの頷き。

 後を引くような視線を瞬きで振り切り——入水の女神は水底へと向かうのであった。






————————————————————






(——……"色の見えない波"……? 渦巻き……?)




 女神から発せられる薄光が照らす夜の水中。

 澄んだ冷水に浮かぶ塵や微生物、足下から湧き出る泡の数々は視界に映る『透明の渦』とはなんら関係なく、川の流れに従って下へ向かう。




(あの渦は周囲の物質には何ら影響を及ぼしていない——)




(——……"魂"を除いて)




 たが、その中にあっての例外。

 波模様を見る女神の視界では——底で間隔を空けて鎮座する二つの黒岩くろいわ

 その間で渦を巻く『不可視の穴』へ一つ、また一つと吸い込まれて姿を消す小さな"光の球"たち。

 "霊魂"は人の知る物理法則などでは縛られず、埒外の力に引かれて"川の下から上へ"——絶え間なく続く超常の光景。

 師よりその意味を、神体である渡りの川が持つ機能を伝え聞いていた青年は、まるで『水に棲まう蛍』が己を追い越してゆくよう感じる中で冷静に辺りを見回し——。




(……"あれ"は——)




 予測と現実を照らし合わせる動きは黒岩の近くで——"対照的な色のしなやかな身体"を確認する。




(——……白い、"蛇")


(ウアルトさんとはまた別の、アデスさんの……知り合い……?)




 一対の黒岩を其々二匹で囲む——合計四匹の水棲白蛇。

 神秘の色持つ彼ら彼女ら? はまるで警戒する"門番"のよう厳かの佇まい。

 水中で呼吸もなく立ち尽くす女神を見ても動じる様子はなく。

 寧ろ鎌首をもたげては真紅の眼差しで来訪者を見つめ、それを静かに"導く"ような——自らの細長き尾で岩と岩の間を指し示す動作。




(……"案内"をしてくれている?)


(それならやっぱり、この渦の先に冥界があって……彼女がいるのだろうか——)




 只の肉眼には映らぬ不確かな空間の歪み。

 捻れた波の如き渦を前——女神は"瞑目"。




(そして——この門は、"開かれる")




 事の境界線に重ねて思い出す——通り過ぎた改札、駅の構内。

 肌を撫で、冬の到来を感じさせる木枯らし。

 かつてのその吹き込む先へ、光の注ぐ出口へと向かい、歩みを段で下ろす青年の——"誠の姿"。

 冥界への入門を果たさんとする者として、その"資格"があることを示さねばならない。




(——そうしてその後……"俺は"……——)




 故に、波立つ心で"過去の先"を読む。

 "変えられぬ記憶"を掘り返して今、この場所に立つのは"一柱の女神"——である前に

 彼の心は柳眉を寄せつつ、"生前の面影を残す黒の虹彩"——再びに見遣る世界。

 "色を見せない渦"は——"確かな暗く黒い渦"となって眼前に顕現していた。




(…………)




 何らかの認証を経て、喜びも驚きもなく。

 渦よりの微かな"既知の温もり"が寒空の下で水に浸かる体へ染み込み——その決意に加える熱。




(…………行こう)




 いつの間にか頭を下げて此方を向く白蛇たちへ、一度の頷き。

 細くなった足を前へと進める青年はそうして、渦をまさしく鼻先とした位置で停止。

 顔だけで決然の表情が見上げる先——輝く女神。





『『"————"』』





 イディアに宛てる『試行の後——"決行"』の意。

 縦に振られる黄褐色の返りを心の"灯火"として、視線から最後にその熱を分けてもらい——胸中で沸き立たせる勇気。





(……"再会の約束"——)





 渦へと向き直った青年。

 魂が乗るのと同じ流れに自らも背を押されるまま——けれど、"己で踏み出す足"。






(……守れなかったら——)






(…………"御免なさい"————)






 であれば、生ける死者は"己の運命"と向き合おう。

 渦中に消えた彼の者は水辺の静寂に友を残し——送り出した女神の手——磨かれた爪は掌中でひびを走らせる。








 またそして、川の半ば。

 碑の如き岩に残されていた誕生祝いの菫も——花は雨によって撃ち落とされ、再びの流れに乗って下へ、下へと押し流されて——"進む"。

 その構成する物たちは散り散りになっても行き着く何時かの何処か。

 一つの『終わり』を経ても移り変わる世界で『別の何か』や『誰か』にとっての、『もの』を形作る"新たな芽生え"。

 "人としては終わろうとする青年女神"に於いても——"それは新たに"『始まり』をみせるのであった。






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