『第十話』

第四章 『第十話』




 青年の発案。

 一頻りの説明が終わって——暫く。




「——……私もこれまで千年以上を生き、それなりに多くを学んだつもりでした。戦神と同世代の神が設けた資料室に入り浸り、そこで数多くを読み耽った」


「……ですがそれでも"我が友に起きたこと"を、『人から女神への変性』という事例を今の今までのです」


「ならば他の先賢せんけんの者達に於いても……"同様"のことは言えるかもしれない」




「……」




 謹んで協力者のイディアから、先にした提案への評価を受けるのは青年。




「……実を言えば、"あの女神アデスでさえ"——神として見た生後半年の貴方が若くして有する見識や能力の"個性"に驚くと同時に、"大変な興味を抱いていた"のです」


「なので、原初の女神にして第一世代のかのじょがそうであるならば……より若い第二世代の戦神に対しても『我が友の有する情報』が注意や関心のまととなる可能性は——比較的"高い"と言えるかもしれません」


「……そうして意表を突き、敵方てきがたが貴方へ気を向けている間に上手く裏から気を回すことが出来れば——女神の身にも、手が届くかもしれない」




「……"大神の解呪"……開放それさえ完了してしまえば——"戦いの勝算"も見込める」




 "単独での勝利"はなく。

 また『星の一部に過ぎぬ下位神』が『宇宙的存在である高位神』に敵う道理もなく。

 下位神である彼女たち、以上の事実を踏まえて活路を見出さんとする——『非戦』の領域。




「……それに確かに『生まれたばかりの良く分からないもの』であれば、いくら相手が数十億の年を重ねていようと少なからず——"物事の理解には時間を要する"」


「つまりは——"高齢"の神へ"最新で珍妙のもの"を、『理解や判断に迷う惑いの時間を引き出そう』ということ」


「そのようにして年齢、いえ——"積み重ねた加齢の持つ優位性"を一時的でも"無力化"できれば儲け物——」




「正面から堂々戦っても仕方がないなら——"裏で勝手に別の試合を始めてしまえばいい"……!」


「"どうせの負け戦"。ならば精々"無茶苦茶"をやって——"万能の神に見せてやろう"……!」




「"戦いの場"を——『差す水で掻き乱してやりましょう』と……!?」




 案を纏める美の女神。

 温良な友の示した可能性に説得力を感じての——けれど『大胆さ』にも驚く"思わずがお"。




「……どうでしょうか?」

「——……所感では『中々に面白い案』、『賭けてみる価値はある』」




「……結論としては『一概にが悪い賭けとは言えない』——というのが、現時点での私の見解となるのですが……」




「なら、その方法で——」

「ですが——"余りに危険過ぎる"」




 しかし、笑みの色さえ有していた美神の表情は一転で強張り、寄せられる柳眉。

 神秘の髪では濃いだいだいと緑の色も合わさって、抱く『警戒』や『恐れ』の感情が表出する。



「実質的には貴方自身が『戦地で囮となる』のです」


「そのよう、そのように危険な、事は……ぐ、ぬぬぬ……!」



 唸るのも、その筈。

 青年がした提案は——"神をも驚かす自身の来歴を用いて敵の注意をアデスから逸らそうという"——即ち『囮作戦』。

 格上も甚だしい戦神に対して自身を『餌』とし、相手の認識範囲——"攻撃の間合い"に足を踏み入れるという重大な危険を伴うものであったから。




「……しかも、相手は"光の神"。敵意を持って相対すれば口を開く事さえ難しく……様子見であっても刃を差し向けられる可能性は高く」




「果たして態度と言葉だけで……十分な時間が稼げるものでしょうか……?」

「……」

「守護神の加護によって攻撃への反応がある程度で可能となり、また打ち勝つのが目標ではないにせよ……『虎の尾を踏みに行く』事に、変わりはなく」




「やはり私は……心ならず」




 出来る限りで『望みを叶えてやりたい』気持ちはしかし、青年を見つめる憂いの眼差し。




「万が一にも重傷を負うような事があれば、"流れる体"を持たない貴方では……」

「……"それ"については一応——"手応え"があるんです」




 視界の下部、開かれる水神の両掌。




「"手応え"……?」

「はい。のような——"流れ"の感覚」




 未熟な女神の玉体は両者の視線の先で風に吹かれ、肌の表面が穏やかな"水面"の如く見せた——"震え"。




「『自分が終わった存在』だと口にしたあの時から、この体——んです」


「輪郭……"境界"がより"流動的"に感じられるというか……なんというか……」




 張る指先からの一つ。

 冷たく、小さな"雫"が零れ落ち——確固たる地面へと染み込んで消える。




「……兎に角、"水の存在"が今までにないほど身近に感じられるんです」


「あと"ひと押し"……『今の自分が何者なのか』もう一度よく考えて、"先へ進む決意"を固められれば——なほどに」




「……我が友」

「……なので、かつてのように怪我を負うことも恐らくはないかと。それにもし傷を負っても、補うのに必要な"物質"は其処彼処そこかしこにあるんですから……きっと大丈夫です」




「……だから——イディアさん」




 そうして、力強く拳を握る女神。

 今でも遣る瀬なさを抱いた柔らかな視線で向き直る先。




を——行かせてはくれませんか」




「"彼女"の下に」

「……」




 述べて見せる、切なる願い。

 その許可を求め、友へと向かう。




「……ならば、我が友」


「再度に問いましょう——"貴方の決意を"」




「……はい」




「貴方が女神アデスの下へ向かうと強く望むのなら——その身その心が知ることになる恐怖は"神の威光"一つだけではありません」




 向かわんとするは"死地"——『冥界』。

 対峙するは光の戦神、されど向き合うべきものその他にも"一つ"。




「冥界神である彼女の言葉を信じる限り、非常の口である渡りの川、その源泉には——『霊魂の識別機構』が備えられていると思われます」




————————————————————


『生者が迷い込む事、叶わず』


辿——魂終極たましいしゅうきょくの異界』


————————————————————




「……その詳しい仕組みは私にも説明されておらず未だ理解も及びませんが、端的に言って——」


「『死という事実と向き合い、死した己を自認した者』でなければ——その入り口を知覚し、また冥界への門をくぐり抜けるのは恐らく不可能だという事です」




(……『死んだ』という——"事実"……)




 永遠とわに続く破壊と創造のことわりで生まれ、またそれを有し、世界に対する一体の感覚を持つ神々。

 彼らの知り得ぬ『定命じょうみょうの恐怖』、『断絶の苦痛』を川水の女神は——"内なる己"として想起し、認めなければならず。

 即ち『死の受容』——それこそが白面の青年に求められ、避けることの出来ない"冥界下りのための試練"として聳え、"彼女"の前に立ちはだかろうもの。




("それ"を…………)




 そうした巨大な壁を前に問われる覚悟。

 体中で速度を増す神気の流れは拡大し、その奥で"青"を覗かせる黒の瞳。




定命じょうみょうの者にとっての"恐るべき終わり"——『死』と向き合い」


「その先で、他でもない——"死に縁深えんふかき神々"と相対する」


「貴方が強大な相手と向かい合うその時、私は……側に付いてやれず」




『恩師にして恩神である女神のため』と。

 敬愛する者を想い湧き立たせた勇気は、この期に及んで揺れ動き——。




で——"世界に挑む"のです」




 女神へと変じた今も残る——心に深く刻まれた根源的恐怖に襲われながら。





「そこまでの"決意"が、"覚悟"が——





 恐れる実感としての"震えと共に"、答え。




(……"俺"は……——)




 己の死を認め、力が死を振り撒く戦神を越え——"死を生み出した女神"の下へ。




「……」




 眉間に口に、拳に足に——隠せぬ苦悩の色を友の見守る中。

 青年は己が、かつて心から願い欲した"もの"を。




「……"俺"は——」




 一面の暗闇からまろび出た世界。

 見知らぬ其処で、形はどうあれ得た『命』をどのように扱うのか、また"生き抜く"のか——"決断"が下される。





はそれでも——"彼女の下へ行きます"」





 それは揺れ残る手足に力を込め、伝える言葉。




「……"死"は勿論、戦神だって……怖い」


「……だけど、それでも」


「"彼女を失うこと"の方がもっと、"恐ろしい"んです」




 濡れた黒の瞳は一時的に青へ。

 真っ直ぐに向けられる川水女神の視線が意志を、音と共にイディアへ運ぶ。




「……我が友。貴方はそこまで、"彼女のこと"を——」

「……いえ。"少し、違う"んです。"綺麗で尊い想い"とは何か違って……内側に抱える『脆い部分』、『後ろ向きの想い』を理由に自分は……"今までもこれからも"——『行動をしたい』と願うのです」




 苦笑気味に振られるのはかぶり

 青年に決意を齎した女神アデスへの想いは様々——そこには言い知れぬ多種の"愛情"も含まれるだろうが、その最たるものは以下に語られるように"痛切"なものでもあった。




「今でこそ、貴方がいてくれる……イディアさんが自分を友として受け入れてくれたから、こうして"会話を成り立たせることが出来ている"」


「"平静を保つことが出来ている"」


「……でもそれは所詮——"繕った外面"に過ぎないんです」




 俯き、憂いの色を露わにする表情。

 女神となった彼女は自身の手首をさすった後、肩口から胸に垂れる長髪へと指を添えての語り。




「実際の自分は『全てを失ったあの日』の記憶にさいなまれ、今でも恐怖に心身を震わすしかない——」


「有ろうことか——今の自分が生きているという事実を、実感を求め……"自らを傷付けてしまう"ほどに不安定な状態でしか、なくて……」




「……」




「……今でさえそんな状態の自分が"もう一度"、"掛け替えのない大切な存在を突然に失う"ようなことがあれば……あってしまったのなら……『二度と立ち直ることは出来ない』」




 相槌も打たず、返す言葉も見出せぬイディアの間近で"青年"の——が曝け出される。




「……一度折れ、貴方たちが助けてくれたお陰で立ち直りつつあった"自分の心"は『二度目を迎えてしまった時点で完全に壊れてしまう』という"恐怖"が——"そうした予感"があるんです」


「……もう『喪失の痛みに耐えられない』、『支えてくれた彼女なくして生きられない』——」


「今までのよう『自分のために行動を』、そう思うからこそ——冥界へ向かう」


「もう一度、彼女と会って"誓い"を果たし……"今度こそ"——恩を返す」




 けれどそして、握る拳は力強く。




「それこそが自分の"願い"であり——"望み"」




 死して心で燃え上がるのは炎。

 いや、それとも止まらぬ水の渦巻か。




「死地へ向かう己の"決意"にして——"覚悟"」




 何方にせよ熱で煮え立ち、焦がれる想い。

 黒の瞳の奥——"青の輝き"となりて友を射抜く。




「だから——故にこそ今、改めて願います」


「自分を友と呼んでくれるイディアさん——女神イディアさん」




「この『わたし』の冥界下りのため、どうか……貴方の力をお貸しください」




 立てた片膝に片手を添え、もう一方の膝と手で大地に接し——ひざまずくような姿勢。




「……」

「……」




 イディアの座した状態で高さ、平行に交差する両者の視線。

 幽寂の雨夜で青と黄褐色の、それぞれの虹彩は明滅。




「……ならば——"冥界下りへ向けて準備を進める"」

「……」

「本当にそれで……構わないのですね?」




 動じぬ光を携え、最終意志を尋ねるイディアへ。




「——……"はい"」

「……分かりました」




 "落ちる水"の如き首の振られる動作。

 震えてはいても"進む意志"を認めた後——美神は己が目を伏す間に目的・目標を友と同期。




「……であれば早速、私も貴方に対する全力の支援を誓い——"準備"に取り掛かりましょう」




 物静かに立ち上がる支援者。

 衣擦れの音が後を引く最中——"送る備え"を始めよう。




「先に話した通り、これより私は女神グラウの下へ向かい、彼女から——貴方の身を護る支援の力を賜ります」


四半刻しはんときも待たせぬよう急ぐので、我が友はその間この場所で待機を」




「……目的地までは自分がイディアさんを運びましょうか? 確か貴方は、移動に適した権能を持たなかった筈……」

「いえ、心配には及びません。こういった時のためにも借りている力——風神ふうじんの権能がありますので、それを全開にして恩師の下までひとっ飛びです」




「なので、風が刃となってしまっては危険ですので少し……距離を置きますね」




 そう言って降雨の有無を分ける枝下の境界線へと向かった美の女神。

 振り返って、漆黒の頭巾に手を掛けての微笑み。

 現在地から女神グラウの所在地までは『殆ど大陸の東端から西端を横断する必要があること』や『借用権能は行使した分だけ後から代金を請求される』——といった事実を伏せての出立直前。




「……お願いします。雨も降り続いていますので、道中お気を付けて」

「はい。今の細かい事は私に任せ、貴方は引き続き……"心の準備"を」

「……有難うございます」

「……では——」




 暫しの別れに際して巻き起こる疾風、渦を形成。

 その中心に立つイディアの房髪は濃淡のある緑へと変色して、風に揺れ。

 頭巾の下に覗くその髪から目から、自ら輝きを放つその様はまさしく"つねなる星"——"神秘の体現者"。





「また、後ほど————"!!"」





 力強くも優しく、肌を撫でて——風。

 青年が反射的な瞬きで目を閉じた一瞬にイディアは——輝く女神が神風しんぷうに乗りて、この場を後にする光景。




(…………)




 線状となって灰色の夜空に描かれた黄褐色——細き光跡はてんかわ

 鮮麗なる女神の存在は青年の胸中でも"希望の光"となって、佇む彼女の傷付いた心へと熱は降り注ぐ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る