『第六話』

第四章 『第六話』




『先の弁論に励む貴方の様は実に凛々しく、立派なもので——』


『既に"自重を支える柱"としての——神の力は十分に備わっていると見て、問題はないでしょう』




(——俺に、そんな力は……)




『どうかこの先も、これまでのよう貴方が他者に対して穏和で、誠実であってほしいと——私は、お祈りしています』




(……嘘にまみれた存在で)




『……何より——自らの体で他者を守り、寄り添おうと努める貴方の——日や風雨をける『ひさし』や『傘』のような"優しき在り方"を……私は…………』


『——……"好ましく"、思うのです』




(……ただ、"優先すべきもの"があって——そのために行動しただけなんだ)




 泥土を踏み、蹴り、走る中での回想。

 木々を避けては岩を飛び越え、足で走り続けるのは女神。




いとしき我が弟子。この私をしていとわずにいてくれて……有難うございます』


『貴方の感謝の言葉、私の胸に心地良く響きました——……本当に、嬉しかったのです』




 濡れた黒の髪、振り乱れて。

 脱ぎ捨てたまま置いてきた漆黒のみのさえ忘れ、無我夢中。

 青年女神、来た道を戻る。




『……さようなら』


温柔おんじゅうなる流水の——"女神"』


『——……『女神ルティス』』




(——っ"……!)




 道中、思い出されるのは師の去り際に残した言葉の数々。

 しかし、己は終ぞ伝えるべきを伝えられず、『感謝』は勿論に『謝罪』の意さえ碌に表す時のなかった彼女で涙は溢れ、混ざるのは頰を打つ雨水。

 蓑と一体であった頭巾もないが故に晒される顔で水——押し除ける向かい風で後方へと飛び去って行く。




(——……っ、もう二度と——こんな別離を経験したくはない……っ)


(ちゃんと感謝を伝えることも、本当のことを言って謝るのも……恩だってまだ全然、返せていないのに——)




 祝われても晴れぬ心、だが前方では開ける景色。

 眼前に広がるのは——土砂を含んだ土色の荒々しき流れ——まさしく"女神の心模様"。




『心配せずとも、『命の運び』に滞りは起こさせません』


『其処な川——貴方の神体が持つ役割は前に話した通り。例え冥界の扉、その多くが閉じようとも、貴方が大切に思う命の営みは……長きに渡って続いて行く』




(だから——きっと)


(……"この川"を辿れば——)




 視界に臨む女神の神体である同名の川——『ルティス川』。

 平時は穏やかであるその水流、今では真逆に変える在り方。

 豪雨の齎す溢れる力が周囲の物質を呑み込んでは押し流す氾濫間近の激流。

 濁った水と、その音——仕切無の水災画すいさいが




(……『現世と冥界の境界線を渡る』ことが出来れば——"あるいは"……!)




 そうした、水の暴れるの中。

 川の上から下へ流れる方向とは真逆を目指し、幅を広くした流域に沿って上流へ、その"源"へと向かう——渡り川の女神。




(——『この川は冥界への"口"』で、『有事の際は"非常口"としての機能を持つ』と以前に……アデスさんは言っていた)


(だから……だとすれば、もしかして……——)




 "再会"という『己の全てを捧げる』・『使いきる』場と時を——死地を求め、嵐の中で彷徨いし者。




(——なら、"冥界そこ"へ————)




(————"!!")




 その玉体を震わしたのは、落ちてつかる水の音——凡そ二階建ての家屋ほどに高さ有する中規模の滝。

 女神は泥水を撥ね飛ばすその滝を前にしても走り、そのまま濁り瀑布の真横を飛び越えた先——川から溢れて迫る濁流の襲来。




(——"既に終わった存在の俺"、なら……っ!)


("この先"へだって——)




 真正面に知覚する自然の猛威。

 けれど彼女はその化身でもあり、恐怖に震える体で己を飲み込まんとする流れに翳す手。

 水という物質への命令権。

 水神の能力行使によって迫る脅威を横に除けようと試み——。




(行ける——はず————"!?")




 酷く精神状態で——失敗。




(——どうして……! 力、が——)




 今日の、いや今日だけでなく——この世界に来てから今までに続く悪戦苦闘、果てなき苦悩。

 その始まりから寄り添ってくれた相手を失いかねない今の事態を前に——決壊を迎える心。




「——!! っ……! っ、ぁ————」




 溢れる想いが雨に涙に、水となり——治水を経ていない河川の勢い。

 心身の動転は足をも滑らせ——"川中へと転落"。

 積み重ねられた叡知の上で暮らしていた者が幸運にも知ることがなかった天然暴威の川幅。

 今に超過の水量が細く美しく整えられた玉体を沈め——さらって行く。




(こんな……こと——! してる場合じゃ——ない……のに——っ!)




 混乱していては泳ぎ方さえ意識の外。

 人外故に酸欠や溺死の心配はなくとも、猛烈な勢いの川流れは肝を冷やす未知の経験。

 やはり水を操る権能も荒れる心では正常に行使が出来ず。



(———————!)



 寧ろ闇雲に振り回す神気、却って流れを急なものと増長させ——数秒の内。




「——が——は……っ"————」




 滝口に戻されての落花流水。

 流れに押されるまま下方の滝壺目指して落ちた女神。

 流体化を恐れる固まった玉体を水面に激しく打ち付け——意識さえも沈み始める。




(……こんな……ところ、……で——)




 神格や玉体を完全に己のものとしていたならば防げたであろう転落事故。

 だが、その悔やむ暇もなく——加減を知らぬ激流は飲んだ土砂や岩や流木の質量を錯乱の青年に打ち当て——遂には再起の気力も奪われ、失われ。




(……、…………、……——)




 混濁した、薄れ行く意識の中。

 上下左右の方向さえ覚束ぬ女神は、それでも何処かの恩師へ向かって右手を伸ばし——その横を、外れた髪留めが通過。




(……アデス……さん——)




(——まだ、俺は……貴方に……何も——)




(——……返せ、ては…………)




 またそして、力なく開かれた掌は何をも掴まず。

 水は渡りの女神を下へ、下へと押して流す。





(……俺、は…………——ま、だ…………——)





 加えて、衣嚢いのうから零れ落ちたのは"一輪の花"——純朴なる青年の誕生祝いで美の女神より贈られた"白の菫"。

 川水の女神から離れて行くそれは神秘の凍結処理によって形を保ったまま——川で流れを二分する"碑"の如き大岩に張り付いて、下流に消える持ち主と袂を分かつのであった。






(——……なに……も…………————)






————————————————————



























 "石碑よ、花よ"。


 "偉大なる挑戦者、しかし惑乱の魂を鎮めたまえ"。


 "彷徨える者に向かうべき場所を示したまえ"。


 "自らが有する数多の矛盾を知り、それでも終わりなき苦悩と向き合い続ける求道の者にこそ"——。




『……"矛盾むじゅん"と——"渡川わたりがわ"』


『いや……——"渡川×矛盾"……?』




 迷いながら学び、探し求める者にこそ——。




『……何方どちらにせよ、尊く眩き至上の関係ベストマッチ


が瞳は——未来でいずれを見るのだろうか』




 者にこそ——眺める『王』は、意味深に語る。


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