『第五話』

第四章 『第五話』




「——無事、ですか……?」




 見返りの花。

 耳で揺れる黄色の装飾。




「……我が……弟子」




 けれど、重鈍じゅうどんに歩み寄る女神の体で胸を貫く剣、多重の拘束は未だ健在。

 その張り詰めた鎖や紐、光線が繋がって向かう先はした? ——の戦神が送られた場所。



「……不動の約束。見事に守ってくれました。先の分は、これで——」



 位置も内容も詳細不明の異界——『冥界』。

 己が有する神秘の領域に敵を閉じ込めてアデスは頭を覆う漆黒の闇を振り払い、口元の黒を拭いながらに優しく——語り掛ける言葉は座り込む青年へのもの。



「……お、俺は……単に怖くて動けなかっただけで——そ、それより、貴方の方が——」



 対する青年女神、心配をされながら。

 しかし、何より酷い傷を負った恩師を案じて身を支えようと、自らも近寄らせる体。



(——?? 手が……何かにぶつかって……?)



 間もなく前方で彼女の手——不可視の壁に阻まれる。



「……既に私の体、及びその周囲はに呑まれかけている」



「故に其処な不可視の壁は……"境界線"のようなものと……そのよう、思ってください」

「……そんな」

「……また時間も限られていますので、手短に貴方へ——"話"を」



「『今に起きたこと』、『私がこれから何をしようとするのか』、そして——……私の口から改めて『貴方に伝えなければならないこと』」


「言うべきそれらについてを説明します——宜しい、ですね……?」



 確認を求める言葉にははなを啜りながらの頷きが返され、顔では今も湿る涙の跡。

 一枚板の世界を隔てた状態。

 降雨の有無さえ分ける無色透明の壁越しに姉弟は言葉を送り合う。



「……見ての通り私、女神アデスは戦神に遅れを取り……その身に『収奪の呪い』を刻まれた」


「因りてこのままでは彼の者の言うよう、私の力・有する権能は漸次ぜんじで奪われ……"かつて私が創設した自身の領域"も同様に——戦神てきの支配下に置かれてしまう」



「……」



「それは、私にとって絶対に避けねばならない事態であり……故に私はこれより、急ぎその領域へ——『』へと戻っては元凶を討ち、呪いを解き……」


も含む力を全て——取り戻します」



 壁際での確かな宣言。

 座る者へ目線を合わせようと、女神の折る膝。




「ここまでが現状の説明であり、そしてここからが——……女神ルティス」




「"私が貴方に伝えなければならないこと"——『私の素性』についての話となります」

「……はい」

「……先の発話から察せられるように、この私『女神アデスは大神』であり、『暗黒の神』であり……」

「……」

「……また、そして——」




「『死』という——『』でもあるのです」




「…………」

「……黙っていて、申し訳ありません」

「……」

「隠すつもりはなかった……毛頭になかったのですが——」




 片膝を立てる柱は謝意もあってか、伏し目がちで続ける身の上話。




「……素性を明かすことで『奪命だつめいの神である私』は——『いのちせいたっとぶ貴方に疎まれてしまうのではないか』と」


「……若しくは『私の存在が更なる悲しみや恐怖を与え、涙を流させてしまうのではないか』と……他でもない私自身が抱いた恐れに愚かしくも——口を閉ざしてしまったのです」




 欲するのは理解でなく。

 送り出す相手で極力にわだかまりのないよう明かす——語らいの場。




「……騙すような真似をして、すみません。より早くに明かしてさえいれば——私との関係を見直す機会を、進む路の選択権を……貴方に与えられたのかもしれない」


「ともすれば、今のような事態に巻き込むことも……なかったのでしょう」


「散々に『導く』と言いながら、それでも貴方を危険に晒してしまった私は、最早……"良き師"とは……——」




 けれど、水滴る濡れ烏。

 黒髪の女神が再びに伸ばす手——白黒映す壁へと添う。




「いえ……いえ」

「……?」

「アデスさんは、貴方は……俺を騙して酷い目に遭わせるようなことは何一つありませんでした」

「……」

「いつだって誠実に向き合い、話しを聞いてくれて……これまで何度も——今だって俺を助けてくれて、それに——」




「……それに……」

「……」

「……俺、は……——」

「……」




 今も言葉を待ってくれる女神へ、告げる。




「……きっと——んです。初めて会った時には……"もう"」

「……」

「なんとなくだけど、貴方が冥界の……『死の神」だと……そんな感じが、して」

「……」

「だけど……尋ねるのが。"事実が確定してしまう"のが怖くて、見て見ぬ振りをした——から目を背けてしまった」




「それだけ、それだけなんです。それで……だから……」

「……はい」

「……アデスさんが何者であろうと俺は貴方に感謝の念を抱いているのは変わらなくて……」

「……」

「貴方を疎んだり、悲しんだり、騙されたなんて少しも思ってはおらず……いえ、寧ろ——」





「……——こそ————」





 真実を明かされて、一方の対する青年。

 今は女神の彼女も同じく、己の伝えるべきを言い掛けようとして——けれどの横槍。



「……刻限が近いようです」

「——!」



 軋む音を立てて更に張り詰めたのは女神を縛りし拘束。

 地下に向かって鎖を引かれ、傾きかけるアデスの体。

 彼女の背後で雲向こうの太陽は沈みかけ、荒れる灰の空は黒に変わり——嵐の夜はもう間もなく。




「私はおのが目的のため、早々に冥界へ向かわなければならない」


「……貴方の言葉。余す所なくこの身に刻み付けたかったのですが……申し訳ありません」




「……いえ。時間が限られているのだって元はと言えば、俺の勝手な——」

「気にし過ぎるな、女神。貴方は万が一にと少女を助けようとして……私もまた同様に貴方を助けたいと思ったからこそ、飛び込んだのです」

「……」

事が『弱さ』や『悪』であって欲しくはないと、そうも考えて自主的にした行為——覚悟の上でのです」

「……」

「ですから……思い詰めるのも程々に——どうか、顔を上げてください……?」




「"別れ"の前に、お顔を見せてくれますか?」




 促されるまま上げる視線。

 顔と顔で向かい合おうとしても、青年にとってやはり胸元の傷は痛々しく。




「……その傷、その状態で本当に……大丈夫なんですか?」

「……はい。痛みもそれ程ではないので大丈夫です」

「……」

「問題は刻まれた『呪い』……『寄生木やどりぎ』がどうのと戦神《あれが言っていた"複数の呪縛"であり——……さて、どうしましょう」

「……ほ、本当に、大丈夫……?」

「はいとも。私がなんとかしてみせます」




 不安げの若い顔を前に、迸る電光を胸に。

 恩師は玉体を蝕まられながらの戦況説明。

 刺さる聖剣や鎖や紐やの呪縛の様を見せながらに——これ以上に落ち込ませないよう——やや軽々けいけいの語調。




「力任せの解呪かいじゅも可能ではあるのですが……それでは——"手間暇てまひまが掛かり過ぎる"」


「一つをこうとすればまた別の呪いが力増して邪魔をする……巧妙の仕掛け——見事な重ね掛けの細工」


「力尽くで外すのが理論上は不可能でなくとも……そのよう試みれば余力さえもが早急に奪われ、今度は戦いの勝算が立たず」


「つまり必然、無理を押さなければ解除不可であり、どうあっても一定のよう上手く出来ている」


「勿論、今の貴方単独でどうこうできるものでもなく……やはりは近寄る事なかれ」




「よって、このままの状態で敵とのいくさに臨むのが最適でしょう」




 蓑ごと、胸ごとに裂かれた"気に入りの服"で襟を正す動作。




「……"拘束の要となっている聖剣"。この邪魔さえ除ければ後は比較的に楽なのですが……光神こうしんの力は私にとって相反あいはんするものでもあり、指で小石を砕くようにはいかず」


……あるいは単純に引き抜く事も可能ではありましょうが……原則として冥界に生者せいじゃが踏み入る事は出来ず、それは——"永遠を生きる神々"も同様です」




「……」




。詳細は貴方にもお教え出来ませんが——なのです」


「そうなればやはり、力を奪還する為には戦神と対峙して迅速に討伐を果たす事こそが……未だ大神の力を有する今の私にとっての——最適解」




 案じる弟子への大まかな説明を終えて、漆黒の女神。




「……そう言った所で間もなく、冥界神としての権能は過半数が戦神の手に渡ってしまう」


「領域の主権も奪われ、それによって冥界がかずの要塞となる前に……私は戻らねば」




 悠然と、アデスは立ち上がる。




「……"勝算"は、本当にあるんですか?」

「……案ずるな、若き女神。私という神は倒れない。例え浮かれて手痛い一撃を食らおうとも——"世界の有る限り"、"大神に完全な敗北はない"」




大神われらが望みは"存在そのもの"。即ち世界という存在が消えぬ限り——勝利条件もくてきの大半は達成されている」


「つまりは——"ある意味で既に勝利をしている"。のです」




 蓑で黒を翻し、背を向けて。

 柄頭の光が伸びる前方——"暗き穴"、展開。




「それなら本当に——大丈夫ということなんですか?」

「……」




 再三再四。

 しつこく念入りに心を使う青年を向かいに置いたまま——踏み出す一歩。




「……はい。冥界は必ずや我が手に」


「残るは奪還の"手段"をどうするか、その"選択"でしかありません」




 離れて行く一歩が続き、揺れるのは淡い白の髪。

 雨降らず風吹かずの景色で小さく成り行く師の背中——何故か青年に与える"儚げな印象"。

 "今にも消え入りそう"——いや、実際に今から"冥界どこか"へ姿を消してしまう時を前に。

 "死の世界へ旅立つ"恩師を前に抱かざるを得ない胸の騒めき——"危機感"が出させようとする声の音。




「……心配せずとも、『命の運び』に滞りは起こさせません」

「……」

「其処な川——貴方の神体が持つ役割は前に話した通り。例え冥界の扉、その多くが閉じようとも、貴方が大切に思う命の営みは……長きに渡って続いて行く」

「……」

「……今を生き、未来へ向かう流れの女神よ。貴方が憂慮すべき事は何も——」




「……最後に"もう一つ"。教えてください」




 現在進行でアデスがする——己が傷を負いながらも誰かを気遣うような——『自身よりも他者を気にかける言動』に覚えがある青年。

 我慢が出来ずに張る声、別れ際の問い掛け。




「……」




「仮に、『冥界が大丈夫』だとして……でも、それなら——」




 ——"合理的で非情な損得勘定"に基づいて行動をしてきた者。

『再会は出来るのか』、もしや相手は手段を選ばず——ともすれば『自分を棄てようとはしていないか』、『自己を犠牲にしようなどと考えてはいないか』——そうしたことが。

 "何処か物言いに自身を重ね"、"今にも泡となって消えてしまいそうな淡い色使い"に『一種の危うさ』を感じた——同類にたものには気に掛かり、口に出すのは危惧。





——"大丈夫なのですか"?」





 聞こえて、止まる——足の運び。





「……」

「……また、?」

「……」

「……『重大な危険を冒してでも、例え自分を犠牲にしてでも冥界を取り戻そう』と——」





「まさか……そんなことを、考えては——」






「『手段の一つ』として——






「——っ……!」




 歯噛み。

 的中してしまった悪しき予感。




「我が奥の手たる無限の泉、身を浸せし者に神域至大しんいきしだいの力を与えん——存在融解の疾痛しっつうと引き換えに」




(そんな……そんなの……っ——)




「……残された時間は余りにも少ない。止めてくれるな、女神」




(——嫌だ)


(こんな別れ方、俺はもう嫌なのに……なのに……っ)




 けれど涙が溢れ出るばかりで言葉が出ない。

『"こうした手合い"に駄々をねて引き止めるだけの行為は殆ど無駄』であると。

 また『引き止めては却って力の奪われる現状を悪化させるだけ』とも理解をしている。

『自己の犠牲を損失に計上してこなかった自分』が今更何かを言える立場でないことも、アデスが己の領域たる冥界へ並々ならぬ思いを——『身命しんめいす理由がある』とも理解をしているが故に。




「————っ……で、でも——」




 掛けるべき適切な別れの挨拶などは思い付かず——"今生の別れ"など言いたくもなかった。

 だから絞り出せた言葉は"制止"の意ではなく、"再会を願っての祈り"。




「——それは、手段の一つで……! まだ貴方が行ったきりで戻らないなんてことが決まった訳じゃなくて……戻ってくると——」

「……」

「いえ——『また会える』と俺は信じてます……!」

「……」

「だからせめて……"お願い"です。『再会出来る』と言ってください……貴方がこんな風にいなくなってしまったら、俺は……」




 打ち付けの雨音止まぬ青年の周囲。

 それとは対照に静寂が包む女神アデスの世界へ——壁の向こうに捧げる祈り、願い。



「……」

「……一言、"たった一言"」

「……」

「『後一度だけ会える』と、それだけでも構いません。だから……どうか——」



 そぼつ女神は切願する。




「"再会"を——"約束"してはくれませんか……?」

「……」




 対して、暗き入り口を開けたままの女神。




「……貴方と、またこうして言葉を交わせるのなら……それは私にとっても"幸福"となるでしょう」


「今の私には貴方と衣服や食事、即ち"衣食"について語り合いたいと……そう——"ゆめむ心"がある」




 若き老婆の見る夢。

 無難に仕立てた黒衣だけでなく、より相手の意向を反映した衣服を——共に見繕う時間を。

 調理の技量を適切に評価し、讃えるために学び直しもした——食や味についての語らう時を。




「だったら——」

「——ですがそれでも、『不確定の事を断言は出来ません』」




 しかし女神は——荒ぶる戦神の襲来で露と消えた穏やかなその情景を胸に。




「私は貴方に——




 有耶無耶となった心を仕舞い——"進む"。




「……そんな……」

「何より冥界の神として、この私には——




「自らの実現せんとする理想にとって他でもない私自身が脆弱性の要因となるのであれば……"私という個神"は最早——




 死した魂行き着く"終極の地"を目指して、神は止まらず。




「……私だけが一方的に胸の内を語ってしまい、貴方の言葉に寄り添えず、また誓いを果たしきれず……本当に申し訳がありません」




 傷口から零れ落ちた暗黒——溜まりを作って穴と一体化。

 同時に足場で広がる漆黒の中、僅かに煌めく粒子は夜の湖面に写る星々のよう——中心の女神を囲む。




「指導もいまだ半ばで去り行く私を『許せ』とは言いません。……ですが、先の弁論に励む貴方の様は実に凛々しく、立派なもので」


「既に"自重を支える柱"としての——神の力は十分に備わっていると見て、問題はないでしょう」




 前傾する小さき体。

 今も背中で語って表情を見せぬ白髪は涙ぐむ黒髪の女神へ送ろうとする——祝福の言葉。




「貴方自身が在りたいと思うように、望むままに世界を生きよ」


「困窮の時には貴方の良き友、女神イディアが力になってくれるでしょう。……ですが、頼り切りではなりません。良き友神関係とは相手に『良き友であれ』と願い求める前に、己が『良き友であろう』と努める事が大切なのでしょうから」




「……また『いる』事も避けたいのですが……どうかこの先も、これまでのよう貴方が他者に対して穏和で、誠実であってほしいと——私は、お祈りしています」


「……何より——自らの体で他者を守り、寄り添おうと努める貴方の——日や風雨をける『ひさし』や『傘』のような"優しき在り方"を……私は…………」




「——……"好ましく"、思うのです」




 そう言って、神は振り返る。

 己が苦痛・悲痛を味わいながら——。

 例え内心では他者を羨み、妬み、剰え憎んだとして——同じ痛みを味あわせまいとした青年へ。

 かつての大神せかいが捨ててしまった、忘れてしまった"優しさ"——『優しき理想』の一つを川水の女神に見て、自分も微笑んでみせる。




いとしき我が弟子。この私をしていとわずにいてくれて……有難うございます」


「貴方の感謝の言葉、私の胸に心地良く響きました——……本当に、嬉しかったのです」




 血も涙も、とうの昔に忘れ去った神。

 その顔で溢れて浮かぶのは控えめで、しかしそれでも柔らかな微笑。

 纏う闇を翻し、身を覆う女神で儚く淡い白の髪、これから冷徹に変わる顔は隠されて——次第に沈む小さき身。




「……さようなら」


温柔おんじゅうなる流水の——"女神"」


「——……『女神ルティス』」




 呪いの神は若者の幸せを願い、しかし只人ただびとの心が分からぬままに『傷』を残して。





「我が……いえ、苦しくもこれからを、世界を単一の個として生きる貴方に、どうか——」





 降り止まぬ雨だけが、雨曝あまざらしの孤独を濡らす。






「"きみに——さちあれ"」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る