『第三話』

第四章 『第三話』



 未知の権能が戦神を叩き伏せる——少し前。



(……あんな——っ)



 豪雨を弾き、駆ける。



(あんな奴に、あんな理由で命が——!)



 都市ルティシアに向かって、先行した人々と美神に追い付くため駆けては飛び、跳ねて。

 "呆れ"や"怒り"、"悔しさ"が綯交ぜとなった心持ちで青年は泥を踏み飛ばしながらに森を突き進む。




「——っ"……!」




 首謀者である神の口から真実を聞かされて、その超越者が語る内容はよく理解出来ずとも、湧き上がった怒りを胸に秘めたまま場をアデスに任せ、立ち去る約束を随順して、暫く。

 疾走を続ける彼女の中、未だに非難の一つでも振り返って投げつけたい衝動はあったが、例えそうした所で過ぎ去った時は戻らず。

 それより怒号や悲嘆に暮れる行為の"虚しさ"、火に油を注いで"師の邪魔"になることを忌避する今の女神に出来るのは、すべきなのは——ひた走ることのみで。



(——ちくしょう……っ……!)



 移り変わる森景色。

 その過ぎる様に重ねる過去——葬儀の光景。

 川を流れる遺灰に追う花々、落ちる人の涙。



(あの時の俺に、もっと何か……出来たことは——)



 または裁判資料の解剖記録で横目に見た被害者の情報。

 その豚の命を奪ったねつを、身を焼くあつさを、痛みを——青年は知っていた。

 けれど、知っていても他者への完全な理解は極めて困難で、やはり危機を完璧未然に防ぐことは出来なかった事実を噛み締め、募らせる後悔。

 この世界に来てから今日も振り返ってばかりの青年、漲る神の力は苦悩に熱を注ぎ、出力を割かれて気の抜けかける足取り。



(——いや。そうじゃ……ない)


(……今、本当に俺が考えるべきことは——)



 だが、止まる訳にはいかず。

 諭す己で力強く蹴った湿る大地。



(——感情的になるだけじゃなくて、『今を生きる者たちのために何が出来るか』)



『過去を嘆くだけでは今の大切なものさえ失ってしまうかもしれない』との、友神の言葉を指針として胸に抱かせ——考えつつも、走る。

 一つ二つの命を守れなかった後悔を抱いたまま、しかし今とその先——『より良き明日』を手繰り寄せんと願って走り続ける。



(……そのために、俺に出来るのは——アデスさんとの約束通り、迅速に行動すること)


(それと……都市の人々を安全に送り届けることだ)




(だから、取り敢えず今は……その二つに集中——)




 しかして、次の瞬間。




(——"!!")




 世界、急変。

 突如として

 嵐の森を覆った天空——『まもなく訪れる筈であった夜が省かれた』と誤認させる程に




(な——なんだ——なにが——っ!?)




 明度も温度も急上昇させた世界、突然の変わりようは"神の仕業"。

 戦神の『銀河団剣ぎんがだんけん』が天高く掲げられた"余波"——剣聖の絶技が光景の色を塗り替える。



(——わ、分からない。何がなんだか、分からない——)



 目に見える——異変。

 世界変色の理由を知らぬルティスは反射的に足を止めて疑念を晴らすために振り返ろうとして、一時的に緩めかける速度。

 しかし、吹き始めた追い風——肌を撫でる熱風は背後から。

 その風はまさしく"師が残った川辺"の方向から来ているよう思い、青年。




(——……ッ!)




 けれど、異様な熱を背後に止まらず。

 いや、周囲の暴れ狂う木々や全速力で大地を駆けては自身を追い抜いて行く動物たちの様子から『只事ではない』とだけを知り、また否が応でも『崩壊』や『終末』を意識させる光景に煽られる恐怖心で——止まることなど出来ず。




(——"走れ"! "走る"んだ……!)




 思うまま、感じるまま。

 雷鳴の怒号に心身を揺さぶられながらも『"驚天動地"の世界を駆けん』と選択。

 逃げるよう、只管に動かす足。




(——きっと、きっと大丈夫だ——アデスさんは強い!)


(彼女を信じて、俺は——俺に出来ることを……!)




 更に上げる速度。

 木を避けては岩を飛び越し、泥濘ぬかるみに足を取られてよろめき——前に転がって止まらず。

 勢いそのまま即座に立ち上がり、また駆け出して。




(こんな状況だ。尚更みんな不安で——人々を、アイレスさんたちを安心させるためにも早く——!)




(速く——!!)




 その——数秒後。




(————"!!")




 赤熱に染まる世界の下。

 女神の前方、先の数百メートル——いや、数千はあるかという地点。




("あれ"は————)




 目的地への道中で、研ぎ澄まされた神の視覚は見る。

 雨打ち付ける苔生した岩——その横に。





(——)





 見えだした——"人型"。



(——ひと……!?)



 



(背は小さめ、長めの髪——"しょう……じょ"……?)



 一人で身を抱えて、蹲るような。

 ——"少女の姿"。




(髪の色は……"栗——色")




 照合する記憶——該当あり。

 こんな時で山近く川近くの森に滞在する人間は極めて少なく——故に恐らくは、今し方に行われていた裁判の参加者。

 その集った人間の中に"栗毛"で、しかも"少女"というのは——たったの




(まさか——)


(何故、彼女がこんな場所に一人で——集団から、逸れたとでも——?)




 輝きに満ちた世界でも明瞭とした少女の姿。

 地面に座り込んだ姿勢。

 青年の側に晒された背は小刻みに震えて恐怖の色を言外に表し、その寂しげな後ろ姿も丁度——女神にとっての恩人である『アイレス』のものと酷似していた。



(この嵐、この空。慌てて足並みが揃わなくなっても、おかしくは——)



 足で走り、思考も同じく走らせて。

 依然として、赤と熱に覆われたままの世界。

 徐々に縮まる——"少女?" との距離。



(——いや、"でも")


(アイレスさんはイディアさんが背負ってくれていた筈だ。美神かのじょがそれをやめて一人だけで置いて行くとは——"思えない")



 少女までの距離、残り凡そ百。

 先のアデスとの『止まるな』の遣り取りを記憶するルティスは"訝しむ"。



(——……だ)


(周囲にイディアさんは勿論、他に人が居る気配もまるでないのにどうして——彼女は一人で立ち止まっている……?)


(……怪我? 恐怖が故? それとも——)



 残り八十——七十メートル。

 明らかにな状況は如何にも

 常人を遥かに超えた速度で移動する女神は『視界に映る少女をどうするべきか』——秒の間に下さんとする決断。



(——深く理由を考えてる暇はない。不測の事態は起こり得るんだ)


(イディアさんだって全能じゃなくて、そういうこともあるだろう)



 六十、五十。

 迷える時は少なく。




(だったら今、決断すべきは——『通り過ぎる』か、『連れて行く』か)




 四十、三十。

 不快に肌を撫でる温い雨と、汗。



(後者なら——アデスさんの言い付けを破ることになる。それは——避けるべき)


(今、足を止めたら、それこそ後ろの"熱源"に飲まれてしまうかもしれなくて——)



 二十、十。

 最早人並みの視力でもハッキリと映る少女の姿。

 その小さな背はまさしく、見知った恩人のもの。



(でもそれは——目の前の彼女だって、同じで)



 九、八、七。

 何らかのである可能性は高く。

 しかし、僅かでも少女が本物である可能性——




("…………")




 残り六。

 見て見ぬ振りをして捨てる——




(……——)




 五。

『アイレスさんは勿論、貴方にとって大切な方々……家族や友人をはじめとした皆んなが再び、笑顔で過ごせるよう——"手を尽くします"』と。

『自分が貴方たちを——"護ってみせます"』とも。

『……必ず、誓いを果たします。だから、もう少しだけ待っていて下さい』——とまでを言った、固く約束をした者に。




(————っ")




 間もなくに手が届く、四メートル。

 雨か涙か、少女の頬を伝う一筋の煌めきを目にして重なる記憶。

 変わってしまったものばかりを、戻らないことを想い——毎晩のよう涙する青年へ。

 理解し難い苦悩を抱える彼女へ恩師や友といった周囲の者たちは——




(————っ"……!)




 厚意に親切に、優しさに助けられて——また心を救われ、『己もそうありたい』と願う者。

 今は青年女神のルティスに『見捨てる』などと、そんなことは——。





「——っ——……!!」





——出来る筈もなかったのだろう。





「——だ、大丈夫ですか……!」





 目標物の三メートル手前で神気を放出、前面に勢いよく噴射した青の気で勢いを殺し——"急停止"。

 苦渋と罪悪感に満ちた表情を隠し、精一杯に頼れる装いの青年。




「どうしてこんな所に一人で——い、いえ!」




 身を屈める人の形へと歩み寄りながら——かつて己がそうされたよう——気遣って掛ける声。




「——ここは危険です! 直ぐに離れましょう!」




「……」




 だが、指呼しこかんであるにも関わらず——蹲ったまま声を返さぬ少女。



(雨の音で聞こえてない……? 兎に角、急いで離脱させないと——!)



 しかし、急ぐ青年。

 この人間の明確な正体や状態把握よりも優先すべきは身の安全の確保だと判断。

 更に距離を詰めながら自らの首元で留め具を外して、脱いだ隠れ蓑。




「取り敢えずは、俺が担いで都市まで送るので——貴方はこれを」




 少女の体を上から覆うようにして玉体を折り、広げた蓑と合わせて即席の雨除けとする。



(……一先ずは蓑を貸して、担いで運ぶ)


(返事もないのに強引だけど、今はそうするしか——)



 更には水濡れによる低体温症を危惧し、少女の肩を目掛けて添える漆黒。

 蓑をあてがって、応急処置的に守護の闇を羽織らせようと——。




(それしか方法は——……"?")




 羽織らせようとしたのだが——少女の"体を通過した"女神の手。

 布めいて動く蓑の闇も"肩を透過"して——食ったのは文字通りの『肩透かし』。



(……どうして、触れられな——"!")



 ほぼ同時に天空で赤熱は失せ、戻る暗雲。




(——空が元に……! それに、"これ"は——)




 一転で薄暗くなった世界。

 風雨の荒天が掻き乱す空間で青年が目前に気付くのは——




(まるで……——……?)




(——実体がないから触れることが出来なかった? でも、なんでそんなものが今——)




 その少女と、降雨に向かって差す光。

 原因を求めて泳ぐ女神の視線はまもなく、空中で浮かぶその源を——"丸い光源"を視界に捉える。




(——? ……何か、光って——)


(あれは……"輪っか"? "円形"の……——)




 今の今まで赤熱によって隠されていた——"同色の光"。

 それは先刻、裁判長を務めていた神に向かって投げられた帽子——否、今となっては違う。





(——ひか……り……)





 正体を表して今も回転を続けるこそが——姿している。





(……——)





 それは宛ら情報を投射する"投影機械"の——プロジェクターののようで。

 投射される"垂れ布"の役目を与えられた雨の帳や岩の壁は




(——! しま————)




 仕組みを完全に理解出来ずともその周到な用意に"危険"を感じ、即座に青年は離脱で跳ねようとするが——しかし。




(——体がっ——……!!)




 既に"少女の形を模倣した"——




「ぅ"……くっ"——!」




 霧散する少女の光を前、神の策略を知った時には既に遅い。

 最早女神に自由はなく、手と足の首に巻き付いた"鎖"。

 四肢を固く縛って輝く鈍色——"大いなる神の束縛"。




「——外れ——ない……っ——"!?"」




 次なる仕掛けの針を兼ねるそれ

 掛かった女神の重みを合図にその玉体を大の字で広げ——"仕留め"の段階へ。




「——っ……!!」




 光輪から顕出する鋭利な先端——"剣"の切っ先が方向を青年に定め、失わせる顔の色。




「ひっ……い、……や……っ……」




 重大な異変に気付いて川辺から引く力——荒れる風向きとは真逆の方向で青年の結わえた髪を引くが、しかしそれだけ。

 師の干渉は鎖の有する力によって相殺され、遠方から弟子を助け出すこと、叶わず。




「……ごめ……ごめんなさい……! ごめん……なさい……っ」


「また、"踏み外してしまって"……」


「ぅ"……少しの"恩"もっ……返せ、なくて……っ」




 抵抗の術なき青年で、押し留めていた感情は謝罪の言葉となり——共に溢れ出す涙。





「……ほん、とうに——」





『己の不出来』を呪いに、呪い。

 けれど差し向けられる刃に慈悲はなく、哀切な濡れ女を前に柄の頭さえ光輪から這い出した剣。

 誤差の修正を終えて予め仕組まれた命令に従い、標的に向かって光の速さで——"射出"。





「ごめ——





 役目を果たし終えたの輝きは消え去って、"砕けたもの"——花と散る。











 散ったのは黄色。

 それは"黄褐色の琥珀"。

 腕輪に込められた願いは『優柔の守護』。

 見事に願いを叶えて散りし宝石の花。

 厳酷なる刃に抗って大地で破片、散らばり。






「——……"大丈夫ですか"……?」






 青年という一輪の徒花あたばなが今も残るその場所——"剣との間に割って入った者"。




「……っ"——"怪我は……ありませんか"……?」




 恐怖で涙を落とす青年の下へ、頼れる恩師。

 白黒の女神は力強い笑みさえ浮かべ——身を貫かれながらに"何でもないような口振り"。

 凶刃から青年を護り——駆け付けたのであった。






「——……




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