『第二十六話』

第三章 『第二十六話』




「裁判の成り行きについては既に聞き及び概ね、"事の流れ"を理解しました」




、したのですが——」




 忍び寄り這い寄る、冷たい暗色。

 溢れた闇によって規定され、二柱だけの存する空間。

 風や川や、勿論に不要な音も聞こえない周囲から隔絶された暗黒世界。



「……"分からない"——のです」



 響く女神の声色は何時にも増して情の温度を感じさせず——冷ややか。

 青年は背後——いや、左右からも音が聞こえるような前後不覚の最中で。

 師が鋭い言葉で、丁度刃物を添わせるよう背筋を撫でるかの錯覚に震わせる心身。




「"一つ"だけ……"理解出来ない事"があるのです」


「以前に私は『裁判の前準備と後始末を担う』とは言いましたが、肝心要の裁判及び『貴方の弁論に手を貸す』とは——」




のです」




 耳どころか全身に染み渡る冷淡の声、誘発される戦慄わななき。

 振り返ることを禁じられた青年に古き女神を捉える術はなく。

 "交渉相手"としなければならない相手の言い分を聞くため、只管に黙して聞く時間。




「……それも、元はと言えば——女神」


「貴方自身が『裁判を行う』と宣言して人間の……"あの少女"の弁護へ勇み立っていたからこそ、私は『貴方の望みを歪曲わいきょくしまい』と自らを後押しに留め——」


「気炎を揚げるその姿を『草葉の陰から見守るだけ』と……今の今まで穏やかで、考えていたのに……」




「……それなのに——」




 暗い神格が強く表出する女神の瞳に光はなく。

 彼女は声の抑揚を抑えたまま、しかし何処か辿々しく、病的に——溢れさせる思い。




「……なのに、"どうして"……?」




何故なにゆえ、今、貴方は——自らの意志を中途で振り捨てるような真似をしたのですか……?」


「凛然たる態度のままに、しかしどうして私を頼ったのですか……?」




「私が事ならまだしも、よりにもよってどうして、なぜに——……?」




 言葉のを見れば『悲嘆』の如き色が濃くに窺え——けれど、その実——闇で隠した表情は極めて"平静"の女神アデス。

 より詳細に表すのなら——"病的に嘆く登場人物に声を当てているような"。

 "声を出す自己と話す性格の間に一枚の壁を隔てた一種の解離的状態"。

 瞳のハイライトも隠した真顔で眼差しは力強く保持され、黙す青年の反応を注意深くに観察して——

『自身が実際に何を言ったのか』・『言っていないのか』——悪魔にとっては"発言の有無こそが重要"であるのだ。




「……それが、分かりません」


「私には……分からないのです」




(…………)




「……"何方どなたかのお弟子さん"?」


「もしも、もしも仮に貴方が『甘え』を抱き、そして"甘やかされる事"を強く……心の底から望むのなら——」






「裁判が済んだあとで、時と場所を弁えて——」






「——……




 すると、そうして——意を決した清澄の声。




「"発言の許可"を、願います」




 青年は沈黙を破り、聞かされる疑念を遮って。




「…………"許しましょう"」


「"貴方の思惑"を、——女神ルティス」




「……では、僭越ながら——"自分の意見"を」




 川水の女神は"表明"に。

 暗黒の女神は"評価"へと、各位で臨む姿勢を変える。




「——……先の提案は、熟考の上で俺自身が『そうすべき』と結論付けたが故の行動であり……その大元の意志で『裁判をやり遂げる』という思いは今も——"変わってはいません"」

「……『道半ばで諦めた訳ではない』、と?」

「"はい"。ここで諦めてしまったらそれこそ、貴方やイディアさんの協力を無駄にするようで……それは嫌で」

「……」

「……何より、もう少しで自らの望む結果に、それに手が届きそうな所まで来たのです」




「諦める理由は——"ありません"」




 お供も友神もいない青年、振り向かず。

 無防備に背を晒したままの問答。




「……では、『望む結果を導く最後の一押しとして——わたしの力を欲した』」




「……そのようであると?」

「"そうです"」

「……"拒否の可能性"を考慮せず、ただ藁にも縋る思いで……"事前に私と貴方が交わした申し合わせ"を——"反故ほごにした"……?」

「……それは——」





「——





「であれば、どのような意図があったとのたまうのか」

「……どう捉えるかは貴方次第ですが……俺は——『自分の行動が貴方の発言に背くものだとは考えていません』」

「……」




 耳飾りが揺れる。




「寧ろ自分は——『却って貴方の言葉に従いながら最善を尽くしている』」

「……」

「そのように考えています」

「……詳しく、説明を」




 青年の物言いは意味深に、態度は変わらず凛々に。

 その様を見る女神の瞳、赤黒き宇宙色は今一度におもむきを変えて——重ねた斜線である"夢見の光"は再浮上。




「……確かに、貴方は『裁判中にも手を貸す』とは"言わなかった"」

「……」

「それは、俺も認識している事実です」




 前後左右、上下さえ不確かな暗黒空間。

 律する震え、張り上げる声。




「……ですがしかし、以前の貴方は——のです」




 渡り川の神格、薄氷を踏む。




「——『"知識に権能"、"縁や幸運"といった貴方の"持てる全て"を活用して——私に示してください』」


「『"貴方の"、"意志を"』」




「——……そのようにも、言ったのです」

「……」

「そして、此処で着目すべきは『えん』という言葉。貴方が"持てる全て"の例として挙げたものですが……」




「先ず、この『縁』とは——"存在同士の関わり合いや関係"、などを意味するもの」

「……」

「……その認識で、間違いはありませんか?」

「……はい」




 語義に対する認識の相違があったのなら泡と消える目論見で。

 裁判から地続きの、潜む失敗の危険性をまた一つ取り除き、意見を続ける。




「……ならばよって、だからこそ俺は"自分の持つもの"を活かした——、のです」

「……」

「つまり、女神……俺は——"貴方との仮の師弟関係や誓いを立てあった間柄であるという事実"さえも活用をし、その『利用が出来る』と考え……"行動をしている"のです」




「まさしく——




 装う不敵。

だ』と——世知賢せちがしこくも、古き女神へ主張をしているのだ。

 この——手に汗を隠す青年は。




「……それを『甘え』だと捉えられ、失望をされてしまったのなら——"それでも構いません"」

「……」

「ですが、自分が『失って欲しくない』と考える"未来や幸福"が、には……あるのです」




 闇の隔てる先で今も待つ少女たち——かつてのアイレスやリーズたちが都市で見せた"笑顔"を想起して、湧き上がらせる力。




「だから……女神」


「貴方との繋がりを利用してでも掴み取りたい結果が……にはあるのです」




 積み重なった時間は思いとなり、意志を導く。




「だからこそ俺は……どのような責め苦も、労さえ負う覚悟で貴方の名前を口にしました」




「よって今一度、俺は貴方に——願いを述べます」




 抱える悲嘆の青色は瞳の奥で逆巻いて。

 導かれた意志で青年——望む世界を切り開かん。




「……女神アデス」


「どうか、大いなる神の力を以って——アルマたち証人の保護を、貴方に引き受けては頂けないでしょうか」




「……」




「……お願い、致します」






「…………」

「……——」






 そうして、無光層むこうそう

 瞳で輝く青と赤の生物発光の内、前者は微かに揺れ動き。

 対照的に心太こころぶとである後者——返答・評価で破る沈黙。




「……語調、眼差しこそ堂々。振る舞いは一見いっけん胆斗たんとの如し」


「……——」




 一旦の瞑目をしてから、近寄る。

 立つ青年の横で膝を屈め、その握られた拳に視線を合わせて女神——眼光鋭く物を言う。




「——"これ"はなんですか?」


「"手足の震え"が——隠せていませんよ?」




(……っ)




「『恐怖心の全てを捨てされ』と迄は言いませんが、"駆け引き"に於いて心の内を晒す事は極力で避けるべきです」




「せめて、気取けどられぬ位置に隠しましょう?」

「……は、はい」




(……"駄目"、か?)




 慌てて体を覆う蓑の面積を広げ、言われた通りに取り繕う外面。

 けれど、第一に駄目を出されて、"交渉は失敗"かと底冷えの心。




「それさえ出来れば"及第点"です」

「あ、ありがとうございます——"及第点"……?」

「はい。"辛うじての及第点"です」

「……ええと、それはつまり……」




「証人保護の役目は……引き受けて頂ける?」




 上目で見てくる恩師に対し、尋ねる結果。




「……そのように捉えて頂いても——"問題はない"かと」

「!」

「……貴方は苦境の中でも自己実現を目指して研鑽に励み、更にはこのわたしを相手取ってしたたかに立ち回ってみせたのです」




「それらの行いを評価する意味でも、脅威が過ぎ去った事が確認出来るまでの間、証人及びその血族達の保護を——"約束しましょう"」

「……ほ、本当ですか……?」

「本当です。"言った事は守ります"」




「……しかし、よもやよもや。『自らの発言を逆手に取られる』とは思いもしませんでしたが……いやはや、全くどうして『驚かされました』」




 並べ立てられるのは称賛の言葉。

 極めて落ち着いて女神の言うそれは真実半分、そうでないもの半分。

 然れど、達成感に打ち震える耳に含みのある言葉は届かず。




(や——やった……!)




「——本当に、ありがとうございます! アデスさん……!」

「……いえ」




 喜びで横へと振り向く青年、姿を現した恩師に何度も深謝の礼。

『振り返るなの禁』は半ば破られたようなものとなったが、それを咎められることもなく。

 しかしてそのまま誇らしげ、口角を微かに上げる漆黒の女神は無言で左方向に展開した暗い渦。

 徐に其処へと手を入れ——引き戻す逆手に無銘の魔剣まけんを持ち出す。




「また貴方に助けて貰って、本当に……何とお礼を言えばいいのか……」

「礼は私よりも貴方の挑戦を後押ししてくれた協力者——女神イディアや蛇のウアルトへ」

「はい! それは勿論……! 彼女たちがいなければ俺は一人じゃ怖くて何も……——」




「——え——何で、『剣』持ってるんですか……?」




「"保護の証"としてアルマに授ける物です。権威を示すにはやはり、神授しんじゅけんこそが相応しいと思いまして」

「な、なるほど……?」




「……結構、高価そうですけど……大丈夫ですか? 何ならやっぱり、後で俺が何か——」

「数百年前に制作したものの、今は不要となっていた無用の長物です。故、余計な気を回す必要はありません」

「あっ、はい」




 流線型の、暗く妖美な神の剣。

 握る柄を青から黒く染め直しながら、アデスが弁護士たる青年に思い出させる"本題"。




「それより——裁判はいまだ、終わりを迎えてはいないのです。"弁護士である貴方"が気を逸らしていて宜しいのでしょうか?」

「……!」

「……程なくして"空を昼に返します"。を欠いては、掴みかけた結果も掌から溢れ落ちてしまいますよ?」

「……それは……」

「緩んだ気、及び表情を引き締めて……先刻までのように凛然と仕上げに臨んだ方がよろしいかと」

「そう……ですよね。分かりました」




 素直に聞き入れての一呼吸。

 併せて渦を巻いていた瞳の輝きは奥に仕舞い込まれ、虹彩はからへと戻って変色。




「忠告、痛み入ります」

「……細かな話は後ほど、裁判の終わりに時間を取りましょう」

「了解です」

「私たちがした"誓い"についても、その時に」

「……はい」




 頷きを交わす師弟。

 現状が如何なものであったかを思い出して、切り上げようとする会話。

 刃物を逆手に持つアデスは青年が毅然とした『良き表情』を浮かべ直したのを確認すると——背を向けて、歩み始める。




「……その時を——楽しみにしています」




 そのまま丁度、立ち止まる場所。

 其処は青年から見て、黒に塗られる先まで裁判所の中央であった地点。

 川の真中に当たる暗闇で足を止め、別れ際に振り返ってくれる女神は。




「……あぁ、本当に——」




 見た目相応の無垢な少女——ではなく、浮かべるのは"挑戦的な笑み顔"。

 悪魔か魔女めいて妖艶に、待望の念で歪む口。

 怪奇に喜ぶ彼女は、そのよう言葉を残して。





「——





 勢い良く、下部へ突き放す漆黒の剣。

 神は世界を——引き裂き、去る。





————————————————————





(——!)



 縦に裂かれ——失せる漆黒の帳。

 戻りし昼の加護ねつが人々の体、そして心までをも包み込む。




「——"答え"は示された」




 傾き始めた日の下。

 再び見開かれる隻眼の瞳。




「突き立てられし剣、成立を果たした交渉の意」


「アルマの血族を守護する武威ぶいにして神の権威——その"証"である」




 不可視、光の波動。

 男神は川中に突き刺さった剣を触れずに抜き、光返さぬ漆黒の刀身が吐き出すのは黒煙。




「今、此処に。救生きゅうせい一柱ひとはしらおのが決定を示したのだ」


「因りて彼の女神に成り代わり、我という天光の神が下された事実を告げる」




 そうして、裁判所の端。

 澄ます補佐官は服装、及び白菫の髪を黙して整えるのみであった。




「『証人、及びその血族の身は護られるであろう』」


「『長く、子孫生きる遥かの未来まで』」




「『世界を満たした——大いなる暗黒』」





「『女神アデスの力によって』」



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