『第二十三話』

第三章 『第二十三話』



(そん……な——)



 検事の手、白の手袋に包まれた指先。

 まるで"手品師"のように何処からともなく取り出された"一本の矢"。

 その摘まれた件の矢、反射する鈍い光で周囲を照らす。



(——矢が普通に存在したら、俺の推論が成り立たない……っ!)


(いや、そもそも、俺の予想通りならあの矢は存在しない筈なのに——それが……なぜ……?!)



 想定外の展開に動揺し、左右で揺れる黒の総髪そうがみ

 弁護士としての青年が構築していた"希望へ向かう一直線の道筋"は今や横に逸れ——神明裁判は彼女にとって全くの未知領域へと進み出す。




「……初めから提出すればい物を、何故なにゆえ——今になって引き出すような真似を?」

ことは証言だけで済む筈だったからだ。其処の——"弁護士とかいう女"の横槍さえなければ」




 対して検事、不敵の語り口は変わらず。

 視線の泳ぐ弁護士を帽子越しで睨みながら、取り出した矢を目前の台へと置いた。




「……では続き、"その矢が証拠となる訳"を話せ」




「それも単純だ。見ての通りやじりに付着した"赤色"。このは言うまでもなく命の流した液であり、そしてまた——だ」




 裁判所の端で、検事の言い分を聞いてのまばたき。

 "検視を担当して解剖記録も作成した"補佐官が意識を傾ける中、検察側の主張が続く。




「更に、この血の付着した矢で最も肝要となる点は——である」


「『凶器の矢がその場所で発見された』という"事実"こそが——被告人が為した行いの証明として"決定的役割"を果たすのだ」




「"その場所"とは何処か。単刀直入に述べよ」




("場所が証明に"……? 矢が見つかったのは被告人のアイレスさんと関係する何処かだということ?)


(なら、それは一体——)





「矢が発見されたその場所とは——『被告人の住居』である」





(——"!?")



 それは青年にとっても、話題に挙がる被告人の少女にとってさえ知らぬ——今、初めて聞かされた重要情報。

 その出現に彼女らは再び身を揺らして、対照的に落ち着き払った様子の検事は続き淡々と、証拠の持つ決定的役割を説明する。




「小都市にあるその場で、この矢は発見された。棚の奥、物陰で隠されるよう置かれていたのだ——『疑いのある者が血の付着した凶器を自らの住処に隠していた』のだ……!!」




 雄弁、高らか。




「隠したその理由さえも完全明白——その人間が"やましい事"を仕出かしたから。露見しては不利益となる行いを『隠蔽しよう』と試みたからだ」




「即ち故にこそ、因りてこそ——」




「『無残にも被害者の命を奪い、被告人の住居から発見された凶器の矢』こそ、"この矢"こそが——裁定を決するに相応しき"証"と相成らん」




 論争での攻勢、捲し立てる。




(——そんな! 調……! !)


(なのに、なんで——その場所から血の付いた矢なんて物が——!)




「弓と同様に矢の持ち主でもあったリーズと被告人は親しき間柄だったらしい。その物らは事件の前日も同じ屋根の下、寝食を共にしていた」


「そうして被告人はそのかんに"くすねた矢"を用いて、当日に殺害を敢行——瞬く光の影に真相を隠そうとした」




「"事件のあらまし"は——こんな所だろうよ」




(そんな筈はない……っ!)


(被告かのじょは事件が起きた後、直ぐにアルマの里へ連れていかれた。だから——矢を隠すような暇は、そんな時間はなかった筈なんだ……!)




 青年はアイレスの友人と弟の立会いのもと、既に事件と関係が疑われる場所——当然に少女の家でも検分を行っている。

 故にこそ、無から湧くようにして現れた矢——該当の場所から発見されたと検察側が主張する『未知の凶器』の発見は全くの想定外で、激しく動揺しながらも彼女は自らの推理・推論を揺さぶる"見落とし"の有無を洗い出そうと手に汗握り、口をつぐみ、必死に回す神の思考回路。



(——動機だって、優しい彼女が友人とその血族を害する理由は何一つとしてないんだ)


(なにより、彼女は自身の口で俺に真実を伝えてくれた——『自分はやっていない』と言ったんだ)


(俺はそれを信じていて、信じたくて——だから、俺の推論から考えた場合、彼女は巻き込まれただけで……その裏にこそ——)




「……ふむ。再度の検察側の主張、これもまた一応の筋道は通っている」




(——!!)




「『被告人が弓矢をどのようにして扱ったのか』、『何時に被害者から矢を抜き取り、それを隠したのか』……それらについて細かい審理は必要だろうが……——その前に、"弁護側"」

「! は、はい」

「現時点での"異議"、"反論"はあるか」

「えっ……と、そ、それは……」



 混迷する心、精神状態。

 しかし纏まらない思考が渦を巻く中でも止まる訳には行かず——必死にもがこうとして。




「……や、やはり、被告人による犯行は先程弁護側が言ったよう、彼女にはそもそもの弓を引き絞ることさえ難しく——」

「それは『難しい』というだけの話。素人とて千や万の回数を試せば一度くらいは的中の時を手繰り寄せる。此度はそのいちが初回のいちであっただけの事」

「そんなっ……! 確率的に考えてそんなことがあの瞬間に起こるなんて……信じ難い! 偶然でも、彼女は——」

「如何に人の腕が細かろうと"偶然の奇跡"が重なれば『弓は引き絞られ、矢は飛ぶ』」




「若しくは——外部より何らかの力を借り受けたのなら、"必然"のまま意図したままに事を成すのも不可能ではないだろう」


「ならば一体どのようにして『其処の人間は家畜を殺した』のか……詳細は裁定が下された後、——




 けれど、割り込む検察側からの反論。

 妖艶に口角を歪めて検事——投じる"火種"、煽る口振り。

 青い年の感情に"熱"を与えては、冷静な思考を容易に"奪う"。




(……!)




「両者ともに——


「神はお前達の議論にのだ。それを忘れた訳ではあるまいな」




 白熱の議論を仲裁する声。

 呆れた様子の裁判長プロムが指差す先で検察側の台に置かれた矢は光の薄膜に包まれて浮遊。

 それは証拠品として中央、展示の空間へと向かう。



「今に於いて重要なのはお前達の感情ではなく"論理ろんり"だ」


「検察側は『被告人は証人から矢をくすねられる人物であった』こと、そして『凶器の矢が被告人の住居から発見された』ことを論述し、先ずはそれに対する俺の評価を賜わす故——黙して聞け」



 速度を増す荒い川流れの音さえ従える神。



「今し方預かった『矢』。鏃を血に染めているこの矢が実際に『被告人の住居に隠されていた』のならば——状況証拠としては十分、"考慮に値する代物"」


「人の出入りが限られる空間に位置していた物だ。その空間を利用していた人間、つまり——被告人と全くの無関係だとは考え難い」



 暗雲立ち込める空の下、畔での裁判は進む。




「言い換えて『弓矢と被告人が併存する機会があった』のだ。検察側の補足された推論通り、被告人が何らかの細工を施す時間は十二分に確保されていたとも言える」


「よって、先の検察側の主張——裁定にも少なからず影響を与えるであろう」




(っ……!)




 今では傾けようとした神の秤、実際に傾くのは青年の意図と反対側。

 焦る水神は熱に浮かされた己を自認して時間の浪費を悔やめども、時の流れも戻らず。




「また同時に、検察側の推論は現状最も"理にかなったもの"であるが故、他に合理的な疑問を示せなければ、それを軸として審理は進められるが——弁護側。異議はあるか?」




「それは——勿論……あり、ます」

「では、述べてみよ」

「は、はい——!」




「——……え、えぇと……」




 持ち直そうとして勢いの良い声を返したが、その後が続かない。



「……あるのか・ないのか。何方どちらだ?」

「す、すいません、もう少しだけ待ってください! すぐに話すことをまとめるので——」



(——な、何だっけ……?? さっきまで俺が考えてたのは……?)


("存在しない矢が存在"して、それはおかしくて……"何でそれがおかしいのか"を説明する為には……えぇと——)



 幾ら予習を重ねたとはいえ所詮、付け焼き刃。

 女神は裁判の神でも弁論を司る神でもなく。

 予想外の連続と検事の揺さぶりによって乱された心——染まるのは、"混乱極まる一面の白"。




「……時間を稼ぐ利点はないぞ、弁護士。お前が巫山戯ふざけるつもりなら、ここで裁判を"打ち切っても良い"のだが——」

「——! そんなつもりは、全然……!!」

「であるなら、"意志"を示せ」




「『異議がない』のならば黙し、『ある』のならば——これよりじゅうの内にその要旨を述べよ」




「——良いな?」

「わ——分かりました……??!」

「では——"数えを始める"」




 神の背後に出現した"光の時計"が回り出す。

 動く針が一回りして開始地点に戻った時が刻限。

 十秒——それだけが、神の与えた慈悲の限界。

 それまでに青年は意見の"有無"を、有ならばその内容を端的に表さなければならないのだが——。




(——おかしいのは矢があることで……矢が……)




 それでも、悲しきことに。




(……矢が……矢が…………)




 若き女神、心ここに在らず。




(矢が——……どうして……)




 変わり果てた己で続けてきた飢饉や疫病、戦争危機との悪戦苦闘。

 ただでさえ重ねてきた無理、その積み重ねが祟る今。

 慌てて自失の彼女には波の心を寄せ返すことしかできず。

 繰り返すのは無駄な反芻、またも時間の浪費。




(……どう、して……?)




 迫る刻限、隠す手足の震え。

 片隅に座す補佐官は腕を組み、決め込む静観。

 努力虚しく『己の挑戦はここで失敗に終わる』のだと、打ち拉がれる彼女自身が俯きの中で本能的に察してしまい、使い方を学んだ喉も開ける気はせず。




(……どうして、こんなことに)




 万事休す、最早これまでか。

 一柱の女神の絶望と共に、この場に立つ人々は新たな大地の裂け目——大いなる神の御業によって顔を合わせることが未来永劫二度と叶わぬものとなってしまうのか。




(——俺が、中途半端なせいで)




(彼女たちは"俺のせい"で、もう二度と……これまでのように——)




 かつて見たアイレスやリーズたちの笑みは永遠に失われることが決してしまうのか。





(仲良くは————)







——神よ」







 いな——いな

 まだ、終わりではない。




「お前は——弁護側の"助手"であったか」




 "終わりにはさせない"。

 "彼女という女神"——微動だにせぬ補佐官ではない——青年の隣でその震えを知るイディアが閉廷それをさせぬのだ。




何故なにゆえ、今に声を上げた? 俺が質問していたのは弁護士の方であり、"お前ではない"」

「失礼を。出過ぎた行動であったのなら、謹んでお詫び致します」




 友の苦悩に寄り添い、その身を——助けるため。

 今の今まで文を噛み砕いて、咀嚼しては再構築を繰り返し、一心不乱に筆を走らせていた美の女神。




「俺が聞くのは詫びではなく理由だ。暫しの発言を許可するが助手とやら——直ち端的に声を上げた訳を述べよ」

「はっ」




(どうして、イディアさんが……?)




 虚心坦懐に裁判長と向き合い、下げる頭で了承。

 惚ける青年を横に、理由を述べるその様。




「端的に言って、"我々"弁護側には——」





「検察側の主張及び推論を——





(——!!)




「——"ほう"?」

「その旨を伝えんと、声を上げさせて頂いた所存です」




 背筋を天地へ伸ばした見事な立ち姿。

 畔の裁判所に響き渡る明瞭の声。

 イディアの凛々しき風姿ふうし——閉塞を感じていた青年の心身を通り抜けて。




「これはまた——"大きく"出たな」




「して、弁護側の用意と言うからには其処な弁護士も知っているのだろうな? 意見で統一が取れていない三つ巴の裁判などは御免であるぞ」

「はい。心配の必要はなく。今に"我が盟友である弁護士の口から"——"その要旨が伝えられる"でしょう」




(——えっ)


(それって、どういう——)




 まさかの死角、味方からの不意の一撃と思って冷える肝。

 飛ぶ汗が見えるよう慌てたくもなり、発言の機会を振られた青年は衆目も気にせず詳細を聞き出そうとイディアの方を向いた——其処には。



(——!)



 台の上、自身の側へ差し出された書類。



(——"これ"、は——)



 整理を終えられた"解剖記録"、その中。

 当の作業を担ったイディアがで指し示す"ある部分"——被害者の『外傷』や『死因』について纏められた要約部分。

 青年は止める目で、そこに記された文字の並びに目を見開く。




「……言ったな。であれば教えてもらおうか——弁護士。用意はいいな」




「——……"はい"」




(……ありがとうございます。イディアさん)




 急ぎ、落ち着きを取り戻しての頷き。

 イディアが抜き出した記述、彼女が見せてくれた光明。

 その支援は、青年が事前に組み立てた推論へと繋がる——新たな"活路"を浮上させたのだ。




大勢たいせいを覆すお前たちの言葉、論述、見通し——神に示して見せよ」




(今度こそ——"やりきってみせます"……!)




 隣に倣って整え直した姿勢。

 息を吸い込んでこれから青年が口にする内容、指摘するのは——"決定的矛盾"。

 友が円で囲んで見せてくれたその記述は——以下の通りである。






『被害者の死因となった傷の口及び血管は——




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