『第十六話』

第三章 『第十六話』



(……『"光る矢"』……あの時と同じだ)



 柱の右、切り立った崖。

 左には剥き出しの岩壁。



(……今回の一件もやっぱり、一回目の"飢饉"と関連があると見てほぼ間違いない)


(しかもそうすると、最初の矢に纏わりついていた気配が疫病の怪物からも確認されたから——)



(『飢饉』と『疫病』、そして『戦争』の原因を作って、その引き金を引いたのは——の可能性が高い)



 青年女神は壁寄りに断崖絶壁の細道を進み、先導する美の女神を追いながら、今し方の里で入手した情報を整理・精査する。



(そして今の所、怪しいのは……アルマの長『ヘルヴィル』)


(曰く彼女は半神的存在で、言動には不審な点が多い。何より、彼女は被害者の豚を動かせる存在で……疑う余地は十分にある)



 先祖返り的にその身へと神の力を宿すアルマの長ヘルヴィル。

 故に彼女ならば人の技を超えた矢の速射が可能で、また長という立場上、強引に組織内の物品を移動させることも可能だろうと推察。

 調査を担うルティス、その容疑者を仮の犯人と据え置き、見返す事件の流れ。



(血の認証が必要な檻もアルマの彼女なら開けられる。だから、現時点で一つ仮説を立てるなら……——)



(——『彼女がルティシアに豚を持ち込み、弓矢で殺害』、『その後、アイレスさんに罪を着せるよう仕組んだ』……それで一応、辻褄は合う?)



 しかし、断片的な情報しか持ち得ぬ今、"解せぬ疑問"も少なからずに残っていた。



(……でも、もしそうだとして……"動機"は?)


(ルティシアとの間に火種を撒いたとして彼女に何のメリットがある? 物資や土地を得るために戦争を起こしたいのなら……"回りくどい"気もする)



(……それに、アイレスさんを牢には入れても、それ以上彼女を咎めよう・罰しようという意図も見受けられなかった)


(更にはリーズさんが俺に情報を提供することも容認をしていて……妙な所で落ち着いている? 協力的?)


(里の人間の様子を見ても、とてもじゃないが開戦前とは思えない雰囲気だったし……これらが意味するのは一体……)



 天に向かって伸びる鈍色の壁たち、山々。

 その間から差す眩い光が青年の手を顔の前で翳させる。

 現時刻、里を離れてからそれ程の時間は経っておらず、日が落ちるにはまだ幾らかの余裕がある。



(……早合点は出来ない。リーズさんによればヘルヴィルさんは急に態度を変えて、突拍子もないことを言い出した)


(でも、その"変化"が何に"由来"するものなのか見極められれば、あるいは……)



 周囲を走査して接近者・尾行者がいないことを逐一確認、女神は進む。



(……もし、『神祖』に関する事柄に箝口令を敷いているのが彼女の変化と関係しているなら……その"神の名前"から更に分かることがあるかもしれない)


(その名を口に出しては不味い事情が彼女たちにあるのだとすれば……何か……"恐れる"——"忌避する理由"があるとすれば……)




(もしかして……"実在するその神"が、事件に——)




「——"!"」

「——"気を付けて下さい"!」




 程よく冷えた思考、精神の奔流が残す疑問を押し除けようと勢いを増し、青年が一つの神秘的仮説に至ろうとした——矢先。

 足場、天蓋、空気を揺らすのは——"大地の震動"。

 思考を遮り、女神たちの足をも止めさせる"星の動き"。



「——"地震"……!」

「——収まるまで待ちましょう」

「は、はい……!」



 岩壁に手を付け、玉体を支える。

 度合いとしては微小、もしくは小地震に分類される危険性の低い揺れではあるが、今は場所が場所、山に挟まれた現在地で落石や転落の危険性は無視できず。

 その身の頑丈さ故に重傷の危険性はなくとも『痛み』を好まない女神ら——警戒を怠らず、揺れが収まるのを待って沈黙。



「「……」」



 そうして、数十秒後。

 音となった空気の震え、次第に鳴りを潜め。

 世界が再びの静けさを取り戻した後、二柱は動きを再開。



「……大丈夫でしたか? 我が友」

「……大丈夫です。さっきから小さい揺れはありましたけど、今のは少し……大きかったですね」

「……はい。この辺りは見ての通りの造山帯ですので、惑星内部の動きが顕著に地震として表れているみたいですね」



「目的地まで、もう少し。ここから先も気を付けて行きましょう」

「はい」



(……そうだ。兎も角今は、目先のことに集中しよう)



 顔、体を前に向かせ、心をも追従させる。



(引き続き情報を集めて、掘り下げて……えぇと……その後にゆっくり考えて、裁判の筋道を立てる)


(……出来れば、次の場所でアルマや"神"についての話が聞ければいいんだけど……そんな人はいるだろうか……?)


(…………いなかったらいなかったで、その場合はイディアさんに後で色々聞いてみよう。彼女も博識で……頼りになる女神だ)



 頼れる女神たちの存在を思い浮かべ、心の支えとして。

 次に彼女、"自身こそが頼れる女神"とならねばならぬ事情——涙を流す少女たちの存在を想起し、以って己を奮い立たせて足、先へ先へと運ぶ。





(——頑張る。頑張ってみせる)





——————————————————





「……成るく、端は歩かないように」

「……分かりました」



 身——運んだ先。

 至近距離で密やかに交わす言葉、歩むのは広がった道の中央。

 彼女たちの現在地は切り立った崖横に突如として出現した町のような——辺境辺鄙、暗がりに出来た集住の地。

 自然がくり抜いた崖の中、天井も床も岩石で出来た空洞に点在する——"岩窟住居群"の中であった。



「「……」」



(ここが……共同体……)



 日干し煉瓦と天然の岩石を重ね合わせた建物に挟まれ、差す日の限られる薄暗い世界をイディアの直ぐ後ろで着いて進む青年、頭巾に隠した目線で観察する周囲。

 道の端では同じく目を布や帽子で暗く隠し、時にうずくまるよう座る者たちを見て、払う注意を一層厳重のものとする。



(……あまり、気分のいい所じゃない)



 乾燥した空気の中を漂う"煙"、その煙が帯びる匂いは妙に甘くこうばしく、嗅覚を刺激。

 本能的に煙の出所を探す彼女は路地裏で何かを炙り、また排出される煙をくゆらせては鼻に吸い込む人々を発見して——恩師のくれた色にうずめる顔の半分。



(…………)



 現状でも物怖じする素振りを一切見せずに前を行くイディア——友との距離をさらに短縮。

 目で見ずとも周囲の水気の変化から人間たち——体の端々に傷を付けた者共が向ける鋭い眼光と目を合わせぬよう怯えながら固唾を呑み、進む。



(……大丈夫)


(もしもの時は構わず力を使って逃げればいいし……それに、"今は一人じゃない")



 実際に肩の後ろ、背負う袋の口から覗く"赤目の蛇睨み"——ウアルトが周囲の危険因子たちを牽制し、広げられた白の頚部に運悪く目を合わせた人間は恐怖、流す動揺の汗。

 加えて、纏う暗黒が存在感の大部分を隠してくれるのと、何より目前の大きな友の背で小安を得る青年はそうして——まもなく無事に、連れられて目的の建物内へと踏み入ることが出来た。




(……う——)




 その中、粗末な石造りの机や椅子。

 疎らではあるがそこに居座り、杯を煽って荒い声で話し込む者たち。



(——酒……? アルコール臭い……)



 そこは酒場。

 煙の甘ったるい匂いの中を脱して文字通りに一息つこうとした青年は、続いた好ましくない匂い——何かが発酵するような酸っぱい匂いに辟易とした表情で。

 壁に直接描かれた絵——杯を持って掲げた商業を象徴する女神を表した壁画を横目に、美と川水の女神は座席を掻き分けて進み。



「……注文は?」

「発酵してない葡萄水ぶどうみずと普通の水を一杯ずつ……後は——"めぼしいもの"を」



 調理場と客席を仕切る長机——謂わばカウンター席に腰掛けながら注文を述べたイディア。

 彼女の白の化粧を施された爪持つ指、懐から硬貨数枚を取り出して店主と思しき男性の前、机の上に置く。



("めぼしいもの"……"情報"のことだろうか)



 用心のために屋内でも頭巾を被る女神たち。

 彼女たちにとっては玉体の構造上、アルコールを口にする利点、特に存在はせず、それ故に注文の内容も酒場としては味気ないものになると思われたが、最後に付け加えられた意味深な言葉が今は肝要なのだろう。

 美の女神に倣って隣の席に座ろうとするルティスはそう心の内で独りごちて——けれど、油断なく。

 それとなく泳がせる感知の線で自身の責務を遂行。



(……複数人で飲んでいる客が三組、どれも中央付近の座席)


(一人なのがいち……壁際の席)



 酒を飲み交わす場での立ち振る舞いを知らぬ故、この場での情報収集をイディアに任せ、青年自身は屋内を一瞥して大まかな状況を把握。

 役割分担で任された有事に備えての周囲警戒に努め、酒場内での気の走査を実行し続ける。



(……今の時点で不審な動き、気配はない)



 最後に視界の端で見えた壁際の——襤褸布に身を包んだ——男?

 その"大男"らしき聳える影は何を飲むでもなく、透き通った半透明の杯を手に持つ"食器"で掻き回しているだけ。

 青年はその様子に僅かな疑問を抱きつつ、杯を満たす物が何の変哲もない"水"であることから特に異常・問題はないと今は判断して、他の箇所にも重点注意。



(……机に突っ伏して寝てる人、水の上がる気配……吐きそうで怖いな……)



 しかし、空が明るい中で酒飲みに興じる者たちに目立った異常はやはり見当たらず。

 精々が彼らの腹に溜まった酒が上昇しかけているぐらいの在り来たりな非常事態が散見する酒場、その他多くの者も酔いが回って完全に気の抜けた様子。

 よって早々に彼ら"飲んだくれ"の警戒優先度を下げ、背中越しに捉える"唯一の例外"に意識を残す女神。



(……壁際の男? は……変わらず静かだ)


(水分量は通常の人間とほぼ等しくて……でも——酒場に来ている人間としてはやけに"静かすぎる")


(水の動きは波一つない水面、風一つない"穏やかな海面"のようでも……いや、"どっしり構えた大地"のようでもあって……)



(……"こんな気配の人間"は、初めて——)




「はいよ。葡萄の水とただの水だ」

「——! あ、ありがとう、ございます」

「……? 変わった奴だな……」



「……それで、具体的には何をお求めで……?」

ふもとに住む神の血を引く者たちアルマ。その最近の動向、変化についての情報が——」



 すると、淡い紫色と透明色の液体が注がれた杯——"無骨な石の杯"が其々イディア、ルティスの前に配られ、美神は早速、店主からめぼしい情報を得ようと話を切り出す。



(……この辺では、お礼とか言わないのが普通なのかな……?)



 その横、鋭敏に研ぎ澄まされた意識、杯の置かれた音に驚いた青年。

 一時的に抜けた気で、自身の振る舞いを省みる。



(……普通の町や都市なら言った方がいいだろうけど、"こういう所"であんまり行儀良くするのは……良くない……?)


(……『良くするのは良くない』というのも、それこそ変か……)



 省みて、異なる世界への適応に悩む心。

 走査の感度を下げて目前の杯に視線を集中する彼女はそうして、一息を入れようと。



(水は……少し濁ってるけど、特に問題はない)



(今はこれでも飲んで——)



 緊張する空間での清涼剤となるか、冷や水。

 自前の物より不純物は多いが飲用としての不足はない水を飲もうと、口にしようと。




(体を冷やして——落ち着こう)




 先ずは置かれた杯に伸ばす手。

 今まさに石の杯を掴もうとして指を折る、女神の右手——。









 あえなく——









(——…………"?")



 掴むのは石の杯ではない、ただの空気だ。

 捉えきれぬ空気が指を掻き分け、抜けて行くのみ。



(……あれ……"?")



 その手の感触に覚える不可思議さ。

 疑問符さえ連続で浮かべる青年。



(……?? 水が、あったはずなのに……)



(コップは、どこ……へ……————)





(——"!!?")





 彷徨わせようとした視線——早くに気付く。

 目前に映る"異様な光景"に体は強張り、おののいて。



(——どういうことだ)



 反射的、下に伸ばし構えた手刀しゅとう——高速振動する水の刃は既に展開。

 真正面から覗く、青と黒を色濃く混ぜ合わせた"緑の輝き"——へ向け、整える"厳戒態勢"。




(誰だ——いや、これは——!)




 席に座りながらも蓑の内に隠した刀の鋭さ、静かに研ぎ澄まして。

 けれど精神は乱れ、激しく波打つ心。

 驚くのも無理もない、状況は明らかに"不可解な変化"を遂げたのだ。

 今し方、離れた壁際の席にその姿を確認したはずの、"一つの影がそこには居た"。





(この"人影"は——! "さっきまで壁際にいた"——)





(——"大男"——!!)





 "襤褸布を纏った大男"が。

 その巨影が突如として真正面の空間で現れ——のだ。




「"……"」




(——どうしてだ、何が起きた、訳が分からない)


(ついさっきまで、この場にいる他の誰にも目立った変化はなかった)


(水の気配も極自然の状態だったのに、どう——)




(——"!?")




 狼狽えながらも『思考を止めているだけでは埒が明かない』と。

 より広い視野を持って状況分析を行おうと試み、忙しく泳がせた女神の視線。

 早速と"新たな情報"を入手、そこで動きを止める。




(か、カウンターの——"机の形が変わってる")




 先まで横に長く伸びていた筈の石机——その形は長方形から正方形に近いものへと変形。

 加えて、上に置かれているのは大男の前に位置する半透明の杯だけで、青年が礼を述べてから受け取った石杯の姿さえ影も形もなくなっていたのだ。




(——目の前の"相手が細工を"……?)


(……いやまて、そもそも何故————?)




 更に得た気付き。

 今一度、消えた杯を探す為に落としていた視線を上げて、男の側に視界を戻す。




(——? あそこに見えるのは入ってきた入り口?)


(……他の席は普通で、は殆ど変わってない)


(なのに、どうやって……相手はいつの間に、"移動"を——)




 に異常は見当たらず。

 匂いも変わらず、鼻につくアルコールの香りは今尚この場所の有り様を言外に表している。




(——と、兎に角——!)




 異変に惑う若者。

 己の変調をも自覚する彼女、取る定石。

 先達の女神に報告、指示を仰ごうと真横に座っていたイディアの方へ振り向き、漸く——自身の置かれた状況を理解し始める。




(——今はイディアさんに……)



(……知らせ……て……)




 呼び付けようと伸ばす手は固まり、表情は色を失う。

 それもその筈、窮する神が目にした光景——真横に現れたのは"石壁"。

 何かを揶揄、隠喩してのものでなく、本当に"壁"。

 イディアは居らず、ただ酒場の壁が広がるのみ。




(——"まさか")




 内部を観察したが故に見覚えのあるそれ。

 壁の位置から己の現在地を迅速に推察して、振り返る後方——長机、姿




(さっきまで真横にいたイディアさんが後ろに——しかも、彼女が頼んでくれて、俺の前に運ばれた水も——その直ぐ側にある)




 飲まんとする者を失った水、石の杯は満ちたまま。

 ほんの数秒前に青年が手を伸ばした杯は変わらずカウンターの——




(そして、"今の俺の横には壁")



("目の前"には、"壁際の席にいた大男")




 "周囲の様子は然程に変化がなく"、しかし"大きく変わったのは他でもない青年の視界"。

 ここまでに得られた情報で自ずと導き出される結論——"信じ難い一つの結論"は、以下。




(——やっぱり、やっぱりそうだ。あの瞬間、大きな動きを見せた者は誰一人としていなかった)



(だけど、それにも関わらず、この男が突然目の前に現れたのは——"現れたように見える"のは)




(俺の見る光景が、変わったのは——)




 その間も悠然と構え、半透明の杯内を先の割れた食器で掻き回す謎の大男。

 対する水神は泡を食った表情で身動みじろぎして、自らに言い聞かせるよう心を叫ばせる。




(——)





(——)





 手に滲む汗は纏う水の薄膜へ吸収され、刃の一部を構成。

 度を失った状態でも自らの身を守ろうと、鍛えられた女神の気が動きを続ける最中——焦燥の柱は真実へと辿り着く。






(そうだ。他の誰でもない——)






(っ————!!?)




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