『第十四話』
第三章 『第十四話』
先導する人間、先に検査を担当したアルマの女性。
その人に着いて、自然の起伏によって高さが揃わぬ家屋——高床式の建物を横目に女神たちは里中、歩みを進める。
(……内部に慌ただしい様子はない)
凡そ一人分の間隔を空けて前のイディアに付き添う青年、今は主に警戒を担当して泳がせる視線。
渦中に置かれた民族の様子を窺おうとするが、けれど表に人の姿は見受けられず。
時折に聞こえる音は辺りを自由に歩き回る鶏が発する、喉鳴らしの声ぐらいのもので。
周囲、閑散とした波の雰囲気で満ちていた。
(……状況が状況だから、大体の人は奥にこもっている感じ……?)
(でも……さっきから感じる"この視線"は——数は十ぐらい、背丈からして……"小さい子たち"だろうか?)
不必要に怪しまれぬよう、身動きは慎んで。
だが、己よりも長身の柱の影で息を潜める青年は、視界の端に"よちよち"と親鳥の後をついて回る雛鳥たちの姿を捉えながら——第六感で辺りを走査。
既に平然とした表情ながら"揺れ動く水"の気配を感知し、続いて研ぎ澄ます聴覚でその振動から意味を取らん。
「……すらっとした手足に、あの……お、お胸。す、すごいよ。あの人たち……」
「うん。それに着ている服も初めて見るような代物だ。どこか遠くから来たのかも……」
(……)
「……肌に、髪の艶も、ここから見て分かるほどに綺麗。どんな・どれだけ手入れに時間を掛けているのかしら……」
「……つ、誰かと、付き合った経験とか、あるのかな? それともまさか、もう結婚してるとか……!」
「……くっ。私だって外に出れば……皆んなの視線を釘付けにしてやるだけの魅力が……」
「あれが本物の——"シティガール"」
(……あんまり……"切羽詰まった感じはない"——)
(寧ろ、気が抜けるほど——"日常的"……?)
人ならざる身の玉体、些細な情報も逃すまいと拾った声。
家屋や岩の陰から感じる視線の持ち主はどうやら外部の人間に興味津々の少女たちのようで、少なくともその人間らに"戦意"の表れはなく。
顔を晒した状態で衆目を集めることに慣れぬ青年は覚える気恥ずかしさに衣服の襟を正した後、垂れ幕の如き黄褐色長髪の後ろで一人、思いを巡らす。
(……今見た様子だと、アルマ全体で事件の情報が共有されているとは思えない)
(戦争どうので殺気立った気配も……殆どなくて)
(これは……どういうことだろう? 武力や戦争なんて物騒なことを言い出したのは、アルマの筈なのに……その準備が進んでいるようには——)
「止まってください」
「……」
「……!」
するとそうして、停止の掛け声。
思考に意識を割いていた青年は遅れた反応、咄嗟に止めた足。
前方のイディアへ、つんのめっての衝突——は、回避したけれど——距離を近くして、ときめいて。
鼻腔をくすぐる"柔らかな甘い花の香り"に内心で酷く動揺。
(——!、!")
急いで一歩分、退がる位置。
そこから見える光景は。
(こ、ここは……"岩"……? 中に大きな穴の空いた——)
家々から少し離れた場所、ほぼ手付かずの岩場。
その中にある一段下に窪んだ領域がルティスの立つ現在の場所であり、前では長身の女神たちを優に上回る高さの岩壁が現れていた。
「この場所が——"牢屋"です」
そして告げられたのは目的地への到着。
アルマ一人が背にする岩の丘は切り抜かれたような大穴を有し、中の陽光が届かぬ暗闇へ注意を向ければ、見える——そこに"鉄格子"が嵌められた口を持つ『牢屋』があることが。
遠目からでも分かった——この場に面会を求めてやってきた、青年に。
(中の詳しい様子は——ここからだと、見えない)
赤子の頭さえ通さぬだろう格子の隙間、その奥。
牢屋の中を覗こうとするも離れた現在地からでは"薄暗い"以外の情報は得られず。
諦めて待つ、次の展開。
「念の為、面会を許可するのは……どちらか片方のみ、"一人"とさせていただきます」
「……残った方は何処で?」
「牢屋から離れたこの場所で面会が終わるのを、私……そして"見張り数名と待機"をして頂きます」
「……分かりました。どちらが面会に向かうかを決めますので、少しのお時間を頂きます」
先導していたアルマが穴の影に向かって目配せをし、中からまた別の槍持ちが現れて女神たちの下へ接近する間。
振り返ったイディア、相談を持ちかける。
「……"との事"です。どうしますか、我が友」
「私としては
「……だったら、"俺に"行かせてくれませんか?
「……分かりました。では私が残り、貴方が面会に向かうと——そのように伝えて来ます」
「お願いします」
友の間柄、交わす視線と頷き。
その後、向き直るイディアはアルマの者へ決定を伝えてから——尻目でもう一度、青年に向けて深く頷く。
先導役のアルマが牢屋に向かって何やら掌で指示を出しており、どうやら——青年女神が面会に臨む準備は整えられるようだ。
「時間はこれより
「物品の受け渡しは出来ませんので、ご了承を」
「分かりました」
ならば青年、袋を置いて。
友へ言葉を残しながらに、進み出す。
「……では——"行ってきます"」
「"——"」
"恩人のおわす"であろう影中へと、"希望"を胸に携えて——。
——————————————————
「……」
足を踏み入れた——天光の恩恵及ばぬ影の中。
開いた岩の空洞部。
(……まだ、奥の方は見えない)
(本当に、こんな所に彼女が……?)
直接日に当たることが出来ない為か、冬の到来を予期させる寒風はより冷ややかなものと感じられる場所。
逸る気持ちを大きくする青年、近付く鉄格子の向こう側を走査。
(……"人間一人分の気配"。これは……——)
人大の"袋のような"、"水"を多く含んだ物質の集合——つまりは"人間"の存在を感知。
その存在が静止でなく揺れ動いていることに一先ずの安堵を覚えながら、詰める距離。
更なる確証を得るための行動としての問い掛け。
「……"誰か、そこにいますか"?」
空気の振動は格子を越え、響く。
岩の壁、床に響き渡り——。
「——その、声は……」
「!!」
何者かの鼓膜にも届いて、闇の奥から返る音。
か細い——"少女の声"。
「——"アイレスさん"ですか? 貴方はそこに——無事ですか……!」
「貴方は……」
「
「……! ルキウス、さん——ほ、本当に……??」
問い掛け合って、驚いて。
衣擦れと落ちる布の音を発した後、暗闇の奥から確かな足取りで——人間、姿を現す。
微量の光の中でも間違えることのない青年の見慣れた栗色髪、少女の形——突如として都市から消えたアイレスが目の前に"現れてくれた"のだ。
「——!! "アイレスさん"——!」
「良かった——やっぱり、ここにいらしたんですね……!」
「……は、はい。ですが貴方は何故、ここに——いえ、それよりもオリベルはっ——私の弟がどうしているか、ルキウスさんはご存知ないでしょうか……?!」
鉄格子越しに再会を果たす女神と少女は互いに見知った顔の出現に口角を緩めるが——それも束の間。
両者とも緊張した状況把握の為に『相手から情報を得たい』と焦燥に駆られ、喜びよりも困惑の色を濃くして、語気は荒めで。
しかし、意味のある言葉を紡ぎだそうと丁寧必死に動かす口。
「それなら——大丈夫です……!」
「……!」
「弟さんは貴方の知り合い——イレーヌという方が預かってくれています」
「ほ、本当ですか……!?」
「はい。自分も直接に見聞きしたことなので本当で……本人にも変わった様子はなく、元気そうにしていました」
「……よ、良かった……」
「! ……だ、大丈夫ですか……!」
床へ、へたり込む少女。
無理もない、唯一の肉親が『無事』と聞き知って力が抜けたのだろうが、狼狽える女神は『少女の体に何かあった』と心配で急ぎ腰を折り、合わせた目線の高さ。
「す、すいません。少し安心して力が……」
(……アイレスさん)
項垂れたアイレスの瞳から零れ落ちる小さな雫、一滴。
(……そうだ。彼女だって不安なんだ)
(俺が、自分が……——"しっかり"しなきゃ)
その涙に、過去の——『膝を擦り剥いて涙する妹』の記憶を想起して重ねる青年は強く、強く拳を握り——"落ち着いた振る舞い"を自らに課した上、慎重に選ぶ言葉で語り掛ける。
「——自分は、貴方のことも心配です。……怪我や病気は、していませんか?」
「は、はい。少し混乱していますが……体の方は、なんとも」
(……目の下に薄い隈が出来てる)
(まだ肌艶に問題はないけど、睡眠や食事は……十分に取れているだろうか……?)
下げた目線、見回す牢屋内部の端、格子の内側に置かれた空の杯や皿と思しき形の物。
また同時にその少し奥では簡素な敷布や掛布のような物も見え、少女は囚われの身であっても最低限の人道的扱いは受けられていると認識して、青年の内側、水によって撫で下ろす胸。
(……取り敢えず、命に別状はなさそうで——"本当に良かった")
(だけどそしたら……次は——)
「——無事で何よりです。他に何か……話すのが辛かったりはしませんか?」
「は、はい。大丈夫です。アルマの
「分かりました。では、もう少し落ち着いたら詳しい話をしたいと思いますので、その……心を落ち着かせるために、先ずは一緒に"深呼吸"でも……?」
(時間が限られる中、出来る限り正確な情報が欲しい)
(だから先ずは、お互い落ち着いて……それから話をしよう)
『冷静であれ』と、命じる己での考え。
異変が発生してからそれ程時間も立っていないせいかアイレス自身も未だ混乱の最中のようであり、その表情で滲み出る疲弊の色。
そんな疲れの様子に配慮をしながらも、しかし急ぎの用件で訪れた青年は——自らも顔で滲み出かけた水を制御して霧散させながら——繕う、威嚇にならない程度の笑顔。
柔らかな微笑みの表情を作って、声色も同様に柔和なものへと意識をして変えて、孤独の中にある少女が少しでも安心出来るような言葉掛け。
「……"アイレスさんを取り巻く状況"については、断片的にですが聞き及んでいます」
「なので今日は、それについてお話しするためにこの場所を訪れました」
「——」
惑いながらも相槌を打ってくれる少女へ、声——安らぎの波を送る。
「……なので自分は貴方を罵ったり、咎めたりはしません。しないと約束しますので、だから——」
「落ち着いた話のため——今は深呼吸をしましょう? "一緒に"」
「……わ、分かりました」
「……ありがとうございます」
「……では、ゆっくりで構いません。息を深く吸って、少しずつ吐きましょう——行きますよ……?」
「は、はい」
そうして行う二者の深呼吸の音、岩壁に染み入り。
彼女たちの心の波、徐々に穏やかな状態へと調子を変え始める。
「——どうでしょう。少し、落ち着けましたか……?」
「……はい」
(……完全に不安を拭い去るのは難しいから、今は自分が主導して、話を——)
「……でしたら、先ずは——自分が今日、ここに来た訳をもう少し詳しく説明します」
「……」
「その後でアイレスさんに何が起こったのかを聞きますので、しばらくは落ち着いて耳を傾けてもらえればと思います」
「……分かりました」
光差す外から同時に向けられるアルマの視線を背に。
先んじて青年から、事の経緯を語り出す。
「……では、話を始めますが——」
「単刀直入に言って今日、自分がこの場所を訪れたのは——『貴方を助けたい』と思ってのことなのです」
「……」
「先程も言った通り、ルティシアで何かが起こって、それに貴方が関係しているかもしれない——という話は既に把握しています」
「そして、状況が少し……"混迷"していることも」
「……」
成熟と若々しさを兼ね備えた女神、凛々しき眼差し、けれどその実、導き出す言葉は急造品。
先日の惑乱を過去のものとし、努める。
「……ですので、貴方から話を聞いて、ルティシアやアルマ……そして何よりも貴方と、貴方の大切な人たちが落ち着けるよう手助けをしたいと思い——"裁判"で事態を解決出来ないかと考えて、今のように行動をしているのです」
「"さいばん"……?」
「……"問題を穏便に解決するための話し合い"のことを、自分はそう呼んでいます」
「そしてその裁判によって渦中の貴方を護る為——"この自分"が、人々の前で話をすることになったんです」
掻い摘んだ説明を続ける。
会話可能な状態を作るのに手間取り、時間は既に十分近くが経過。
槍持ちを横に立つイディアは今も毅然とした態度を崩さず、待っている。
「"解決"……そんなことが、可能なのですか……?」
「……はい。裁判というものも他の地域では既に何度も行われていて、実績がある仕組みですし……自分も少し、それについてを学校で勉強していたので、"任せて下さい"」
「が、"学校"で"勉強"……ルキウス——"様"はそんなに凄い経験、教養をお持ちの方だったのですか……?」
「…………幸いにも、何年かそういった機会に恵まれることがありました。でも、最終的には途中でやめてしまったので……偉くて凄い人という訳でもないんです」
「だから……畏まらず、呼び方もこれまで通りで大丈夫ですよ」
誰かを真似て、語尾を優しく。
欺瞞や誇大の色がのった己の言い振る舞いに小さな痛みを抱えながら恩人の為にと、尽くす。
「——……兎も角、『その学生時代に培った知識や経験を用いれば貴方を助けることが出来るかもしれない』——と、そのように思ったからこそ、話を耳にして直ぐに自分は飛び出し……今に至るのです」
「……どうして、私のために、そこまで……?」
「……アイレスさんは初めてルティシアを訪れた自分に優しくしてくれました。だから……その、"恩返し"のようなものです」
飢饉に見舞われ、食料が限られる中。
明日も見えぬ状況で不安に満ちた多くの人々が神に祈る、そんな中で——"自らも困窮するというのに"少女は見ず知らずの青年を助け、介抱をしてくれたのだ。
『そんなに凄いこと』をしてもらったら、もう——『報いたい』と湧き立つ温情を止めることは出来ない、"今の彼女"には出来なかった。
「……私はあの時ただ、苦しんでる貴方の近くにいて『何か力になりたい』と思っただけで……特別なことは何も……」
「……」
「何もしていない、一人では出来ないことばかりで——今だって、払える物も殆どないのに……それでも、私を助けようと……?」
「……"はい"」
「今の
「——悩む自分にとって掛け替えのない"幸運"、"その一つ"だったんです」
故に、かつても今も。
少女の涙に青年は、固める決意で進み出す。
「だから……何か、対価のようなものは必要ありません。気にし過ぎないで大丈夫です。自分の為に好きでやっているだけで……何より——"既に貴方からは多くのものを貰っていますので"」
「……ありがとう、ございます」
「……いえ」
鉄格子を挟みながら、啜り泣く少女に寄り添う。
監視の手前、背中を摩ることも手を握ることさえ出来ずとも、今の女神としての青年には優しく言葉を発することの出来る
だからこそ、涙の落ちる様に心を痛ませながら、しかし迫る時間を忘れず。
何より将来を見据えて恩人を助く為、なすべきことをなさんとして己の身を動かす。
「……なのでそして、ここからはアイレスさんの協力が必要不可欠です」
「裁判で望ましい結果を掴み取るためにも自分は——"貴方が見たこと"・"聞いたこと"、"体験したこと"を知らなければいけません」
「だから……分かる範囲、言いたいことだけでも構いませんから——」
「"その時"、『貴方の周りで何があったのか』——今、教えて頂けますか……?」
「……分かりました」
「……ご協力に感謝します」
心苦しくも促して承諾を得て、再びの深呼吸を挟んだ後——少女が落ち着くまで更に数分が経過。
そうして時折、横隔膜を痙攣させながらも努める少女は健気に語り明かす——己の知る"事件の顛末"を。
「……あれは、"
「……」
「私が友人のリーズ、と……ルティシア近くの花畑で……遊んでいた時のことです」
容疑者、今は『被告人』とも目される少女の"証言"だ。
一言一句を聞き逃さぬよう女神は澄ます知覚、情報を記憶に染み込ません。
「……花輪を作って、彼女と何気ない話をしていたら……突然——私は意識を失ってしまったのです」
「……"意識を、失う"……?」
「……はい。本当に突然のことだったので、その時も今も何がなんだか……何で意識を失ったのかも分からなくて、私——」
「……知ることを可能は範囲で仰ってくれるだけでも大丈夫です」
「それで、その……"意識を失った後"には何を、見聞きしたのですか……?」
「……取り乱してしまってごめんなさい。でも、その後、意識を取り戻した私が見たのは……見たのは……——"」
(……"唇が、震えて"……相当なストレスを掛けてしまっている……?)
(どうすべきか。もっと上手い聞き方は——)
「……"辛い"、記憶なのですか……? もしそうなら、その部分は——」
いかに貴重な証言とはいえ、少女の心をこれ以上傷付けては本末転倒。
『苦痛を伴う記憶へ軽率に触れるべきではない』と共感性でも判断し、青年は止むなくも話を取り敢えずで先に進めようと提案するが——。
「……いえ、いえ。少し……少し怖いだけなので、だから……」
「……」
「私を助けようとしてくれている貴方のためにも、ちゃんと、見知っていることを……伝えます」
「……分かりました」
アイレスは首を振り——その提案を拒む。
彼女もまた『尽くす恩人に応えたい』との思いから努めて荒い呼吸を整え、絞り出す。
これまで幾度となく苦境に希望の明かりを灯してくれた——ルキウスの必要とする更なる証言を。
「……気絶した後、目を覚ました私は立っていて……そしたら、いつのまにか——」
「"手"……私は自分の手に弓を、リーズの弓を握り——構えていたのです」
「——"!"」
("弓"——矢を射る、"武器"の……!)
(何故、どうして彼女が"そんな物"を……まさか——)
話を聞きながら青年は前日と今日に聞き集めた噂話を回想し、それら散っていた情報は今、女神の内で繋がりの線を見せ始める。
「……そして、弓を手にしていたことに驚いた私が、"次"に見たのは——」
(——"豚が命を落とした"のは、"彼女が疑いを掛けられた"、その"原因"は……まさか、その——)
「……私の目の前で、すぐ前に"倒れていた"のは……の、脳天に……——」
「や——矢が突き刺さったアルマの大切な、神威の象徴、その——黄金の豚が目の前で倒れているのを、私は見てしまったんです」
(——……"凶器の弓矢"が、関係している……?)
新たな衝撃。
疑わざるを得ないであろう状況証言に思わず黙り、けれど思考停止の暇はなく。
眉根を寄せる女神は押し寄せる感情の波を端へ追いやって先へ先へと思考判断、推し進める。
(でも、これは一体……どういうことだ——?)
(——意識を失った後に目を覚ました"アイレスさんの手には弓"。そして目の前には"矢が刺さった黄金の豚"……?)
("一瞬の間"に何が、一体どういう……——いや)
「——先ずはお話してくれて、ありがとうございます。アイレスさん」
「……いえ。今の話で貴方の助力に応えられるのならば、幸いなのですが——」
「……?」
「——……結局、私は貴方に迷惑をお掛けしてしまいます」
「いくら覚えが無いとは言え……あ、あれをやってしまった——"殺してしまった"のは、どう考えても……」
倒れる者がいて、その間近で武器を構えた人間が存在したのだ。
一目見ただけで最も疑わしき者が誰なのかは火を見るよりも明らかであり、自責の念に震える少女。
「……っ、ぅぅ、そんな……そんなことをする気なんて、少しもなかったのに……っ」
「……」
「どう、して、どうして……!」
「……っ」
震え、再びの涙を零す様。
悲痛な面持ちで見守る女神、暗中で言葉を探す。
向けられる疑惑の目、その中心に突如として置かれた年端も行かぬ少女の苦しみ。
安易な言葉では到底に救い上げられぬ場所に——まさしく牢の中に今、アイレスは孤独で居るのだ。
(俺は……何が出来る? 彼女の為に、何をしてやれる……?)
(例え、ここで牢屋を壊して彼女を助け出せたとして……疑いは晴れないどころか、増すだけ。それじゃあ、これまでの生活は戻らない)
(しかも、恐らくは"人質"として待ってくれているイディアさんまでも、危険な目に遭わせてしまう)
口を開きかけては何度も閉じ、噛み締める無力感。
少女に安心を与えられる波風の立たない言葉を求め、己の内に広がる情報の海を只管に泳ぐ——泳げども。
しかし——『己が命を殺めてしまったのではないか』、『二つの勢力に不和をもたらしてしまったのではないか』、『友の信頼を裏切るようなことをしてしまったのではないか』等と、恐らくはそう悩む人間に掛けるべき適切な言葉とは——"何か"?
(……どうすればいいんだ……"誰か"——いや、今頼れるのは自分の力だけ)
(何より、本当に助けが必要なのは俺よりも……"目の前の彼女"で——)
積み重なる苦悩、堂々巡り。
ただでさえ自己が『どうすべき』かを未だ迷う青年に、他者への最適解が見出せる筈もなく。
徒らに過ぎ行く時間、"限られた時間"という壁さえもが神の行く手を遮らん。
「——残り、後五分程で面会は終了となります」
(……!)
(まだ、十分な情報は手に入ってない。このままで弁護は——いや、それはこの後の調査、リーズさんとの話に期待をして——)
(それより今、泣いたままの彼女を置いて立ち去ることは……"出来ない")
迫る刻限、
これまでの"受け入れ難い現実"は、今尚も許容量過多の情報を浴びせ続け、重さに軋む心。
先の見えない状況に置かれた女神の目でも潤いは満ち——けれど『涙に沈むのは早い』と、己に課した命令。
(ここで俺まで泣いてしまったら、今よりもっと彼女の不安を煽るだけで……——)
(だったら……だったら残りの時間でせめて——"勇気付けの言葉"を、彼女に——)
意志が、権能が——"涙を流す"こと、許さず。
柳眉を寄せながらも口角を平行に、眼差しは力強く——繕う、精一杯に頼れる表情。
考えられるだけの励まし、"支えとなる言葉"を少女へ贈ろう。
「……アイレスさん。もう少ししたら自分は、この場所を離れなければいけません」
「……なので、また詳しいお話は裁判の当日にお願いをするとして——」
「今は——立ち去る前に一つ。一つだけ貴方に、"大切な質問"をさせて頂きます」
「……ぅ、っぐ……」
「答え辛いのであれば『肯定』か『否定』か、頭の動きだけでも構いませんので……今から尋ねることに対しては貴方の正直な——『信じたい』ことを答えてください」
「……」
「……お願い、出来ますか?」
「"……"」
「……重ね重ねの感謝を、貴方に」
肩を震わせながらも、少女は頷いて肯定。
対して、同様の動作及び言葉で感謝を告げるのは——淑やかな女性の形。
「ならばそして、自分は"誓います"」
「例え今からする質問に貴方がどのように答えたとしても、"自分は貴方の"——アイレスさんの味方だと……ここに、"誓いを立てます"」
「自分に温情をかけてくれた貴方の為、全力を尽くすと……"約束をします"」
「なのでどうか……これからの質問には落ち着いてお答えを」
「"……"」
「……では、質問を始めます——」
手を胸に当てて祈るよう宣誓をした後、質問。
「——当時の状況がどうであれ、アイレスさんは目の前で倒れていた豚の、"その理由"にハッキリとした覚えがなく、また命が失われた瞬間も確認をしていない」
「ならそれは、つまり——」
「『貴方自身が命を奪ったのではない』と、『そんなことをした確かな記憶はない』と」
「——そのように、"アイレスさん自身は考えている"……?」
対して、惑う少女の首は振られる。
「……であれば、"同じように自分が信じても"、構いませんか……?」
もう一度、今度は恐る恐るに振られるそれ。
沈み込むようにして下がる縦の動き、潤む瞳から落とす雫を見届け——決意を新たに。
「……分かりました」
「俺は、"貴方を信じます"。他の誰が何と言おうとも——"絶対に"」
槍の石突きが文字通りの突く音を立て、刻限の到来を知らせる中。
立ち上がる女神は己の決意を伝え、残す。
「アイレスさんは勿論、貴方にとって大切な方々……家族や友人をはじめとした皆んなが再び、笑顔で過ごせるよう——"手を尽くします"」
「自分が貴方たちを——"護ってみせます"」
何度も何度も、重ねる想い。
笑顔を浮かべる余裕が今はなくても、決然たる態度で『明るい未来を掴む』と。
女神、去り際に固く約束をし——"顕示する神秘の青眼"——陽光の中へと消えて行く。
「……必ず、誓いを果たします。だから、もう少しだけ待っていて下さい」
「裁判の——その日まで」
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