『第十三話』

第三章 『第十三話』



 歩く。



「——この辺りだと思うんですけど……」



 岩土の急勾配を真横に。

 先を歩く青年は眼前に広がる草原や丘、山肌を眺めながらに言う。



「……すいません。険しい山道を徒歩で歩かせてしまって」

「大丈夫です。山登りの経験もありますので、これぐらいは」



 青と白の天空の下、錆びついたように赤茶けた大地の上で気遣いの言葉を掛け合う者たち。



「お気になさらず、我が友」

「……感謝します」



 共に夜闇を切り取ったかのような漆黒の蓑で頭から体を覆い、全体の姿は勿論・顔立ちまでも優形やさがたとする——人ならざる者、二つ。

 山脈に住まう民族、アルマの里を目指して歩みを進めるのは青年女神のルティスと、美神イディア。

 現在の昼下がりより数時間前、地下神殿にて合流を果たした彼女たち、共に行う"調査"の旅。



「今度また何か、ご馳走が出来ればいいんですけど……」

「それも大丈夫ですよ。今は気負い過ぎず、必要な情報を手に入れられるよう……"一緒に"、頑張りましょう」

「……はい」

「事前に決めた通り、到着したら先ずは私が話をつけますので……他にも何か聞きたい事があれば、遠慮なくに言ってくださいね」

「分かりました」



 アデスによって事情を聞かされて、同行の願いに対しても二つ返事で応えたイディアは合流後、その意を青年に対しても明示。

 その時も今も柔らかな笑顔で対面の名も知らぬ相手を迎え入れ、小休憩で足を止めていた二柱は頷きを交わしてから再び、一歩一歩と。

 均整の取れた長足を前へ運び、向かう目的地。



(……出直したルティシアでは噂話以上の目ぼしい情報は手に入らなかった。事件の詳細は勿論、実際の現場がどこなのかも、"あやふや"で)


(その辺りも、アイレスさんたちから話を聞ければ——……いや、第一に先ずは"無事の確認"。今はそれが一番大切なこと)



 視線を下ではなく正面に向けたまま、考えるまま。

 横切る山肌、視界の半分を占めるかという突き出た形の地形を越えて——その先、見え始める物。




「……! 我が友——人工物、"住居"のような物が見えてきました……!」

「!」

「あれではないでしょうか? 彼女達の、"里"というのは」

「……あれが——」




 上下から空と大地に、左右から山々に四方を挟まれるような中腹——ポツポツと並び立つ、燻んだ灰色の物体。

 人が作り、石で造り。

 眼前に現れた家々の点在する"里"は間近で——。




————————————————




 ——次第に大きく見えてきた建造物。

 既に"道"へ乗った調査隊。



「——念のため、確認です」



 草木が除けられた、伸びる一筋の線上。

 踏みならされた土——つまりは普段から移動の為に利用がされている場所を横に並んで進みながら二柱、密やか話。



「危険物……目に見える武器や刃物の類は持っていませんね?」

「はい」

「使いの蛇は——」

「"隠れてもらってる"ので、大丈夫です」

「ん——了解です」



 道を挟む左右の薄茶草原の上では燻んだ白色の山羊たち、めいめいに歩き回り。

 その少し離れた場所、家畜の群体を見守る"人影"も、既に神の知覚する中。



「でしたら、そちらのほうは問題がなくて……」


「私の方……荷物は小物入れぐらい。鏡は一応、その袋の底に入れてもらいましたので——」



 重なって聳え立つ山々の間、覗く真昼の太陽。

 反射して響く山羊の愛らしい鳴き声が一種の牧歌的空気感を醸し出すが——それで気を緩めることはなく。

 調査隊の目指す場所、"アルマの里"は既に目前。



「私も持ち物は大丈夫でしょう。……後は——」



「——"髪の毛"……大丈夫どうですか?」

「……どこからどう見ても違和感はないと思います。大丈夫です」

「……感謝です。我が友」



 変色する前髪の房、上から隠す"付け毛"。

 生やす髪色全体を黄褐色としたイディアは花笑みを見せた後——向き直って鋭く見遣る前方。

 柵で囲まれた家々が立ち並ぶ、里と思しき場所と——そこへ至るために潜らねばならぬ"門構え"、側で立つ一人の"守衛"が視界で存在感を増して行く。



「であれば、女神アデスが話を通してくれているのです。互いに問題なく——中へ入る事が可能と思います」



「誠実な彼女を信じて、進みましょう」

「……はい」



 弓と矢を背負い、軽量なれど信用に足る獣の皮を素材とした"防具"を纏う守衛の姿。

 その右手には先端鋭利の武器——"槍"は握られ、引き締まる彼女の手及び腕は太く、鍛えられた"戦士"の肉体。



(……どうか、すんなり行きますように)



 アルマの向ける険しい眼差しの先、青年。

 内心で無用な衝突が起こらぬよう祈りを捧げ、歩み寄る以外で余計な動きを見せないよう、ややイディアに先頭を譲った横で努める。



「「……」」



 努めて、数十秒。

 門までの距離、凡そ残り十歩かという地点。






「「……」」





 いよいよ、件の守衛。

 接近する黒衣の者共を呼び止める。



「"足を止め、顔を見せよ"」



 指示を飛ばすのは警戒心を隠さぬ冷ややかな声だ。



「「……」」



 対する女神たち、足を止め、無言で示す恭順の意。

 慌てず緩慢な動作で頭巾へと手を掛け、摘んだそれを引き上げて——露わになる、其々の玉の顔。



「……"女二人"。"名"はなんと言う」



 片や黄色、片や黒色を基調とした長髪の麗神たちへ更なる問い掛け。

 未だ距離を置く双方の間、張り詰めた空気が牧場の土臭い香りを忘れさせる。



(……お願いします。イディアさん)



「"——"」




「……私は『イーディス』。隣は『ルキウス』と申す者です」

「"肩書き"は」

「彼女が件の行事で"弁護を担う者"。私は、その"助手"です」




 緊張の中、口を開くイディアは人としての仮名を堂々名乗り、毅然とした態度。

 まさしく神妙な面持ちで少しも声を震わすことなく、守衛の問いに対して簡潔な答えを返した。



「……」



「「……」」



 そうして、暫しの沈黙。

 守衛、二柱——いや、"二人"の姿を頭から爪先まで見回す、鋭い目つき。

 その視線往来、三度を経て、次の言葉。



「……聞いた通りの情報。時刻も概ね一致」

「……」



(……)



「……"いいだろう"——」



 手にする槍の尾で身近な起伏——岩を叩いて音を出す。



(——!")



「然らば、第一にこれより——お前たちの"身体からだ、及び所持品を調べさせてもらう"」

「「……」」

「暫し、そこを動かずに待たれよ」




「……頼む」

「——はい」




 その叩かれた音が合図だったのであろう。

 門の陰からもう一人、こちらも簡易的な防具に身を包んだアルマの女性が現れて、二柱の下へと近寄って来る。

 恐らくは先述の"検査"のため、それを担当する者なのだろう。



「二人。衣類はそのままで構わんが、手荷物は辺りの岩場に置け。置いたそのあと、荷物から離れた場所にて身体を改めさせてもらう」



「それでいな」

「構いません」

「では——移動を許す。物を置け」



 引き続き、睨みを利かせる槍持ちからの指令。

 逆らう理由もなく、調査隊の二人は指示された通りに道の端へと寄り、各自で荷物を降す。

 ルティスは背負う"袋"、イディアは腰元に下げていた四角い"小物入れ"だ。



「先に助手……『イーディス』とやらの方から調べさせてもらう」

「……」

「不審な動きのないよう、心して待て」

「……かしこまりました」



「残る『ルキウス』とやらも同様だ。助手の検査が終わるまで黙して待たれよ」

「……分かりました」



 密かに唾を飲み込みながら、青年は頷きで了承の意。

 女神たちの立ち位置はアルマの戦士にとっての"攻撃範囲"——その内側。

 意図に関わらず動揺で下手に慌てふためき、剰え物を落とすようなことがあれば、槍の鈍く光る穂先が瞬く間に"喉元へ向けられよう"という、付かず離れずの位置関係は築かれて。




「では——"始めてくれ"」

「はい」




 守衛の目、光る中。

 もう一人のアルマがイディアの真正面へと到達して直ちに、来訪者の危険有無を改めんと——先ずは"身体検査"が始められるのであった。



「手を横に」

「……」



 脇を開いたイディアの玉体へ進む——検査の手。

 順として先ずは首周り、次に肩周り、腕周り、胴周りと、二本の手が異物を探して動き回る。

 上半身を終えたら、次は下半身。

 腰、尻、腿、脚、足——と、撫でるよう。

 起伏に富んだ体を下へ、下へ。



(……検査自体は普通? 何か、変な動きとかは……今の所、見られない)


(イディアさんも話した通り問題はなさそうだし、この後の俺も恐らくは——)



(——……"!")



 滞りなく身体検査は進むものと捉えて安心していた所、思わずに見開く目。

 というのも、全身を一通り調べ終えた手は再びイディアの上半身——より正確には大山の如き"胸部"で、乳房一対の間をなぞるよう指が上下。

 更にはその後、伸びる手は下半身に舞い戻り—— "股座またぐら"までも念入りに調べられるのだ。



(そ、"そんな所"まで……——)



 その手付きこそ熱のこもらぬ淡々とした事務的なものであったが、順番を待つ青年は"来たる同じ手"へ抱く、僅かな恐れ。

 イディアの纏う衣服——捲られた胸元のひだ——謂わばフリルの下に空いていた穴を見て、慌てて逸らす視線。

 この若者が何を思ったのかは知らないが、美の女神にとって胸の谷間に開けたその穴は——借りた後付けの権能を行使する際に生じる余計なエネルギーを——噛み砕いて"効率の良い放射冷却促進"を最初の主な目的とした謂わば『通気孔のようなもの』である。

 だがしかし、直ぐにそうした考えへ思い至らなかった元男子高校生の女神にはその広がる穴、何か刺激の強い光景であったのも事実で、無理に目線を明後日の方向へ動かす様は挙動不審。

 幸いにも恩師のくれた隠れ蓑の力が作用して見張りの人間に咎められることはなかったが、けれど"そういった経験"が豊富でないこともあってか内心一人で慌てる青年。

 逸らした目線の先——草をむ子山羊と側の母親が出す愛らしい鳴き声が空間に響き、一人は神妙ながらも間の抜けた雰囲気の中に取り残されていた。



「身体に以上は無いようです」

「分かった。次は所持品の方を頼む」

「了解です」



(——いや、でも、主に女性で構成されるアルマにとっては、外部からの人間が性別を偽っていた場合に大変だから……別におかしいことはないのか)


(そして、性的特徴の有無どうこう以外にも胸……と、股の間は物を隠しやすくて、普通しかも外目では見通せない場所だから……そういうのを警戒する意味合いもある……?)



 そんなこんなで、青年が一人で相撲を取っている間、イディアの身体検査は無事に終了したようで。

 念入りに秘所を調べられる理由に思い至って冷静さを取り戻す女神の前——調査の手は美神の荷物である小物入れに向かい、その中を探り出す。



「……中身は——」



(……筆に鉛筆? 筆記用——いや)


("髪留め"や何かの"粉"、円筒状の物があるってことは——)



白粉おしろいべに——"化粧道具"を入れる物のようです」

「……不審な物は?」

「ありません。どれも脅威にはなり得ないかと」

「うむ、ご苦労。……助手の女、他に所持する物はあるか?」

「いいえ。ありません」

「……これだけの荷物でここまで? "優先すべきもの"は他にもあると思うが」

「……時に『一髪いちかみ二化粧にけしょう三衣装さんいしょう』とも言うように、それらは私にとっても"大切なもの"であるが故……優先するに不足はありません」

「……」



 目の前の美女が食も要らず、またその身が武具となる神故の"身軽"だと知らぬ守衛。

 アルマの戦士である彼女は目を細めて訝しむようにしてもう一人と目配せをした後、述べる結論。

 先ずは弁護士助手のイーディスに対する調査の結果を踏まえ、決定を下す。



「……いいだろう。お前の調査はこれにて終了とする」




「次の者が終わるまで、そこで待たれよ」

「はい。丁重の扱いに感謝を」




『危険性は殆どない』と判断され、恐らくは里への進入を許されたのだろう。

 終始"泰然自若"のイディアは浅い会釈を返した後、押し黙って動きを止め、言われた通りにその場待機。



(……良かった。イディアさんは問題ないみたいだ)


(そうなると、次は……——)



 そうして間もなく、当然に"次の番"が回って来る。




「次は弁護士のルキウスとやらだ。……早速、始めてくれ」

「はい。……手を横に」

「……」




 複雑な性事情を密かに抱える——青年女神の番が。



(……やましいことは何も——毒蛇はいるけど、大丈夫。"隠した")


(でも……緊張する)



 地に対して平行に手を広げたルティスの体に女性の手が触れて行く。

 その順は先のイディアと同様であり、蓑の内外まで入念に確認がなされ、そうして——胸部や股座に他者の手。



(…………)



 緊張と嫌悪の入り混じった複雑な内心を隠すように目を伏せながら事が終わるのを待つ。

 実際の時間にして数秒、されどそれよりも長く感じる"初めての感覚"。

 自他問わず女神としての体をまじまじと見て、また念入りに触れられる経験はあまり快いものとは思えず。

 慣れない感触から、"かつては無かった物"や"今は無くなった物"の存在を再度に強く認識させられて、さざ波立つ心。




「……こちらも、身体に問題ありません」

「なら、次は所持品だ」

「はっ」



(……取り敢えずは一安心)




 無事に身体検査は通過出来ても、女人じょじんの形と改められて、複雑な気持ち。




「袋の中身は……布包みが一つ。それだけです」

「包みの中は?」

「……パンが四切れほど」

「食料か。……"女"、質問だ」



「……」

「袋の大きさの割には内容物が少なく思えるが……本当に所持品は、"これだけ"か?」

「……」

「……"黒髪の女"、お前に聞いている」

「…………? ——あっ! す、すみません。緊張して聞き逃してしまいました……!」

「……?」

「な、何でしょうか……?」

「……もう一度だけ聞く。"所持品は袋と食料のパン"、それだけなのか?」

「……それは——」




 憂いて奇妙な間を置いてしまった影響か一層鋭く睨みつける守衛、高圧的に問いただす。

 しかし、調査を担当したアルマが開いた袋の中から——鬼は勿論、"蛇"も出ず。

 何の変哲もない袋の、影に染まった薄暗い底を晒されながらの問いに——青年の返す答え。




「——"はい"。"そうです"」

「食料だけを背負ってここまで? 他に何か入れようとは思わなかったのか?」

「……はい。食べ過ぎても、重過ぎても動きづらくなってしまうと思ったので、用件を絞りつつ"荷物は少なめ"にしてきました」




 生き物をしなに含まないのならば、今の言葉に嘘はない。

 背を覆うほどの大きな袋、その"第一層"に入っていたのは先述に相違なく、少しの食料だけ。

 影の奥底、神秘的な黒の仕切りによって袋が"多重構造"となっていることに常人は気付けず。




(下層に隠れたウアルトさんが——"見つかることはない")




 傾けられた袋の中で、しかし上下の軸が安定した環境で——淑女の蛇は呑気に霞のお食事中。




「……ふむ」

「「……」」




 一通りの検査を終え、槍を持ち直す守衛。

 締めに来訪者二名の整い過ぎた形を眺めて、一言。




「……腕、脚、ともに細く——その身が牙を剥くこともないか」




 通常の人間・戦士の尺度で『調伏するに容易き存在』と思えたのであろう。

 それぞれある種の理想が形を得た者、"夢の結晶"。

 どれだけの鍛錬を積もうとも変化は少なく、しかし程よく肉の付き角々しさを感じさせぬ"女神の玉体"——アルマの戦士である己らと比較して『柳の枝の如く細きもの』と、下す評価で。





「——"良かろう"」





 人の出入りを任された二人のアルマ——頷き合っての合意形成。

 そのまま神の血を引く者たち、知らずのうちに。




「両者とも、我らが本拠。貴き血族アルマの里へ進み入ることを——」





「ここに——





 思いもせずに、"生ける女神そのもの"を。

 自分たちの住処へと——今、迎え入れん。



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